花贈りのコウノトリ

しのはら捺樹

9

 店に帰るや否や、沙苗ママの愚痴が僕の頭を小突くようにチクチクと飛んでくる。

 「ちょっと航!アレンジメントが追いつかないんだけどー!あと配達は上手く回ってんの?なかなか帰って来な…」

 「すみません、ちょっと後にしてもらえませんか?」

 普段なら面倒だと思いながらも耳を傾ける沙苗ママの愚痴も今は本気で聞きたくない。払い除けるように、僕は吐き捨てた。

 僕のセリフが聞こえたのか、店中のクルーが驚いて僕を見た。流石の僕とは言えどもうちのお局様に対してそんな偉そうな口を利くなんて、勿論タブーだ。

 それを聞いていたのか聞いていないのか、店長が続けて僕に呼びかけた。

 「ごめん航、あのさあ」

 「だから後にして貰えませんか!煙草の一本位吸わせて下さいよ!」

 カチンと来て、僕は思わず怒鳴り散らした。珍しく声を荒げる僕に沙苗ママも店長もすっかり目を丸くして黙り込む。

 店の雰囲気が沙苗ママと店長の喧嘩の時より固まっているがわかった。普段酷いクレーマーが来ても一切怒らない僕がここまで怒るのだからかなりのものだろう。

 早乙女さんが篠崎さんの後ろに隠れて、そっとこっちを覗き見る。篠崎さんもキョトンとして、手に持っていたガーベラを取り落とした。

 ハッとして店内を見回すと、お客さんはいないけどクルーの殆どがいた。皆が皆珍しく僕の機嫌が悪いことに驚き、中には早乙女さんのように怯えた視線を送る者もいた。

 「す、すみません…ちょっと、イライラしてしまって…疲れてるんですかね…あはは…」

 僕は咄嗟に苦笑いを浮かべて謝った。それでも雰囲気は和らがないどころかもっと張り詰める。

 他人に当たるのは滅多に無いことだし、自分がここまで苛立つことも当然無い。ここまで荒くなったことに自分でも驚いた。そして物音ひとつ立たない店内に気まずささえ感じた。

 「5分だけ…休ませて下さい」

 静まり返ったその店内に、僕の力無い声が響いた。俯いた僕がスタッフルームの扉を開けて取り繕うようにそっと後ろ手に閉めるまで、店内は静かなままだった。

 店内がざわつき始めるのを聞いてから、足早に喫煙室へ向かった。ここまで心がぐしゃぐしゃに乱れることなんて滅多にない。けれど今の僕は僕自身に対して怒りを露わにしているだけで、店の人に当たるのは良くないことだった。

 喫煙室に入るや否や僕はすぐに煙草を咥え、火を付けようとした。けれど、ライターを持つ手は震えていて、上手く火はなかなか付かない。何を焦っているのかわからないけれど、煙草を吸わずにはいられなかった。

 やっとの事で煙草に火を付け、煙が肺へ流れ込む。そこでようやく気が抜け、よろよろと椅子に腰掛けてため息をついた。

 疲れもあるんだ、と自分に言い聞かせても気分はどん底。やがて思考を停止して黙々と煙草を吸い続け、2本目の半分まで吸ったところでケンさんが喫煙室へ入ってきた。

 「…お疲れ様…です」

 「フフッ…見た?あの沙苗ママのビビった顔…未だに自分がなんかお前にしたかもって焦ってるぞ」

 ケンさんは他の人と違い、僕が怒ったことを面白おかしく思っているようだった。ケンさんらしいと言えばケンさんらしいが…僕の気持ちも察して欲しい。もう一度深いため息をつくと、ケンさんは買って来たらしいカフェオレの缶をポケットから取り出して机に置いた。

 「ワケ有りか…失恋でもしたのか?」

 「失恋だったらなんぼ良かったことか」

 煙を吐いて机に伏せると、ケンさんも煙草を一本取り出した。

 「聞いてやろうか」

 「是非」

 顔を上げて、顎を腕に乗せるようにして僕はケンさんを見た。ソフトモヒカンのちょいワルな感じだが、配達組からは慕われている。女性陣からの評判はイマイチだけど…信頼の意味で、男には好かれる人間だと思う。



 僕はずっと抱えていたことを話した。

 母の日に何か出来るはずなのにしなかったこと。
 3件配達に行ってそれぞれで見て来たこと。
 そして、今更になって自分が母親に何も出来ないと思っていること。
 それが、腹立たしくて仕方ないこと。

 ケンさんは煙草を吸いながら最後まで黙って聞いていた。僕が話終えたと同時に、煙草を揉み消して最後の煙を吐いた。

 「母親に何かしようって考えてるだけで、それは親孝行だ」

 「…え?」

 カフェオレを飲むように手で此方に缶を押してくるケンさん。有難く受け取ると、僕は一旦煙草を吸って続きを促した。

 組んだ両手をを見つめながらケンさんは呟くように続ける。

 「本当の親不孝は、母の日だろうがなんだろうが…自分の母親のことはぜってー考えない。 自分が母親から生まれて育ったこともな。その点、お前は充分親孝行してる」

 「でも僕は、自分の母親のことを何も知らないし…」

 「いいか、航」

 カフェオレの缶を開けて言った言葉を遮って、ケンさんは僕の目を見ながら今度はしっかりとした口調で言った。

 「一番簡単な親孝行を教えてやる」

 それはな…

 ケンさんは一拍おいて話し始めた。

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