「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

EX6-8 オリジン




 突如として現れたクロスウェルに似た“何か”に斬りつけられ、倒れるキリル。
 地面に横たわったまま動かないキリルに、ショコラは駆け寄ろうと前のめりになるが、怪物が彼女の方を見ると、その場で止まるしかなかった。
 勇者の力を最大限に発揮したキリルですら、止めることのできない相手だ。
 戦う力を持たないショコラに何ができると言うのか。
 キリルの両親も同じ気持ちである。
 倒れて、血を流す娘を前に、しかし何もできない。

『五年前と同じだよ』

 それはクロスウェルの声で話しながら、三人に歩み寄る。

『私がキナを失ったように、キリル・スウィーチカは家族を失わなければならない』
「先輩は何も悪くないって……わかってて、それでも復讐しようって言うんですか……!」
『理解と納得は別だ』
「そんな、ただの自己満足のためにっ!」
『復讐なんてそんなものだろう』

 ショコラはキリルの両親の前に立ち、両手を広げ、毅然と相手をにらみつける。

「逃げてください、二人とも」
「で、でも君がっ!」
「どうせ私は、毒のせいで長くもちませんっ! いいから早くっ!」

 ある種の自暴自棄である。
 だが実際、クロスウェルの影のようなその存在の目的がキリルの両親を殺すことならば、ここで二人を真っ先に逃がすことは間違っていないはずだ。
 もはやコンシリアから遠く離れたこの場所に飛ばされた以上、ショコラに助かるすべはないのだから。

「く……行こう」
「ああ……キリル……キリルっ!」

 半ば錯乱状態の妻の手を引いて、キリルの父はその場から離れていく。
 近づいてくる影。
 ショコラは大きな呼吸で胸を上下させながら、目をつぶって、自らの体が斬られるのを待った。
 しかし一向に、痛みはやってこない。
 目を開くと――ショコラと怪物の距離は“ゼロ”になっていた。
 至近距離とか、密着だとか、そんなものじゃない。
 彼の体が、液体に沈むように体に入り込んでいるのだ。
 そしてそのまま、ショコラの存在を無視するかのように通り抜け・・・・、逃げる両親を追跡する。

「な、なんで……?」

 ショコラは呆然としながらも、すぐに振り向いて影に掴みかかろうとする。
 だがやはり、触れることはできない。
 振り下ろした腕は、影の体をすり抜けてしまう。

「ぅ、あ……」

 その時、倒れたキリルは薄っすらとまぶたを開いた。

(痛い……とてつもなく痛い……傷口が熱くて、体が寒くて、息が苦しい……)

 どうにか意識は取り戻したが、状況は芳しくない。

(フラムは……これよりもっと辛かったのに……戦ってたんだよね……ああ、すごいなあ……やっぱり……)

 再生能力を持ち、痛覚も薄いフラムと比べるものではないが――普通、人間は大きな傷を負えば、動けなくなるものだ。
 それを彼女が気力で乗り越えていたのは事実であって。
 いざ、怪我をしてみると、その異常さが実感できるというものだ。
 だが同時に、フラムがそこまでやろうとした理由もよくわかる。
 何よりも愛おしい存在を守るためなら、苦痛を乗り越えてでも、人は立ち上がろうとする。
 両親。故郷の人々。そしてショコラ。
 今のキリルには、十分に立ち上がる理由があった。

 震える手で体を支えて、剣を杖の代わりにして、キリルはゆっくりと立ち上がる。

「お……おぉぉ……っ」

 無言では無理だ。
 声をあげて、痛みを誤魔化して、自分に活を入れなければ。

「お、あああぁぁぁああああっ!」

 吠えて、ようやく両足で立つことに成功する。
 まだ体は震えているし、その姿勢を保つので精一杯だが。

「先輩……よかった、生きてたんですね!」
「どう……にか、だけど……ぐっ」
「先輩っ!」

 ショコラは倒れそうになるキリルに駆け寄った。
 だが当の本人も、体が毒で蝕まれている。

「あっ――」

 キリルにたどり着く前に、ショコラは足をもつれさせ、真正面から転んでしまった。

「ショコラ……!」
「ご、ごめんなさい。私も……だいぶ、毒が回ってるみたいです……」

 顔色は真っ青、唇も紫。
 体は震えていて、視線も定まっていない。
 キリルも出血がまだ続いており、いつまで立てるかもわからない。
 こんな満身創痍の二人で、どう立ち向かおうというのか。

(無理だよね……どう考えても。だったら……助け、呼ばないと……)

 キリルは天に刃を向けて、魔力を込めた。

「ブラスター……ッ!」

 そして、光の帯を灰色の空に向かって放つ。
 放たれた光線は雲を裂き、わずかな晴れ間を地上にもたらした。

(まあ……気づいてくれるか、わからないけど)

 ひとまずはこれで、やることはやった。
 あとは、誰かが助けに来るまで、どう両親を守るか、だが――

(まずは血を、止めないと。ショコラは……申し訳ないけど、私には、どうにもできない。回復魔法で治る毒なんて甘っちょろいもの、あの男が作るとは思えないから。だから、回復魔法を……使ったことないけど、勇者なら、出来るでしょ……というか、出来てもらわないと、困る)

 キリルはまず、鎧を解除し収納した。
 どれだけ硬い鎧だろうと、あの影相手には無駄だと判断したのだ。
 そして傷口の上から手を当て、目を細めて、念じる。

(汎用的な回復……いや、治すのは自分だけでいい。もっと、単純に、傷を塞ぐんじゃなくて……自己治癒能力の、増進……これなら、ステータスを上げるブレイブの延長線上で……イメージできる……)

 魔法の形が定まっていく。
 求める答えが見つかると、同時に、勇者の力がその魔法にふさわしい名前を与えた。

「レミッション!」

 キリルの傷口から光があふれる。
 傷はゆっくりと塞がっていき、ひとまず出血は治まった。

「回復……してる……すごいです、先輩。さすが勇者」

 力なく笑いながらショコラが言った。

(どうにか血は止まったけど、やっぱり本職には敵わない、か)

 なおも苦しげな表情を浮かべるキリル。
 彼女の言葉どおり、傷は塞がったが、痛みはまだ残っている。
 失われた血も戻ってきたわけじゃない。
 なおも体温は低下したままで、頭痛と吐き気もひどい。
 それでも動けるようになっただけ、さっきより何倍もマシだった。

「ごめん、ショコラ。私、行ってくるから」
「はい……がんばってください、先輩」

 ショコラはいつまで生き延びられるのか。
 あの影の相手をして、戻ってきたら死んでいる可能性だってある。
 だったらせめて、看取ってあげたい気持ちもあったが――狙われた両親を、助けなければ。
 ショコラもそれを理解しているからこそ、快くキリルを送り出した。

「……ほんとはさびしいですけどね。えへ」

 地面に横になったショコラは、遠ざかるキリルの背中を見ながら、そう呟いた。



◇◇◇



 医療魔術師組合本部――下半身を切断された人々の治療を行っていたセーラは、ついにその大仕事を終えて処置室から出てきた。
 そして疲れた顔で廊下を歩き、ロッカー室へと向かう。
 患者たちはまだまだ完治と呼べる状態ではないが、“正しい形を再定義”することで、失った下半身は再生しつつあった。
 もう数日も経てば、元通りに戻っているだろう。

「あぁー……疲れたっすーっ。ネイガスの胸を揉んで吸わないと生きていけないっす……」

 周囲に人が居ないのをいいことに、手をわきわきと動かしながら欲望を垂れ流すセーラ。
 まあ、今さら見られたところで驚く者もいないのだが。

「ふぅ……にしても、自分でやったことながら、下半身が生えてくるってのはすごい光景っすねえ……色々と冒涜してる気分になるっす」

 ロッカーの前で帽子を脱ぎ、マスクを外しながら、セーラは一人つぶやいた。 
 いくら治癒魔術の技術が発展しているとはいえ、切断され、喪失した下半身がそのまま戻るなどと――世界の摂理を無視しすぎではないか、と思うことはある。

「とはいえ、フラムおねーさんみたいにもげまくり、生えまくりの人もいるわけっすし。おらが気にするだけ無駄っすよね」

 神を殺した張本人が、そんな調子なのだ。
 それで救われる人がいるのなら、きっとセーラの進んでいる道は間違っていないのだろう。

「今はそんなことより、ネイガス分の補給っす!」

 ネイガスの裸を想像すると、腕の動きが加速する。
 彼女もセーラの帰りを待って、本部のどこかで待っているはずだ。
 何なら、処置が一段落したと聞きつけて、ロッカー室の前で待っているかもしれない。

「着替え完了っす。さあ、いざゆかん、双丘の頂きへっすー!」

 疲れのせいか、もはやセーラの欲望を止めるものは何もない。
 普段ならおそらく口にしないであろう下ネタまで交えながら、一周回って興奮した様子で部屋を出る。

「お疲れ様、セーラちゃん」

 そこには、ネイガスが立っていた。
 両手を広げて、セーラを待っていたのである。

「ネイガス……さすがっす、居てほしいときにいてくれるのがネイガスっすねぇ!」
「私だってセーラちゃんに触れなくて寂しかったのよ」
「ネイガスぅーっ!」

 豊満な双丘めがけて飛び込むセーラ。
 待ち受けるネイガス。
 そして廊下の向こうから、とてつもない速度で二人に近づく謎の影。
 その影は瞬時にセーラの近づくと、小さな体を抱き上げた。

「ふぇ? フラムおねーさん?」

 そう、影の正体はフラムだ。
 彼女は一言、

「少しセーラちゃんを借りていきます!」

 とだけネイガスに言い残して、再び目にも留まらぬ速度で走り出す。

「ネイガスうぅぅぅううううううっ!」

 最愛の人に手を伸ばすセーラ。
 しかしその声と姿は無情にも遠ざかっていく。
 いくらネイガスといえど、フラムのスピードに追いつけるはずもなかった。

「まだ終わってないんなら、仕方ないわね」

 見送るネイガスはもちろん寂しかったが、ある程度は割り切っている。

「戻ってきたら、いつもの倍はラヴを注いであげるから……ファイトよ、セーラちゃんっ」

 彼女は両手をぎゅっと握って、遠ざかるセーラにエールを送った。



◇◇◇



 フラムはセーラを連れて王城近くの研究所に滑り込むと、エターナの部屋まで送り届ける。

「エターナさん、セーラちゃん連れてきましたっ!」
「ありがとう、フラム」
「目が……目が回るっす……」
「急にごめんね。でもキリルちゃんの後輩を助けるために、セーラちゃんの力が必要なの!」
「キリルさんの後輩、っすか……?」
「説明はわたしがする。ただし、時間が無いから要点だけ」

 セーラはフラムに抱かれたまま、エターナの話に耳を傾ける。
 ミルキットは部屋の隅で、邪魔にならないようにちょこんと立っていた。

「今回の事件の黒幕はクロスウェルだった」
「あの人っすか!? どうしてまた……」
「理由はあとでフラムに聞いて。とにかくあいつはキリルに復讐するため、後輩に毒を盛った」
「フラムおねーさんに消せないんすか?」
「おそらくそれを想定した上で、いくつかの毒を組み合わせている」
「一番“表”に出ている遅効性の毒が消えると、それに反応して次はとびきり強い劇毒が顔を出す仕組みなんだって。だから私が下手に触ると、逆に危ないかもしれない」
「そんなこと……できちゃったんっすね、あの人」

 もはや可能不可能の問題ではない。
 存在していて、誰かが苦しんでいる以上、考えるべきは如何にして治すか、だ。

「クロスウェルはご丁寧に、その毒に関して記した資料を残して逝った。これを元に、わたしは解毒剤を作る」
「なら、おらはどうしたら……というかその後輩さん、どこにいるんすか?」
「たぶん、キリルちゃんの故郷――フィナーツまで飛ばされて・・・・・る。私でも往復で二十分か三十分はかかる場所」
「片道ならともかく、往復だと間に合わないかもしれない。そこでセーラには延命処置・・・・をお願いしたい」
「具体的にはどうしたらいいんすか?」
「特定の臓器が毒に蝕まれて機能を停止しないよう、回復魔法をかけ続ける。方法についてはこの紙にまとめてあるから、フィナーツに向かいながら読んでほしい」
「わかったっす。おらの力で救える人がいるんなら、まだまだやれるっすよ!」

 その答えが聞ければ十分だった。
 これ以上は時間が惜しい。

「ご主人様、セーラさん、がんばってくださいっ!」

 最後にミルキットと視線を絡めて、フラムはすぐさま部屋から出た。
 そしてすれ違う人々の間を抜けて、あっという間に再び研究所を出ると、その場で地面を蹴って空高く舞い上がる。

「ちゃんと捕まっててね、セーラちゃんっ!」
「了解っす! というかエターナさん、この状態で資料を読めって無茶言うっすよね!」

 風で今にも吹き飛びそうな紙を必死で握りながら、セーラは気合で解読を開始した。



◇◇◇



 クロスウェルの作り出した怪物には、クロスウェルの意思が宿っている。
 彼自身も、死んだはずの自分がなぜここにいるのか、不思議でしょうがなかった。
 命は散って、魂は抜けて、キナの元へと召されるはずだったのに。

『シア・マニーデュムの力は、魂すら引き寄せることが可能だというのか』

 だとすると、クロスウェルに懐いていたあの“出来損ない”も、あるいは――
 今さら気づいたところで遅い。
 何より、そのことに気づいても、彼が胸を痛めることはなかった。
 なぜなら彼は完全なクロスウェルではない。
 感情の断片だけを宿した、ただの復讐鬼なのだから。
 ゆえに――

「あなたっ、やっぱりキリルがっ! あの子を助けにいかないとっ!」
「止まるな、キリルは命を賭けて俺たちを助けてくれたんだぞ? 親として……情けない気持ちはある。だがっ、あの化物は俺たちにはどうしようもないっ!」

 ――必死に逃げ惑う罪なき人間を前にしても、罪悪感は抱かない。
 地面を蹴る。
 瞬間、クロスウェルの姿は消えて、キリルの両親の前に立ちはだかった。
 
『仲はよかったのか?』
「何がだ……?」
『キリル・スウィーチカと君たちの仲だよ』

 振り上げた腕は、いつでも二人の首を撥ね飛ばせる状態にあった。
 キリルの父は母の前に立ちはだかり、彼女をかばうように両手を広げているが、そんなものは壁にすらならない。
 クロスウェルの一薙ぎで、同時に命を奪えるだろう。

「あの子は……自慢の娘よ。私たちの、何より大切な宝物なんだからっ!」
『そうか、それはよかった――』

 もし本当は不仲で、二人を殺してもキリルが大して悲しまなかったらどうしよう、と思っていたのだが。
 まあ、キリルがかばった時点でその心配はなかったのだろうが――ちょうど、時間が空いたのだ。
 二人を殺すのは当然のことだが、それはキリルの目の前でなければ意味がない。
 到着するのを、待たなければならない。

「お父さん、お母さんっ!」

 そしてキリルが手を伸ばしながら、見える場所まで追いついたところで――

『では頃合い・・・だ。処刑を執行しよう』

 クロスウェルの腕にぐっと力が入り、陽に照らされる刃が傾いた。
 彼は漆黒の顔に浮かぶ口のような器官を三日月型に歪ませると、刃を振り下ろす。
 加速しようと、いかなる力を使おうと、この距離では止めることはできない。

「そう来ると思ってた」

 前にいたはずのキリルが、彼の耳元でそう囁く。
 背中に突きつけられる剣。
 収束する魔力。

『どうやってこの距離を……いや、そういうことか』
「二人とも、伏せて――ブラスターッ!」

 そしてゼロ距離から、溜め込んだエネルギーを放出する。
 シュゴッ――とクロスウェルの上半身は光に包まれ、焼き尽くされる。
 その威力に、さすがの彼も軽く体勢を崩してしまった。

「今のうちに逃げてっ!」

 キリルも手応えの無さにすぐさま理解する。
 彼は無傷だと。
 その衝撃に軽くよろめきはしたものの、すぐに順応し、光の中から刃で斬りつける。
 キリルはブラスターを中断し、飛び退き距離をとった。
 直後、クロスウェルの前方・・にいたはずの“もうひとりのキリル”が、彼の背中に抱きつく。

「アルターエゴ・バースト!」

 それは彼の目を欺くための分身。
 分身は、姿を維持するために遺されていた魔力を全て殺傷力に変換し、小規模な爆発を起こす。

『わかっているんだろう、無駄だと』

 爆炎の中から、平然と飛び出してくるクロスウェル。
 効かない。
 何をやっても、どれだけ威力を高めても、今の自分では――

『いつまでも』

 腕が変形した刃を、クロスウェルは力任せに叩きつけてくる。
 それを両手で支える剣で受け止めるキリル。

『その程度の力で』

 その気になれば、別の角度から斬りつけることもできるはずだ。
 だが彼はそうしない。
 完膚なきまでに、キリルを折って破壊するために。

『その程度の意思で――』

 ―――叩く。
 一撃ごとにクロスウェルの刃は巨大化していく。
 ――叩きつける。
 その形状は剣というより斧に近くなり、さらに重みを増す。
 ――叩き潰す。

『罪人が人並みの幸せなど得られると思うな』

 ガゴォンッ!
 ついに耐えきれず、キリルの膝が曲がる。
 こうなるともはや、その重みを支えることは不可能である。
 膝が地面につき、刃を篭手で押さえて受け止めようと試みるも、その衝撃で左腕の骨が砕ける。
 あと一発で、キリルの頭蓋を潰すことができる――するとクロスウェルは、目の前にひざまずくキリルの横腹を蹴飛ばした。

「ぐああぁぁああっ!}

 彼女は吹き飛ばされ、民家の石壁に叩きつけられた。
 鎧はひしゃげ、その内側では骨も折れ、内臓も潰れ、口からは多量の血を吐き出した。
 だが死んではいない。
 殺してしまっては意味がない。
 まずは、目の前でより残酷な形で両親を殺し、そのあとに嬲るように殺さねばならないのだから。

「やらせ……るか。こんな、大して顔もしらない男に……台無しにされて、たまるもんか……っ!」

 剣を杖に立ち上がるキリル。
 クロスウェルがいかに彼女を恨んでいようと、逆の面識は皆無である。
 キリルからしてみれば、ぽっと出の男が、ようやく手にしたまともな日々を奪おうとしている――そんな理不尽な状況に過ぎない。

「ていうか、ダメでしょ……あんなやり方で、願いとか叶っちゃったらさあああ!」

 両脚で立てたなら、あとは歯を食いしばって痛みを後のツケにして、がむしゃらに前に進むだけ。

「うわぁぁぁぁぁあああああッ!」

 キリルは両親に迫るクロスウェルに、右手で掴んだ剣をがむしゃらに叩きつけた。

『軽いな』

 簡単に受け止められる。
 いつの間にか遠巻きに見つめていた村人たちが、その様子にざわめいた。
 最強の力を持っているはずのキリルが、得体のしれない相手に力で負けている――
 その事実は、伝達手段が無い村全体にあっという間に広がって、野次馬はどんどん増えていく。
 しかしキリルに、彼らを気にしている余裕はなかったし、たぶん気にする必要もなかった。
 すぐさま、連続して斬撃を放つ。

「その、まるで自分はっ、重いみたいな、言い草がっ! すっごく! イライラするっ!」

 そのいらだちをぶつけるように、力と速さを両立させる。
  
『そういう心が軽いと言っているんだ。私は――』
「何を言おうがっ! お前は、ただの、頭のおかしい、人殺しだっ! キナって子も、あの世から、お前を見ながらっ、ドン引きしてるに決まってるよっ!」
『君にキナの何がわかる』
「わかんないよ。ただ、一般的な女の感覚として! お前がっ、やってることはっ、気持ち悪くて不気味でわけわかんなくてっ、迷惑なんだあぁぁぁあっ!」

 すでに数十回――キリルは全力で剣を振るった。
 だがクロスウェルは微動だにせずにそれを受け止める。

『馬鹿なことを言う女だ。キナは君に殺されたんだぞ? だったら、君も、その家族も、自分がそうなったように、ぐちゃぐちゃにして殺してほしいと思ってるに決まっている』

 彼はあらゆる意味で揺らがない。
 キリルの左腕が潰され、片手しか動かなかったのも理由の一つだろう。
 しかしそれ以上に、ただただシンプルに、強い。
 心も、力も、まるでその存在が現在の状態で“固定”されているかのように。

(実際、そうなのかもしれない。クロスウェルは死んだんだから、語りかけたって無駄だよ。きっとこれは、彼の一部を切り取った、ただの残像なんだ)

 クロスウェルはシアの魔法、及びその発動に必要な“噂”を結晶化した。
 その結果、自由に夢想の力を操れるようになったのだ。
 だが、シアが使う魔法と、クロスウェルの結晶化した魔法には決定的な違いがある。
 シアのほうは、常に“噂を信じる人々”から魔力の供給を得ることができる。
 一方で結晶化したほうは、発動時点に結晶に込められていた魔力を動力源とする。
 つまり、ぜんまい仕掛けの人形なのだ。
 存在するだけで少しずつ魔力を消耗し、やがてエネルギー切れを起こす。
 もちろん強力なパワーを発揮すれば、その分だけ消耗も大きくなる。

 ならば目の前に存在するクロスウェルも、すぐに消えるはず――
 だがキリルが見る限り、彼の存在が揺らぐ様子は、やはり無い。

(さっき、ショコラはクロスウェルに触れなかった。そしてクロスウェルもまた、ショコラに危害は加えなかった。それだけじゃなくて、さっきから村の人たちが見てるのに、巻き込もうともしない。人質にぐらいはできるはずなのに。やっぱり――そういうことだよね、これって)

 それがわかったところで、戦況がひっくり返るわけではないのだが――おそらくクロスウェルは、キリルと、その家族にしか触れることができないのだ。
 接触する対象を限定することで、驚異的な力を発揮しながらも、長期間の具現化を可能にしている。

「そんなのは、ただの思いこみだ!」
『思い込みの何が悪い。死んだ人間は何も考えられないんだ。だったら、身勝手だろうと思いこむしかないだろう』

 開き直ったクロスウェルは、キリルの剣を素手で握って止めた。
 そのまま力ずくで奪い取ると、遠くに投げ棄てる。
 剣はエピックなので、すぐに手元に戻すことができるが――呼び出すより先に、彼の腕がキリルの右肩を掴んだ。

「ぐ……あ、あ……っ!」

 クロスウェルの握力に、鎧は潰され、肩の肉はうっ血を通り越してぶちゅりと弾けると、さらに内側にある骨まで歪み。
 ミシ、パキッ――体内を伝って、鈍い音がキリルの耳の奥に響く。

『このまま外すか』

 さらに強まる手の力に、キリルの全身がぞくりと粟立つ。
 彼女は身をよじって逃げようとしたが、クロスウェルの有言実行のほうが一手早かった。
 彼は鎧ごと、キリルの腕を引きちぎる。

「あ……あがっ、が、あ、あああぁあああっ!」

 目を剥きながら、キリルは半開きの口からうめき声と唾液を漏らす。
 皮膚や筋肉が、ブチブチと音を立てながら彼女の胴体から離れていく。

「キリルっ、キリルうぅぅっ!」
「いやあぁぁぁああああああああっ!」

 両親の悲痛な声を聞き、クロスウェルは満足げに笑った。
 そして骨まで引き剥がされると、キリルの右腕は完全に体から切り離された。

「あ、き、ひ……っ、い、が……」

 想像を絶する痛みに意識を失うキリル。
 クロスウェルはそんな彼女の体を投げ棄てると、気付け代わりに顔を踏みつける。

「はびゅっ、ぶっ、ご、お……っ」

 体を震わせながら目を覚ましたキリルは、すぐさまその苦痛に顔を歪め、地面の上で体を曲げた。
 肩から流れた血が地面を赤黒く汚す。

「う、ぐううぅぅ……が、はひ……ひぅっ、ううぅ……っ!」
『キナは、それより痛かっただろうな』
「あ、はあぁ……あぐ、ぐうぅ……」
『わかるか、それより痛かったんだ。それを君は、自分は関係ないと言ったんだ』
「うああ……あ、はっ……はあぁー……く、が……」
『キナの痛みだけじゃない。君には、私が味わった大切な人を失う痛みも感じてもらわなければならない』

 苦しむキリルを、クロスウェルは満足気に見下ろす。

『頼むから、そのまま失血死なんてつまらない終わり方は――』
「よくもキリルをぉおおおおおおおおっ!」

 そんな彼の背後から、キリルの父が掴みかかった。

「許さない……あなただけは絶対に許さないわっ! このっ、このおっ!」

 続けて、母が拾った石を手にクロスウェルの頭を殴る。
 しばらく彼は何もせずに甘んじてそれを受けていたが、ふいに振り返ると、口角を吊り上げ笑った。

『自分から近づいてきてくれるとは、娘より罪人である自覚があるんだな』
「あ――」

 クロスウェルはゆっくりと、キリルの母の顔に手のひらを当てた。
 そして小指から一本ずつ曲げて、片手で頭を掴もうとしている。

「離せっ、この化物がぁっ!」

 父はその腕に必死でしがみついたが、それで動くはずがない。
 キリルはまだ、強烈な痛みに動くことはできなかった。
 だが意識はある。
 目の前で両親が殺されようとしていることは理解している。
 左腕は動かないが、そこに存在している。
 だったらどうにか動かせないか。あとでどうなってもいいから、剣を握るぐらいできないか。
 そう自分に何度問いかけても、返ってくる答えはノーだ。
 今はまだ、それどころじゃない。せめて十秒はくれ、と。
 しかしそれではもう遅いのだ。
 母が死んでからでは、もう――

「誰だから知らねえが、よそ者の好きにさせるなぁぁあ!」
「うおぉぉおおおおおっ!」

 威勢のいい声が響き渡る。
 見守るだけだった村人たちは、武器を手に、クロスウェルに突っ込んでいく。
 相手が彼でなければ、それは希望と鳴りえただろう。
 しかし――斬りつけても、突き刺しても、その攻撃は当たらない。

「どうなってんだ、すり抜けやがる! 何なんだよこいつは!」
「ふざけんなっ、ありえないだろ! こいつが掴めて、俺らが触れないなんてことあるかよ!」

 その愚痴はもっともだが、そういう性質の存在なのだから仕方がない。
 それをどうにかしなければならないのだ。
 一方で、クロスウェルのほうも村人たちには何もできないはずだったが――彼の口元は、不気味に微笑んでいる。
 心なしか首も傾き、目はないが、村人に視線を向けているような気がした。

(クロスウェルはお父さんとお母さん以外に触れない……ああ、でも、そうだ、その方法なら!)

 確かに彼自身は指定外の他者に触れない。
 だが、彼が掴んでいるキリルの母ならどうだ。
 彼女の体を、まるでハンマーのように振り回し、村人たちに叩きつけたとしたら――
 
「う……あ、ああ……うあぁぁぁあああっ!」

 腕もない。
 血もない。
 体力だって残ってない。
 それでも、どこからともなく湧き上がる、暖かな力を体に満たし、それを放出する――

「吹き飛べ――オーラ!」

 キリルの体から発された力は、周囲の村人、父親、そしてクロスウェルに捕らわれた母親を吹き飛ばした。
 悲鳴をあげながら舞う彼らに、キリルは内心で『ごめんなさいっ』と謝りながら、体の反動だけで立ち上がる。

『驚いた。それだけ血を流しておきながら、まだ動けるのか』
「体は冷たくて、感覚もない。死んでるような気分だよ」
『ならばそれは――私に殺されるために生きているということだろう』
「ポジティブで羨ましいよ。やっぱり、オリジンコア・・・・・・を使うような人は・・・・・・・・、頭の出来が違うね」

 キリルの言葉に、クロスウェルは口の端をひくつかせる。
 そしてカクンと首を傾げた。

『オリジンコア? 何を言っているんだ、君は』
「あのオリジンの力がまだ残ってたなんて。でたらめなのも納得だよ」

 さらにキリルは、わざとらしく大きな声でそう言いふらす。
 意図が理解できず戸惑うクロスウェル。
 一方で、その言葉を聞いた両親や村人たちは、にわかにざわついた。

「オリジンコアだって……?」
「英雄フラムが滅ぼしたんじゃなかったの?」
「でも、キリルが言ってるなら間違いないわ」
「あれはオリジンコアの怪物だったのか」

 村人たちが、キリルの発言を疑うはずなどない。
 彼らはすぐさま、ここに立つクロスウェルがオリジンコアを宿した存在だと認識した。

『何のつもりで――ん?』

 クロスウェルは胸に手を当て、その違和感に気づく。
 キリルは思惑通りに事が進み、青ざめた顔で不敵に微笑んだ。

「以前、フラムに聞いたことがある。シア・マニーデュムの力は……周囲の人たちの認識で更新・・されるって」
『私からこの復讐の意思を奪うつもりか!』

 初めて感情をむき出しに激昂するクロスウェル。
 その胸には確かに、周囲の人々がそう信じたことにより、オリジンコアが生成されつつあった。
 復讐で埋め尽くされていた脳内に響く、不愉快なノイズ。

『繋げなければ』『接続しましょう』
『みんないっしょ』
『くるくる回ろう』
『捻って、ちぎって』『中に入り込もうよ!』

 汚染の度合いはまだまだ浅い。
 コアに力を送り込むオリジンはもういない。
 だからそれは、あくまでそれを模しただけの偽物だ。
 クロスウェルは毅然とキリルに言い放つ。

『この場に集っているのはせいぜい数十人。それも、冒険者ですらない素人ばかりだ。仮に全員が私の中にオリジンコアがあると信じたとして――そのコアが持つ魔力量などたかが知れている』

 キリルは無言で険しい表情を浮かべた。
 彼の言葉通り、あのオリジンコアにできるのは、せいぜい僅かなノイズを与えることぐらいだ。
 その音だって、心を乱すには至らない、微細なもの。
 これがキリルにとって起死回生の一手だというのならば――

『君は阿呆ではない。だが、この状況を覆すには、力も頭も足りなかったようだな』

 勝負は決した。
 クロスウェルは肩で呼吸をするキリルに歩み寄ると、戦斧へと形を変えた腕を振り上げた。
 そして――ドクン、と胸のオリジンコアが強く脈打つ。

『これは……なぜだ、急に、コアが存在感を増した……だと?』

 胸を押さえて苦しむクロスウェル。
 急激に流れ込んだ魔力によって、全盛期と変わらぬ力を得たコアは、一気に復讐鬼の意思を蝕む。

『やめろ……来るな……入って来るな……う、ぐ、オ……オォォオオオオオ!』
 
 ぶじゅるっ――彼の顔は醜い肉の渦に埋め尽くされ、大量の血を吐き出した。



◇◇◇



 オリジンコアに魔力が流れ込む直前――フラムとセーラは、空の上にいた。
 雲よりさらに高い場所を、キリルの故郷を目指して真っ直ぐに飛んでいく。
 もはやそれがジャンプなのか、浮遊しているのか、セーラにはわからなかった。

「さよならっす、物理法則……」
「重力反転のオンとオフを繰り返してるから落ちないだけだよ」
「それが法則を無視してるってことっすよ?」

 そのおかげか、はたまた別の“何か”も反転しているからか、これだけ高い場所を飛んでいるにもかかわらず、さほど強い風は感じなかった。
 これならエターナから渡された資料に目を通すこともできる。
 その速度はドラゴンでさえ凌駕するほど早く、あと数分でキリルの故郷に到着するはずだった。
 だがそこで、フラムの目が驚きに見開かれる。

「この気配って……」
「どうしたんすか、フラムお姉さん、キリルさんに何か起きたんすか?」
「わかんないけど……これ、間違いない。オリジンコアだ」
「えぇっ!? クロスウェルはコアの復元までやってたんすか!?」
「でも反応は微弱だし、何より――コアに力を与えるはずのオリジンや、それに近いものは存在しないのに、どうして……」

 コアに大量の魔力が注ぎ込まれたのは、その直後のことであった。
 そう、事情を知らないフラムが存在を認識したことで、“夢想のコア”は力を強めたのである。



◇◇◇



『オ……オオォ……ウォォオオオオオオオオ!』

 吼えるクロスウェル。
 オリジンの力は瞬く間に彼の体を満たし、変異させていく。
 ローブを突き破って出てくる触手の数々。
 腕や脚はねじれた赤い繊維に置き換えられ、“キリルの血縁者以外は触れない”という在り方さえも塗りつぶしてしまう。

『オオォォ……ワタ、シ、ハ……コノヨウナ、モノオォォオッ!』

 それはクロスウェルが最も恐れていた事態である。
 復讐のために生まれた存在が、別の意義を押し付けられ、結果として目的を果たせなくなる。
 それはある意味で、消滅以上の恐怖である。
 だから彼は抵抗した。
 肉体が作り変えられていく中、まだ辛うじて自らの意思で動く手を、コアが生じた心臓へと向ける。

『ワタシハ、キナノ、タメニ……コロス……フクシュウヲ……ワタシノテデ、フクシュウヲォォ!』

 指先がぞぶりと胸部に沈み、肉をかき分けコアに触れる。
 もちろん肉体に満ちる“オリジンの意思”がそれを拒むが、クロスウェルの復讐への情念がそれを上回ったということか――彼はついにコアを掴み、それを体外へと排出することに成功した。
 クロスウェルは握った黒い水晶を見つめ、口を歪める。

『は……多少、取り出すのに骨が折れたが、この程度では私の復讐は終わらない。残念だったな、キリル・スウィーチカ』

 そう言って、彼は息も絶え絶えなキリルの足元に、オリジンコアを放り投げた。
 そして彼女は、すぐさまそれを拾い上げる。
 動かなかった左手は、もう痛みなど感じる余裕も無いほど麻痺したせいか、今に限ってごく当たり前のように伸びてくれた。

「ありがとう」

 なぜかクロスウェルに、笑いながら礼を告げて。
 まるで、この瞬間を待っていたとでも言うように。

「今のままじゃどうあっても勝てない。でもフラムが来るまで生かしてくれるほど甘い相手でもない」

 キリルが胸に当てると、オリジンコアは勝手に体内に沈んでいく。

「じゃあどうするか――私が、強くなるしかないの」

 それが体の中央まで達すると、キリルはびくんと体を震わせ、軽くのけぞった。
 見開いた瞳は空を映していたが、やがて螺旋に呑み込まれ、顔もろとも肉の渦へと変わる。
 
『それが、君の覚悟か。前言撤回しよう。手にしたものを守るため――それなりに強い意思を、君は持ち合わせているようだ』

 新たな扉を開くのは難しい。
 それが、ボロボロになりながら戦っている途中ならなおさらだ。
 都合よく状況を打開する方法なんて、そうそう思いつくものじゃない。
 だから一番は、己の経験――記憶――そういった手札・・から、方法を探すことだ。

 キリルは探した。
 自分が一番強かった瞬間はいつだろう、と。
 そして思い当たった。
 単純な力という意味で、最も自分が強かったのは――オリジンコアに操られていた、あのときだったのだ、と。

 雑音が頭を埋め尽くし、意識が吹き飛ぶ。
 こんなもの、常人で維持できるものではない。
 だが、今必要なのは意思や人格ではないはずだ。
 必要なのは――クロスウェルへの敵意。
 ただ、それだけ残っていれば、十分である。

「キリル……その姿は……」
「ああ、キリル……そんな……」

 両親も、村人も、その醜い姿に、みな怯えている。
 だがそこを含めた上での、キリルの覚悟。
 彼女は蠢く渦から血を流しながら、カクカク、と首を小刻みに左右に振った。
 そして胸に手を当て、その“覚悟”の“結果”を示す。

螺旋覚醒スパイラルブレイブ

 キリルの周囲で、砂塵を巻き上げる風が、激しく渦巻いた。



 

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