「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

EX6-3 プリオン




「非常にお見苦しいところを見せてしまいましたわ」
 
 オティーリエは、恥ずかしそうにうつむきながら言った。
 彼女は血を流すためにシャワーを浴び、ミルキットのパジャマを借りて、どうにかこうにか体裁を整えダイニングに戻ってきたところだ。
 元々着ていた服は、洗濯したあとにエターナが可能な限り水分を取り除き、今は部屋の隅に干してある。
 帰る頃には乾いているだろう。

「私からも、すまなかったな。不慮の事故とはいえ、防げたはずなのだが。どうやら平和に慣れすぎて腑抜けているようだ」

 アンリエットは、若干落ち込んでいるオティーリエの頭を撫でながら言う。
 何気なくそういうことをするから、オティーリエの鼻からまた愛が噴射しそうになるのだが。
 もっとも、彼女も日々成長しているらしく、多少触られた程度では取り乱さなくなっていた。

「申し訳ない、うちのインクが。ほら、インクも謝って」
「ごめんなさぁーい」

 しょんぼりしながら、一応犯人であるインクは頭を下げた。

「まさか、インクが転んだ先にちょうどアンリエットさんがいるなんてねえ」

 苦笑いするフラム。

「しかも、ちょうど手が胸元に引っかかってはだけてしまうなんて、なかなかありませんよね」

 ミルキットはそう補足した。
 そう、キリルがちょうど帰ってきたことも含めて、全ては出来すぎた偶然によって引き起こされた悲劇である。
 
「目の前にオティーリエさんがいたことも含めて、実は狙ってやってたりして」

 キリルは冗談交じりに、インクに向かって言った。
 すると彼女は、「ぎくっ」とわざとらしいリアクションを取る。
 無論、これも冗談なのだが――

「……インク?」

 それが通じない相手が、一人。
 エターナが保護者としての“圧”を発すると、インクは慌てて、

「ジョークだって! いくらあたしがいたずら好きだからって、お客さんにそんなことしないよぅ! あたしのターゲットは、主にエターナだから!」

 と、言い訳した。
 それでもエターナのジト目は解除されなかったが。
 
「堂々と宣言してどうして許されると思ったのかが謎」
「だって、エターナは優しひかりゃっへほへんなひゃいー!」

 インクの両頬が、エターナの手でぐにーっと引っ張られる。

「相変わらず平和っすねえ、この家は」

 テーブルの端の方に座るセーラは、そう言うとずずずとお茶をすすった。
 その隣に座るネイガスは、べったりと恋人に絡みつきながら言う。

「あら、うちも平和じゃない?」
「色んな意味で平和じゃないと思うっすけど……」

 セーラは日々のあれこれを思い出しながら、遠い目をした。
 ちょうど彼女たちとは逆の端に座るキリルは、そんな二人と、アンリエットとオティーリエを交互に見て、ぼそりと呟く。

「……それで、何でこんなに大集合してるの?」

 一つの部屋に女子が九人。
 そこそこ広いので窮屈では無いが、いつも以上に騒がしい。

「そうそう、話を聞く前にあんなことになっちゃったけど、相談がしたいって言ってたよね」
「フラム、四人は一緒に来たの?」

 キリルがフラムに尋ねると、彼女は首を横に振った。

「先にセーラちゃんとネイガスさんが来て、そのあとにアンリエットさんとオティーリエさんが来たの。だから違う用件だと思うんだけど……そうですよね?」
「ああ、奇跡的な偶然でも起きない限り、別の話だろう」

 アンリエットはそう答える。

「とはいえ――あなたたち、これから夕食なのでしょう? その前に話すには、わたくしたちの相談・・は少し物騒すぎますわ」

 続けて、オティーリエが真面目な表情で言った。
 話の内容はそれなりに深刻なものだと示唆しているようだ。
 
「オティーリエさん、偶然っすね。おらたちも食欲が無くなりそうな話題っす」
「できれば食後にしたいわねえ」
「それ聞いて、嫌な予感がしてきたんだけど……」
「ご主人様、ファイトですっ。まずはご飯を食べて英気を養いましょう」
「うん、がんばるぅ」

 頑張ると言いながらも、甘えるようにミルキットの胸に飛び込むフラム。
 ミルキットは両手で優しくその頭を抱きしめると、「よしよし」と慈愛の表情で撫でた。

「うらやましいですわね……」

 オティーリエがぽつりとつぶやく。

「やってみるか?」

 アンリエットが言うと、彼女は首を横にぶんぶんと振った。

「いけませんわ、自分の服ならまだしも、ミルキットさんの服を汚してしまうことになりますもの!」
「オティーリエって、抱きしめられるだけで鼻血が出るの?」
「こらインク、呼び捨て」
「構いませんわよ、こちらも呼び捨てなのですから。ですがインク、わたくしのお姉さまへの愛があの程度の鼻血だけで終わると思われては困りますわ。お姉さまの暖かく強い愛情を直で受けたわたくしは、全身の穴という穴から液体を噴き出しながら、体をのけぞらせ、白目を剥いて気絶することでしょう!」

 オティーリエは立ち上がると、両手を広げながら高らかに宣言した。

「それを自慢気に言うのはどうかと思うぞ……」
「はあぁんっ、お姉さまに怒られてしまいましたわぁ!」

 びくびくと体を震わせるオティーリエ。
 これにはさすがのインクも引き気味だった。

「まったく、教育に悪い」
「オティーリエさんはぶれないっすねえ」
「でも、あの様子じゃ初体験はまだみたいね」
「……仕方ありませんわ。お姉さまの裸など見ようものなら、わたくし、尊すぎて気絶してしまいますもの!」

 決して言い過ぎではなく、すでに何度か気絶した経験があるらしい。
 アンリエットとしては、愛が深いのは嬉しいのだが、30歳近くにもなってまだ一回もそういうことができていないという事実に、不安を抱かないでもない。

 オティーリエたちがそんなやり取りをしている間に、フラムは復活し、早速夕食の準備を始めていた。
 キリルも少し遅れて、キッチンに向かう。

「キリルさんは疲れてるでしょうから、ゆっくりしていてください」
「あの中じゃゆっくりできないから」
「あはは……みんな仕事終わりだろうに、元気だよねえ。ところでミルキット、九人分の夕食なんてできるの?」
「作りおきがありますから、これを使えばどうにか」
「さすがパーフェクトお嫁さん!」
「簡単な料理ばっかりですから、褒めるようなことではありませんよ」
「いいや、褒めるね。急な来客にも動じずに、食事を提供するミルキットはお嫁さんの鑑だよ! 結婚してほしい! いや、もうしてる! こんな最高のお嫁さんと結婚できるなんて、私はなんて幸せ者なんだーっ!」
「もう、あんまり茶化さないでくださいよお」

 ミルキットは顔を真っ赤にしてはにかむいる。
 フラムはそんな彼女の表情を見て満足したのか、「えへっ」と幸せそうに笑った。

「本気で私はそう思ってるよ」
「ご主人様……私もです。私も、ご主人様のお嫁さんになれて、世界一幸せです」
「ミルキット……」
「ご主人様ぁ……」

 二人の瞳は潤み、顔は近づき、自然と唇が重なる――

「ミルキット、この容器に入ってるのってそのまま皿に載せていいやつ?」
 
 その横で、キリルは平然と夕食の支度を進めていた。
 この家ではいつものことなのである。
 唐突な情熱的なキスに目くじらを立てるのは、せいぜいエターナぐらいのものだ。

「ん……はぁ……はい、あともうひとつの容器もそのままで食べられますから」
「ぷはぁっ……ああ待って、そっちは私がやるからー!」

 フラムとミルキットも、頬を赤くしながらもすぐにキリルに合流した。



◇◇◇



 食事が終わると、温かいお茶を飲みながら、今度こそ本題に入る。

「先に来た方から話してくれ」

 アンリエットが言うと、セーラは頷き、フラムの方を向いて話し始めた。

「フラムおねーさんは、この前のネクロマンシーの話を覚えてるっすか?」
「ウェルシーさんが持ってた資料が、悪趣味な物好きの手に渡ったって話だよね。もしかして見つかったの?」
「いえ、見つかってはないっす。ただ最近、うちに気になる相談をしにきた人がいるらしいんすよ」
「相談?」

 セーラ率いる医療魔術師組合では、住民の肉体面だけではなく、精神面のケアも行っている。
 そういった流れの中で、自然と悩み相談をしにくるような人間もいるそうだ。
 それは元々、オリジン教の信者だった人間が多いらしいのだが――

「その人は『死人を見かけた』って言ってるらしいんすよ」

 セーラがそう言うと、フラムだけでなく、部屋にいる全員が息を呑んだ。

「それって……ずばり、そのままの意味なんじゃ……」
「ただの勘違いって可能性もあるっすけど、タイミングが絶妙すぎるっすよね」
「ですがご主人様。ネクロマンシーは、オリジンコアが無いと実現できない技術なのではないですか?」
「物好きとやらが、代替エネルギーを見つけた可能性がある」

 エターナが口を開くと、言葉は急に説得力を持つ。
 インクは不安げに彼女の顔を見つめた。

「オリジンコアと似たものが作られたってこと?」

 インクの言葉に、エターナは首を横に振った。

「わからない。あんなものが、一朝一夕で作れるとは思えない。オリジンコアは、ある意味で何でもありのおかしな代物だった。でも、“死者を蘇らせる”という機能だけをもたせるのなら、可能かもしれない――わたしはそう思う。でもこのあたりの研究は、わたしよりもセーラの方が詳しいはず」

 それを聞いて、セーラは表情を曇らせる。
 するとネイガスが彼女の代わりに答えた。

「医療の最終到達点は、死者の蘇生。それは事実よ。けど、組合がそれについて積極的に研究しているかと言われれば、答えはノー。あらゆる病を取り除くうちに、結果的にそうなってるかもしれないってだけの話なんだから」
「でも……不完全な形なら、死者を蘇らせることは可能だと思うっす。もっともそれは、あくまで死体を動かしてるってだけで、魂を呼び寄せるなんてできるはずがないっすけど」
「要するに、以前のネクロマンシーと結果は変わらない、ってことか」

 フラムの言葉に、セーラがうなずく。
 不完全な死者の蘇生――その先に待つものは、救いようのない悲劇だけだ。
 それを、フラムは自分の目で見てきた。

「フラムおねーさん。お願いがあるんすけど……明日、一日だけでもいいっすから、街の様子を見てくれないっすか?」
「見張るってこと?」
「そうっす。今のおねーさんなら、街全体を常に監視することも可能だと思うっすし、もし不完全に蘇生された死者が歩き回っているなら、それを感じ取ることもできると思うんすよ」
「んー……やろうと思えば……できる、のかなぁ」

 やったことはない。
 だが、今のフラムに、おそらくできないことはほとんど無い。

「とりあえず試してみる。明日だけと言わず、しばらくね」

 フラムがそう言うと、セーラはぱぁっと明るく笑う。

「ありがとうっす! お礼は必ずするっすからね!」
「本当にありがとうね、フラムちゃん」
「いえ、まだ何もしてないですから。役に立つかどうかはこれからです」

 フラムは恥ずかしそうに頭を掻きながら謙遜した。
 すると、そこでアンリエットが口を開く。

「それはちょうどよかった。実はな、私たちも似たようなことを頼もうと思っていたのだ」
「似たようなこと? つまり、コンシリアを見張ってほしいってことですか?」
「ああ。実はここ最近、多数の行方不明者が発生していることが発覚してな」

 彼女の違和感のある言い回しに、ミルキットは首を傾けた。

「発覚、ですか?」

 その違和の輪郭をはっきりさせるべく、キリルが言葉を続ける。

「まるで、今まで隠されていたことが明らかになった、みたいな言い方」
「鋭いですわね、さすが勇者ですわ。実は、行方不明者自体は数ヶ月前から出ていたそうですの。それが今回、コンシリア宿屋組合からの相談で判明したんですのよ」
「何で宿屋なのー?」

 インクの疑問に、アンリエットが答える。

「行方不明者の大半が、コンシリアの外からやってきた旅行者だからだ」
「なるほど……コンシリア住民じゃないから、相談があるまでわからなかった、と」

 エターナの言葉に、「うむ」とうなずくアンリエット。

「いかんせん、今のコンシリアは人の出入りが多すぎる。賑やかなのは善いことだが、旅行者が増えれば増えるほど、我々の目も行き届かなくなる」
「でもそれって、宿のお金を払うのが嫌で、逃げちゃったとかじゃないの?」
「我々もその可能性は考えた。もちろん、組合の人々もな」
「それでも数が多すぎるから、組合は行方不明者として軍の方に相談したってことですか」

 フラムが言うと、再度アンリエットは首肯する。

「とはいえ、いつ、どこで起きるかわからない誘拐事件など、今のわたくしたちでは、防ぐのに限界がありますわ。もちろん情報は集めていますが、未だ特定には至っておりませんし」
「それでご主人様に相談に来たんですね」
「でもちょうどよかった。それならセーラちゃんの頼みと一緒にできるから」
「フラムおねーさんの負担にはならないっすか?」
「たぶん大丈夫。これでも体は丈夫な方だからね」

 丈夫というか、今のフラムは“疲れ”というものを感じることが無い。
 おそらく睡眠を取らずとも、永遠に動きつけられるぐらいの体力が備わっている。
 その気になれば食事も必要無いかもしれない。
 まあ、我慢できるというだけで、お腹は空くし、眠いものは眠いので普通に寝ているのだが。

「でも、もし昼間で見つからなかったら――」
「ひとまず今は昼だけでいい。フラムの監視で何も見つからないのなら、犯行時刻は夜に絞れるからな。夜間ならば人の往来もいくらか少なくなる、軍でも対応可能だろう」
「もしかしたら、フラムの存在に気づいてやるのを辞めちゃう可能性もあるかもよ?」

 インクがそう言うと、アンリエットは「ふっ」と軽く笑う。
 
「それならそれでいい。フラムの存在が抑止力になったというのなら、喜ぶべきことだ。私たちの仕事における理想は、事件を取り締まることじゃない。事件を最初から起こさないことなのだから」

 アンリエットは飾らず、かっこつけた様子も無く、さらりと言った。
 隣でオティーリエが「お姉さまあぁ」と蕩けた表情を見せている。
 確かに今のは威厳はあったし、フラムから見てもかっこよかった。

「さすがに私も、夜までずっとと言われるとちょっと考えたかもしれません」
「ミルキットと離れ離れになるから?」

 エターナが言うと、フラムは恥じらいもせずに「はい、その通りです!」と元気に返事をした。

「フラムちゃんならコンシリアを見回る必要もないでしょうから、ミルキットちゃんと一緒に行動しても問題ないんじゃないかしら」
「そうっすね。特におねーさんたちが危険に巻き込まれるわけでもないっすし、それでもいいかもしれないっすね」
「ミルキットと二人でお仕事……確かにそれなら永遠にできるかも……」
「いや、永遠はさすがにミルキットおねーさんが疲れるっすよ?」
「私もご主人様と一緒なら永遠にできます!」
「えぇ……」
「そのあたりの常識を二人に求めるだけ無駄だと思うよ」

 苦笑しながら言うキリル。
 アンリエットはそんなやり取りを見て、微笑み口を開く。

「まあ、私の方は誰が一緒でも構わないさ。組合長の方も問題ないようだから、自由にしてくれていい。そもそも私の方から頼んでいるんだ、縛る権利も無いわけだが」
「もちろん報酬はお渡ししますわ。未確定の事件ですので非公式の依頼にはなりますが」
「気は使わないで――と言いたいところですけど、家計のことがあるので、報酬は謹んで受け取らせてもらいます」

 フラムは今や、一家の大黒柱だ。
 まあ、余裕で東区に大きな屋敷を買えるぐらいの収入があるので、食い扶持に困ることは無いのだが、お金はあって困るものではない。
 遠慮しても相手が申し訳ない気分になるだけ、ということも知っているので、この手の報酬を、フラムは素直に受け取ることにしていた。

「フラムおねーさんが見てくれるんなら、一安心っすね」
「ああ、これで今後は何も起きないと、なお良いんだが――」
「せっかくオリジンが消えて平和になったんですから、できるだけ誰にも死んでほしくはないですよね」

 誰かを助けたいと思う気持ちは、少なからず誰にでもあるものだ。
 しかし大きな力を持てば、大なり小なり、人は歪む。
 世界をたった一人で書き換え、あるいは滅ぼしてしまうほどの力をフラムは持っているが――それでも前と変わらず、『ごく普通の少女が持ち合わせる善性』を保持し続ける彼女は、いくらフラム自身が否定しても、精神面において、誰よりも英雄らしい存在なのかもしれない。
 そんな彼女を見てキリルは、「すごいなフラムは」とただただ素直に、心の底から思ったことをつぶやいた。



◇◇◇



 翌朝、朝早くからフラムとミルキットは家を出た。
 コンシリアを囲む城壁、その隅にあるやぐらに陣取って、約束通り街全体を見張るつもりらしい。
 お人好しな彼女のことだ、依頼に関係ない悪事も見逃さずに、今日のコンシリアはいつになく治安のいい場所になるだろう。
 キリルは置かれた朝食を、エターナ、インクと一緒に食べると、支度を済ませて家を出た。

「おはようございます。今日もかわいいショコラちゃんが迎えに来ましたよっ」

 例のごとく、生意気な後輩がそこに立っていた。
 キリルもいつものように、「おはよう」とそっけなく挨拶をしながら、横を通り過ぎる。

「先輩は今日もポーカーフェイスですねえ。あっ、もしかして私がかわいすぎて照れてます?」

 ショコラはすぐさまキリルの隣に並ぶと、顔を近づけながらニヤニヤと笑い、そう言った。

「うん、そうだよ――って言ったらどうする?」
「ぬっ……」

 キリルの反撃に、一瞬たじろぐショコラ。
 だが彼女はいつもどおりの生意気な笑みを浮かべると、強気に言い放つ。

「ふ、ふふふふっ、甘いですよ先輩。『どうせお前、素直になったら照れてまともに受け答えできないんだろ』戦法がいつまでも通じると思ったら大間違いです。今日からの私は一味違います。先輩のどんな言葉にも負けずに、常にマウントを取り続けてやるんですからねー!」

 ビシッ! とキリルを指差すショコラ。
 そんな彼女に、キリルは表情を変えずにさらっと言い放った。
 
「ショコラはかわいいね」
「へっ!?」
「いつもは生意気って言ってるけど、そういうところもチャームポイントだと思う」
「せ、先輩、急に何をっ!?」
「あと、髪の色が鮮やかで、本当に綺麗だよね。普段の言動で隠れがちだけど、顔は正統派美人で、思わず見とれそうになることがあるんだ。あとは声なんかも――」
「ぬわーっ! やめてくださいぃー! まさか先輩がそこまでの攻勢に出るとは、このショコラ予想外でした! いやしかし、待ってくださいよ。普段は私を全然褒めてくれない先輩が、演技とはいえこんな褒め殺しをしたら、先輩自身も恥ずかしくてしょうがないはず――ってしまったァー! ポーカーフェイスだー!」

 軽くキリルがからかっただけで、やんややんやと騒ぐショコラ。
 朝っぱらからあまりのハイテンションぶりに、キリルは思わず肩を震わせ噴き出すように笑った。

「う……今の、マジ笑いですね」

 ショコラは恥じらい、頬を桃色に染める。

「だって面白いから。うん、ほんとショコラは面白い。一緒にいて全然飽きない。これは紛れもなく、私の本音だよ」
「私の動きの滑稽さを褒められても嬉しくありませんー! 女の子なんですから、もっとかわいいとか言われたいですぅー!」
「顔もかわいいし、その桃色のさくらんぼみたいな唇も――」
「褒めろっつってもそういう意味じゃないんですよぉ!」

 ショコラは吠える。
 キリルをからかうつもりが、逆に完全に手玉に取られっぱなしだ。
 それはそれで楽しいのが、余計にショコラの不満を高めていた。

「ただ褒めるだけでなく、さらに言葉も選んでほしいなんて、ショコラは贅沢な後輩だね」
「先輩はいじわるです。もっと面倒くさい後輩との正しい付き合い方を学ぶべきですよ」
「ちなみに正しい付き合い方ってどんなの?」
「先輩というのは、後輩に翻弄されて、顔を真っ赤にしながらあたふた慌てふためくのが役目なんです。それが正しさです。そういう意味では、先輩は先輩失格ですね」
「まあ、見ての通りそういうの向いてないから。人選ならぬ、輩選パイセンミスだよね」
「むむむ、反論できないだけになお悔しい……」

 ショコラ自身も言っていたように、キリルは割とポーカーフェイスだ。
 喜怒哀楽を意識して表に出していないわけではなく、よっぽど追い詰められでもしない限り、基本的に薄めの反応を見せる。

「あーあ、私が先輩を手のひらの上で転がして、悪役のように『おーっほっほっほっほ』とか笑える日はいつ来るんでしょうか」
「頑張れ後輩」
「そんなにも感情がこもってない応援なかなかありませんよ!?」

 二人でじゃれあっていると、店までの道のりはあっという間だった。
 今日はちゃんと起きていたティーシェが、コートを羽織りながら弟子たちを迎える。

「よっ」

 手をあげて軽く挨拶をする彼女に、キリルとショコラは頭を下げて『おはようございます』と声を揃えた。

「お前ら今日も仲いいなあ。師匠としては、キリルが妹弟子の面倒を見てくれるのは、手がかからなくて助かるんだが。ショコラも、あたしより年齢の近いキリルのが色々と聞きやすいだろ?」
「いいえ。先輩はいじわるなので後輩は困ってます」
「そうなのか。いじわるなのか?」
「師匠の教え方を参考にしたら自ずとそうなりました」
「何故かあたしに火の粉がかかってきたぞおい……まあいいや。二人とも、早く着替えて厨房に来いよー」

 コック帽を頭に乗せて、厨房に向かうティーシェ。
 
「わかりました」

 キリルは平坦に返事をし、
 
「了解でーす!」

 ショコラは元気いっぱいに、敬礼しながらティーシェを見送った。
 そして言われた通り、二人とも、少しだけ急ぎ目に着替えを始める。
 昨日、キリルはあんな話を聞いたばかりだ。
 街には少しだけ不穏な空気が流れているような気がしたが――店の中はいつも通り、今日も平和だった。



◇◇◇



 結局、その日は何も起きなかった。
 盗みや喧嘩など、細々とした騒ぎはあったものの、その程度ならばフラムの手にかかれば簡単に解決できる。
 なので間違いなく、その日のコンシリアは治安が良かったのだが、セーラやアンリエットの不安が晴れるような事件はどこでも起きていなかったわけだ。
 フラムとしても、一日中ミルキットとくっついた状態で過ごして、それだけで報酬をもらえるのだから、こんなに美味しい仕事は無いと思っているのだが――

「やっぱり不安だよねえ」

 セーラとアンリエット、それぞれに報告を終えたフラムは、ミルキットと並んで腕を絡め、夕暮れの街を歩いていた。
 
「ネクロマンシーのことですか」
「うん。いくらオリジンコアが無いと言っても、あれはよくない研究だよ。最終的に人の命を救うことができたとしても、その過程でどれだけの人が犠牲になるか……」
「それに、好奇心で手を出すような人が、まともな目的に使うとも思えませんね」
「だよねぇ。今度取り戻せたら、変に残したりせずに、この世から消してしまうのがいいのかもしれない」

 この世に九十九の善意が満ちていても、その研究の成果が一の悪意に渡るだけで、いくつもの善意が犠牲になる。
 アンリエットの言っていた通り、何かが起きてからではなく、起きる前に防ぎたい――フラムも、英雄だから、というよりは、この街に暮らす住人として、そう願っていた。

「ですがひとまず、今日の夜は軍の方々に任せましょう。アンリエットさんは、いつもより警備を厚くするとおっしゃってたんですよね」
「だね。それでも暴けなかったら、今度は私の方から何かできることは無いか聞いてみようと思う」
「はい、それがいいと思います」

 言葉を交わし、駅に向かって歩く間にも、太陽は沈んでいく。
 茜色の空の下、二人が歩く通りには、アンリエットが手配した兵士の姿がちらほらと見えるようになっていた。



◇◇◇



 草木も眠る深い夜。
 昼間に比べれば人の姿は減ったものの、観光客で賑わう今のコンシリアは、完全に静まり返ってはいない。
 そんな中、街を守る兵士たちは、通りがかった酔っぱらいや、こちらを睨みつけてくるゴロツキ、そして古い荷馬車を走らせる商人などに声をかけていた。

「こんな時間にすいません。荷物を見せていただいてもよろしいですか?」

 兵士は申し訳無さそうに言った。
 商人はにこりと笑い、特に慌てる様子もなく、荷車にかけられた布を持ち上げ、兵士に荷物を見せる。
 どうやら載せられているのは、薬品類のようだ。
 瓶には、正規品であることを示す医療魔術師組合の刻印が刻まれている。

「問題無いみたいですね。お手数をおかけしました」

 再び頭を下げる兵士。
 商人も再度笑うと、荷馬車は住宅街に向かって走って行った。



◇◇◇



 同時刻、ショコラの家は、周囲の民家と同じく明かりは消され、暗闇に包まれている。
 だが真っ暗なリビングでは、ショコラの父が通信端末を耳に当てて、何者かと通話していた。
 
「もしもし、先生ですか? はい、はい……もう手配済み、と。わかりました、それではそろそろ届く予定なんですね。いえ、仕方ありませんよ、監視が厳しかったのなら。ええ――時間いっぱいですから、少し様子はおかしいですね。腐敗臭? ああ、いえ、そこまではまだ。会話が通じないぐらいですかね。一応、今は地下室で手錠に繋いでいます。あはは、心配には及びませんよ。もうじき届くはずですから。はい、はい。はい……わかりました、診察は明日ですね。かしこまりました、そのように。それでは明日はよろしくお願いします。はい、失礼します」

 彼は通話を切ると、「ふぅ」と息を吐いた。
 そして背もたれに体重を預け、天井を見つめる。
 目が暗闇に慣れているのか、ぶら下がる魔導灯の輪郭がぼんやりと見えた。
 その体勢のまま、彼は耳に神経を集中させる。
 少し離れた場所から聞こえてくるその息遣いを感じるために、

「フウゥ……! ウァア……!」

 その獣のうめき声じみた音は、地下から聞こえてきていた。
 ショコラの父は、それを聞いて口元をニタリと歪める。

「生きてる。生きてるんだ、彼女は。僕は正しい償いをしている。これ以上に、正しいことなんてあるものか」

 そして自分に言い聞かせるように、ひとり呟く。
 すると、玄関の方から小さく“コンコン”と音がした。
 彼は目を見開くと、今度は若干黄ばんだ歯をむき出しにして笑うと、勢いをつけて立ち上がり、速歩きで玄関に向かう。

 扉を開くと、先ほど兵士に声をかけられた商人が立っていた。
 彼の後ろには、荷馬車が待機している。
 商人は書類にサインを求め、ショコラの父がそれに応じると、荷台に近づき、そのを持ち上げた。
 どうやら二重底になっているらしい。
 その下には、布でくるまれた、縦横七十センチほどある何かが敷き詰められていた。
 布の中身は、荷台の上で地を這う毛虫のようにもぞりと動いている。
 商人はそれを重そうに持ち上げ、ショコラの父に手渡した。
 その後、二人は特に言葉を交わすことなく、それぞれ商人は家を離れ、父は屋内に戻っていく。

 玄関がバタンと閉まると、ショコラの父は興奮した様子で息を荒くして、荷物をリビングまで運んだ。
 包みをテーブルの上に置く。
 そこでもやはり、中身はもぞもぞと動いていた。
 だが動いたことに、ショコラの父が驚いた様子はない。
 最初からそういうものだと理解しているようだ。

 いつもなら、このまま地下室まで持っていくのだが、今日は少しだけ手順が違う。
 父はショコラの部屋の前に行くと、強めにドアをノックした。
 だがすぐに「はっ」と息を吐き出すと、今度は誰も見ていないのに柔和な表情を浮かべ、優しくドアをノックする。

「……何?」

 ショコラは扉を半分だけ開くと、暗い表情で父を見た。
 昼間、彼女がキリルに大して見せる笑顔の片鱗は存在しない。
 本来なら寝静まっている深夜、眠いから機嫌が悪いのだとも考えられるが、ショコラはあらかじめ父から『今日は寝てはいけないよ』と忠告・・を受けていた。
 まあ、どちらにしろ――ここ最近はあまり眠れていなかったのだが。

「言っていた通りだよ。やっぱり僕たちは家族なんだから、共有するべきだと思うんだ」
「いいよ、そういうのは、お父さんだけで」

 ショコラは気乗りしないのか、そのまま扉を閉めようとする。
 すると父は足を挟み込み、それを封じた。
 
「ショコラ。最近、キリル・スウィーチカと仲がいいみたいだね」

 父の声が低くなる。
 ショコラは怯えるようにぴくりと頬の筋肉を引きつらせると、彼から目をそらした。
 
「……うん、うまくやってるから」
「そうかい、それはよかった。でもねショコラ」

 ぬるりと父の手が伸びて、ショコラの顎を掴む。
 彼は強引に娘の顔を自分の方に向けると、作り物めいて笑いながら、口を開いた。

「うまくやりすぎるのも、どうかと思うんだ」

 彼なりに、精一杯やさしく言ったつもりらしいが――ショコラからしてみれば、それは不気味でしかなかった。

「な、何が、問題だって言うの? 私は言われたとおりに、先輩と仲良くなったよ? それ以上に、お父さんは私に何を求めるの?」
「求めてなんかいないよ。ただね、思い出してほしいだけなんだ。五年前、僕たちが見た地獄を」

 五年前――それは王都が崩壊したあの日のこと。

「あれは、キリル・スウィーチカが引き起こしたものだ」

 街は火に包まれ、怪物が街を闊歩し、あまりに多くの人間が命を落とした。

「たくさん傷ついた。たくさん苦しんだ。たくさん死んだ。ショコラが大好きだったお母さんも、そのうちの一人だ」

 ショコラの母も、そのうちの一人だ。
 彼女は母が命を落とすまさにその瞬間を、目撃してしまった。
 母の死に様は、今でも繰り返し悪夢に見るほど、トラウマとして脳に刻み込まれている。

「あれは、キリル・スウィーチカが引き起こしたものだ」

 そして父は、“ある人物”から、五年前の真実を聞いた。
 キリル・スウィーチカは、勇者としてフラムと共に戦ってなんかいない。
 本当は、裏切り者の魔族の側について、勇者の力でオリジンの封印を解いたのだ、と。
 戦いが終わった後、慈悲深いフラムに許されて、このコンシリアに戻ってきたのだ、と。

「お父さんは不安なんだ。最近、ショコラがそれを忘れているんじゃないかと思って」

 伝えられた真実は衝撃的で、許すことなどできるはずもなかったが――皮肉にも、キリルに対する憎しみは、ショコラの父に活力を与えた。
 酒浸りの生活を送っていた彼は、どうやってキリルを殺すのかを考えることで、活き活きとした表情を見せるようになったのだ。

「忘れるわけないよ……一生、絶対に、忘れない」

 それはショコラにとっても同じことだった。
 幸せなんて無い人生。
 いっそ死んでしまった方が幸せだと思うような毎日。
 その先に待っていたのは、大好きだった母の死だった。
 ショコラは全てを失って、唯一の家族である父に寄り添うしかなくなった。
 それらの原因がキリルにあるというのならば、憎まずにはいられない。
 
「そうだね。ショコラは嘘をついていない、それはお父さん、よくわかってる。だってショコラはいい子だからね。けど、家族はやっぱり、同じ感情を共有するべきなんだよ。忘れていないとしても、そういう儀式が無いと、お父さん……ほら、不安になっちゃうから」

 そう語る父の声は震えている。
 ドアノブを握る手も、血管を浮かべながら小刻みに振動していた。
 その感情が不安などではないことを、ショコラは知っている。

「だから、おいでショコラ」
「あの……私は……」

 拒むショコラ。
 父は彼女の細い手首を掴み、強引に部屋の外に引きずり出した。

「やぁっ……!」

 転がるように廊下にへたりこむショコラ。
 とっさに彼女は、空いている方の手で頭を守る。
 だが父は、そのまま彼女の手を引っ張って、リビングへと連れて行った。

「おいで、ショコラ。いい子だからね、お父さんに従うんだよ」
「お父さん、離して……私、嫌なの、見たくないのっ!」

 ずるずると引きずられるショコラ。
 だが性別の差なのか、抗おうとも父は止まらない。
 
「逃げるのかい?」

 父は足を止めて、娘に問いかけた。
 
「違うのっ! 私は――」

 勇気を出して、ショコラは父を見上げる。
 大きく見開かれた瞳が、どこまでも冷たく、彼女に向けられていた。

「ぁ……う、あ……ちゃんと、見るから。見るから、離して……くだ、さい」

 ショコラの心が折れたことを確かめると、父は今までで一番やさしい笑顔を浮かべた。
 そして手を離す。
 もう強制する必要など無い。

「お父さんは、ショコラがいい子で嬉しいよ」

 そのままリビングに向かう。
 ショコラも彼を追って、とぼとぼと部屋に入った。
 
 父は部屋の明かりをつけると、テーブルの上の荷物・・に手を伸ばし、くるんでいた布を外した。
 あらわになった中身を前に、ショコラは口元に手を当てて「う……」と呻く。
 それは、男性の上半身だ。
 下半身は切断されており、存在しない。
 運搬コストの削減のため、無駄な部位は取り除かれているのだ。
 傷口は治癒魔法で塞がれているらしく、荷物が痛みを感じている様子は無かった。
 ただし、恐怖はピークに達しているようだが。
 ちなみに、声帯は切り取られているため、どんなに叫ぼうとしても「かひゅっ、かひゅぅっ」という掠れた空気の音ぐらいしかしない。

「ショコラ、持つんだ」

 言われるがままに、ショコラは顔をひきつらせながら、上半身だけの男を持ち上げた。
 腕の中で必死に身をよじるそれから、彼女は可能な限り顔を離そうとする。
 この距離だと、声帯が切り取られていても、かすかな声が聞こえてくる。
 それが余計にショコラの恐怖を煽っていた。
 
 父はリビングの床を開き、下に続く階段を進む。
 ショコラも後に続く。
 その先には、四畳ほどの空間があり、足を鎖で、腕を手錠で拘束されたショコラの母が横たわっていた。
 彼女は理性を失い、視線を虚ろに彷徨わせ、口の端から涎を垂れ流しながら、二人を見るなり「グルアァウッ!」と吠える。

「ごめんねぇ、お母さん。僕も急ぎたかったんだけど、さすがに朝に運搬するわけにはいかないだろう? だからこんな時間になってしまったんだ」

 父は母の側にしゃがみ込むと、その頬を愛おしそうに撫でながら、語りかける。
 対する母は、まったく彼の言葉の意味など理解していない様子だったが。

「さあショコラ、餌をお母さんの前に置くんだよ」
「……う」
「何を躊躇っているんだい。ショコラはお母さんが好きだろう?」

 こくりとうなずくショコラ。

「ショコラは、その人のことなんて知らないだろう?」

 ショコラは再び首を縦に振る。

「だったら、餌の命に価値は無い。そしてお母さんの命には価値がある。違うかい?」

 その問いには――答えられない。
 確かに命の価値は平等ではない。
 誰の主観とするかで、その価値は上下する。
 父の言う通り、ショコラにとっては“餌”と呼ばれたこの男よりも、母の命の方が尊いだろう。

「その男を食べれば、お母さんは一週間も生きられるんだ。だったら、迷うことなんて無いんだよ。さあショコラ、早く与えて。そして、僕たちは本当の意味で家族になるんだ」

 共犯者――その言葉で、ショコラはすべてを理解した。
 父は、自分を追い詰めているのだと。
 ショコラがキリルに本気で心を開き始めていることを察して、逃げ場を塞ごうとしているのだ、と。
 そして事実として、彼女はこの状況から逃げ出すことができない――

「さあ、さあっ、さあっ!」

 父の言葉に怒りがこもると、ショコラは逆らえなくなる。
 彼女は歯を食いしばりながら、一歩、また一歩と母の方に近づき――いつの間にか静かになり、涎を垂らしてこちらを見つめる母の前に、餌を置いた。
 その瞬間、男とショコラの目が合う。
 絶望に満ちたその瞳は、五年前に見た惨劇の犠牲者によく似ていた。

「グウゥアアッ!」

 母は歓喜に吠え、その勢いのまま、口を大きく開いて首筋に食らいついた。

「――ッ!」

 餌は大きく口を開き、声にならない断末魔を響かせる。
 生きたまま食われる苦痛は、どれほどのものなのだろう。
 その辛さの分が、自分の罪なのだと、ショコラは思う。
 一方で父は、生きた肉を喰らい咀嚼する母の頭を、愛おしそうに撫でていた。

「たくさん食べるんだよ、お母さん。ああ、でもそんなに血や肉ばかりにこだわってちゃいけないね。ほら、こっちも。まだ動いているうちに、一番栄養になる心臓を食べるんだ。おっと――歯じゃ食べにくいか。なら少し待っててね、食べやすいように開いてあげるから」

 父は懐からナイフを取り出すと、男の胸元に突き刺した。
 そして慣れた様子で・・・・・・皮膚を貫き、胸元を開いていく。
 母は喜んでそこに頭を突っ込み、言われるがままに臓物を食らった。

「はははっ! ショコラ、こんなに食べ物にがっつくお母さんを見たことあるかい? お母さんは大人しくて、体も弱くて、食欲もあまり無いタイプだったからねえ。それが今じゃこんなに元気なんだ、僕は嬉しくてしょうがないよ。先生には感謝しかない。そうは思わないかい、ショコラ」
「……うん、そうだね」
「だろう? そう思うだろう? そう思わなきゃ嘘だもんなあ! お母さんがいる、お母さんが生きている、家族三人で暮らせる! こんなに幸せなことは他に無いよ!」

 父はおかしい。
 どうかしている。
 そう思う一方で、ショコラはこうも思うのだ。

(確かにお父さんの言う通り、私たちが家族になるには、こうするしか方法が無い)

 だが、それが意味するところは、限りなく虚しい事実だ。

(……そう、ここまでしないと、家族になれない。だったら最初から、私たちは……家族になれない家族だったのかもしれない)

 望んできた。
 夢見てきた。
 母の死で、それが途切れたと思っていた。
 けれど、最初から存在しない夢ならば、これまで歩んできたショコラの人生は――



◇◇◇



 朝、太陽が街を照らす。
 カーテンで遮られた部屋は薄暗い。
 けれど朝の訪れぐらいはわかる。
 厚手の布を通り過ぎるかすかな日光。
 鳥のさえずり、馬車の音、人々の雑踏。
 あんなことがあっても、朝は来る。

 鼻腔の奥に染み付いた血の匂い。
 いや、血だけじゃなくて、色々混ざった、生臭さ。
 それは証だ。
 父とショコラが、家族のような何かになったという。

 キッチンでは母が朝食を作っている。
 父は椅子に座って、上機嫌にラジオを聞いている。

「おはよう」

 ショコラが言うと、まず父が応える。

「おはよう」

 その声はいつもより明るく聞こえる。
 顔つきからして、気のせいではないのだろう。
 そして少し遅れて、母が笑顔で言った。

「おはよう。いい朝ね、ショコラ」

 それは間違いなく、ショコラが夢見てきた家族のやり取りだ。
 逃げられないのなら沈んでしまえ、と――
 彼女はその砂上の楼閣を、日常として飲み込むことにした。



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