「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

032 やっぱり本当は嫌で嫌でしょうがないけれど

 




 ウェルシーはサティルスの悪行を暴くため、今日も朝から屋敷を監視する。
 近隣にあるアパートメントの三階を借り、その窓から中の様子を探るのである。
 もちろん、足を使っての取材も行ってはいるが、なかなか新たな情報は得られない。
 屋敷のどこかに隠し部屋があるという噂は、そこで働く給仕に偶然を装い近づき、酔わせることでどうにか吐かせることが出来たが、その場所は未だ明らかになっていないまま。
 窓枠に肘をつき、そこから見える代わり映えしない風景を、気だるげに見つめる。
 バンッ! 上から急にそんな音がして、ウェルシーは肩を震わせた。
 屋根の上に何かが落ちたのだろうか。
 続けてドン、ドン、ドンと叩くような音がする、どうやらそれは動いているようだ。
 ウェルシーは怯えた表情で天井を見つめた。
 そして――そいつは屋根から飛び降り、窓の前を通り過ぎ、スタッと数メートル下に着地する。
 彼女は慌てて窓に飛びつき、鍵を開き、体を乗り出して部屋の真下を覗き込んだ。
 そこに立っていたのは、小柄な少女であった。
 日に照らされ輝く髪に、ところどころが避けたシャツと短めのパンツ。
 見覚えはあるのだが、その表情は別人のように感情が失せている。

「な……なにやってんの?」

 ウェルシーは、空から降ってきたフラムに、恐る恐る語りかけた。
 彼女は声に反応し見上げ、睨みつける。
 だがそれが知人だと気づくと、ふっと顔から力を抜いた。

「ウェルシーさん。ああそうだ、ちょうどよかった、ついてきますか?」
「どこにー?」
「サティルスの隠し部屋を暴きます、もしかしたら欲しがってる情報が手に入るかもしれませんよ」
「へっ!? 行く、すぐ行く! ちょーっと待ってて!」

 兄が信頼している相手なのだ、疑う余地はなかった。
 彼女はハンガーにかけてあった上着を羽織ると、カバンを肩にかけて部屋を飛び出し、階段を駆け下りていく。
 そして飛び出すようにアパートから出て、ザザザッ、と滑りながらフラムの前に現れた。
 彼女はウェルシーを見て口元に笑みを浮かべたが、目が一切笑っていない。
 背筋に冷たいものを感じながら、フラムが先導して、二人は屋敷とは逆方向の道を進んでいった。

「隠し部屋、なんだよね?」
「はいそうですよ、入り口は別の場所にあるそうです」
「へえ……どこでそんな情報手に入れた……って、情報源は明かせないか」

 しかし気になる。
 ウェルシーが長い間張り付いても手に入らなかったサティルスの隠し部屋の場所、それをどうして昨日の今日でフラムが手に入れられるのか。
 すると彼女は、あっさりと答えた。

「さっきやりあった、サティルスが雇った冒険者から聞き出したんです」
「……やりあった?」
「ミルキット――私のパートナーが攫われたんですよ、サティルスは彼女の以前の主らしいんで、未練があったんでしょう」
「ああ、それで……」

 ――彼女はこんなにも殺気立っているのか。
 理由を察してもなお、恐ろしいものは恐ろしい。

「ここです」

 フラムが立ち止まったのは、緑の屋根の平屋建て住宅。
 周囲の民家と比べても、規模もデザインも違和感はない。
 手を伸ばし扉を開こうとしたが、もちろん鍵がかかっている。

「この中に、隠し部屋の入り口があるの?」
「そう言ってたんですが――」

 扉に耳を当てるフラム。
 中から、微かにだが二人分の足音が聞こえてくる。

「誰か、住んでるんじゃないの?」

 まずは普通の民家を訪ねる時と同じように、フラムはドアをノックした。
 すると中から誰かが近づいてくる。
 あっさりと扉は開き、姿を現したのは30代ほどの男だ。
 ミルキットをさらった奴より、少し小柄のように見える、おそらく別人だろう。

「どうかしたのかい、お嬢ちゃん」

 優しげな笑顔を浮かべて話しかけてくる男。
 フラムは彼を睨みつけ、ウェルシーは困惑しながら彼と彼女を交互に見た。

「ここに女の子がいませんか? 顔を包帯でぐるぐる巻きにした、小柄な子なんですけど」
「そんな特徴的な子は知らないねえ、人探しかい?」
「ええ、人さらいを探して」
「へえ、誘拐か。このあたりに犯人が潜んでるってことか……ああ、言われてみれば、不審な人影は見た気がするな」
「話を聞かせてもらってもいいですか?」

 フラムがそう言うと、男はにこりと笑って「ああいいよ」と快く返事をした。
 ウェルシーにはどうも、彼の表情が作り物のように見える。
 伊達に記者はやっていない、人間にはどんなに取り繕っても顔に出てしまう“本性”のようなものがあり、彼女はそれを見抜くことができた。
 男の演技は完璧だが――根本的な部分で歪んでいるのだ。

「こんな場所で立ち話も何だし、家の中に入るといい」
「それではお言葉に甘えて」

 あっさりと家の中に足を踏み入れるフラム。

「待ってフラムちゃん!」

 ウェルシーは必死でそれを止めるも、彼女は進み続ける。
 仕方なしにフラムを追ってウェルシーも家の中に入る。
 すると、勝手に背後でドアが閉まった。
 思わず振り返る。
 そこには、先ほどまで居なかったはずの別の男が立っており――

「死ねやあぁぁぁあっ!」

 壁にかけてあった斧を手に取り、襲い掛かってきた。
 彼だけではない。
 物陰に隠れていた男がさらに一人、合計で三人がそれぞれの武器を手に、同時に仕掛けてくる。

「きゃああっ!?」

 ウェルシーは反射的に頭を抑えてしゃがみ込んだ。
 いくらフラムが冒険者だったとしても、あの距離で三人の相手は難しいはず。
 自分の命もここまでか――とぎゅっと目を閉じていたのだが、なかなか痛みはやってこない。
 フラムや男たちの声も聞こえず、静まり返った屋内。
 恐る恐る目を開くと、どさっ、と倒れる男の下半身が見えた。
 その体には、腰から上がない。

「ひっ……」

 引きつった声をあげるウェルシー。
 目の前のフラムを見上げると、彼女は剣を軽く振ってこびりついた血を飛ばすと、粒子に変えて納刀した。
 どうやら、彼女のその剣が、襲ってきた男たちを断ち切ったらしい。
 全員が同様に、傷口の角度は様々だったが、誰もが体を真っ二つに分断され、息絶えていた。
 むせ返る血の臭いに、思わず口を抑えたウェルシー。
 フラムは、そんな彼女に手を差し伸べた。

「大丈夫ですか?」
「い、今の一瞬で……切った、の?」
「ええ、そうしなければ私の方が殺されてたんで」

 殺されるのが嫌なら、殺すしかない。
 正論だ。
 しかし、どんなに正しくとも、それを恐れてしまうことは誰にだってある。
 ウェルシーは、少し手を取るのをためらった。
 そういう顔で、そういうことをされると――フラムだって傷つく。
 彼女は腕を引くと、少しうつむき加減で、ウェルシーを置いて家の奥へと入っていく。

「……ごめん、フラムちゃん」

 とっさに謝罪するウェルシー。
 フラムは足を止めると、彼女に背中を向けたまま言った。

「命が尊いことぐらい、私にだってわかってますよ。大事にすべきだし、軽々しく奪うべきじゃないんでしょう」

 しかし、全てが平等かと言われれば、それは違う。
 命には人それぞれ異なる価値がある。

「でも、例えばウェルシーさんの場合、リーチさんとか、自分の家族の命が危機に晒された時。他人と大事な人、どちらか一方しか救えないとなったらどうします?」

 フラムにとって大事なのは、自分の命と、ミルキットの命だ。
 その価値観に則って選べば、考えることすら必要ない。

「私は平然と大事な人の方を選びます。そのためなら、他人を殺すことだって厭わない……これって間違ってるでしょうか」

 これはとてもシンプルな話。
 フラムは今、日常的に命のやり取りが行われる世界に立っていて、ウェルシーはそこにいないだけ。
 そしてフラムはおそらく、そんな世界から脱出するためにあがき続けている。
 その様を見て恐怖することは、こんな小さな体で戦い続ける少女に対する、冒涜である。

「本当に、ごめん」
「いいですよ、もう気にしてないですから。それより早く、隠し部屋の入り口を探しましょう」

 その声は明るい。
 空元気だ。
 年下に強がりを言わせたことを、ウェルシーは強く恥じる。
 彼女は「しっかりしろよー、私」と頬をぺちんと叩いて、恐れを振り払い立ち上がった。



 ◇◇◇



 息を吸うと、淀んだ空気で肺が満たされる。
 その匂いはとても不快で忌々しく、けれどどこか懐かしい。
 フラムと二人で朝食を作っていた彼女は、ジョウロを手にプランターの花に水をやっていたはずだ。
 けれどそこから先の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
 ふいに視界が暗くなって、そして気づいたらこの状態で。
 今、自分はどうなっているのか、寝ているのか、それとも起きていて視界が遮られているのか、それすらはっきりしなかった。

「ごしゅじ……さま……」

 しかし、こうして考えごとができて、ある程度体も動くということは、意識が戻ってきている証拠。
 少し頑張ってまぶたを持ち上げてみた。
 もやがかかったような景色の中に見えたのは、青い……絨毯、だろうか。
 床に接した自分の左半身に感じるこの感触は、羊毛によって与えられるものだったらしい。
 つまり、彼女は横たわっている。
 ミルキットは両手を床について、ゆっくりと自分の体を起こす。
 そしてここがどこなのか確認しようと視線を彷徨わせると――

「おはよう、ミルキット」

 ――眼前に、けばけばしい女の顔が現れた。
 歯茎がむき出しになるほどの、あふれんばかりの笑み。
 ミルキットは彼女を知っている。
 自分に気づかない間に毒を投与し、顔を爛れさせた張本人、かつての主――サティルス・フランソワーズだ。

「あ……あぁ、な、なんで……どうして……!?」

 恐怖のせいで、うまく言葉が出てこない。
 けどとにかく、彼女から離れなければ。
 首を振りながら、「嘘だ、嘘だ」と繰り返し、後ずさるミルキット。
 彼女の反応を見て、サティルスは「うふふふふふっ」と笑い声をあげた。

「あらぁ、ちょっと見ない間にまるで人間みたいな反応するようになったのねえ。嬉しいわあ、よっぽど良い主人に巡り会えたのかしらぁ?」
「はっ……はっ、あ……やだ、いやだっ……!」

 ミルキットは四つん這いになり、部屋の隅を目指す。
 その臆病な小動物のような様を見て、「はあぁ」と熱い吐息を漏らしたサティルスは、立ち上がり、彼女を追い詰める。
 部屋は広いが、逃げ道は彼女に塞がれている。
 壁に突き当たったミルキットは、爪で壁紙をガリガリと削った。
 この先に逃げ道が無いとわかっていても、そうせざるを得ないほど、今の彼女にとってサティルスは恐怖の象徴だったのだ。

「そんなに怯えなくてもいいのよぉ、どうせ誰も助けに来ないんだから」
「ご主人さまっ……ご主人様あぁっ……!」
「あら、そのご主人様とやらはあなたみたいな醜い奴隷を、わざわざ探してくれる素敵な人なの? 物好きねえ、性処理に使うにしてももっと上等なのがいるでしょうに」
「うううぅ……ごしゅじん、さまあぁ……っ!」

 サティルスの手が、彼女の後頭部に伸びる。
 そして髪を鷲掴みにすると、顔を近づけ、目に狂気を宿した笑みを見せつけながら言い放った。

「残念でしたぁ。あんたはもう、二度とご主人様には会えませえぇんっ!」
「ち、ちがうっ、そんなのおぉっ!」
「あれぇ、あんたいつから私に口ごたえ出来るほど偉くなったの? ねえ、ねえ、ねえ、なぁんか調子に乗ってなぁい?」
「私のご主人様は……あなたじゃ、ない……っ!」
「奴隷ごときにご主人様を選ぶ権利があるわけがないでしょうがあぁっ!」

 ヒステリーに叫び、ミルキットは壁から引き剥がされる。
 サティルスの指に絡んだ銀色の髪。
 彼女はそのうちの一本をつまみ上げると、「んっふ」と恍惚とした表情を浮かべた。
 床に倒れ伏したミルキットは、再び這いずりながら出口を目指す。
 しかし――この部屋には、扉が無い。
 四方八方を壁で囲まれており、どんなに逃げても、必ず行き止まりにぶち当たってしまう。
 優雅にドレスを揺らしながら、サティルスは棚の近くに移動する。
 そしてそこに置かれた、銀色に輝くナイフを手に取った。

「ああぁぁっ……あ、ああぁ……っ!」

 天井からぶら下がったシャンデリア、その光を反射させながら、怯え惑う奴隷の少女に歩み寄るサティルス。
 ミルキットは輝く刃を見て、目に涙を浮かべながら必死に壁を引っ掻いた。

「この部屋はね、私が特注で作らせたものなの。隠し部屋のさらにその先、いくつかの仕掛けを抜けた奥にある本当の隠し部屋。存在を知ってるのは私だけよ、なぜかって? だって、関わった連中はみぃんな死んじゃったから!」
「ご主人様、ご主人様、ご主人様っ」
「んっふふふふふ! だからどんなに呼んだって誰も助けに来ない……ううん、来れないのよ。ここは私の秘密のお庭、沢山の夢が詰まった楽園! 足を踏み入れることを許されるのは、私と、私のおもちゃだけえ!」

 両手を大きく開き、舞うようにくるくる回るサティルス。
 屋敷には別に、奴隷を閉じ込めておくための部屋がある。
 彼女はそこで、商人から買い取った奴隷に毒を投与したり、塗布したり、あとは直接傷つけたりして、何人も壊し続けていた。
 しかし殺しはしない、美しいものが破壊され、苦しみのたうち回る姿が何より彼女の好物だったからだ。
 だが、その中でも特にお気に入りの、徹底して壊したい“おもちゃ”は、この部屋に連れてこられる。
 そして、死ぬまでじわじわと痛めつけられ、嬲られるのだ。
 死体の処理や部屋の掃除は、次にやってきた奴隷が行う。
 前回の犠牲者を片付けている間、次は自分がこうなるのか、と苦しむ姿を見てサティルスは楽しむのである。

「噂はね、常々聞いてたのよ。顔を包帯でぐるぐる巻きにした奴隷なんてミルキットしかいないもの。しかも、解毒されて顔の爛れが引いてるって言うじゃない! 今のご主人様がやってくれたの? 本当に優しい人だわ、私がまた壊すために、善意で修理してくれるんだもの! だから少し前から狙ってたのよ、絶対に私のものにして、今度は特別じっくりと、ねっとりと遊んであげないと! って。しかも感情まで取り戻してる! 以前のミルキットは、何をやっても無反応で、それはもうつまんなぁいおもちゃだった! せっかく顔は綺麗なのに、これじゃあ壊しても壊しがいがない! 高いお金を払って買ったのに悲しいわ。そうでしょう? あなただって申し訳ないって思ってたでしょう?」

 ミルキットは何度も首を横に振った。

「生意気ねえ。この身の程をわきまえてない感じ、いいわ、とてもそそるわぁ! そうだ、ねえまずは包帯を解いて顔を見せなさいよ、綺麗なものは、綺麗な姿を見てから汚さないとっ、ギャップよ! それが、何よりのスパイスなの! ほら、ほら、早くぅ!」

 そんなこと――許すわけがない。
 彼女の素顔は、フラムだけのものだ。
 ミルキットは顔を隠すように壁際で縮こまる。

「見せたくない? あぁ、そう、ご主人様に操を立ててるつもり? あっははは! 奴隷と主の禁断の愛とでも言いたいの!? そういえばその服はなぁに? ご主人様にあつらえてもらったんでちゅかぁ? とっても綺麗な給仕服、それ実用的じゃないわよねえ。要するに趣味だわ、性癖を満たすための趣味服! ねえミルキット、その主人との間にあるのは愛なんかじゃないわ、わかるぅ? ただの性欲よ、せ、い、よ、く!」
「ち、違うっ、違います! ご主人様は、そんな人じゃないっ!」
「あっははははは! 滑稽ねぇ、とても、思わずお腹のそこから笑ってしまうわ! ああぁ、あはぁぁんッ! なんて素敵なコモイディア! 心底、しんっ――そこぶっ壊してやりたあぁぁぁいっ!」

 サティルスは叫び、ミルキットに飛びつく。
 彼女の荒い鼻息が、白い肌をくすぐる。
 あまりに不快な感覚に、ミルキットは歯をカタカタと小刻みに鳴らした。

「まずはナイフから。他にも鞭とか針とか、あとは毒もちゃんと用意してあるわ。楽しみにしていてね?」
「っ……っうぅう……」
「ほぉら、綺麗な刃があなたの体に近づいていくわよぉ……こう、ぴたっとくっつけると――」
「ひうぅっ!」
「そう、それよそれ、冷たい感触、怖いでしょう? 恐ろしいでしょう? じゃあ怯えなさい! あんたのその顔が! ずっと見たかった! これで本格的に壊したらどうなっちゃうのかしらねえ、ねえ!?」

 ピッ、とナイフがミルキットの給仕服の表面を割いた。
 肌に傷は無いが、破れた袖を見て、ミルキットは肉体以上に心を痛める。
 ご主人様から買ってもらった、大事な服が――それは一緒に過ごした時間の記憶も含めて、体よりも大事なものだった。
 その思い出を、この女が、汚していく。

「次はスカァァァトッ! ほら、ほらぁ、ピリピリって、大事な服が破れていって……」

 宣言通り、フリルがいくつもつけられたスカートが破れていく。
 そしてサティルスはそのまま、ミルキットの白い太ももと、下着があらわになるまで引き裂いた。

「あら……あらやだ、やだわぁ、なんて扇情的なスリットなのぉ! こんなの見たら、あなたのご主人様は助けるのそっちのけで興奮のあまり襲いかかっちゃうかもぉ! まあ、その前に――私が殺しちゃうんだけどねぇぇぇ! あらつまりネクロフィリア? やだわぁ、不潔だわぁ、それはさすがに私でもついていけないわぁ……あぁ……ぁあっははははは!」」
「う、ぁ……ご主人様ああぁ……っ!」

 喚くミルキットだったが、目の前にナイフを突きつけると、声がピタリと止まる。
 それがとにかく面白くて、おかしかったらしく、サティルスはげらげらと笑った。
 そして左手で頭を掴み、壁に叩きつける。

「ひゃぐっ!」

 苦悶の声が心地よい、だからそれを繰り返す。

「あぅっ、う……がっ、ぐ……い、いだっ……やめ、でっ……!」
「やめろって言われれば言われるほどやりたくなるってのなんでかしらね? あぁ、そうだ、あれよあれ、好きな子ほど――いじめたいってやつぅ!」

 そう言って、サティルスはひときわ強い力でミルキットの頭を壁にぶつけた。
 とはいえ、冒険者ですらないただの女の全力だ、意識が飛ぶほどではない。
 そのままずり落ち、床に倒れ込んだミルキットは、うわ言のように繰り返す。

「ごしゅじん、さま……」

 必ず来てくれるはずだ、そう信じて。
 サティルスの言葉が本当なら、きっとこの願いは届かない。
 ミルキットだって知っている。
 世の中にはフラムより強い人がたくさんいて、乗り越えられないぐらい理不尽な出来事が沢山あるのだと。
 それでも――信じたい、と。
 世界に対する全ての期待を捨てたはずのミルキットが、そうすがりたくなるだけの希望を、彼女は与えてくれた。

「た……たす……」
「あらあ? ミルキット、もしかして奴隷の分際で……主人に助けを求めようとしてるの?」
「ぅ……ううぅ……っ」

 多くを望んではならない。
 それは、自分に過剰に与えようとするフラムが主だからこそ、自分に言い聞かせてきたこと。
 ましてや、命を危険にさらしてまでこんな場所に助けに来て欲しいなどと――奴隷として、望んではならないことだ。

「ふふふっ、やっぱり面白いわ、あなた。久々の当たりね、壊しがいがありすぎてぇ……ッ!」

 サティルスは立ち上がり、ミルキットの腹を力いっぱい踏みつける。

「はぐっ!」
「思わずっ!」
「ふ、ぐぶっ!」
「楽しむ前にッ!」
「おぶぅっ……!」
「殺しちゃいそうよおぉおぉっ!」
「ぶ、えひ……ひぅ……ふうぅ……っ」

 鈍い痛みに加え、吐き気がこみあげてきて、意識がぐらつく。
 半開きの口から涎をこぼすミルキット。
 脳内で再生されるのは、つい昨日聞いたばかりの、主の言葉だ。

『この子は私の大事なパートナーです、って』

 パートナー。
 奴隷ではなく、対等に、隣に立つ存在として。
 具体的にどんな関係なのか、ミルキットにはわからない。
 そんな距離感で、他人と付き合ったことがないからだ。
 けれど、それが、互いに与え合い、求め合うものだとするのなら。
 ――ミルキットの方から、望んだって、いいのではないか。

「たす、け……て……ご主人……さまぁ……っ!」

 言ったからどうなるというわけではない。
 魔法ではないのだ、フラムに声は届かない。
 あくまで、ミルキット自身の心情の変化に過ぎず――彼女を見下ろすサティルスにとってみれば、悦に浸るためのオカズ・・・に過ぎないのだ。

「んふっ、ふふふっ、くふふはははあははははははっ! 助け、求めちゃったわねえ! あーあ、ああぁーあ! はぁい、奴隷失格でーす! 主人も今ので愛想つかしちゃいましたぁー! あっははははは――ー」

 ドゴォォオンッ!
 その時、騒音が笑い声を遮り――壁の一部が吹き飛んで、向かいの壁に衝突し、砕けた。

「はは……は……」

 土煙が上がる。
 その向こうから近づいてくる、小柄な人影。

「は……?」

 呆然と開いた穴を見つめるサティルス。
 ガラガラと、引きずられた大剣が床を削り、音を立てた。
 モヤが晴れ、現れた少女の姿を視認した次の瞬間――

「あなた、フラぶ、べっ!?」

 サティルスの顔のど真ん中にフラムの拳が叩き込まれ、彼女の体は宙を舞った。
 そして回転しながら弧を描き、壁面に正面から激突。
 バウンドして床に落ち、力なくだらんと横たわる。

「ミルキットぉぉぉぉっ!」

 フラムはすぐさまミルキットに駆け寄り、その体を抱き寄せた。

「ごめんねぇ、痛かったよね、苦しかったよね、怖かったよねぇ! 私が、私がちゃんとしてないから……っ!」

 すぐさま目から涙が溢れ出し、ぼろぼろとミルキットの肩に染み込んでいく。

「ご主人様ああぁぁッ! ご主人さまは何も悪くないですっ。わだ、わだじ……がっ、う、ふぐぅ……あぁ……なんか、よく、わかんなぐ、でぇっ、ご主人、さまが……来てくれただけで、もう、もうっ……!」

 伝えたかった。
 あなたが来てくれただけで、十分です、と。
 そうはっきり言いたかったのに、いつもより強い両手の締め付けとか、体に感じる主の温かさ、柔らかさとか、何よりも自分を安心させてくれる甘い匂いとか――それがミルキットの全てを、あまりに満たしすぎて、言葉がうまく紡げない。

「ぎで……くれだっ、からぁ。ご主人さまぁ……ご主人さまぁっ……!」
「ミルキットぉ……っ!」

 フラムも頭の中がぐちゃぐちゃで、よくわかっていない。
 ただ、彼女が生きていた、それだけで胸が苦しくなって、名前を呼ぶことしかできなくなっていたからだ。

「うわー、これ教会とのやり取りした手紙? こっちは領収書、かな……教会の印も押してあるし、こりゃ致命的だぞ」

 しれっと部屋に入ってきたウェルシーは、早速デスクを物色していた。
 そこから出てきた文書は、どれもサティルスが秘密裏に教会と取引していた証拠となる、重要なものばかりだ。
 一枚だけでも、教会はともかくサティルスは牢屋送りとなり、商売は継続不可能となるだろう。
 どうする――とフラムに聞こうとしたウェルシーだったが、いつの間にか剣を片手に立ち上がっていた彼女を見て、ぎょっとする。
 その表情は、再会を喜んだときの少女らしいものではなく、先ほどまでの、憎悪がにじみ出た冷たいものだった。

「どぉ……して? しか、け……どうやって、突破、して……」
「全部壊してきた」

 ダミー民家の隠し通路の仕掛けも、その後の全ても、正攻法で突破などしていない。
 フラムがプラーナや反転を駆使して力任せにぶっ壊し、台無しにしてきたのだ。

「冒険者、が……っ、Aランク二人に、Bランクだって、いたはずよ……?」
「全員殺してきた」

 サティルスの目が恐怖に見開かれる。
 一人目もおそらく死んでいるだろうから、嘘は言っていない。
 その後、隠し通路で遭遇した槍使いもフラムがあっさりと撃破し、反転させて殺害した。
 もはや、彼女を守る者は誰もいない。

「もちろん、あんたも殺すから」
「ま、待ちなさいっ、そんなことをしたら、あなただってタダじゃすまな――」

 そこまで言って、彼女は自分自身の言葉を思い出した。
 ここは秘密の部屋。
 その存在を知るものは、自分しかいない。
 いや、フラムたちが仕掛けを破壊してここまで進んできたというのなら、その痕跡ぐらいは残るはず。
 しかし彼女は笑っている、サティルスの思考を見抜いた上で、あざ笑うように。

「最初の部屋は比較的綺麗に壊れてるから、元に戻せば、隠し扉の存在なんて誰も気づかないんじゃないかな」
「あ……か……かっ、金、は? いくらでも……払うわ、物でもっ、見逃してくれるなら何でもっ!」
「そ。じゃあ、あんたがミルキットを傷つけた分だけもらおっかな、いくらぐらいになる?」
「金貨……五千かしら。それともいちま――がひゅっ!?」

 フラムは問答無用で胸ぐらを掴み、顔を近づけ睨みつけた。

「金で足りると思ってんの? 命でも足りないって、まだわかんない?」
「あ……あぁ、おね、がいよぉ……私、まだ、死にたく……」

 怯えるサティルスの耳に、フラムの手のひらが押し付けられる。
 そして彼女が「リヴァーサル」と唱えると――ブチィッ、と耳の上下・・が反転し、千切れ落ちる。

「ぎっあぁぁぁあああああああっ!」

 甲高い金切り声が部屋に轟いた。
 サティルスは崩れ落ち、手で血まみれになった耳元を覆いながら、「へっへっへっ」と犬のように小刻みに呼吸する。

「ウェルシーさん、資料は集まった?」
「うん……まあ、一通りは」

 ウェルシーは、たまたまデスクの上に置いてあったサティルスの私物らしきケースに散らばった資料を詰め込み、両腕で抱えている。
 あまり長居をすると、屋敷の給仕が異変に気づきかねない。
 十分すぎるほどの収穫はあった、彼女はこれ以上に欲張るつもりはなかった。

「じゃあ、ミルキットを連れて先に部屋を出てもらってもいいですか」
「別にいいけど……」
「ご主人様は一緒に行かないんですか?」

 不安げに問いかけるミルキットに、フラムは優しく微笑んだ。

「ミルキットに見られるとちょっと困ることをしようと思ってて」

 その言葉を聞いたサティルスの体が、ぴくりと震えた。

「嫌われたくないし」
「私は、何があってもご主人様のことを嫌いになったりしません!」
「あははー……それはすっごく嬉しいんだけど」

 フラムは照れながら指で頬を掻く。

「たぶん見た目も気持ち悪いと思うから、ウェルシーさんについていってもらってもいい?」
「……わかり、ました」

 あんなことがあった直後だ、一瞬たりともフラムから離れたくない気持ちもわかる。
 しかし――今から、拷問が生温いと思えるほどこの女を凄惨に殺してやろうと言うのだ、さすがに見せるわけにはいかない。
 ウェルシーに連れられ部屋をでるミルキットを笑顔で見送るフラム。
 そして彼女の姿が見えなくなると、ふっと表情が失せる。
 床に落ちた銀色のナイフを拾い、怯えた表情で見上げるサティルスを見下ろした。
 形勢逆転、である。
 先ほどまでミルキットに対してそうしていた彼女は、自分が同じ立場になった今、何を思うのか。
 いや――同じではない。
 サティルスには、自分を助けにきてくれる誰かなんていない。

「あっ、あがああああぁっ! ひゃ、ひゃへっ、ひぎゅううぐうあぁぁぁっ! はっ、はがれっ、私の、腕ええぇぇっ!」

 つまり縋るものもない彼女には、

「か、顔は……やめ、てぎゅっ!? きゅ、ひうううぅぅっ……んがっ、がひっ、ひっ、ひっ、ま、だっ、ああぁぁぁああっ!?」

 ミルキット以上の苦痛と、

「じっ、じぬっ、いやだっ、じにだぐ……な、ひっ、ああぁぁぁぁあっ、もどじ、て……わらひの、から、ら……もろ、ひぐっ、いやぁぁぁあああああああっ!」

 恐怖が、

「いぃ……か、ら……も、もぶ……ぶぇ……ごろじ、おぇっ……で……おごっ、ぶっ、うぎいいぃぃぃぃっ! お、おで、が……ひぐっ、ごろ、じ、でええぇぇぇ……ッ!」

 フラムの手によって与えられるのだ。

 部屋の外で待つミルキットとウェルシーにも、その音は微かに聞こえていた。
 肉がかき混ぜられる音。
 血が飛び散る音。
 骨が砕ける音。
 もはや何が壊れたのかもわからない破裂音。
 そして、サティルスの獣じみた叫び声。

「ミルキットちゃん、だったっけ?」
「はい」
「フラムちゃんって、いつもあんな感じなの?」
「いえ、いつもはとても優しいご主人様です。こんな見た目の私を、誰よりも大事にしてくれる人ですから」

 頬を染めながらそう話すミルキット。

「はあ。大事に、ねえ」

 要するに、怒らせてはいけないタイプの人間、ということで。
 部屋の中から何も聞こえなくなる。
 どうやら、全て終わったらしい。
 部屋から出てきたフラムは、何故か返り血で汚れていなかった。
 そして真っ先にミルキットに駆け寄ると、抱きしめる。
 腕に収まった彼女は、うっとりと目を細めて主に寄り添い、頬をこすりつけた。

「兄さんが“信頼を寄せている”って言ってた理由が、よーくわかったような……わからないような」

 仲睦まじい二人の姿を見ながら、ウェルシーはため息混じりにそう呟くのだった。





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