一人多役──波乱万丈な非日常生活──

渚月ネコ

日常の変化2──真島サッカー塾──

 その日、少女は嘆いた。
 何故自分がこんな目に遭わなければいけないのか。
 神様が何故自分に非日常を押し付けてきたのか。
 自分の性別を変えてしまったのかと。
 男と女、雄と雌。その区切りを簡単に超越してしまったこの状況に少女は感嘆、というよりも戸惑いを感じざるを得ない。
 地球上には性別の転換が出来る生物がいるらしいのだが、勿論人間にそのような機能は付いていない。
 他にも、手術によって強制的に変えることは可能らしいが、一晩でここまで完璧にす?技術など存在しない。
 現実的に不可能なのだ。今、起きているこの現象は。
 ではどう納得すればいいのか。
 無論、神の悪戯と納得するしかない。
 だが、納得したところで何も解決には至らない。
 ならば行動。この状況に合わせて上手く対応するしかないのだ。
 幸い、少女の父母は忙しい身で世界中を廻っていて、当分帰る気配はない。
 兄弟もおらず、一人暮らし。
 学校はある理由で校長に頼めばいくらでも休むことが出来る。
 大丈夫、バレない。そう心で呟いた後、少女はこれから何を行うか検討するのだった。

 …
 30分後。
 少女は玄関を開け、門に通じる道を歩いた。
 先程のパジャマ姿とは違い、インナーはホワイトのスポーツブランドのTシャツ、デニムジャケットはオーバーサイズを選んで、ジーンズコーデでもスポーツ色強めにコーディネート。靴はスニーカーと、実にアクティブなコーデだ。
 少女が着ているジーンズは、ジーンズでもスポーツが出来るように伸縮性のある素材となっている。
 初心者にしては上出来なコーディネートに少女も満足な様子で自分の身体を見る。
 そして万遍の笑みで歩こうとしたのだが、何かを思い出したかのように家へ駆け込む。

 数分後、家からまた出てきた少女には顔が隠れるくらいの大きな麦藁帽子と、靴が三足入りそうなバックが身に付けられていた。
 玄関の横に書かれた表札を見て苦笑した後、少女は急いだ様子で歩き始める。
 庭を通り過ぎ花壇も通り過ぎ、門を潜り、一般道路へ。
 いつ観ても豪華と言わざるを得ない自宅を一瞥し、溜め息を付いたあと、門に書かれた表札を今回は見もせず小走りしだす少女。
 ふわりと銀髪が靡き、キラキラと光を反射させる。
 そして少女が通り過ぎた表札には────


 『渚月』 そう書かれていたのだった。




 

 …
 性別が変わるという異常事態に普段は冷静に対処する俺だが、何故か先程は妙に慌てていた。今は大分落ち着いたのだが、未だ心の奥の方では動揺が残っている。
 学校ではクールボーイで通っている俺としては、キャラ崩壊という結果にはなりたくない。故に表面上では平然を装っているのだが、内面はそれはもう酷い。
 動揺と不安で埋まっているのだ。
 これからどう過ごせばいいのか、いつ女体化は治るのか、この惨事がバレないか、などと。
 だがこういう時こそ、楽観的に捉える事が大切なのだ。
 絶望だらけの状態から希望を見つけるように。
 デメリットしか思い浮かばない頭を振り、無理矢理にでもメリットを見出す。
 何度もげんなりしながらも出した考えは、「異性の感覚を知ることが出来る」「軽い気分転換にもなるだろう」その位だった。
 そんなことを考えながら小走りで駅へ向かったのだが、悲しい事に駅に着いた目の前で目的の電車が出発してしまった。
 皆の視線が気になる中急いで駅の中へと走ったが、何分か遅れたことで乗るつもりの時刻に間に合わなかったようだ。
 これからの用事の時間に遅れると少し、いや、相当気まずいので、次の電車に乗るのもアウト。だとすれば、タクシーに乗るのが一番無難だろう。この際は仕方ないので、高額になってもいい。
 ということで俺は駅のタクシー乗り場へと向かった。
 俺は駅へ入る時、北口の地下道から行ったのだが、タクシー乗り場は人の多い南口側にある。以外にもこの駅は大きく、近くにはビルが沢山ある。
 駅の真正面にはゲーセンと映画館、そして雑貨屋などの店がある複合ビルだ。あえて名前は伏せるが、相当儲かっていると思う。ここら辺じゃ有名だ。
 そして俺は、出来るだけ身体を縮こませ、赤が基本とした模様のタクシーへ乗った。麦わら帽子の下から見える俺の髪の毛に気づいたのか、タクシーの横を通る人々の目は 珍しいものを見た!と言わんばかりに開かれている。
 俺は麦わら帽子で顔を隠しながら、運転手に。

 「鷹愛の運動競技場でお願いします…」

  …声が少女っぽいので、自分にげんなりする。いや、実際に少女なのだが。

 「おうよ!時間は…三十分位だがいいかい?」
 「……あっ、ハイ、それで……」
 「りよーかい!じゃ、出発するぜ。てか嬢ちゃん、よく見るとカワイイなぁー。ここら辺じゃ、相当見かけねぇぞ?」

 実に馴れ馴れしいオッサンである。
 タクシーに乗りこみながら俺は言う。

 「そんなことないですよ。運転手さんもカッコイイですよ?」

 ここは愛想良く受け応えをする。第一印象はとても大切という事は社会に出てよーく分かったので染み付いているのだ。
 昔ある用事で、急いでいた為身だしなみが乱れており、それを見たある客人がそれから俺を見下すようになった。
 このように苦い経験があるため、俺は普段から気を付けているのだ。
 だが、お世辞とバレたのか運転手は言い返す。

 「ばーか言え。俺がブサイクっつー事はとうの昔に認めてんだよ。でも嬢ちゃんみてーな美人に言われるとやっぱ胸に来るねぇ~」

 自分には、男の渋味の出たナイスガイに見えるのだが。  
 そこまで己を過小評価するのは自分的に頂けない。
 己の価値を下げるという事は、自分を厳しく見る、謙遜するという意味もあるが、もう一つの意味もあるのだ。
 だが、この運転手の場合は恐らく客観的に自分を捉えているのだろう。あえて言うなら前者。いい心掛けだ。

 「そーですか?あなたもクールで渋みも出てますよ?」
 「褒め上手だなー、嬢ちゃんよ。だがいくら褒めても何も出んぞ?」
 「そんなの狙ってませんよ~。でも長友〇都に似てますよ?ホントに」
 「んー、それなら長谷〇誠だろー」
 「言われてみれば…あ、そういえばその人って最近怪我してますよね」
 「そうなんだよ!キャプテンいねぇから、心配なんだよなぁ」
 「ま、大丈夫ですよ。香〇真司もいますし。〇川は得点力ありますし、攻撃の起点にもなりますよ」
 「だろーな。でもまた怪我したら洒落になんねぇな」
 「ですねー笑」

 …
 目的地に着くまで延々とサッカー関係の話を駄弁りまくった俺たちは、降りる時には熱い友情が芽生えていた。
 運転手も、異性というより、良きサッカーファン仲間として見ている。良い知り合いになりそうだ。
 ほぼあの駅にいるそうなので、また用事があったらいこうと思う。
 降りた後、電話番号を貰った。個人のでは無くタクシー用のだ。これで呼ぶことも出来る。
 新たな知り合いが増える。ルンルン気分で俺は運動競技場へ向かうのだった。

 …
 俺が着いたこの運動競技場は、住宅街の外れの山の近くにある。ここは公園や体育館、野球場など施設が沢山あるのだ。よって、沢山の団体さんとかからの利用が多く、予約は既に来週分はすべて埋まっている。もし、ここの予約をとるのならば、それはとてつもなく大変な事だろう。
 正門を入っってすぐ、右の競技場を沿って行くと、ちょうど正門の反対側くらいに広い芝のグラウンドがある。ここは主に、競技場で大会をする時にアップする時に使われる。そしてここが俺の目的地だ。
 だがその前に空いてる部屋を使い、トレーニングシューズへと履き替えた。そして目的地へ向かう。
 …ここからが問題なのだが、上手く言い訳をすればどうにかなるだろう。

 グラウンドには歳は関係なく、子供が沢山いた。大体今日は四十人くらいだろうか。そしてコーチが一人。
 今は楽しそうに鳥かごという遊びをしていた。鳥かごとは、サッカーの遊びで、主に四人から出来るようになる。
 鬼が何人かいて、そのまわりに囲む様に鬼ではない人がいる。その人達は鬼に取られないようにボールをまわし、そして鬼はボールを取ったら取られた人と交代するルール。
 とてもポピュラーな遊びであり、ウォーミングアップ等によくするのだ。
 俺はその様子を観ながら、たった1人のコーチへ向かう。理由は明白、サッカーを教える為。
 もう気付いただろうと思うが、俺の用事とはこの『真島サッカー塾』のコーチをする事である。本来は男の自分、「渚月ミズキ」が行っているのだが、この場合は少女の姿で行うしか無い。それと、休むという選択肢はない。
 どうやらコーチを俺の存在に気づいたようだ。

 「あ、渚月さん!…?……あの、どちら様ですか?」

 どうやら俺の事が分からないらしい。当然か。

 「初めまして。渚月みずなと申します。貴方の言う渚月さんは私の兄です。いつもお世話になっております。」

 色々考えたのだが、一番都合の良い設定がこれだった。名前は一文字変えただけ。
 そして俺は更に考えた設定をつらつらと話す。

 「今日は兄が急な用事が入ってしまった為、代わりにと私が、との事です。兄から事情を伺っていますので安心してください」
 「はぁ、よろしくお願いします…」
 
 《真島サッカー塾》の副コーチ。これが俺の役職だ。平日は学校なので無理だが、休日は、他の用事が無い限り参加している。
 そして真島というのはさっきのコーチの名字で、名前は#宏之__ひろゆき__#。現在、彼女募集中。
 この塾との出会いは、三ヶ月前くらいか、学校サボってここでボール蹴ってたら、絡まれたのだ。塾の生徒達に。 
 割と背の高めの連中だった。実は高三だったために、当時の俺とは相当の体格差があった。
 妙にイラついてた俺は、売り言葉に買い言葉で、相当なハンデと賭けをし、半コートゲームの三対一で、高二の野郎共をコテンパンにした。いや、してしまった。
 この対決を、ぞろぞろと来た塾の生徒や、真島はみて、

 「「「コーチになって下さい!!!!!!」」」

 俺は喧嘩を売ったやつも含め、全員でお願いされたのだった。年齢社会なんで何処知らずである。
 俺に喧嘩を売ったやつはこの塾の中でトップクラスの上手さで、元々この塾は高レベルで有名だったらしい。
 そのトップをコテンパンにしたのだから、スカウトされるのは仕方ないことなのだ。負ければ良かった。
 過去を振り返っても意味が無いので、俺は嫌々承諾したのだった。
 そして現在に至る。
  俺は、真島からの集合を受け並ぶ生徒の前に立ち、自己紹介をした。

 「初めまして。渚月コーチの妹の、みずなです。渚月コーチは今日、用事があって来れないの。だから私が今日コーチをする事になったんです。よろしくね。」
 「チェッ、今日渚月さん来ねぇのかよ。つまんねぇの」
 「あーあ、今日つまんねぇわ笑」
 「ちっせぇ笑」

 カチンと来た。折角、頑張って女の子口調をしたというのに、愚痴とは。しかも愚痴をこぼしたのはあの時の高二共だ。こういう輩はちょっとお仕置きせねばならん。

 「じゃ、対決でもする?貴方達の中で一番上手い人と……じゃあ、君と君と君!」
 「俺は容赦しねぇぞ!」
 「あたり強くしちまおうぜ」
 「…………」

 下心丸出しな顔をしている三人。選んだのは例のコテンパンにした奴等だ。

 「じゃ、私最初ボールで良い?ルールは兄と戦った時と同じで」
 「ふ、あの時の様には行かねぇぜ!」
 「渚月さんに鍛えて貰ったからな」
 「………嫌な予感が……」

 さぁ、中一くらいの少女に完敗したという恥を晒せ!

 こころの中でほくそ笑む。あくまでも心の中で。表はただの笑顔のはず。

 「じゃ、行くよ!」

 そして、結果の見えたゲームを行うのだった。

 …
 「上手すぎだろ!?まるで渚月さんじゃん!」
 「お前また抜きされたろ?渚月さんにもやられてたぞ」
 「………やっぱり……予想的中……」

 少し遊んだ。こいつらにはこの位が丁度良いだろう。
 結果は俺の完全勝利。高二共は手も足も出なかった。
 あとボールより俺に身体を当てようとしていた。後でシゴいてやろうと思う。
 そして俺は皆に向けて言った。

 「他に挑みたい人はいる?」
 「「「「いいえ!」」」」

 全員が首を左右に振っていた。真島は血の引いた顔でこちらを凝視していた。まさに顔面蒼白。

 「渚月さん級の人が二人もいるなんて………」

 その呟きが深く俺の耳に残ったのだった。


  ….
  軽く俺の自己紹介が出来たので、そろそろ練習に移ろうと思う。

 「じゃ、いつもやってる鬼ごっこしようか!」
 「ウェーイ!」
 「やたー!鬼ごっこ!」

 知ってると思うが、鬼ごっことは鬼が逃げる人を追いかけるというとてもシンプルな遊びだ。
 レパートリーは沢山あり、鬼が高い所に登れないという高鬼。ジャングルジムが舞台のジャングル鬼。タッチされたらどちらも鬼となる増え鬼。他にも沢山の種類があるのだが、今からやる鬼ごっこは俺の考えたオリジナルだ。
 名前はサバイバル鬼ごっこ。略してサバ鬼。
 ルールは、基本的な面では同じで、鬼と逃走者に別れ、追いかけられたり、追いかけたりとする。だが、普通の鬼ごっことは完全に違う点がある。
 コレはチーム戦という事だ。
 一人三つ物資という名のマーカーを持ち、四チームに別れる。チームの中で、アタッカーと逃走者に別れ、アタッカーは他のチームの逃走者を追いかけ、逃走者は他のアタッカーから逃げる。タッチしたら物資を一個取れる。
 全ての物資を奪われたらその人はその時点で脱落。だが、仲間は物資を渡すことが出来る。
 そして時間で、アタッカーと逃走者は逆になる。それを何回か繰り返し、他のチームが脱落するか、物資の多かったチームが勝ち、というのが大体のルールだ。
 コレは、協力しないと勝てないし、常に連携や作戦が必要だ。特に、アタッカーと逃走者の割り振りが勝敗を決する事になる。

 最初の頃は、連携もままならず、上級生が下級生に
 「ゴラァ!ちゃんと逃げろや!」
 「物資欲しいだァ?あげねぇよバァカ」
 ……などやっていた。そういう奴は俺がシバいたが、全く協力などしていなかった。
 だか、今はもう、とても高度な戦いをしていて、見ててとても楽しい。特にあの高二共が率先してやっているのだ。実に芳しい事である。今ではあだ名も付いているらしい。

 うるさく、バカだか技術と脚はダントツのヤツは、その馬鹿みたいな身体能力から
 【バカバーサーカー】

 よく↑の奴についていて、調子乗るヤツは、気分によって活躍度が変わることから、俺命名
 【お調子者】

 そしてあまり目立たなくて、無口なヤツは、巧妙な作戦や、背後からの奇襲などから、
 【影の支配者】

 ……などと名付けられ、恐られている。本人達非公認なのは確実だ。だが、あいつらの事だ。仕方ない。
 さて、いつもはコイツらをバラケさせているが、今回は固まらさせようと思う。
 普通はそのチームだけ無双するのだが、ある場合において勝負が拮抗するのだ。

 それは──俺が助っ人になる事。
 一見ショボそうに見える俺だが、あの高二共くらいなら楽々相手できる。しかもこのサバ鬼は俺が考えたのだ。秘策の数なんて何十個以上ある。
 まさに俺はサバ鬼のスペシャリスト。最強の助っ人なのである。
 と言っても俺がやると、皆が、追いかけて来るので、作戦もクソもない。ただ、逃げていれば良いのだ。その中に高二共が入っている様子を見ると、何故か邪心が働くのは言うまでもない。
 だが、今日は訳が違う。
 俺は渚月水葵ではなく、その妹の渚月みずな、だ。
 当然男子共はやる気満々だ。なんたって、俺の外見は有り得ない程、美少女なのだから。それは触りたいはずだ。
 気持ちはわかる。だが、流石に自重して欲しいと思う。俺も一応男子の端くれなので、男心は理解出来る部分はある。
 そのため、あからさまに表情を出したりはしないが、若干引いてるのは致し方ない。
 でも、先程の様に触らせ無ければいい話。
 少し、気が入る俺だった。
 
 今回は、二チームに分けた。その方が都合が良いからだ。流石に四チームくらいだと、自分のチーム以外のアタッカーが全員、俺に来るのはめんどくさい。  
 そうして、準備は出来た。
 コートはこの芝グラウンドのみ。相手は、まだかまだかとうるさい高二共と、その他下級生半分、約二十人。こちらは俺ともう半分の下級生だ。俺はまずは逃走者。審判は真島にやってもらう事にした。

 「あまりはしゃぎ過ぎないで下さいね、迷惑になるので。では………ピーーーー!!!!!」

 そして地獄のサバイバル鬼ごっこが始まったのだった。



 真っ先に動いたのはバカバーサーカーだ。自慢の運動能力をふんだんに使い、俺に突進してくる。その姿は───
 ──イノシシみたいで相当気持ち悪い。

 苦笑するしか出来ない。運動能力だけは、飛び抜けているのがひしひしと伝わる。
 だがバカバーサーカーは慈愛に満ちた微笑みに見えたらしく、ニコニコしながら突進してきた。
 もう、気持ち悪いを通り越して畏怖さえ感じる。美少女にニヤつきながら突進する大柄な男性。
 状況的に、カオス。
 
 と考えている間にバカバーサーカーは目の前にいた。普通はこの状況、逃げられない、のだが。
 甘い。
 流石に今までの教訓から学び、更に逃げ道を塞ぐように手を俺を囲うようにしている。もしくはただ単に触りたいだけなのか。
 恐らく後者なのだが、作戦的には悪くない。良く言うと最善手だ。
 後方は他の奴に早々潰され、退避は不可能。
 こんな絶望的状況でも、やはり逃げ道はある。
 ゲームの出す臨場感に呑まれ、俺の脳、いや性格はある状態へと変わっていく。


 ──演算能力Lv.1からLv.2へ、知覚速度をLv.3に移行。


 異常な速度で思考が組み替えられていく。
 頃合いを見て、完全機械になる手前で組み替えを停止。
 ───その時には俺は間延びした世界に居た。
 周りの動きは遅くなり、それとは逆に俺の思考はまるで機械のように回転する。
 
 顔の表情は一瞬無くなった。
 だが、その後直ぐに新しい表情が浮かぶ。
 そこには───悪魔のような笑み。
 裂けた口に、釣り上がった端。
 そこには一人の悪魔が存在していた。

 一瞬で空気の変わったみずながしゃがむ。
 無論、高三の一人から逃れる為である。
 大柄であった高三は、背が自分よりだいぶ小さいみずなが更にしゃがんだために触れる事が出来ない。
 前へつんのめった状態で前方の空気を抱く状態へとなった。
 せめてもの足掻きで足を大きく広げた高三の股下を潜り抜け、みずなは次の刺客へと意識を傾ける。
 ドスッと転ぶ音をゴング開始と捉えたのか、みずなの敵チームのアタッカーは一斉にみずなに襲いかかる。
 だが当のみずなは悪魔のような笑みで一瞥し、
 
 「この調子でどんどんいこうか!」

 歓喜に満ちた声を出し、応戦するのだった。


 追いかけるより逃げる方が面白い。多くの子供が感じる事だ。逃げる時のあのスリル感は最高に興奮する。これが主な理由かと言われているが、人の感じ方によって違いは出てくる。
 それは、「サバイバル鬼ごっこ」でも同様。
 追いかけるのが好きな人も居れば、逃げるのが好きな人も居る。人それぞれ自分の好きな役職を担っている。
 ミズキはというと。
 嬉々として逃げていた。子供のように。
 異常なまでのその反射神経と、持ち前の運動能力を使いながら、悪魔的な顔を浮かべ、避ける、避ける。
 そんな情景が数十分続き、遂に休憩となった。
 
 「ぷはっ、美味しい~っ」
 「あっ、みずなさんずるい~!」
 
 シュワシュワと泡立つボトルを飲むみずなに愚痴を垂れる塾生。ボトルの中身はスポーツドリンクや茶、水が常識であり、ジュース等は暗黙の了解で禁止となっている。炭酸モノなど論外。
 だがコーチという立場を利用し、みずなはごくごくと炭酸ジュースを飲んでいる。
 この状況に子供たちは不満なのだ。
 勿論、ミズキもしていた。
 しかしミズキに文句を言うと、何をやられるか分からない。練習禁止かもしくはサッカーでボッコボコにするか。
 他にもあるのだろうが、それらの事は実際に起きてたりもする。
 最近、例の高三共が愚痴を垂れた。
 その時はミズキは「コーチの特権だ」と言って誤魔化していたが、その後執拗に高三共をオモチャのようにいじめていた。
 泣き目で謝っても、無言無表情でいじめる。
 その姿は他の子供たちの目にもしっかりと焼き付いただろう。
 そのため、ミズキに愚痴る者は居なくなったのだ。
 無言無表情に見えるその顔が、少しだけ、口の端が上がっていたのも理由の一つかもしれない。
 この状態が続き今に至るのだが、幸いか現在ここに『ミズキ』は居ない。その代わりに『みずな』が居る。
 子供たちの印象では、みずなは『優しいお姉さん』という感だ。故にとても気軽に愚痴を垂れることが出来る。
 そう考えた子供たちは、みずなに、少し謙虚に文句を言ったのだ。
 だがしかし、子供たちは甘かった。
 当のみずな本人が、ミズキだったからだ。
 子供たちにも、女体化という超現象までは想定出来なかった。逆に想定出来た方がおかしいのだが。
 そんな子供たちに言われた当のみずなはというと。

 「コーチ(大人)の特権です」

 真顔でそう答え、練習を再開するのだった。


 …
 無事に練習を終え、帰宅する塾生たち。
 作り笑顔で対応し、手を振るみずな。たとえ作り笑顔でも、美少女がやれば天使の微笑みのように見える。
 外観ではニコニコ手を振る美少女なのだが、みずなの内心は煮えくり返っていた。
 無論、先程の事によって。
 その時点ではまだイラッときただけであった。
 だが、その後『ミズキ』の愚痴り会が開かれたのだ。
 『ミズキの妹』として出席されるみずな。
 そして目の前で次々と出てくる愚痴の嵐。
 よく練習終了時まで何も起こさず、忍耐力が持ったものだ。細部を見ると、振る手の逆の手は血が出る程きつく握り締めている。
 
 「次の練習で………コロス…………」
 
 丁度帰る支度をしていた真島は、その言葉を聴き逃したのだった。本人からすれば知りたくも無い事項であるが。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品