「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

EX6-5 セパレート




 セーラとの連絡が取れると、フラムは本部に被害者たちを一気に運ぶ。
 その頃にはすでに医療魔術師たちにセーラから連絡が届いており、すぐに被害者の身柄を引き取って治療が始まった。
 遅れて、セーラ本人とネイガスも到着し、処置室へ向かう。
 その頃フラムは、アンリエットに事の報告をし、続けて非常事態と判断し、念の為エターナとキリルも呼び出した。

 それから十分後、エターナとキリルは、ミルキットと眠そうなインクを引き連れて本部までやってきた。
 すでにアンリエットとオティーリエも到着しており、協会本部の会議室を間借りして話し合いを行う。
 セーラの代理として、被害者の状況を把握しているネイガスが部屋に入ってくると、まず情報の共有が始まった。

「ひとまず順調に治療は進んでるわ。どうにか命は繋げそうよ」

 ネイガスはさらっと言ってのけたが――

(あんなに真っ二つになってても、生きてさえいれば治療できちゃうんだもんね。本当に死んだ人を生き返らせられるのもそう遠い話じゃないのかも)

 技術の進歩を間近で見てきた他の面々と異なり、フラムは四年分を一気に目の当たりにしているのだ。
 すでに数ヶ月経って馴染んできたと言っても、戸惑うこともあった。
 しかしすぐにフラムは気を取り直し、ネイガスに素朴な疑問を投げかける。
 
「上半身と下半身が切断された人間――見たところ、切断面は塞がってましたよね。自然治癒が終わった傷口は、私の奴隷の印やエターナさんの腕みたいに、魔法じゃ癒せないんじゃないんですか? それともセーラちゃんが例の魔法を使ったんです?」
「いいえ、あれは治っている・・・・・わけじゃなかったみたいなの。ただ強引に塞がれていただけで」
「わたしもさっきフラムから状況は聞いたけど、止血はされているという話だった。なのに治っていないというのは解せない。止血も治療のうちには入るはず」

 続けて、エターナが問いかける。

「あなたの言う通り、血は止まっていたわ。でもそれはただ・・止まっていただけよ」
「私にもわかりかねるな。止血と、“ただ止まっていただけ”という言葉にどのような違いがあるのだ? 言葉遊び……というわけではないのだろう」
「わたくしたちが虐殺規則ジェノサイドアーツを使って、血の流れをせき止めるようなものなのかしら」

 アンリエットとオティーリエの言葉にも、やはりネイガスは困り顔だ。

「そうとしか言いようないのよ。私は治療の専門家じゃないから、セーラちゃんから聞かされた事しか知らないわ。でもそのセーラちゃんが困ってたぐらいなんだから」
「つまり、どうして血が止まったのか、どうして傷が塞がっているのか、セーラにもわかってないってこと?」

 インクの言葉に頷くネイガス。
 なぜそのような現象が起きたのか、まったく予想もつかず、集まった面々は首をかしげた。

「つまり……ただ切られたとか、魔法で何かされたとか、そういう形跡が残っていないということですか?」
「みたいよ」
「だったらどうやって、人の体を二つに分けたり出来たんだろう……って、これがわからないから悩んでるんだろうけど」
「形跡が残っていない、不明であることこそが、特徴なのかもしれませんわよ」
「過程を飛ばして、ただ人間の体を両断する……」

 エターナの言葉に、ミルキットが反応する。
 
「もしかして、ご主人様と同じく希少属性ってことですか?」

 ネイガスは頷かなかったが、否定もしない。
 確証はないが、どうやら彼女は、その可能性が高いと考えているようだ。

 フラムたちの話が続く中、プルルルル――と通信端末の呼び出し音が鳴った。
 アンリエットは頭を下げると席を立ち、部屋から出る。

「諜報部からの連絡のようですわね」

 アンリエットは本部に到着した直後、意識のある被害者から名前を聞き取った名前で、宿の利用客との照合を諜報部に依頼していた。
 早くも、その結果が返ってきたようだ。
 通信が終わると、アンリエットは浮かない顔で部屋に戻ってくる。
 彼女がオティーリエの隣まで歩き、椅子に腰掛けるのを、全員が視線で追った。

「アンリエットさん、どうだったんです?」
「ああ、間違いなく宿から消えた・・・・・・旅行客だったようだ」

 アンリエットはそう言うと、続けて、言いづらそうにフラムを見ながら言う。
 
「それと……被害者は、間違いなく今日の夜までは宿にいたそうだ。宿の経営者が把握していた時間は正確ではないが、少なくともフラム、君が見張りを始めたという時間よりも後だと言っていた」

 目を見開き、驚くフラム。
 
「そんなっ! だって私、あれからずっと見てたんですよ? 少なくとも、誰かが拉致されて、そんなふうに体を切り離されたりしたら気づきますって!」

 彼女は自分の能力を過信はしないが、過小評価もしない。
 実際に試してみてわかったが、今のフラムなら、コンシリアぐらい・・・の広さだったら、全体を常に監視することが可能だ。
 少し集中すれば、建物内の気配の動きも察知することができるだろう。

「ですが実際、その時間にその人は拉致されている――わたくしたちもフラムのことは信用してますわ。今のあなたが、それを見逃すはずがないことだって」
「当然です。ご主人様は今日のお昼だって、道の端っこにネズミが走ってるのにも気づいたぐらいなんですからっ」
「犯人は、その目を掻い潜ってさらってみせた。しかも、犠牲になったのはかなりの人数だ。誘拐に関しても被害者の体を切断した方法と同様に、希少属性を利用したのかもしれないな」
「こんな猟奇殺人犯でさえなければ、わたしたちがスカウトしたいぐらいの能力の高さ」
「じゃあさ、フラムが見たっていう馬車もその能力なの? 捻じれて消えたって言ってたけど……嫌な感じだね、捻れるって」

 その様を聞けば、誰もがオリジンのことを思い出す。
 当然、フラムも同じことを想起したのだが――

「あの子……顔がずたずたになってたから誰かははっきりしないけど、私……知ってる顔な気がするんだよね」
「ご主人様と会ったことがあるということですか?」
「うん。元になった人、って言うのかな。けどさすがに、見えたまともな部分・・・・・・が少なすぎて、はっきり誰かまでは思い出せないけど」
「フラムとも関係がある事件かもしれない、というわけですわね」
「ねえ、これって私が言ってた話とは無関係なのかな」

 壁にもたれ、話を聞いていたキリルが初めて口を開く。

「君の後輩が過去について知っていた話か。すまないが、まだ誰から流出したかはわかっていない」
「いえ、私からも大した手がかりは提供できてませんから、お気になさらず」

 アンリエットに連絡をとったのは、つい数時間前のことだ。
 そんなに早く手がかりが見つかるとはキリルだって思っていない。
 
「もし関係あるとすれば、キリルちゃんの過去を知っていて、かつ希少属性を操れる誰かがコンシリアにいるってことになるよね……それだけで特定できそうだけど」
「ひょっとすると、ですが……セーラさんが言っていた、死んだ人が動いているという噂も関係あるんでしょうか」
「ミルキットの言ってることがもし正しかったら、犯人はあたしたちのことナメてるよね。苦い思い出があるネクロマンシーの技術を使って死んだ人を生き返らせて、封じておきたいキリルの過去も掘り返して、フラムが顔を知ってるって子を使って馬車で運ばせたりもしてる。ぜーんぶあたしたちとつながってるんだもん」
「わたしもインクと同じ、無関係とは思えない。ただ、今のところターゲットがわたしたちという部分以外の、犯人の目的が漠然としすぎている。人間を切り離して馬車で運んでいたあたりが特に」
「やってることのセンス自体は、オリジンコアを研究してた頃の教会っぽいですよねー。少なくとも、やってるのはまともな価値観を持った人間じゃない」
「死んだ人を生き返らせる儀式に必要、とかでしょうか。だとするとやっぱりまた、元教会の関係者が……」

 推測は広がる。
 だがどれも、理由付けとしてはしっくり来ても、わずかに何かがずれている気がしてならなかった。

(フラムにただ挑発するだけの馬鹿は、そうそういない。その時点で企みも何もかもが瓦解してしまう。まあ、こうして見つかっちゃえば同じことだけど、犯人は今のところ、フラムに対して積極的に何かを仕掛けてくる様子はない。一方で私には――ショコラの親に私の過去を教えたのが同一犯だと仮定すると――直接的に、ショコラの復讐心を利用して、けしかけてきた)

 だが計画は、ショコラの心変わりにより崩壊した。
 いや、あれは計画なんて言えるほど厳密なものでもない。
 曖昧で、運任せで、何より気が長すぎる。

(仮に犯人の狙いが私だったとしても……もっとうまくやれる方法があったはず。フラムたちに見つかりたくないから慎重に動いてる? だとしても、ショコラを送り込むなんて不確定な方法を選ぶ理由がわからない)

 同一犯というのは、あくまでまだ可能性に過ぎない。
 たまたまタイミングが重なって、たまたま同じ犯人かのように見えるだけで、ネクロマンシー、誘拐事件、そしてショコラ――全ては別々の誰かが企んでいる可能性だってまだ残っている。

「私たちは引き続き、被害者の身元確認を続ける。キリルの過去が漏れた件や、馬車の行方についても諜報部を使って調査を続けるつもりだ」

 アンリエットは話を締めるように、そう言った。
 
「わかったらすぐに端末に連絡しますわ」

 ここで話を続けるより、今は動いて証拠を探すべき段階だ。
 情報共有したいのならば、通信端末という便利なツールがあるのだから。

「私とセーラは、しばらく協会に缶詰ね。さすがに下半身全部を再生となると、そう簡単にはいかないでしょうし。何かあったら連絡をちょうだい」
「ネイガス、もしよかったらわたしを被害者と会わせてほしい。具体的に切断面がどういう状況なのか、一応自分の目でも見ておきたい」
「エターナならいいわよ。むしろ患者の状態が一変したときのために、いてくれた方が頼もしいもの」
「ならあたしは、ここで待ってるね」
「別に寝ててもいい」
「エターナががんばってるのにそういうわけには……ふぁーあ……はっ!? い、今のは違うのっ!」
「というか寝てて欲しい。私に合わせて無理をする必要はない」
「むうぅ……わかった」
「ふふっ、なら仮眠室に案内するわ」

 エターナとインクは、このまま本部に残るようだ。
 そしてもちろんフラムは――

「私は継続して街の様子を見張っておきます。まだ犠牲者が増えないとも限らないので」
「今度は私もついていきますね」
「うん、一緒にいてくれた方が安心かな」

 ミルキットと一緒に、街の監視だ。
 となるとキリルは一人だけ残ることになる。

「キリルちゃんはどうするの?」
「私は……」

 脳裏に浮かぶのは、ショコラの姿だ。
 昨日はようやくわだかまりを解消して、彼女自身も何かを決意した様子だった。
 だがもし、ショコラの言う“先生”が今回の事件の首謀者であれば、まだ手放しでは喜べない。

「いつも通り、出勤してもいい?」

 みなが動いている中、さすがにこの身勝手は申し訳ないと思っているのか、キリルは遠慮がちに言ったが――フラムはにこりと笑った。

「私もそれがいいと思う。キリルちゃんがいれば、ショコラさんも安心だねっ」

 特にショコラのため、と明言したつもりは無かったのだが――まあ、言うまでもなく見抜かれるのは当然である。
 キリルは恥ずかしそうに頬を掻く。
 彼女の決定に、異論を唱える者はいない。
 そのまま解散し、皆が各々の持ち場に向かう中、キリルは深夜の街を一人歩いて家に戻った。



◇◇◇



 翌朝、クロスウェルは研究所近くに建てられた寮で、ベッドに横たわっていた。
 本来、彼ほどの収入があれば東区に屋敷を持てるはずなのだが、彼は今も拒み続けている。
 この窮屈なぐらいの部屋の方が性に合う、と。

 しばし天井を見上げるクロスウェル。
 睡眠という行為には長らく縁がない。
 彼は寝ているわけではなく、ただ横になり、思考を整理しているだけだった。
 
 すると次の瞬間、彼の視界を――歪み、捻じれた、異形の顔が埋め尽くす。
 髪のほとんどは抜け落ち、まばらに紫色の毛が生えているだけだ。
 そいつは、辛うじてそこだけ人の形をしている口を動かし、掠れた声を発する。

「お、おお、おは、よ。おに、ちゃ」

 つたない挨拶に、微笑むクロスウェル。
 彼は愛おしそうに手を伸ばし、彼女のしわくちゃの頬に触れると、穏やかな声で返事をした。

「ああ、おはよう」

 すると化け物は笑みを浮かべた。
 だがすぐに、しょんぼりと肩を落として落ち込む。

「ご、ごご、め。ごめん、んん。なさいいいいい。いい。しっぱい、しぱ、しぱぱぱ」
「案ずるな、相手が悪かっただけだ」
「ででも、もも。みつか、かか。みつか。つぎ、どす? どする?」
「調整する。できるだけ変えたくは無いが、そうもいかないからな。許してくれるか?」
「おに、おにちゃ。やくに、たた、つ。うれし、ししい」
「そうか……ありがとう」

 体を起こしたクロスウェルは、優しく怪物を抱きしめた。
 抱きしめられた彼女も、捻じれ、震える手を、彼の背中に回す。

「悪いな。いいように生み出して、いいように使ってしまって」
「いい。いいいい。わた、わたし、ちがう。キ、あ。あう。ちがう、けど。おにちゃ、やくにたつつつ。うれし」

 その言葉を聞いて、クロスウェルはさらに腕に力を込めた。

「道標は見つからない。いや、もうどこにも無いのかもしれないな」
「ごめ。ごご、めん。わわわ、た、わた、し。なれない。ななな、れな、い」
「いいんだ。私が行くべき先が消えてなくなってしまったとしても――嗚呼、以前に比べればどうでもいいと思えるほどちっぽけな、道端に転がっている小石のような存在ではあるが、それでも今の私にとっては、唯一の標なんだ。だからどうか……力を貸しておくれ、この不甲斐なて醜い兄に」
「かす。たくさん、かす。わわ、わたた、おに、ちゃ。もの。いのち。かす。あげる、ぜぜぜ、んぶ」

 クロスウェルに撫でられると、化け物は気持ちよさそうに、まともな人間ならば目にあたる器官を、わずかに細めた。



◇◇◇



 翌朝、ショコラはいつも通り家を出た。
 父は昨日から変わらぬ様子で優しく、母も穏やかで、キリルとの付き合いを続けるショコラを責めることも無い。
 平和で、暖かくて、問題など何も無いはずなのに――何も起きないことが、逆に不安だ。

 暗い顔のまま扉をくぐったショコラに、いるはずのない彼女が声をかける。

「家から出る時はそんな顔なんだ。似合わないね」

 はっとして顔を上げると、そこにはいたずらっぽく微笑むキリルがいた。

「先輩っ!? なんでここに!」
「自分はいつも待ってるくせに、私が待ってたら都合が悪かった?」
「そういうわけでは……で、でもっ、今まで一回だって無かったじゃないですか!」
「今日はそんな気分だったってだけ」

 昨晩の事件のことはまだ公表されていない。
 いきなり生きたまま切断された人間な何人も見つかった――などという話が広まれば、混乱は避けられないからだ。
 隠し通せるものでもないので、近いうちに表沙汰にはなるだろうが、今は言うわけにはいかないということだ。

「さ、早く行こうよ」
「……せっかく先輩が来てくれたんですし、ゆっくり行きません?」
「それがお望みなら、私はそれでも。遅刻しない程度にね」
「多少遅れたって、どうせ師匠は寝てますよ」
「あはは、違いないね」

 そして二人は、少しだけ寄り道をして店に向かった。
 その間、いつもよりも距離が近かった気がしたのは、きっとショコラの思い過ごしなどではないはずだ。



◇◇◇



 キリルとショコラが店に到着した時、案の定ティーシェはまだ寝ていた。
 キリルは手慣れた様子で雑に彼女を起こすと、着替えて朝の作業に取り掛かる。
 ティーシェは眠そうな顔をしながらも、五分後には厨房に現れる。

「日に日に起こし方が乱暴になってんだよなぁ」
「寝起きがひどくなってる証拠です」
「可愛げのない弟子め……よしショコラ、あいつに可愛さが何たるかを見せてやれ!」
「え、嫌です」
「即答!? 弟子が冷てえよぉーっ!」

 雄叫びを響かせながら、作業に取り掛かるティーシェ。
 彼女が冷たくあしらわれる所も含めて、いつもどおりの朝である。

(あんなことがあっても、表にさえ出なければ街は平和だ。できれば、このままほとんど誰にも知られないまま解決するといいんだけど)

 そう願いながら、スポンジケーキの上にクリームを広げていくキリル。
 ショコラは黙々と果物をカットし、ティーシェもすっかり眠気は晴れ、真剣な表情で焼き菓子の生地を練っている。
 騒がしい店にも、静かで空気が張り詰めたタイミングというのもあるものだ。
 彼女たちの集中は数十分続き――鳴り響くインターホンの音で、ぷつりと途切れた。

「んあー! また荷物か? 誰だよ頼んだのはぁ!」

 いいところだったのに、とキレ気味に嘆くティーシェ。

「そんなの師匠しかいないでしょう。とっとと出てきてください」
「ショコラぁ、キリルが冷たいよぉ」
「私も忙しいんでお願いします」
「お前らさぁ、師匠への尊敬の念とかそういうの無いわけ!? つかさあ、あたし本当に頼んだ覚えが無いんだが!?」
「そういうのは最低限、毎日起きれるようになってから言ってください」
「先輩に同感です」
「う……ううぅ……ちくしょう、覚えてろよーっ!」

 ティーシェは捨て台詞を残して、腕を左右に振り裏口に駆けていく。
 そして扉を開き、荷物を受け取るかと思いきや――

「なんじゃこりゃあぁぁあああっ!?」

 そんな叫び声が、厨房にまで響き渡った。
 ティーシェはドタバタと足音を鳴らしながら戻ってくると、キリルの隣に立ち、彼女に問う。

「はぁ……ふぅ……なあキリル、うちって……ステーキ屋になるとかいう話、してたか?」
「何を言ってるんですか」
「してないよな。そうだよな? わかった、ならいいんだ。私がまともだってことは証明されたからな」
「いや、十分おかしいですよ師匠。何があったんですか?」
「まず……何も言わずに私に付いてきてくれ。ショコラはここにいてくれていい。というか、いたほうがいいかもしれない」
「……はあ」

 ショコラはきょとんとしている。
 もちろんキリルだってそれは同じだった。
 ティーシェは荷物を受け取りに行った先で、何を見たというのか。
 それがステーキ屋と何の関係があるのか。
 まったくわからないまま、ティーシェに引っ張られる形で裏口に向かう。
 そしてキリルは、開けっ放しの扉の向こうを見て――ティーシェが叫んだ理由に納得した。

「何、これ……」

 裏口から表に出る道を塞ぐように、積み上げられた木箱。
 およそ一人の配達員が運べるとは思えない量だ。
 箱の中から発せられるものなのか、周囲には生臭さと鉄臭さが混ざりあった、不快な臭いが充満している。

「私が出た時には、もう誰もいなくて、これだけが置いてあったんだ。差出人の名前もなけりゃ、宛先すら書いてない。なあキリル、この中身――何だと思う?」
「……見てみます。師匠は、嫌な予感がするなら目を閉じておいてください」

 箱に近づくキリル。
 臭いはさらにむわっと強くなる。
 ティーシェは、店主としての責任と、個人として感じる猛烈な嫌な予感とを天秤にかけ――目を閉じて、見ないようにした。
 蓋に手を伸ばし、箱を開いたキリルは思う。
 師匠の判断は正しかったな――と。

「確かに、無い方が・・・・不自然ではあるけれど……」

 そう呟くキリルが見たものは、箱にぎゅうぎゅうに詰められた、人間の下半身・・・だった。
 一つ目の箱がそれならば、積み上げられ、並んだ箱の中身も、おそらくは同一なのだろう。

「な、なあキリル。何だったんだ? 中には、何が入ってたんだ!?」

 怯えるティーシェに、キリルはできるだけ落ち着いた声で返事をした。

「師匠、何も聞かないで、目をつぶったまま店に戻ってください。あとは私が処理します」
「やっぱりヤバいもんだったんだな? ステーキハウスとうちを間違えて送ってきたとかじゃなかったんだな!?」
「あんまりステーキと繋げると、明日から肉が食べられなくなりますよ。お願いですから、大人しく戻ってください」
「もうそれを聞かされた時点で手遅れだよ!」

 文句を言いながらも、指示には従うティーシェ。
 彼女が屋内に戻り、扉がバタンと閉まった所で、キリルはポケットから通信端末を取り出しながら、改めて箱を観察する。
 時間が経ったからだろうか、木と木の間から、じわりと赤い血が滲み出て、垂れ落ちていた。

「血の色からして、まだ新しい……いつまで生きてた人なのか。昨日の人たちの一部なら、死んでるよりは救われるんだけど」

 しかし明らかに数が合わない。
 発見された被害者の“パーツ”もあるかもしれないが、それ以外の人間のものの方が多そうである。
 つまり、それだけの数の死者が、ほぼ誰にも知られない間に、このコンシリアで発生しているということだ。

「そしてこれを私に送りつけてきたってことは、やっぱり狙いは私。でも見られてる様子はないし、気配もない。ただの嫌がらせ? それにしては手が込んでる。まあ、考えるのは後でいっか。今はともかく――誰か呼ばないと。師匠には申し訳ないけど、今日もお店は休みかな」

 心を落ち着かせるようにぶつぶつと呟きながら、端末を取り出すキリル。
 彼女はひとまず、一番頼りになるフラムに相談することにした。



◇◇◇



 フラムはキリルから話を聞くと、文字通り“一瞬”で店までやってきた。
 そして、いくら慣れたとはいえ、その異様な光景を見て顔をしかめると、他の面々への連絡をキリルに任せ、近くに犯人がいないか捜索を始める。
 とはいえ、馬車の一件もあったばかりだ。
 見つからないであろうことは、フラムも理解した上での行動だった。

 通報を受けて軍の人間がやってきたのは、それから十分後のことである。
 兵士たちは、到着するなり血の滲んだ箱を見て、ぎょっとしている。
 そんな彼らの後ろから、背伸びをして前方の様子をうかがう男性の姿があった。

「あれ、バートさんじゃないですか」

 戻ってきたフラムは、私服姿のバートの背後に立つと、彼に声をかけた。

「ぬおぉっ!? お、驚かせないでくれ」
「気が抜けてますよ」
「休日でまだ頭が切り替わってないんだ」
「なるほど、非番なのに呼び出されたわけですか」
「でもその割には早くなかった?」

 キリルがそう言うと、バートはがっくりと肩を落とす。

「たまたま通りがかってしまったんだ。部下が慌てている姿を見て、放っておくわけにもいかんだろう?」

 バートは優しい上司だが、何かと安請け合いしてしまう苦労人でもあった。

「それで、この箱の中身は――」
「うわあぁぁあっ!?」

 蓋を開き、兵士が悲鳴を上げ尻もちをつく。
 前もって話を聞いていても、それが普通のリアクションだろう。

「はぁ……人間の下半身が大量に詰まっている、という話だったな」
「はい。犯人はしっかりインターフォンを押したみたいですが、師匠はその姿は見ていないはずです。もちろん私も、すぐに駆けつけてくれたフラムでも見つけることはできませんでした」
「これだけの数を運ぶとなると、馬車でも使わない限り不可能だろう。それが、フラム・アプリコットの目すら掻い潜って、何の形跡も残さず消え去った、と」

 どこの道も通らずに、二桁にも及ぶ数の箱を一瞬で運び、運んだ本人はフラムに見つからないように姿を消す――そんなこと、魔法でも使わなければ到底不可能だ。

「間違いなく、昨日見かけた馬車と似たようなやつの仕業だと思うんだけど……」
「念の為、目撃者がいないか兵士に聞き込みをさせよう。それと、この店の従業員にも話を聞いていいか」
「必要なら。ただ、まだ師匠もショコラも、こんなことが起きてるとは知らないですから、仮に事実を伝えるとしても慎重にお願いします」
「承知した。箱の中身に関しては、できるだけぼかして伝えるよう指示を出そう」

 バートは顔を真っ青にしている兵士に声をかけ、店内へと向かわせた。
 一方でキリルは、箱を見つめたままぼーっと立ち尽くしている。
 心配したフラムが彼女に近づき、声をかけた。

「キリルちゃん、大丈夫?」
「……うん、平気。ただ考えごとをしてただけ」
「これで狙いがはっきりしちゃったからね。どうしよっか、私はキリルちゃんに付いてた方が――」
「それはいい。だって、少なくともコンシリアで何十人って人が死んでるのは事実なんだから。フラムはそっちの人たちを守らないと」
「でもキリルちゃんが……」
「ここまで露骨に私を標的にしてるってことは、相手は『今はケーキ屋やって平和ボケしてるあの女ぐらいならどうにかなるだろ』とか思ってそうじゃない? これでもそれなりに戦えるつもりだし、少し前に見せつけたつもりなんだけど」
「そ、そんな理由で……? まあ確かに、聞いた話だとキリルちゃん、むしろ前より強くなってるみたいだしね。今だって体はなまってないみたいだし、問題ないのかな」
「問題ない。だからフラムはフラムらしく、街の人たちを守ってあげて」
「別に私らしくとか意識してないんだけどなあ。そういう柄じゃないし」

 そう言いながらも、助けてしまうのがフラムである。
 結局、キリルに言われるがままフラムはその場を離れ、街の見張りを再開した。

 それから、キリルが店の中で取り調べを受けるショコラと師匠を眺めていると、正面の入り口からぞろぞろと兵士が入ってくる。
 どうやらバートが呼んだらしく、彼に案内されて裏口へと向かい、例の箱を運び出すつもりのようだ。
 キリルとしてはありがたい。
 美味しいケーキを提供する場なのに、人肉の臭いが染み付いたのでは商売上がったりだ。
 できればそのまま、店の評判のためにも、箱が送られてきたという事実も闇に葬られることを祈るばかりである。

 裏口に吸い込まれていく兵士たちの後ろ姿を見ていたキリルは、袖が控えめに引っ張られる感覚に気づき、そちらを振り向く。
 そこには弱々しい顔をしたショコラが立っていた。

「さっき兵士さんが言ってるのを聞いたんですけど、人の下半身が送られてきたって、本当なんですか……?」

 内心、『あのポンコツ兵士ども……!』と毒づくキリル。
 おそらく聞き取りをしていた兵士ではなく、先ほど入ってきた集団が話していたのを聞いたのだろう。
 知られてしまっては、誤魔化すわけにもいかない。
 というより、下手に誤魔化せばショコラの不安をさらに煽るだけだ。

「うん……箱に詰められてた」
「そ、そんな……」

 ショコラから血の気が引いていく。
 額に手を当てたまま、ふらりと倒れそうになった彼女を、キリルは慌てて支えた。

「すいません、先輩。ありがとうございます……」
「無理しないで。休んでおいた方がいい」
「でも――いや、そうですね。先輩の言うとおりにしようと思います。師匠の部屋、使わせてもらえますかね……」
「私が聞いてくる。ショコラはここで座ってて」
「はい。ふふふ、こういう時の先輩って、普通に優しいんですね」
「ショコラだって、ふざける余裕はなさそう」
「実はこっちが素だって言ったらどうします?」
「それはそれで、可愛がりがいのある後輩だと思う」

 キリルは、まだ兵士と話している師匠のもとに向かった。



◇◇◇



 師匠に許可をもらったキリルは、早速二階にショコラを連れて行った。
 キリルにエスコートされて歩く彼女は、どことなく恥ずかしそうだ。
 そういう顔をされると、キリルも少し恥ずかしかったが、今は気にしないことにした。
 ショコラを寝かせることが最優先である。

「師匠の寝室って、意外と酒臭くないんですよね……」

 部屋に入ると、ショコラがそう言った。
 キリルをできるだけ心配させまいと、精一杯のジョークだったのだろう。

「二日酔いの時は酒臭いよ。本人がいるかどうかなんじゃないかな」
「ふふふ。先輩、何気に私よりひどいですよ、それ」

 ショコラはベッドに横になる。
 キリルはすぐさま、彼女の上に優しく布団をかぶせた。
 
「事実だから仕方ない」

 貶すつもりも陰口を叩いたつもりもない。
 何だったら、本人の目の前でも堂々と言い放てるぐらいである。

「飲み物が必要だったら持ってくるから」
「助かります。でもお酒しか無かったらどうしましょう」
「……本当にありそうだから困るね」
「あはは、ですね」
「その時は、店からジュースを拝借するしかないかな。一緒に果物も切ってこようか」
「はい、欲しくなったら端末で連絡します」
「まあわざわざ連絡しなくても、しばらくはここにいるつもりだけど」

 そう言ってキリルが微笑むと、ショコラははにかみ、ほんのり頬を赤く染めた。
 しかし、なおも顔色は悪い。
 彼女をいたわるように、キリルは軽く頭を撫でる。

「あの……先輩」
「ん?」
「そうやって簡単にスキンシップが出来るの、やっぱりあの二人と一緒に暮らしてるからなんですか……?」

 あの二人とは、おそらくフラムとミルキットのことだろう。
 だが、特にキリルにベタベタしている意識は無かったのだが――

「こういうの、苦手だった?」
「い、いえ。ただ慣れてないだけです。ひょっとすると、こっちが普通なんですかね」
「別に私だって誰にでもするわけじゃないよ。仲のいい相手にだけ」
「……ありがとうございます」
「そこでお礼なの? ふふっ。私こそ、触らせてくれてありがとう」

 ショコラはくすぐったそうにはしているが、拒む様子はない。
 キリルはそのまま、彼女が落ち着くまでそうしていることにした。

「すいませんキリルさん、少しいいですかー!」

 すると一階から、キリルを呼ぶ兵士の声が聞こえてきた。
 彼女が露骨に「ちぇっ」と嫌な顔をすると、ショコラは思わず噴き出すように笑う。

「いいですよ、行ってきて。兵士さんたちより先輩の方が頼りになりますもん。勇者の力を持ってる人にしか出来ないことがあるんですよ、きっと」
「そういう場合、頼られると大体面倒事に巻き込まれるから、余計に嫌だ」
「そう言わずに行ってあげてください、兵士さんが困っちゃいます」
「ショコラは寂しくないの?」
「寂しいですけど……ええ、まあ、割と本気で」

 今はショコラを一人にすべきではない――キリルはそう感じていた。
 体調面だけでなく、昨日から精神面でも揺らぎがある。
 結局、昨日、彼女が家族とどういう話をしたかも、まだ聞けていない。
 しかしショコラの言う通り、兵士の呼び声を無視するわけにもいかず、キリルは考えたのちに、愛用の剣を呼び出し、手のひらに握った。

「はい」

 そしてそれをショコラの手に握らせる。

「へっ? え、いや、これって……先輩の剣、ですよね」
「お守り。私だと思って持ってて」
「そういうわけにもいきませんって! というかこれ……重っ!? これを片手で振り回してたんですか!?」
「筋力増加のエンチャントが付いてるから、装備すれば問題なく持ち運べるよ。そうじゃなくても、エピック装備だから重さなんて気にする必要もないし」

 キリルが装備を解除すると、権限はショコラに移る。

「うわ、何だから体に力が……」
「これで体調が戻るといいんだけど」
「そうは……いかないみたいです。でも、すごいですね。本当に軽くなっちゃいました」
「あとは軽く念じると、収納できるはずだから」

 言われるがままに、目を閉じて念じると、剣は消えてショコラの手の甲に刻印が浮かぶ。

「これ、先輩と同じやつですね」
「そう、同じ。守られてる感じするでしょ?」
「すごく頼もしいです……ごめんなさい、先輩」
「何でここで謝るの?」
「……」

 唇を噛み、苦しげな表情を浮かべるショコラ。
 彼女の髪に触れながら、キリルはその心情を察した。
 追い詰められた時、優しさが毒になることがある。
 それは罪悪感ゆえに、『自分には優しさを受ける価値なんてない』と自分を追い詰めてしまう時だ。
 今回の件に関しては、完全にキリルを狙ったものだ。
 だからショコラが苦しむ必要は無いのに――と、少なくともキリルはそう思い、

「気にしないの。むしろ、私の方が謝らなくちゃならないぐらいだから」

 良かれと思って、そう告げる。
 しかし一方で、ショコラはキリルと異なり、『自分が狙われている』と思っている。
 母の延命処置を止める――そう決めたのは、つい昨日のことだ。
 父も、一応は理解してくれた。
 だがその直後に、この嫌がらせだ。
 “先生”か、あるいは父がやらせたのかはわからないが、ショコラが『原因は自分にある』と思い込んでしまうのは仕方のないことであった。

「先輩は謝らないでください」
「ならショコラも謝らないで」
「……それは」
「お互いに思うところがあるってことで、帳消し。それじゃ不満?」
「はい……わかりました。じゃあ、ありがとうございます、ですね。先輩」
「うん、それでいい。あと『かわいいショコラちゃんの感謝は高くつきますよ』ぐらい調子に乗ってくれると、ショコラっぽくていいと思う」
「もう、いくら私でもそこまでじゃないですよぉ」
「そうかなぁ?」

 二人は肩を震わせて笑う。
 そしてキリルは「よっと」と立ち上がると、「ゆっくり休んでね」と言い残して部屋を出た。
 その姿が見えなくなった途端、ショコラの顔から笑顔が消える。

「ごめんなさい……先輩」
 
 そして彼女は、静かにベッドから出た。



◇◇◇



 兵士がキリルを呼んだのは、彼女への聞き取りを始めるためだった。
 ティーシェへの聴取は終わり、彼女は厨房で椅子に腰掛け、気だるそうに首を回し「あぁ~」とおっさんっぽく声を出している。
 キリルがその近くを通り過ぎようとすると、ティーシェが口を開いた。

「ショコラはどうだった?」
「箱の中身を聞いて、気分が悪くなったみたいです。今は師匠の部屋で寝かせてます」

 足を止めて答えるキリル。

「あー、そうか。あいつは聞いちまったのか」
「師匠は知らないんですか?」
「詳しくはな。でも聞かないほうがいいんだろ、大方の予想は付いてるが」
「それが賢明だと思います」
「はぁ……ったく、何たってこんな悪趣味なことやってんだか」
「ごめんなさい、私のせいで」

 少なくともティーシェに関しては、完全に巻き込まれただけだ。
 キリルは素直に謝るしかなかった。

「頭のイカれた奴の行動に、いちいち謝ってちゃキリが無いだろ。つかむしろキリルは怒るべきだ、愛しの師匠の店に何してくれてんだオラ! って」
「そうですね、職場に迷惑をかける犯人には怒りしかありません」
「何か微妙に温度差が無いか」
「気の所為です」
「そんだけいつも通りの返しができるなら問題なさそうだな。落ち込んでたんじゃ相手の思うツボだ、むしろ笑い飛ばすぐらいでちょうどいい」

 ティーシェは基本的に大雑把な人間だが、そのおかげというか、その代償と言うべきなのか、妙に肝っ玉が据わっている。
 王都のど真ん中に、若くから一人で構えていたというのだから、昔からそういう気質なのだろう。
 日常生活においては、その神経の図太さがしばしば短所として現れるが、こういう非常事態では実に頼もしい。

 キリルは会話をそこで止めて、先に部屋で待っていた兵士と話す。
 とはいえ、今日、店で起きたことについて、改めて軍に話すようなことはほとんど無い。
 事実確認と、今後の指針について軽く話しただけですぐに解放され、キリルは再び二階に戻ろうと階段を上がる。
 その途中で、ポケットに入れた端末から呼び出し音が鳴った。
 相手はフラムだ。

「もしもし、フラム。どうかした?」
『あ、キリルちゃん。ショコラさんがお店から出ていったみたいだけど、それってキリルちゃんたちも把握してる?』
「え……っ!?」

 キリルは階段を駆け上がり、部屋の扉を壊すほどの勢いで開いた。

「ショコラッ!」

 声を荒らげ名前を呼んでも、反応は無い。
 念の為に部屋を探すと、机の上に書き置きのメモが残されていた。

『ごめんなさい。戻ってきたら全部話すので、少しだけ時間をください』

 そう書かれた紙を、キリルはくしゃりと握りつぶす。

『キリルちゃん? おーい、キリルちゃーん?』

 そして彼女は苛立たしげに、端末を耳に当てた。

「休んでたはずのショコラがいなくなってる! フラム、あの子がどこに行ったかわかる?」
『今はお店から近くの駅に行って、列車に乗ろうとしてるみたい』
「方向は?」
『東の方。今、ちょうど次の列車が来たよ』
「家に……くっ、せめて私も一緒に連れて行ってくれれば!」

 キリルは、ショコラが脱出に使った窓から外に飛び出した。

「お、おい、キリル・スウィーチカっ!?」

 飛び降りてきた彼女を見てバートは驚いていたが、構っている暇はない。
 再びキリルは跳躍すると、建物の屋根に着地し、その上を駆けていく。

「列車……あれだ! フラム、聞こえてる?」
『うん、端末からは聞こえないけど直接・・聞こえてる』

 フラムはこの距離で、意識を集中させれば声までも拾えるということのようだ。

「ショコラは過去について知ってるけど、その犯人が誰かまでは知らないって言ってた。でも今日の動きから、あの上半身だけの人間たちが、どうして、何のために生み出されたのかは知ってるのかもしれない」
『キリルちゃんには話してくれなかったの?』
「後で話したいことがある、でも軽蔑されるかもしれないから今は話さない――とは言われてた。私もまさかこんなことになると思ってなかったから、その時は無理に問いただしたりはしなかったけど……」
『その話したいことって言うのが、あの切断された人たちに関してだったの? でもどうしてショコラさんが!?』
「ショコラが私を恨んでいたのは、五年前に母親が死んだから。死者が動いてるって話も今回の事件に絡んでるんだとしたら」
『まさか、ショコラさんの母親が生き返ってる……?』

 話しながら必死で列車を追うキリルだが、むしろ距離を離されている。
 剣をショコラに渡した分、敏捷性が下がっている影響が出ているのかもしれない。

『私が直接確保しようか?』
「いや、私にやらせて。あの子ことは、私がどうにかしたいの!」
『……わかった』

 おそらく、フラムが捕まえた方がずっと手っ取り早い。
 だが、キリルはここまで語気を強めるほど、強い意志を持って追跡している。
 無理にでも聞き出しておけば――そんな自責の念もあるのだろう。
 いくら親しいフラムでも、そんな彼女を止めることはできなかった。
 
「もっと加速しないと――ブレイブッ!」

 キリルは、一日は目覚められないことを承知の上で、力を解放した。
 能力値が一気に跳ね上がり、彼女のスピードも加速する。
 しかし列車は目的地に到着し、すでに乗客たちは降車を始めている。
 キリルは高く飛び上がり、その中からショコラを探す――

『キリルちゃん、右の方!』

 フラムの誘導を受けて、キリルは桃色の頭を見つける。
 周囲の人が「きゃあっ!」と悲鳴をあげるのもお構いなしに急降下し、その肩に手を置くキリル。

「ショコラ、見つけたっ!」

 そしてショコラは振り返り、

「は、はずず、はははは、れれれ、はず、れ」

 捻じれた顔が、ぐにゃりと笑う。
 キリルはすぐさま手を離し、剣を握ろうとして――ショコラに渡していたことを思い出し、拳を構える。

「っ!?」
『そんな……ショコラさんじゃない!? 気配はずっと追ってたはずなのに!』

 突然の化け物の出現に、周囲はパニックに陥った。
 しかしそいつは、さらに雑巾のように捻じれて消える。

「フラム、もしかして今の――」
『うん、昨日の馬車のやつと一緒だった。やっぱり、キリルちゃんの過去を流した人間と繋がってたんだ!』

 だったらなおさら、ショコラを一人で行かせるわけにはいかない。
 彼女がどういった意図を持って自宅に向かっているかは不明である。
 だがそこに待つのは、まともではない父親と、生きているはずのない母親。
 おそらくフラムに馬車が発見されたことをきっかけに、犯人が大胆な行動を始めた今、復讐を諦め、キリルに心を開いたショコラも、どんな目に合わされるかわからない。

 混乱する駅構内から飛び上がり、駅から脱出を図るキリル。
 一方でフラムは、ショコラがどこに消えたのかを探し――

『いた! もう住宅街の近くまで来てるみたい!』
「もうそんな場所に!?」
 
 列車の到着時刻とショコラの足を考えると、どう考えても早すぎる。

『動きや呼吸の感じからして、戸惑ってるみたい。もしかしたらショコラさんはあの場所まで飛ばされたのかもしれない』
「ワープしたってこと!? 何でもありすぎるって!」

 リターンを使えるキリルが言っても説得力が無いが、追う身としては嘆きたくもなる。
 自らの足で走るショコラと、ブレイブを発動して駆けるキリルとの間には、圧倒的な速度の差がある。
 フラムのサポートを受け、キリルは瞬く間に距離を詰めていったが、ショコラの方が先に家にたどり着いてしまう。

「くっ……!」

 キリルは歯を食いしばり、多少の無茶をしながら、付近に着地――そして扉を開き屋内に入ろうとするショコラの背中を見つけると、駆け寄りながらその名前を呼んだ。

「ショコラ!」

 バタン――と、ほぼ同時に扉が閉まる。
 あれだけの大きさなら、声は間違いなく届いているはずだが、反応は無い。
 やむを得ず、キリルは内側から鍵がかけられる前に手を伸ばし、内部に足を踏み入れた。



◇◇◇



「……ん?」

 家に入ったショコラは、すぐに足を止めた。

「今、先輩の声が聞こえたような……」

 じっと、閉まった玄関を見つめる。

「さすがに追ってこれるはずが……いや、勇者の力を使えばできちゃうのかな。でも――


 そこで待っても、二度目が聞こえてくることは無かった。
 本当に追ってきたなら、キリルは何度だってショコラの名前を呼ぶだろうし、扉だって叩くはずだ。
 何なら、無断で家の中にだって入ってくるかもしれない。
 キリルが強引というより――それぐらいのことを、自分がしているという自覚がショコラにはあった。

「そこまでして、私は何がしたいんだろう」

 わからないまま飛び出して、わからないまま帰ってきてしまった。
 理由はわからない。
 しかし、そうしなければならないような気がした。

「お父さん……お母さん……」

 大量に送られてきた、切断済みの下半身。
 上半身は、死者の蘇生を維持するための餌になった。
 キリルやフラムたちは、おそらくじきにその事実に気付くだろう。
 そうなれば――ショコラと母の別れは、想像していたよりもずっと早まってしまう。
 本当ならあと五日ぐらいは、今の生活を続けられるはずだったのに。

「……そこまでしてしがみつくようなものなのかな」

 自問するショコラ。
 しかし答えは出ない。
 心は求めている、理性は過ちだと認めている。
 自分が愚かだという自覚だってあった。
 それでも……止められないということは、それだけ強く、潜在的にショコラが、家族の存在を欲していたということだろう。

「あんな風に飛び出したら、先輩は絶対に私を怪しむはず。隠してたって知ったら、先輩は絶対に私を軽蔑する。そこまでして……続けられるかもわからないのに……何もできないかもしれないのに、私は……」

 衝動的だった。
 感情に身を任せすぎた。
 だが止められたかと言うと――答えはノーだ。
 どうあがいても、ショコラはあれ以外の行動を選択することができなかっただろう。
 要するに、悔いたところで無意味なのだ。
 キリルと家族を天秤にかけて、家族を選んだ。
 そういう薄情さが露呈しただけのこと。
 もっとも――付き合いの長さや、血の繋がりを考えれば、その選択はそうおかしなことでもないのだが。

 重い足を引きずるように、ショコラは前に進む。
 いつもどおりなら、父も母も家にいるはずだ。
 玄関の開閉音は聞こえているはずなので、『おかえり』という言葉なり、不自然に思って様子を見に来るなり、やりようはあるはずなのだが、ショコラの両親は動かない。
 彼女はようやく「ただいま」を言いながら、リビングのドアを開き中に入った。
 返事は無い。
 二人の姿も、無い。

「お父さん? お母さん?」

 試しに他の部屋も探してみたが、どこにも彼らはいなかった。
 父はともかく、母がうかつに外に出るはずがない。
 まさかの誰もいないという自体に拍子抜けしたショコラは、リビングでソファに腰掛けた。
 すると、部屋が静まり返っているおかげか、先ほどまで気づかなかった“音”を感知する。
 くちゃり、ぺちゃりと、湿ったような音が足元から聞こえてきた。
 両親かはわからないが、何者かが地下室にいるようだ。
 その音からして嫌な予感しかしなかったが、大きくため息をついて立ち上がったショコラは、床を持ち上げ入り口を開き、地下へ続く階段を下りる。
 道中の時点で、すでに血肉の臭いが立ち込めていた。
 一度は嗅いでいるが、やはり気持ち悪いものは気持ち悪い。
 ショコラは手で口を押さえながら、地下に到達する。
 魔導灯でぼんやりと照らされた室内で、辛うじて息のある、ぴくぴくと痙攣する人間を貪る――二人・・の姿が、そこにはあった。

「どう……して」

 母がここで人を食らっている可能性は考えた。
 逆に言えば、彼女の想像はそこ止まりであった。
 ゆえに、それを越える自体が起きてしまうと、途端に思考と足は停止する。

「何でなの……?」

 その光景を前に、呆然と立ち尽くし、声を震わせることしかできないショコラ。
 そうしている間にも、母は眼球をすすり、父は大腸を噛みちぎっていた。
 理解できない。

「何で、お父さんまでそんなことしてるのぉっ!」

 間違いなく、父は生きていたはずだ。
 彼は死んでいないのだから、生者を喰らう必要など無かったはず。
 頭のおかしい父のことだ、『お母さんと同じ気持ちを味わいたいんだ』などと意味不明なことを言い出して、自分の意思で食らっている――そんな可能性も考えた。
 だがそれは、明らかに理性を失い、怪物として肉を喰らう父の表情を、目を、仕草を見て、期待するだけ無駄だと知った。

「お父さんっ! お父さぁんっ! やめてよ、お願いだからっ! 生きてるんでしょ!? だったらそんなことしないでいいはずだよっ!」

 ショコラの必死の呼びかけに、父はついに反応を見せた。
 それはちょうど、与えられた餌の可食部・・・がほとんど無くなったのと同時だった。

  本来、死者は動くために一人分の命を必要とする。
 それを夫婦ふたりで分け合えば、当然、食事は不完全に終わる。
 理性を取り戻さないまま、二人目の餌が必要となるのだ。

 ゆえに父だけでなく、母もその存在に気づき――“娘”ではなく“肉”を欲して、ゆらゆらと、ショコラに歩み寄る。

「お父……さん? お母さん? う、嘘だよね。そんなこと、しないよね……? ねえ、ねえっ!」

 声などどうでもいい。
 意思などどうでもいい。
 血の繋がりも、家族という関係も、理想も、夢も、今は無意味だ。
 この場において、ショコラという存在は、ただ二人の飢えを満たすものでしかなかった。

「ヴ、ああ」
「うあぁ……げ、あ……」

 人ならざる者らしいうめき声をあげる両親に、ショコラは追い詰められていく。
 後ずさり、一定の距離を保っていた彼女だが、ついに背中が壁にぶつかった。
 もう逃げ場は無い。

「やだ……やだあぁ……!」
 
 階段を登ればあるいは――とも思ったが、どのみち、駆け上がれるほどうまく足が動くとは思えない。
 両親が自分を喰らおうとしている。
 そんな悪夢のような状況を前に、すっかりショコラの体はすくんでしまっていたから。

(先輩……ああ、そっか、これは……嘘ついてた私への罰なんですね……)

 こんな時にキリルの顔を思い浮かべてしまう自分が、嫌になる。
 それでも思わずにはいられない。
 もし一人で飛び出したりせずに、彼女に相談していれば――
 今さらになって考えたところで、後の祭りでしかないのだが。

 そしてショコラの体に、血に塗れた、父の腕が触れた。
 


◇◇◇



 キリルがショコラの家に踏み込んだ直後、フラムが持っている端末から“プツッ”という音がした。
 同時に、キリルとの通話が切れる。
 
「ねえ、ミルキット。家の中に入ったら切れることって、あるの?」

 隣に立つミルキットが、首を横に振る。

「そんなはずはありません、地下でも使えるはずです!」
「……」

 無言で端末の画面を見つめるフラム。
 猛烈に、嫌な予感がした。

「ご主人様、行きましょう」
「うん。キリルちゃんには止められたけど、さすがにね」

 フラムはミルキットを両腕に抱えると、トンッと軽く地面を蹴り――まるで瞬間移動でもしたかのように、ショコラの家の前に移動した。
 そしてミルキットを優しく下ろし、玄関を開く。

「なっ……!?」

 その先に広がる光景を見て、フラムは言葉を失った。
 黒、だ。
 玄関の向こうには、ただただ果てしない黒だけが広がっていた。

「何ですか、これ。もしかしてキリルさんはこの中に!?」
「似てる……」
「えっ?」
「オリジン・ラーナーズとやりあったあの空間に似てる」
「それって、オリジンを破壊したあとに、吸い込まれた先にあったっていう場所ですよね? どうしてそれと、この家の玄関の先が同じことに……」
「似てるだけで、全く同じ場所ってわけじゃなさそうだけど――」

 もしも同じだったら、オリジン・ラーナーズが今も死ねずに殺され続ける様を見ることができたかもしれない。

「同じ“何もない”空間って意味では一致してる」

 実際にフラムは手を伸ばしてみたが、特に変化が起きることは無かった。
 次に足を中に入れてみる。
 すると、踏みしめられる地面のようなものがそこにはあった。

「立てるんですね……どこまでも穴が続いてるように見えるんですが」
「私の感覚が正しければ、ここはずーっと平面の空間なんだと思う。そして、まだそんなに時間は経ってないはずなのに、キリルちゃんの気配は無い」
「じゃあキリルさんはどこに?」
「……たぶん、違う場所かもね。キリルちゃんが入っていったあとに、切り離されたか、切り替えられたか――どっちにしたって、そんな真似ができる人間がそうそう存在するとは思えないけど」

 フラムがその気になれば、この“何もない空間”を吹き飛ばして消すこともできる。
 だがその時、家の中に入ったショコラや、どこかに消えたキリルにどう影響を及ぼすのか、フラム自身にもわからない。
 悔しいが、今、キリルやショコラのためにフラムが出来ることは無いのだが――
 このあまりに道理を無視したこの能力の正体に、彼女は目星を付けつつあった。
 その確信を得るために、端末を耳に当て、ある人物に連絡を取る。

「エターナさん、忙しいところすいません。確かめたいことがあって」

 考えてみれば、こんな真似が出来る人間、コンシリアには一人しかいない。

「シアさんについてです。最近、誰かと接触しませんでしたか?」



◇◇◇



 ショコラの家に入ったはずのキリルは、いつの間にか全く違う場所に立っていた。

「……確かに私は、ショコラの家に入ったはずなんだけど」

 さすがの彼女も、戸惑いを隠せない。

「いつからショコラはこんな豪華なお屋敷に住むようになったんだか」

 だが誰の仕業かはすぐにわかったので、比較的早く落ち着きを取り戻すことができた。
 深呼吸をして、あたりを観察する。
 現在位置は、どこかのお屋敷の中、その廊下のど真ん中だ。
 後ろを振り向いてみても、そこに扉は無い。
 つまりショコラの家の玄関をくぐった瞬間に、ここに飛ばされたらしい。

「ここって……そっか、そういうことか」

 最初から、どこか見覚えのある景色のような気がしていたが――窓から外を見て、ようやく記憶と繋がった。
 燃える街。
 飛び交う化け物たち。
 かすかに聞こえてくる、悲鳴や怒声。
 ここはコンシリアではなく――五年前の王都だ。

「リーチさんの屋敷、か。ウェルシーさんと関わりのある人間が犯人、って話は出てたけど、答え合わせってことかな」

 そして、フラムたちが核心に近づいていることを感づいてか、もう隠すことすらしなくなった。
 大胆に、自分の身は顧みず、ただキリルに復讐を果たすという目的を達するために必死なのだろう。

 キリルは大きく息を吐き出すと、屋敷内の探索を始めた。
 すでにキマイラの襲撃を受けたあとなのか、そこらに使用人たちの死体が転がっている。
 死に方は様々だ。
 シンプルに胸を貫かれているものもあれば、首から上が切り取られていたり、相互に口に腕を突っ込んで窒息していたり、原形を留めないほど捻じれて息絶えていたり――共通しているのは、死に顔の壮絶さだろうか。
 誰一人として、楽には死ねてはいない。

 痛ましい光景だ。
 キリルは胸を痛めたし、気持ち悪いとも思ったし、充満する死臭に頭痛すら感じていた。
 だが一方で、彼女をここに呼び出した誰かは、そういう苦しみ方をして欲しいわけではないことも理解している。
 もっとも、だからと言って望まれる通りに苦悩するつもりもなかったが。

 しばし探索を続け、キリルは外に出るしかないと結論付けた。
 仮に五年前にタイムスリップしたのなら、フラムや他の英雄たちの姿が見えなければおかしい。
 だがここには、そういった形跡が一切残っていない。
 おそらくは、キリルにその光景を見せるために用意された空間なのだろう。
 だとすると、出口が用意してあるかすら怪しいものではあるが――まあ、ここにとどまるよりはマシだろう、との判断だった。

 階段を下りて、エントランスに向かう。
 すると、まるで玄関を塞ぐように、見覚えのある人物が立っていた。
 
「あれぇ、キリルちゃんだ。やっほー」

 ウェルシー・マンキャシー。
 その死に様は、フラムから聞いている。

「急にこんなことになって大変だよね。キリルちゃんは大丈夫? 怪我とかしてないかなー?」

 馴れ馴れしく話しかけ、近づこうとするウェルシーに対し、キリルは剣を抜こうとして――お守り代わりにショコラに渡していたことを思い出した。

「……剣、無いんだ」

 ニィッ、とウェルシーの口が歪む。
 発せられる殺気に、キリルの背筋に寒気が走った。
 直後、ウェルシーは前進し、キリルとの距離を一気に詰める。

「ぐうぅっ!」

 雑に振るわれる拳。
 キリルは剣以外の装備を呼び出し、白銀の篭手でその一撃を受け止めた。
 強い衝撃が走り、腕全体がびりびりとしびれた。
 そこに、次の攻撃が迫る。

「キリルちゃーん。あーそびーましょー」

 抑揚はあるが、感情のこもっていない声。
 その音声に生理的な嫌悪を感じながらも、キリルは拳を構える。

(やったことはないけれど……やれる自信は、ある!)

 彼女は勇者だ。
 あらゆるステータス、あらゆる技能に優れ、いかなる状況にも柔軟に対応できる。
 秀逸なる一ではなく、優良なる全。
 ならば――扱える武器が剣だけであるはずは無い。



 

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