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「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

EX6-1 【書籍三巻発売記念】ビター


 今から五年前。
 当時十三歳だったショコラ・チョコラトルは、両親と王都で暮らしていた。
 チルドレンによる暴走によって、一時は避難を余儀なくされたものの、彼女の暮らす区画は戦いに巻き込まれず無事だった。
 そして、彼女が両親とともに王都に戻ってきてからしばらくして――その地獄は始まった。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

 ショコラは、桃色の髪を揺らしながら、狂った街の中を一人で走っていた。
 そこらじゅうから叫び声と笑い声が聞こえ、いつも人で賑わっていた通りには死体が転がり、空には飛竜型キマイラが飛び交う。
 東、西、南と三箇所ある城門付近には、出口を塞ぐように巨大な化け物も現れていた。

「何なのこれ……どうなってるの……っ!」

 それは、あまりに突然やってきた。
 ショコラは先ほどまで友達と遊んでいたが、彼女は急に『クケエェェエェッ!』と鳥のように叫んだかと思うと、全力疾走して壁にぶつかり、そのまま意識を失った。
 もちろん助けようとしたが、そこに人狼型キマイラが現れ、気絶した友人を捕食しだしたため、慌てて逃げてきたのだ。
 ショコラ自身も、頭痛や耳鳴りを感じたが、友人ほどオリジンの影響は無かった。
 
 それからショコラは、足を止めずにここまで走り続けた。
 友人が食われていたあの光景を思い出すと、吐き気がこみ上げる。
 気持ち悪くて、胸が重くなって、立ち止まりたくなる。
 しかし無意味な静止は、死につながる。
 それを回避するためには、がむしゃらに走って、体を動かして、頭を真っ白にするのが一番だった。

「はぁ……はぁっ……お父さん、お母さん……っ」

 ショコラが向かう先は、自宅だった。
 そこには両親がいる。
 二人が狂わずに、化け物にも襲われずに、無事でいることを祈るばかりだ。

 街は徐々に火に包まれはじめた。
 建物や、木々や、人間――様々なものが燃える臭いが混ざって、息を吸い込むだけで気持ち悪くなった。
 “あの光景”を考えないようにしても同じこと。
 走り続け、体力が消耗していたことも相まって、ショコラは壁に手を当て、嘔吐してしまう。
 その体勢のまま、肩を上下させ、呼吸を整えた。
 一度止まってしまうと、次に走り出すまでには時間がかかる。
 この地獄のような光景を前に、いっそこのまま化け物に襲われて死んでしまおうか――なんて考えまで頭をよぎった。
 首を左右に振って、ネガティブを頭から追い出す。

「マジで……最悪……」

 俯きながら、吐き捨てるようにショコラは言った。
 すると――ガサッ、と背後にある扉の向こうから、足音が聞こえてきた。
 生存者だろうか?
 いや、だとしても――その生存者がまともである保障なんて無い。
 ショコラはとっさに建物の影に身を隠すと、扉から出てきた人物の様子をうかがう。
 それは、人だった。
 ひとまず化け物でないことに安堵するショコラだったが、すぐに表情がこわばる。
 出てきた女は、血で顔に化粧を施していたのだ。
 返り血を浴びたのではなく、流れ出た血を、自分で顔に塗りたくっていた。
 体に傷が無いことから、おそらく自分のものではないのだろう。
 そして彼女は、前傾姿勢でぶつぶつと何かを呟きながら家を出る。

「私は自由だてめえがどうして私の自由を束縛しなければならないのかなるべくしてなったしょうがない私は悪くない。死んだ、殺した、それの何が悪い。私は私で勝手にやらせてもらうから、お前は犬みたいに鳴いてるだけでいい、それだけでお前は流れ出るし私は固定されて幸せになれる。幸せになったらやりたいことがあってそれは一人じゃ出来ないからあああ、どうして、どうしてこんなことに私は私は違う私は殺してない、私は――」

 たぶんそれは、意味なんてない言葉の羅列だった。
 だが聞いていると、正気を吸い取られそうになる。
 ショコラは手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目をつぶった。

「うぉおおおおおおおおおっ!」

 その直後に、女は突如現れた斧を持った中年男性に襲われ、頭を真っ二つに割られた。
 塞いでも、わずかな隙間から、ぐちゃぐちゃと蛆虫のように音が入ってくるから、ショコラはさらに手を強く耳に押し当てた。
 男性は笑い、勃起しながら、繰り返し女に斧を叩きつけた。
 すでに女は事切れている。
 しかし上下運動は止まらない。
 それは性行為のメタファらしい。
 オリジンの干渉によりパスが間違って繋がれた結果、そういった錯覚が起きているようだ。
 つまり三大欲求の一つが殺意に入れ替わってしまった危険な存在だ。
 もっとも、どちらにしろ彼もそう長くないようだが。
 空を飛ぶ飛竜型キマイラが、ぐぱっと口を開くと、彼の頭をついばんで、首から上だけぶちっと持っていくからだ。
 頭部を失った体は、首の傷口から噴水のように血を吹き出すと、そのまま女性の死体と折り重なるように倒れた。

「……夢なら、覚めてよ」

 死体を見ないように目を背けながら、祈るようにショコラは言った。
 けれど光景は変わらない。
 彼女はぎゅっと唇を噛むと、その場から離れ、急いで家に向かった。
 幸い、火の手も、街を徘徊する小型のキマイラも、ここまではまだ来ていない。
 他の地区に比べて被害そのものも小さいらしく、ちらほらと生存者とすれ違うこともあった。
 中には避難誘導を行う勇気のある者もおり、彼はショコラを街の出口へと誘おうとしたが、彼女は首を横に振った。
 まずは両親だ。
 一人じゃどうせ、身体的にも、精神的にも逃げ切るのは不可能だ。

 そして自宅にたどり着く。
 扉は開いておらず、キマイラや狂人の気配はない。
 ひとまず安堵して、ショコラは家の中に踏み込んだ。

「お父さん、お母さんっ!」

 十三歳の少女にとって、最も頼れる存在である二人を呼んだ。
 二人はリビングに揃っていた。
 父はショコラの方を振り向き、言った。

「違うんだよ」

 父は母をテーブルに組み敷いて、

「これは違うんだ、ショコラ。お母さんがね、襲ってきたんだよ」

 両手を首に当てて、ぐっと体重をかけて、

「だから仕方なくやってしまったんだ。お父さんは悪くないんだ」

 顔が変色して、もう動かない母の死体を、なおも殺し続けていた。

「悪くない、お父さんは悪くないよ。ねえ、そうだよねお母さん」

 ショコラを見つめる父の瞳と似たものを、ショコラはついさっき見たばかりだった。
 食べられた友達。
 家から出てきた女。
 そういえば、すれ違った中にも何人かそういう目をした人間がいた。
 要するに、そこには狂気が宿っているのだ。
 狂人に襲われることは無かったが、狂人が生まれてしまっていたのである。
 もっとも、それがオリジンの影響によるものなのか、あるいは父が言っていることが事実で、結果的に母を殺してしまったため生じた狂気なのか、それはショコラに判別できなかった。

 明確な事実は、父が、どうかしているということだけ。
 だけど、それはショコラも同じこと。

 彼女にはいくつかの選択肢があった。
 イチ。恐怖に身を任せ、叫んで逃げる。
 ニ。母が生きている可能性に賭け、父を突き飛ばす。
 サン。父を肯定し、味方であることをアピールして、その庇護を受ける。
 まともな人間ならば、感情に任せて一番目か二番目あたりを選んだだろう。
 しかし今のショコラは、感情を生存本能が凌駕している。
 自分でも驚くほど冷静に、打算的に、気づけば――自然と三番目を選んでいた。

「そうだね、仕方ないよ。襲われたなら、仕方ない」

 心にも無い言葉を、心を込めて垂れ流す。

「そうなんだ、仕方ないんだよ。これは、どうしようもなかったんだ!」

 父は嬉しそうに笑って、さらに両手に力を込めた。
 母はもう動かない。
 もちろん悲しい。
 けれど、それを嘆くのは、父と生き延びたあとにしようと思った。

「どうしようもない、どうしようもないっ! 仕方なく殺してしまっただけだから、僕は悪くないんだよぉ!」

 じゃないと、自分が殺されそうな気がしたから。



◇◇◇



 王都はコンシリアと名前を変え、当時の惨劇の傷跡は少しずつ薄れつつある。
 歴史には残っていても、どこか他人事めいていて。
 けれどショコラは、まだあの日の炎の中にいた。

「……ん」

 彼女の肩まで伸びた髪は、普段はふわふわと軽くパーマがかかっている。
 しかし寝起きはひどい有様で、鳥の巣のようにぼさぼさであった。
 ショコラはそんな自分の頭を軽く掻くと、不機嫌そうに目を細める。

「まーたあの夢か……」

 忘れたくても忘れられない。
 結局、ショコラは――母の死を嘆くことができなかった。
 父と逃げ延び、一時的に田舎に避難し、王都の復興作業に携わり、今はコンシリアで親と一緒に暮らしている。
 泣こうと思えば、泣ける時間はいつでもあったはずだ。
 けれど、今度でいい、また今度にしようと後回しにしていくうちに、時は過ぎ去り――そして、手遅れ・・・になってしまった。

 ショコラは二度寝したい気分だったが、どうせ夢の続きを見るだけな気がしたので、重たい体に鞭打って、ベッドから這うように出た。
 そして軽く身支度をすると、リビングに向かう。

「おはよー……」

 ショコラが気だるそうに言うと、

「おはよう、ショコラ」

 新聞を見ていた父が顔を上げ、笑顔でそう言った。
 彼は同時に、ラジオから流れる音声にも耳を傾けているようで、ショコラは以前から『器用なことをするものだな』と感心していた。

『それでは本日のニュースです。先日、フラム氏が地下で発見した遺産、通称“浮遊都市東京”について、王は本格的な調査を開始することを決定いたしました――』

 ショコラは軽く足を止め、ニュースに興味を示す。
 英雄であるフラム・アプリコットは、コンシリアの――いや、この世界の人気者だ。
 実際にオリジンから世界を救ってみせたのだから、当然なのだが。
 被害者でもあるショコラも、フラムには憧れめいた感情を抱いていた。
 しかしフラムという人物は、あれだけの賞賛を受けながら調子に乗らずに、ごく普通にそこら辺を妻と一緒に歩いているのだから驚きである。
 サインや握手を求めると、恥じらいながらも、快く受けてくれるし、街で困った人を見かけると真っ先に手を差し伸べる。
 彼女の人気は実績だけでなく、そういう人柄も相まってのことなのだろう。

「その気になれば、大豪邸で悠々自適な暮らしもできるだろうに」

 一人つぶやくショコラ。
 そんな彼女に、キッチンで朝食を作る母が言った。

「そんなところで立ってないで、早く座りなさい」
「……」
 
 ショコラは、トントントンと包丁で野菜を刻む母の後ろ姿を無言で見つめる。
 一向に動く様子の無い彼女の気配に異変を感じたのか、母は振り返り、苦笑しながら話す。

「寝ぼけてるのかしら」
「別にそういうわけじゃないけど」
「ならますます変な子ね」
「ショコラは昔からそういうところがあったからな」
「そうねえ。変わった言動が目立ちますって学校の先生にも言われてたものね」

 両親は楽しそうにショコラの幼少期について語る。
 今度は父の方を見ると、ショコラは軽く目を伏せて、息を吐き出し、彼の正面に座った。

「それにしてもショコラ、今日も早いのね」
「うん、仕込みとかあるから」
「ケーキ屋にしてはむしろ遅い方なんじゃないか? あの店、開店時間も昼からだったよな」
「店長が早起き苦手なんだって」
「ふふふ、あの人らしいわね。ティーシェさん、だったかしら?」
「うん、確かそんな名前」
「確かって。あなたの師匠なんでしょう?」
「師匠って呼ぶから、名前にあんまり馴染みがなくって」

 何気ない会話が弾む。
 暖かな、ごくごくありふれた家族の朝だった。
 ショコラの前に並ぶメニューは、子供の頃に好きだったものばかりだ。

「いただきます」
「……いただきます」
「はい、どうぞ」

 献立が全て並ぶと、ショコラと父は手を合わせ、食事を始める。
 自分の作った料理を頬張る家族の姿を見ながら、母は幸せそうに笑った。

 食事を終え、準備を済ませると、ショコラは早々に家を出る。
 母が彼女を見送るため、玄関までついてきた。
 ショコラは靴を履いて、ドアに手をかける。
 そして『いってきます』を言うために振り向くと――母の顔が、目の前にあった。

「……っ。お母、さん?」

 彼女はにぃっと笑うと、優しい声で言い放つ。

「キリルさんと、仲良く・・・ね」

 汗のにじむ手を、きゅっと握るショコラ。
 彼女は生唾を飲み込むと、無言でこくりと頷いた。



◇◇◇



 ショコラが家を出たのと同じ頃、キリルは眠そうな顔で二階から下りてきた。

「おはよ……」

 目をこすりながら、キッチンで並んで朝食を作るフラムとミルキットに声をかける。

「おはよ、キリルちゃん」
「おはようございます、キリルさん」

 そのままキリルはすーっとフラムの背後に近づくと、彼女の後頭部を見ながら言った。

「すごい虫刺され」
「へっ!? う、うそ、そんなことになってる!?」
「昨日の夜は熱かったもんね」
「そんなに熱かったっけ?」

 キリルの背後から、いつの間にか部屋に入ってきたインクがひょっこりと顔を出す。

「フラムの部屋だけね」
「そんなことがあるんだ……」

 顎に手を当て、首をかしげるインク。
 すると誰かがそんな彼女の首根っこをむんずと掴み、キリルたちから引き剥がした。
 
「こらキリル、朝っぱらからうちの子を変な話に巻き込まないで」
「えへへー、うちの子だってぇー」
「こっちも熱い。エターナ、虫刺されはどう?」
「されてない」
「あれ、でも昨日、鎖骨のあたりを蚊に刺されたって……」
「そういうことじゃない!」
「えっ、どういうことなの……」

 ぽかんとするインク。
 ただエターナの表情から、何となく“そういうこと”なんだろうなという察しはついていた。

「もー、ミルキットってば見えるところに付けないでって言ったのに……」
「ごめんなさい。でも、見えるところに付けないと意味がないです。私がそれぐらいご主人様のことを愛してるっていう証……な感じがするので」
「もー……もおぉーっ! そんなこと言われたら怒れないじゃぁーん!」

 フラムはミルキットにぎゅーっと抱きつく。
 ミルキットもすぐさま抱き返し、二人は頬をすりすりとくっつけた。

「いいよ、もっと付けちゃって! そして見せつけてやろう!」
「はいっ! ご主人様も遠慮せずにどんどん付けてくださいね!」
「うん、付ける!」

 そしていつものあれが始まる。
 
「……あの二人はもうダメだ」
「いつものことじゃない?」
「うんうん、むしろあれがないと不安になるぐらいだよね」
「順調にみんなが毒されていく」
「でも、毒を喰らわば皿までって言うよ?」
「インク、それはたぶんフォローになってない」
「フォローじゃなくって、エターナも毒に染まっちゃえばいいのにと思って。ほら、あたしがいるし?」
「……」

 エターナはふいっと目を逸らす。

「あー、また逃げたー! 都合が悪くなるとすーぐそれなんだから。キスまでは行ったのに、なかなか先に進まないなあ」
「慌てることはないと思うよ、エターナがインクにベタ惚れなのは見てたらわかるから」
「キリル、余計なことを言わないで」
「余計かな?」
「余計じゃないよぉ、エターナはもっと好意を表に出すべきだと思う。フラムとミルキットぐらい!」
「だからインク、あれを参考にしちゃダメだってあれほど……」

 フラムとミルキットは今なお抱き合いながら、好き好きと言い合っている。
 インクは目をキラキラさせながら二人の様子を見ていた。
 あれがインクの“憧れ”や“目標”になることだけは避けたかったエターナだが、時既に遅しである。

 それからエターナが半ば強引にフラムとミルキットをこちらの世界に引き戻し、朝食が始まる。
 ダイニングに置かれた魔導ラジオからは、ニュースが流れている。
 今は音声だけだが、近いうちに映像も受信できる新型が発売される予定だそうだ。
 それはさておき、キャスターが読み上げているのは、先日、フラムが壊滅させた人間至上主義団体に関する内容である。
 キリルはかじったパンを飲み込むと、フラムに尋ねた。

「そういえば、先日の騒ぎって実は大事件だったらしいね」
「うん、各地で同時にテロを起こして、国ごと混乱させようって魂胆だったみたいだし。最終的にはクーデターまで予定されてたらしいよ」
「それをご主人様が、一日で止めてしまったんですよね」

 ミルキットは温泉宿で待っていたので、実際にその場面を見たわけではない。
 しかしフラムは、フラァダの地下、温泉施設に偽装された空間で、太古の技術を利用した機動兵器を発見したのを皮切りに――
 小型ミサイルを連発してくるその兵器を片手で粉砕し、
 町中に設置された核爆弾と見られる物体を反転能力で消し飛ばし、
 さらに狙われた他の街へと文字通り“ひとっ飛び”で移動し、
 そこでもまた陰謀を暴き、兵器を破壊し、
 それを二桁に届くか届かないかぐらい繰り返したあと、
 コンシリアの黒幕に証拠を突きつけようとするもすでに逃げられており、
 フラムは“過去”の記憶を頼りに、地下に隠された“浮遊都市東京”と名付けられた要塞を発見、
 そこに隠れていた首謀者を捉える――
 という、軽く数本の映画が作れそうな怒涛の展開を、一日のうちに終わらせたというのだ。
 実際に見ずとも、その功績の大きさは、話を聞いただけでも十分に理解できた。
  
「ま、そんな連中の都合よりも、ミルキットと過ごす温泉旅行の方が何億倍も大事だからね。おかげでゆっくり休めたし。ねー?」
「はいっ、とても幸せな時間でした!」
「本当に休んでたのかな」
「キリル……その方向で広げないでほしい」
「ああごめん、ついエターナの反応が楽しくて」
「最近キリルが少し怖い」
「エターナを弄ぶ楽しみに目覚めつつあるよね。でもダメだよ、エターナはあたしのものだから!」

 インクはぎゅーっとエターナに抱きついた。
 エターナは迷惑そうな顔をしながら「食事中はやめて」と抗議するも、口元がにやけているのを、キリルはばっちりと目撃していた。



◇◇◇



「キリルちゃん、いってらっしゃい」
「いってらっしゃいませ」
「うん、行ってくる」

 フラムとミルキットに見送られながら出勤するキリル。
 すると家から出てすぐのところで、物陰から何者かがキリルに抱きついてきた。

「せーんぱいっ!」

 同じ店で働く後輩である、ショコラだ。
 キリルは相手が彼女であることを認識した上で、勇者特有の素早さでその両腕を華麗に回避した。
 見事に空振ったショコラは、ジト目でキリルをにらみつける。

「先輩、ここは可愛い後輩のハグを甘んじて受け止めるところじゃないですか?」
「そうだったんだ、ごめんショコラ」
「むむっ、先輩にしては珍しく素直に反省してますね。いつも師匠に怒られてもぶすーってふてくされてさらに怒られてるのに」
「あの人は理不尽すぎるから」
「わかります」

 それが二人にとっての師匠――ティーシェ・シュガレインに対する共通認識であった。
 基本的に何でも気合と根性で乗り切って、乗り切れなかったら力技でごまかす人なので、何かと理不尽な言動が多いのである。

「しかし先輩が素直に反省した理由が謎です。もはや、私の可愛さの前についに敗北を認めた……?」
「いや、“可愛い後輩”ってやつに心当たりがなくて。そっか、ショコラのことだったんだ」
「そっちですか!? 相変わらず容赦が無いですね……まったく、せっかく後輩が迎えに来てあげたのに、そっけない上に、挨拶の一つも無いんですから」
「おはよう」
「おはようございますっ」

 冷たくあしらわれても、挨拶を交わすだけで明るく笑うショコラ。
 彼女はキリルの隣にぴたりとくっつくと、並んで歩きはじめた。

「私、別に迎えに来てほしいとか言ってないんだけど」
「後輩センサーで先輩の望むことはお見通しです」
「精度が低すぎると思う」
「なら、先輩が考えてることを当てて見せましょう。むむむむむ……!」

 ショコラは自分の髪の毛をピンッと上に引っ張ると、念でも送るように眉間に皺を寄せながら唸った。
 正直、十八歳がやるには若干痛い仕草だとキリルは思っていたが、彼女は優しい先輩なので何も言わずに後輩に付き合っていた。

「ふふふ、ショコラわかっちゃいましたよ」
「私、何を考えてた?」
「ずばり、この後輩めっちゃ可愛いなって思ってましたね!」
「違うよ、ご飯食べたいなって」
「さっき食べたばっかりじゃないですか!?」
「好物だったから、おかわりすればよかったな……」
「しかもガチなやつだった!」

 ハイテンションに突っ込むショコラ。
 少しばかり騒がしすぎるきらいはあるが、まあ、彼女と話している割と楽しい。
 それは紛れもない事実だった。

「むー、どうやったら先輩がもっと私のことを考えてくれるようになるんでしょうか」
「もう十分だと思うよ」
「本当ですかぁ? 私のコト、恋い焦がれてます?」
「どうやったらケーキを焦がさないようになるかいつも考えてる」
「言うほど焦がさないんですけど! てかそれ師匠のことですよね!? 火加減を間違えて、火属性魔法でスポンジケーキ燃やし尽くしたやつ!」

 それは下手すれば店ごと燃えかねない事故であった。
 キリルの力が無ければ、今頃ニュースでも報じられるほどの大事件になっていただろう。

「あの人、私が来るまでどうやって一人で店をやってたんだろうね」
「奇跡的に店を燃やさずに済んでたんでしょうねえ……って先輩、話が逸れてますよ」
「逸らしたの」
「いけずという言葉は先輩のために存在するに違いありませんね」
「褒められちゃった」
「どこがですか!?」

 ショコラに対して、何かと乾いた反応を返すことが多いキリルだが、二人の会話を見ていてもわかるように、仲がいいのは事実であった。
 プライベートで遊びにいったこともあるほどである。
 とはいえ、最初から良好な関係だったわけではなく――はじめの頃、キリルは本気で“乾いた対応”をしていた。
 ショコラは比較的すぐに懐いたが、キリルはあくまで仕事上の関係を貫いていたのである。

「まあでも、前に比べたら、ショコラのことかなり好きになってると思うよ」
「なっ……なんですか先輩、いきなりデレちゃって……」

 キリルから微妙に距離を取り、頬を赤らめるショコラ。
 自分からアプローチをかけるくせに、逆に言われるのは苦手らしい。

「自分のことを好きでもない人を好きになるのって、難しいから」
「先輩、それどういうことです?」

 よく意味が理解できずに、何気なく聞き返すショコラ。
 するとキリルは、いつもと変わらぬ様子で、あっさりと言った。

「だってショコラ、最初の頃は私のこと嫌ってたよね。殺したいぐらいに」

 ショコラは思わず足を止めた。

「え……?」

 意味がわからない――なら、笑い飛ばせばいい。
 いつもの調子で、ふざけた様子で。
 そうできないのは、それが図星だったからだ。
 そして、キリルがそれに気づいているとは思ってもいなかったからだ。
 キリルは少し歩くと、ショコラが止まっていることに気づき、振り返った。

「ショコラ、どうしたの? 早く行かないと師匠に怒られるよ」

 キリルはやはり、変わりない様子でショコラに呼びかける。
 彼女にとっては何でもないことなのか。
 過去のことだから、水に流しているのだろうか。
 それとも――

「は、はい……わかりました、先輩」

 ショコラは戸惑いながらも、小走りでキリルを追った。



 

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