一人多役──波乱万丈な非日常生活──

渚月ネコ

序章──森の中で──


 オオカミ男が本性を現すとされる満月の夜。
 月の光は夜の中でも少しだけ辺りを視認できる程度に微かに照らす。
 今宵は十五夜。皆が月見団子を食べ満月を見て、秋の風習を楽しみ、そして寝ている頃──
 とある樹海では銃声が響いていた。
 木々の生い茂り、月の光さえ遮断されているその土地は漆黒なる闇夜。
 その中で目を光らすフクロウが突然慌てて飛び立った。
 
 パァーン!!!!!

 正に先程までフクロウがいた場所に閃光が通り抜けた。
 同時に何かが割れる音。硬く、ガラスのようなもの。
 その破片がキラキラと舞い、木々の隙間から篭もれる光を反射し、二つの影法師を薄く出現させる。
 一つは、獣のような。
 シルエットだが、オオカミという事は直ぐにわかる。だが、異常な点が一つ。
 オオカミにしては図体が大き過ぎる。まるで大型熊のような身体。それでいてキラリと光るその長い牙は異様な存在感を放っている。
 そして、もう一つの影法師。それは───
 ──少女であった。
 大人でも無く、かと言って子供とも言えない。十五歳程の年齢と思しき姿。まったく普通の少女のようなシルエットであり、不思議な点など存在しない。
 ──と、いきなりオオカミが胴体にしては俊敏な動きで、進行方向の前方にいる少女の真後ろへ肉薄する。
 明らかに少女を狙っているのは丸わかりであり、鋭い牙が狂気を向く。
 走る少女の、肩に、オオカミの口が開かれ───
 ──閉じる瞬間に少女が消えた。
 いや、消えたのでは無い。しゃがんだのだ。
 ただ、少女のしゃがむ速度が速過ぎて見えないのであって。
 そのまま少女は進行方向を左に曲げ、また走り出した。
 突然消えた少女に一瞬戸惑う素振りを見せたオオカミは、辺りを見回し、もう小さくなった少女の姿を捉える。
 
 ワオーーン──ー--

 オオカミは軽い遠吠えをするとまた走り出す。
 …
 走る、敵を確認し、避ける、そしてまた走る。
 そこまで重労働では無いものの、これが延々と続けば、少女も集中力も切れるだろう。
 そう思い込んでいたオオカミは、まだ逃げ続ける少女に驚き半分、苛立ち半分の目で見る。
 少女は相変わらず淡々と逃げるのみ。まともに戦おうとしない。
 最初から逃げてばかりの少女を弱いと思い込んでいたオオカミは強く歯軋りをする。
 もうこの鬼ごっこが始まって二時間と経つ。
 そろそろ仕留めれるとふんでいたオオカミは、見事にその予想を覆された。
 いつまで経っても少女の走る速度は変わらないし、一気に距離を詰め仕留めようとするとひらりと躱してしまう。
 途中振り向いて銃で反撃してくるのは、避けきれず当たる物もあり、少しずつだが自分にダメージを蓄積させられていた。
 それでも諦めず必死に追いかけていると、初めて少女からパターン外の反応をした。
 
 「いつまで追いかけんの!」

 憤慨した声。流石の少女もご立腹のようだ。
 憤りとは、集中力を切らす。これまでの経験で学んだこ事だ。そして少女も例外でないはず。

 ────諦めず追い続けた甲斐があった。

 オオカミは密かにトドメの契機を待つのだった。

 
 …
 走る、敵を確認し、避ける、そしてまた走る。
 この動作を何回繰り返したことだろう。
 少女にとってこの動作は、幼稚園児の投げたボールをかわすような事であり、今まで一回も当たっていない。
 そもそも、意識しなくとも身体が勝手に反応し避けるのだ。
 それでも視認してないと反応しようもないので、走るのだけに集中することも出来ない。ただ、あのオオカミを見ながら、逃げながら、そして避けながら走る。
 ただでさえめんどくさい事は嫌いなのに何なのだこの仕打ちは。
 イライラと、不満だけが少女の中で溜まるのである。

 少女は本当にうんざりしていた。訳も分からない内に何故か追いかけられていて、慌てて無我夢中でダッシュしたらいつの間にか樹海にいる………
 
 ホントに今日はついてねぇぇ!!!!!!

 少女は心の中で絶叫した。

 「………チッ」

 追いかける奴の舌打ち。
 実はさっきの心の中での絶叫は声に出ていたのだ。
 無意識とは怖いものだと少女は心の中で自分に戒めた。
 …
 それから何分経っただろうか。
 少女は未だにあのオオカミから逃げている。
 遂に少女のイライラ度も限界まで達しそうだ。
 今にも爆発しそうな頭を類まれなる自制心で必死に抑える少女は、思考を紛らわす為にあのオオカミについて考えた。
 …
 少なくとも、自分が凄く苛ついているのなら、追いかける方のオオカミはもっと苛ついているはず。
 動物でも、苛つきの感情はある。背後のオオカミだろうと例外では無い。
 だが、オオカミ自体が魔法の場合もある。もしくはオオカミが完全に使役されているか。 
 そうなると苛つき等の感情は一切無くなるのだが、そうでない事を願うばかりだ。
 木の幹で足場の悪いこの樹海は逃げるより追いかける方が集中力を必要とする。リズムや足をつく位置を間違えれば、幹に足が引っ掛かり即顔面ダイブなのだ。
 そんなリスクがあるのだが、何故かオオカミはしつこく追いかけてくる。本当に使役か魔法なのかと疑問に思う俺であった。
 …
 また数分経っただろうか。
 もう一度だが、ここは樹海。
 幹以外にも、木が邪魔して全速力で走るのにもまたまた相当集中力を要するだろう。
 少女、オオカミ共に相当な精神力の持ち主だ。
 だが、オオカミはもう体力の限界と分かる。顔が苦しそうに歪み、息切れている。
 少女はそれを確認すると、一つ頷き走る速度を上げた。
 
 丁度前方には道がある。少女達の進行方向の、垂直の向きだ。
 その先は、恐らく崖。おそらく下は林か、民家。

 少女は、迷いなく道へと走り、横断し、崖から落ちた。
 体が浮くような感覚と共に、強風が下から吹いてくる。
 スカートを片手で抑えつつ、そのまま降る。
 下には、当たると痛そうな、角張った石の海。
 地面までの距離およそ100m。

 …完全に予想が外れてしまった。
 軽くトラウマ化しそうな高さに思わず叫び声を上げてしまう。だが、ここで縮こまっては着地に支障が出る。
 素早く深呼吸をし、心を冷静に、感覚を鋭くする。
 

 ──演算能力Lv.1からLv.4へ、知覚速度をLv.3に移行。
 

 ──瞬間、少女の纏う雰囲気が変わった。

 目から感情の色が消え、顔も全くの無表情に変わる。
 だが、少女の頭だけは目まぐるしく回転していた。
 
 ──現在高度100m付近から落下中。追跡者は追ってくる気配無し。
 現状の確認。演算を開始。
 着地成功率3%。不可能と断定。打開策を検討中…………発見。
 地形、落下速度から形態を作成。減速よりベクトル変換を優先。時差の修正の考慮を追加。足の装甲も追加。
 イメージを固定。魔力、数値換算10000を右掌へ集中。
 …完了。イメージ、魔力、共に解放準備。
 …完了。安全を確認。
 ──発射。

 少女は手から魔力弾を放った。いわゆる魔法。
 魔力弾は、少女の真下に着弾し、一瞬で、氷が発生。
 氷でできた山の頂上が伸び少女に接触──
 ──する直前で少女がその、細い錐の側面に足を滑らした。
 ギャギャギャと耳を劈くような音。
 少女は超速度で、斜面を降っていく。
 氷の山と、足を覆う氷が擦れ合い、多量の破片を撒き散らす。
 キラキラと舞い、少女の後に光っていくその光景は、とても神秘的で──

 それを壊さんとばかりに新たな魔力弾が降ってきた。
 その色は黒。負のオーラを纏った魔力弾が少女の左腰に直撃する。
 少女の顔は先程の無表情では無くて、ただ驚愕だと言わんばかりに目が見開いていた。
 目立った外傷は見当たらないものの、バランスを崩されたのは事実。
 少女は右によろけると、そのままの速度で斜面にぶつかった。
 一回大きく跳ね、その後横倒しに転がり落ちる。
 身体を打ち付けられ、氷を擦って。 
 服は破け、角張った氷に身体を打ち付けられ。
 やがて斜面を降り終わり、少女の回転も止む。

 少女の姿は酷い有様になっていた。
 気を失ってしまったのか、動く気配もない。所々傷が目立ち、特に頭からは血を流している。
 下には降りれないが、このままだと、少女はいずれ、
 死ぬ。
 残酷な現実に更に追い打ちをかけるように強風が吹く。
 まるで少女の残滓を吹き飛ばすかのように、それは、服の破片と、氷の破片を吹き飛ばした。
 最後に氷の山が弾け、大量の破片が飛び散ったのだが、
哀しいかな、またもや強風が全て吹き飛ばしてしまった。
 少女は一人寂しいなか、死へのカウントダウンを待つのだった。
 いや、オオカミはそう捉え、夜の樹海へと帰っていったのだった。
 
 

 その頃、少女は──

 「あー、疲れた。ダミーまで作ってやっと撒けたよー。もう追ってこないと良いんだけど…」

 ──ブツブツ文句を言いながら街目指して帰るのだった。


 





 ……








 「逃げて!!!!!!」

  




 前方には、必死に叫ぶ、幼い女の子。






 その子を、捕らえようとする、男。






 後ろから、自分を、切り裂く、二人目の男。






 斜め後ろには、血を流し、うつ伏せで倒れている、老齢の女性。






 
 周りは、炎に焼かれた、家具。






    
 

 そして、膝をつき、四つん這いになった自分の体には、左肩から右腹までの、酷い傷。







 男が女の子を追う。







 逃げろ!!!!!!俺に構うな!!!!!!早く逃げてくれ!!!!!!

 そう言いたいのに、何故か出せない。



  



 あの男を!!!!!!止める!!!!!!

 そうしたいのにのに、体がいうことを聞かない。







 あの男を 殺す!殺す殺す!コロスコロスコロス!!!!!!

 ただ、涙だけが、頬を流れる。








 動け!!!!!!早くあの男を!!!!!!

 こんな小さい身体では何も出来ない。







 殺す……コロス………コロセナイ……

 女の子一人も守れない。








 セメテ、アシドメデモ……

 立つことすら出来ない。



  

 モウ、イヤダ。コンナノ、ミタクナイ。

 しっかりと網膜に焼き付かれる現実。






 オレハ………………ヨワイ。

 ゆっくりと、目を閉じる。
 視界に広がる色は赤黒かった。





 ……

 

   

 
 「……本当に大丈夫なのか?」
 「大丈夫!安心して。必ず連れて帰って来るから」

 心配するような口調の青年らしき人と、まだ中学一年生くらいだろうか。そのような年頃の少女が話している。
 二人の背中には、薄く、だが存在感のある羽根が。
 暗闇の中でもしっかりと光っている。
 ここは大きい広間。主に兵を集めたり、集会を行う場所。普段は兵が規則正しく並び、指揮官が大声で怒鳴っている。
 だが、この広間にいるのは二人だけ。

 「必ず、無事で帰って来なさい。それさえ守ってくれれば他にいうことはありません」
 「ハイハイわかったわよ、長老さん。私がいない間もちゃんとするのよ?」
 「は、承りました」

 少女は青年に手を振り、軽く深呼吸をした。青年は一歩下がり、少女に向かって恭しく礼をする。
 そして少女は目の前に飾ってある大きな肖像画を見ると

 「絶対に連れて帰るわ。必ず、あの人の為にも」

 身体を淡く光らせ、消えていくのだった。
 

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