一章も二章も書いていない小説の幕間を書いてみる(異世界編)

陽本奏多

一章も二章も書いていない小説の幕間を書いてみる(異世界編)

 極東の国エルトリア。
 その片田舎に、のんびりと隠居生活を愉しむ21歳の青年がいた。
 彼の名は山宮やまみや圭人けいと。中肉中背で黒目黒髪。THE日本人の青年、という風貌の男である。

「今日も平和だな……」

 森の中のこじんまりとしたコテージ、その二階で彼は風に当たっていた。
 普段は少し目つきの悪い双眸も、今日は気持ちよさげに細められている。

 この近辺の森は凶悪なモンスターも湧かず、また近くに大きい街もないので盗人なんかもいない。
 ただのんびりとした生活を望む圭人にとって、この場所は最高の土地だった。

 自分の使命を棄て、責任から逃れて、もう1か月。痛みも別れも悲しみもなく、ただただ平穏なこの生活だが、そろそろ飽きも来る。

「ゲームでもあればいいのに」

 遥か昔にはこの世界にもあったらしいが、今や中世程度の文化レベルしかないこの世界に近代日本の娯楽を求めるのは間違っている。
 彼自身もそれはわかっていた。

「すみません」

 だから、この突然の来客に彼は少しばかりの喜びを覚えた。
 とんとんとん、と軽快に響いたノックの後に聞こえたのは、女の子の声だ。

「ん?」

 森で迷ってしまったのだろうか、なんて考えながら圭人は階段を降り、扉を開く。
 そこに立っていたのは、片目を包帯で隠し、白いフード付きローブをまとった少女だった。
 目が隠されているせいで分かりにくいが、フードの下の顔は美しく整っている。

「えっと……どうしたんだ?」
「……あなたが、勇者ケイト?」

 彼女の冷ややかでかすれるほど小さなその声に、圭人は目を大きく見開いた。
 そして、低くくぐもった声で応じる。

「勇者なんてここにはいない」
「そうね、正しくは『元勇者』」
「……用件を早く言え」

 扉の取っ手を握る力が強くなっているのにも気づかず、圭人は話を進める。

「わたしもそのつもりよ。あなたに、解放者を倒してほしい」
「俺にその責任はもうない」
「知ってるわ。その上でわたしは頼みにきたの」

 初対面とは思えないほど彼らの間の空気は張りつめていた。
 しかし、それも圭人の面倒くさそうな溜息で一気に緩む。

「……はぁ。とりあえず入れ。話くらいは聞いてやる」

 少女を部屋に招き入れ、圭人はリビングのテーブルについた。その向かいに少女も座る。

「名前くらい聞いとこうか」
「わたしに名前はないわ。物心がついた時にはもう両親はいなかった」
「誰がお前を育てたんだ?」
「誰でもないわ。私は狭い牢獄で育ったから」
「牢獄?」

 彼はそう尋ね返したが、少女が口を開くことはなかった。
 その答えの代わりとばかりに、彼女はゆっくりと目の包帯を取っていく。

「これが答えではいけない?」
「お前……」

 露わになったその瞳には赤い紋章が刻まれていた。
 少し黒の混じった、鈍い血の赤色。

「パンドラ。わたしのことはそう呼んで」
「お前はパンドラじゃなくてその末裔だろう?」
「いいじゃない。わかりやすくて」

 淡々と語る少女――パンドラは、そこまで話すと窓から外を見遣った。

「本当に平和なところね」
「あぁ」
「世界はあれだけ大変なのに」
「俺が知ったことじゃない」
「あなたが招いた事態でもあるのに?」

 少女の目はまるで罪を糾弾するかのように圭人を見つめていた。
 しかし、圭人はそれを逸らさずに見つめ返す。

「俺だって被害者だ」
「足を踏み込んだ時点でもう当事者よ。異世界人、なんて免罪符はもう効力を持たないわ」
「そんなのに期待はしてない。ただ、俺は持ち得るすべてを出し切ったし、削れるものはすべて削り切った」
「それはあなた自身の問題だわ。この世界に生きる人々にとって重要なのは、結果」

 血に染まる視界、闇に包まれる太陽。
 信じた者たちが傷つき、消え去っていく光景が圭人の脳裏に浮かんでは消える。

「……話を戻す。なぜ、お前は俺を戦わせたいんだ。俺が戦ったところでお前……お前たち――パンドラの末裔に対する迫害は消えないだろ」
「わかってる。でも、戦いが終わって……すべての箱が封印されたなら――」
「――無理だ」

 俯くパンドラの言葉に圭人は敢えて言葉をかぶせた。

「あれを相手にするのは不可能なんだよ。どんなに力を蓄えても、どれだけ命を犠牲にしても、勝てるはずがない」
「でも」
「可能性なんてない。だって、神さまなんていう存在が作った尖兵に人間ごときが敵うはずないだろ」

 解放者、と呼ばれる生物の域を超えた超存在、それらに立ち向かうべく呼び出されたのが、勇者だ。

「……わかったわ」
「なにを?」
「あなたにもう戦う気はないってことが、よ。それならわたし一人で行くわ」
「馬鹿か。死ぬぞ」
「死ぬかもしれないけど、馬鹿なんかじゃないわ。わたしなんかの命で一回分の解放者を止められれば、安いものよ」

 その言葉は、圭人の心に深く刺さった。
 もしくは、元からあった心の傷を、深くえぐった。
 失うのが怖いから、失うのは辛いから、唯一自分が与えられた奇跡を捨て、こうして毎日をだらだらと過ごしている。
 その圭人自身をその言葉は明確に否定していた。

「……なに?」
「いや……」
「別にいいわよ。わたしは頼みに来たのであって、あなたに戦いを強いる気はない」
「……」

 素っ気なくそう言い切るとパンドラは立ち上がった。

「お茶ももらえなかったのは残念だったけど、失礼するわ」
「……待て」

 どこか、パンドラの策略に乗せられているようで嫌だった。
 絶対に戦うものかと誓ったあの思いはこのくらいで揺らぐのかと少し苛立ちもあった。
 だが、自分が知る痛み、恐怖を今からこの少女が一人で受けるのかと思うと、圭人は口を噤んではいられなかった。

「……素人が戦って勝てる相手じゃない」

 そうして席を立つと、棚から外套を取って身にまとう。

「……そのくらいわかってるわ」
「その生意気は捨てろ。ほら、行くぞ」

 コテージの玄関をくぐると、強い風が二人に吹き付けた。
 しかし、もう振り返れない。
 元勇者の青年と、忌むべき悪魔の末裔の少女は恐ろしく長い旅路を歩き始めた。

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