英雄の終わりと召喚士の始まり
1-20 動き出す世界
無条件に心に響き、感情を届かせる。それを慟哭と呼ぶのだろう。
激しい悲しみが伝播するようにウルの目から涙が溢れた。
そしてテュールも。
無表情のまま炎に包まれる精霊へと近づいていくウォーデン。
踏みしめる度に罅割れていく大地はまるで本人の激情を表すかのように一歩ずつ激しさを増す。
「なぁニョルズの精霊よ。ここから出してやる。だから大人しくしてくれないか?」
精霊は応えることなく、炎に縛られた四肢を引きちぎらんばかりに暴れ、声にならない叫びを上げる。
「やはり素直に言う事は聞いてもらえないようだ。テュール!」
「ウォーデンさん…」
「どうすればいいか、わかるな?」
槍を構える。ウニスケが肩に留まり、アゾットが隣に立つ。
――あぁ。大丈夫……待ってろ?ちゃんと楽にしてやるから、もう泣くな……
ウォーデンが腕を振るうと、精霊の足元に五芒星が光り炎の鎖を断ち切った。
解き放たれた精霊は、尚も纏わりつく炎に焼かれ耳をつんざく悲鳴を上げる。
それは解放された喜びか、悲しみからの怒号か、それとも苦しみからの怨嗟か。
ただ一つわかるのはその目に理性の光はなく、狂気に彩られていた。
――
――――
グリトニル評議場。
12の席がある円卓を現在、二人の人間が向かい合って座っている。
一人はシフ・アース。そしてもう一方…傍から見ればどこにでもいる背の曲がった貧弱な老人。
その顔に深く刻まれる皺が生きた年月を物語り、にこにこと好々爺たる顔だちをしている。
その分、奥に浮かぶ感情を表情から読み取ることは出来ない。
……はぁ…この人本当に苦手……
シフは内心ため息をつく。先ほどから身の上話の繰り返しにウンザリしていたが、いい加減話を進めたい。
「ウートガル様。貴方の研究する紋章学。私共と合同して取り組めば更なる発展を見込めますわ。我々の精霊術と呼ばれる個々人に与えられた異能をご存知でしょう?」
「勿論知っておるとも。王霊戦争の際にはずいぶん煮え湯を飲まされました。今では秘匿する情報まで掴まれているとは…いずれ世界を精霊国が席巻する日も遠くないですな!
ですが生憎、実証はいつになるか…若き議長様に無為な時間と労力を取らせる訳にはいけませんからなぁ」
笑いながら場を紛らわすウートガルと呼ばれた老人。
(掴めているのは表層だけと言いたいのですか……本当に回りくどいわね…)
「失礼しました。横から掠め取る盗人のような真似は先祖の誇りを汚すだけですものね。所でウートガル様、蛇の入れ墨の輩がなにやら暗躍していると耳にしたのですが…」
「…ウロボロス。」
「ウロボロス?」
話を切るかのようにピシャリと言い放ち瞑目する老人。
先程までの好々爺とは打って変わり、物々しい雰囲気を晒し出している。
「女神ノルンに誓って私は奴らと無関係だ…いま言えるのはそれだけである」
そう言うと話は終わりだとばかりに席を立つウートガル。
近頃妙な事件が多い。精霊国首都アルムの事件。
ニョルズの異常。
魔国ヴァナムの大地震。そしてトリルハ帝国のクーデター。
陰には蛇の刺青の人物の目撃情報が幾つかあった。
被害のないグリフ王国の仕業と考えるのは単純に過ぎるが、念のため探りを入れるつもりが藪蛇だったようね……
「関係ないと仰るのでしたらなにも問題ありませんわ。本日は貴重なお時間をありがとうございました」
「ふむ…好奇心で首を突っ込むのは感心せんぞ」
「えぇ、勿論です。ですが既に被害が出ているのでしたらタダで済ませるわけにはいきませんわ」
「…立場というのは難儀なものよのう……そうそう忘れておった!テュールによろしく伝えておいてくれ、たまには連絡せんか、ともなぁ」
「……はい。必ずやお伝え致します」
剣呑なオーラも消え、ただの老人のような雰囲気を戻し笑いながら去っていくウートガル。
(あーもう!どこまで知ってんのよあのジジイっ…!今日の収穫はウロボロスって名前だけね…)
静かな空間に一人きり考えを巡らせる美女。
彼女のため息だけが評議場に残されていた。
ーー
「いつもすまないねクロコ。頼んだよ」
クロコと呼ばれたドラゴンが一鳴き、大きな翼を羽ばたかせゆっくりと上昇し空の彼方へと飛んでいく。
豪華な椅子に腰かけた男は、水晶に映るその様子を楽し気に見つめている。
「結末は決まっている。あとは物語がどう進むか、楽しませてもらおうか」
――――
「退けっ!いまは退くんだっ!!」
「それでは砦がっ…!」
「構わんっ!我々が守るのは砦ではない!」
「…っ!承知しました!」
上官に従い、撤退の指示を出す部下の顔には安堵が浮かんでいた。
(敵は誰だ…鎮圧するのは簡単だが、火に油を注ぐようなもの。根元を断たねば……)
ーー
ーー世界は動き出した。少しずつ、だが確実に…
ーー
「ハッ!」
横薙ぎに払われた槍を避ける為に後退る精霊。
その後ろからアゾットが素早く現れ短剣を突き出すと同時、更にその上からウニスケが飛び出し爪を振り下ろす。
だが途端に精霊の周囲を囲むかのように足元から炎が噴き上がる。
飛び出したウニスケは炎の壁に突っ込む形になるが、間一髪でアゾットがその足を掴み留まらせるが、それも見越していたのか炎の中から火の玉が幾つも射出されアゾットを襲った。
「アゾットッ!」
火の玉が着弾し噴煙が立ち上る中、薄っすらと人影が映った。
「問題ありません主殿!全て外れております!」
戦い始めて10分程経つがお互い決定打を浴びせることなく、消耗戦が続いている。
「本質が違ったといっただろう。この山の主として存在を繋がれているから武器にしているが、炎は苦手なようだ。どうする?代わってやろうか?」
外野から挑発するように声をかけてくるウォーデンさん。
そうか…だから大雑把な攻撃が多いのか。それでもあの火力は厄介だ。
何度か炎の壁越しに槍を突き刺してやったが、穂先を溶かされてしまった。お陰でこの槍は薙ぎ払うしか役に立たない。
「いいえ。俺が力を示さないと意味がありませんから…ウニスケ!アゾット!」
アゾットが先ほどのお返しに魔力弾を精霊に打ち込む。当然防がれるがただの牽制だ。
その隙にウニスケと一緒に俺の元へ駆け寄る。
「ウニスケありがとうな、一旦送還する。アゾット、憑依するぞ。それだけに魔力を回す」
うにっ!
お決まりの鳴き声を上げると精霊光に包まれ消えるウニスケ。
「ふふっ武器もこれだけになりましたからね。主殿、全力で三分、それなら根源に影響はないかと。それ以上は命を削ることになりますので、お気をつけて」
うやうやしく頭を下げながらアゾットが精霊光となり、俺の左腕になる。
三分あれば十分だ…
槍を投げつけると先ほどと同じく炎に阻まれるが、お構いなしに肉薄し短剣を振るう。
炎すら切り裂き、そのままの勢いで精霊の肩口を切り裂いた。
初めて痛みに叫び声を上げる精霊。
ウニスケ・アゾット・身体強化と三つに割いていた魔力回路を一つに纏めたのだ。これくらいは出来て当然だ。
精霊の身はほぼ魔力で構成されている。ここまでの消耗に今の一撃、大幅に魔力を削れただろう。
狂気に染まっていた目が少しずつ理性を宿し始める。
悪いが時間がない…荒療治になるけど勘弁してくれよ…
休ませる暇など与えないとばかりに剣閃を繋げるテュール。
四方八方から噴き出し続ける炎と切り裂かれる炎。
舞い散る火の粉が二人を包み、中心を舞うテュールの姿はさながら炎の剣舞。
徐々に理性を取り戻す精霊と共に笑みを浮かべ踊り続けるテュール。
終始傍観に徹していたウルも幻想的なその光景に思わず見とれ「きれいなのー…」と呟き、その横ではウォーデンが腕を組み、満足そうな表情を浮かべている。
――そうだ。それがお前の本懐だろう?いつまで引き摺ってる。
確かにお前は力を失った……だからこそ新たな可能性が生まれたんだ――
美しい剣舞は儚くも幕を閉じ、距離を取るテュールに初めて精霊が言葉をかける。
「ありがとうございます、力ある者よ。お陰で正気を取り戻せました。これが最後、受け止めてもらえますか?」
初めは炎に包まれた人型としか表現できなかった姿も、今ではほっそりした優美な少女の姿を晒している。
「勿論。実は俺もそろそろ限界なんだ…終わりにしようか」
燃えるように赤い長髪を靡かせながら、天に掲げるその手の平には小さな炎。
それが徐々に存在感を増しながら赤から白へ染まっていく。
「風妖精シルフィ。この呪いの楔を払えるなら、貴方の剣となり盾となりましょう」
「俺はテュール・セイズ。よく頑張ったなシルフィ。山の主の使命は終わり、俺の召喚獣として新しい使命を始めてくれ」
まだまだ距離はあるのに余波だけで火傷してしまいそうな程の熱気がテュールを襲う。
「ふふ…よろしくお願いしますね…!『メルトっ!』」
シルフィが呪文を唱えると、真っ白に染まった炎がなにもかも燃やし尽くさんと迫る。
激突の瞬間、世界が白光に包まれた。
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