Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

16.

一方

「はぁ……」
一つ、ため息を吐いた。ダメだ、どうにも気が乗らない。せっかくの文化祭だというのに、この気分の落ち込みは一体何なのだろう。
「どうしたの、心奈?お疲れ?」
すぐ隣で作業する手を動かしたまま、美帆が問うた。
牛丼をクラスで出す事になった心奈たちは、クラスの十数人がかりで家庭科室に篭り、それぞれ役割を分担して、一つ一つを作っている。心奈、美帆を含んだ女子数名は野菜等を切る作業。もう一つのテーブルでは、男女を含めた数人で、肉などを煮詰めて、盛り付ける作業だ。
「いや、まぁ。それもあるんだけど……」
「んー?」
素早い手つきで、みるみるうちにピーマンを切っていく。気が付けば、自分が玉ねぎを一つ切り終わる頃には、彼女は既にピーマンを五つも切り終わっている。何という手慣れた早さだ。
「その……」
――…ダメだ、やっぱりこんな事、言えない…。言えないよ……。
「…昨日ちょっと、今日が楽しみで眠れなくって。ちょっと眠いかなぁって」
「えー?何それ?しっかりしてよー?私達がしっかりしなきゃ、他のみんなも回らないんだからね?」
「う、うん。そう、だよね。ごめんね……」
横目でチラッと、隣の調理台の様子を覗く。その中でも、ひと際目立っている一人の人物を盗み見た。
「ほら、心奈?ボーっとしてないで、手動かして?心奈だけだよ、まだこんなに残ってるの」
「いたっ……。うぅ、ごめん。頑張る」
止めてしまっていた腕を、美帆に横から肘で突かれてしまった。ダメだダメだ、今はこの作業に集中しなければ。気持ちを一つ切り替えると、再び心奈はその手をなんとかして動かし始めた。

「これで最後……っと。ふぅ、みんな終わったね?」
結局、一人だけ遅れてしまっていた心奈担当の玉ねぎは、最後はみんなに数個ずつ手伝ってもらう事になってしまった。申し訳ないと思いながらも、何とかこちらの切る作業班は全て、役目を終えることが出来た。
「誠司君、こっちはこれで……全部っと、はい」
美帆が、カゴには言った野菜たちを、彼たちの調理台へと持っていった。
「ありがとう、こっちも次の煮込みで最後だから、みんなは先に休んでていいよ」
「本当?」
「じゃあ後はよろしくねー」
大森の言葉を聞いたなり、数人の女子たちは、ぞろぞろと先に家庭科室を出ていってしまった。きっとみんな、他のクラスを回りたいのだろう。その気持ちは、少なからず分からなくはない。
「あの、大森君。私も手伝おうか?」
そんな中。一人心奈は彼に近づくなり、一言問うた。
「ん、いや、心奈も先に戻ってて?残りは俺達でやっておくから」
彼はこちらを振り向くなり、いつもの笑顔で答える。
「でも…」
「来るんでしょ?彼」
「それは……そうなんだけど、なんだか申し訳なくて」
「いいんだよ、せっかくの文化祭なんだ。楽しんできな」
「……うん。ありがと。じゃあ、また後でね」
「ああ、また」
「心奈ー、ほら行くよ?」
「あ…うん」
数歩先で自分達の会話を聞いていた美帆が、こちらに呼び掛ける。心奈はそのまま、彼女と共に家庭科室を出た。
「さて、と。売れ行きはどうなってるかなぁ?」
エプロンと三角巾を外しながら、美帆がぼやいた。
「どうだろうね、売れてるといいんだけど……」
続いて心奈も、エプロンと三角巾を順々に外していく。
「なんてったって、心奈が提案したレシピだもんね。一番心奈が不安かぁ」
「そりゃそうだよ。みんなには気に入ってもらえたけど、それと売れるかは別だもん」
「でも、凄い斬新で美味しいと思うよ?私も最初出された時、『え、何これ面白い!』って思ったもん。心奈らしいというか、何ていうか」
「そうかなぁ?元々は、テレビでやってたレシピの、私なりのアレンジなんだよね。思った以上に上手く出来たから、あの時先生が牛丼やるぞーって言った時、思わず手を挙げちゃったっていうか」
「あははっ、心奈らしいや。でも、そんなに心配しなくてもいいと思うよ。……ほら」
自分達の教室の近くまで行った時、美帆が一つを指差した。その指の先には、学生から大人まで、様々な人々が並んだ列だった。
「わっ……。凄い、あんなに並んでる…」
「ね?みんな、舌はバカじゃなかったみたい。行こっ?」
一つ、こちらに微笑みながらウィンクをすると、美帆はさっさと先に歩き始めてしまった。そんな彼女の後を、一歩遅れて付いていく。
「あ、宝木さんと心奈ちゃん!見てよ、凄い人でしょ?」
教室に入るなり、受付をしている三人組のクラスメイトの一人が、こちらに声を掛けた。普段はあまり話さない、クラスの中でもいつも女子の先頭に立つ三人組だ。
「う、うん。さっき見て、ビックリしたよ」
「当然だよ、だって心奈が考えたんだもん。ね?」
咄嗟に美帆が、更に自分を持ち上げる。そこまで褒められても、対応に困るではないか。
「え、え?」
「凄いなぁ。心奈ちゃん、今度料理教えてよ?」
「あ、私も!」
「心奈ちゃんの料理、他のも食べてみたいなぁ!」
「え、ちょっと、みんな!私はそんなに、料理上手じゃないよ?」
「そんな事ないよ!だって、試作品食べた時に、レベルが違うなぁって思ったもん!」
「ね?今度、教えて?」
物欲しそうな目で、彼女達はこちらを見る。こう、しつこく迫られてしまうと、自分はなかなか断りづらい。嫌と言えない性格なのだ。
「そこまで言うなら……う、うん。いいよ」
「わー、ありがと!じゃあ、また今度その計画立てよ!」
受付の三人組が、楽しそうに盛り上がっている。その様子を見ていると、なんだか複雑な気持ちになった。
――少し前までは、こんな事……絶対に無かったな…。
彼女があの時声を掛けてくれたおかげで、今こうして新しい道を進む事が出来ている。
そういえば、彼女にしっかりと礼を言った事がなかったはずだ。今度、一言彼女に伝えよう。
「美帆……あれっ?」
ふと、気が付いた時には既に遅かった。さっきまで隣にいたはずの美帆が、いつの間にか姿を消していた。
教室内を見渡してみても、どこにも彼女の姿は無い。いつの間にか、外に出ていってしまったようだ。
――もう、こういう時に限って、美帆は人見知りなんだから…。まぁ、そこも美帆らしいって事かな。
仕方なく一人教室の奥の席に座ると、数時間の作業で疲れた体を少しの間休ませた。

「心奈ー!」
しばらくして、教室の入り口から、今の今まで姿を消していた彼女が、ひょっこりと顔を出した。
「あ、美帆…と、ヒロ」
「何だよ、俺はおまけか?」
彼女に向かって歩み寄るなり、その後ろには、またしばらくぶりに見る彼の姿があった。相変わらず、眠たそうな表情だ。
「いや、そうじゃないけど…。美帆が、連れて来てくれたの?」
「うん。裕人君だけじゃ、中が分からないと思ったから、校門前で待ってたんだ」
「そんな、言ってくれれば、私だって待ったのに」
「だって心奈、楽しそうに話してたからね。邪魔しちゃ悪いかなーって思ったの」
「別に、そこまで気を使わなくても…」
「まぁまぁ、ほら!せっかく二人揃ったんだし、楽しんできなよ!邪魔な私は、別なところに行ってるよ。それじゃあね!」
「え、ちょ、美帆!」
彼女は楽しそうに微笑むと、そのまま背を向けて急ぎ足でどこかに向かってしまった。相変わらず、足の速さは面白いくらいに速い。
「…で?俺が呼ばれたわけですが。どうするんです?」
二人、取り残されてしまった裕人が、いつもの調子でこちらに問うた。
「あ、う、うん。そうだね。どうしよっか」
――ダメダメ、いつも通り。いつも通りに振る舞うの。余計な事は気にしちゃダメ。
「っていうか、まず心奈達のクラスは何やってんだ?」
教室の前に並ぶ列を見て、彼が問うた。
「あ、うん。ウチはね、牛丼出してるんだ」
「へぇ、牛丼ね。となると、仕込みとか大変じゃねぇの?」
「そりゃあまぁ、仕込みをする為に、料理担当のみんなは今日、朝の七時半には学校に来て準備してたからね」
「それはまた、大変だなぁ」
「と、いうわけで!ちょっと待ってて」
「んぁ?」
彼を教室の前で待たせると、心奈は自分の荷物の元まで向かい、中から一つのモノが入ったビニール袋を取り出した。彼の元へと戻ると、その袋を彼に差し出す。
「はい、これ」
「何だ?」
それを受け取りながら、彼は首を傾げる。
「何だー、じゃないよ!わざわざ私が、自腹でヒロの分取っておいたんだからね?感謝してよ?」
「あ、マジで?悪いな、わざわざ。サンキュー」
「もう、ホントそういうところ鈍いよね?」
「昔からだよ、知ってるだろ?」
「だからって、誇らないでよ?」
「悪かったって」
「もう…。それじゃあ、あそこ行こうかな。私の好きな、いい場所があるの。ついて来て」
そう言うと心奈は、後ろに彼を引き連れて、周囲を重々確認しつつ、いつもの場所へと忍び込んだ。幸い、人が多いからか、特段こちらに目線が集まる事は無かったようだ。
「へぇ、屋上ねぇ。明涼高校って、上っていいのか?」
「ううん、ダメだよ?」
「へ?」
素っ頓狂な声が後ろから聞こえた。
「でも、よくいつもここに来るんだよね。あ、ここのドアうるさいから、静かに閉めて?」
彼にドアノブを任せると、それなりに静かに彼はそっとドアを閉めた。
バレずに無事に着いた安心感に一息つくなり、すかさず彼がこちらに問うてくる。
「えーっと、心奈さん?つまりそれは、校則違反って事ですよね?」
「そうだね」
「…戻りませんか?俺、面倒事になったら嫌ですよ?」
「……意気地無し」
ドア横の壁に背を任せて座りながら、ボソッと呟く。
「いや、意気地無しとかそうじゃなくてだな…。校則っていうのは、問題無く生徒が安全に学校生活を送れるようにする為の規則でしてね?」
「大丈夫だよ、私もうここに一年半くらい来てるけど、怒られた事はほとんど無いから」
「いや、怒られてるじゃねぇか」
何だかんだ文句を言いつつも、彼は自分の隣に、ゆっくりと腰を下ろした。
お互いに、同じ目線で青い空を見上げている。こんな風に二人きりになるのは、久しぶりだ。
「むぅ、仕方ないじゃん。その日の朝に雨降ってて、階段で滑っちゃったんだから。まぁ、怪我しなかっただけよかったけど」
あんな堅苦しい性格を装っていた時に、あんなドジをしでかした時は流石にヒヤッとした。あの時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。恐らく、あと数年は忘れられないだろう。
「まぁ、それはそうだな」
「…っていうか、そんな事より!早くさ、それ食べてみて?」
「ん、ああ。そうだったな」
彼は袋の中から一つのパックと、割り箸を取り出した。
「お、何だこれ?韓国風か?」
「そうなんだ。韓国風牛丼。牛肉に、ニンジン、玉ねぎ、椎茸しいたけとピーマンとニラを加えて、そこにニンニクとか、コチュジャンで味付けして、少しピリ辛にしてみたの。食べてみてよ」
「おーおー、メッチャ美味そうじゃん。いただきまーす」
彼が割り箸を割って、具を乗せたご飯を口に運ぶ。
果たして、彼は何と言ってくれるのか。少しだけ、緊張が走った。
「…ど、どう?」
恐る恐る、彼に問う。「ん…」と小さく、噛みながら唸ると、彼は右手を出して、親指を立てた。
「本当?よかったぁ…」
「うん、メッチャ美味いなこれ。考えた奴、天才じゃねぇかなこれ」
「…実はこれ、考えたの、私なんだよね」
「へ?」
次の一口を入れようとした手を止めて、彼がこちらを向いた。そんな目で見られると、少し照れ臭い。
「元々、似たようなのをテレビでやってたんだけど、それを私なりにアレンジしてみたの。それを、試作で出してみたら、是非これにしてみようってなってね?」
「へぇ…心奈って、こんなに料理上手かったのか。何か、意外」
「意外って何よ、意外って?」
「いやだって、心奈って不器用だし。ここまでとは思ってなかったと言いますか。いやはや、お見それいたしました」
「むー、何か褒められてるのに悔しい」
彼は「ははっ」と笑顔を見せると、ようやく止まっていたその手を動かし始めた。
悔しいが、その笑顔を見るとホッとする。 少しだけムッと来ても、彼の笑顔を見ると、仕方ないと思えてしまうから不思議だ。これも、彼氏という意識があるからだろうか?
それからしばらく、二人で他愛の無い会話をしていた。時間の事など、すっかり忘れて。
「そういえばね。ここなんだ、私と美帆が仲良くなったきっかけの場所って」
「へぇ」
すっかり食べ終わったパックをビニール袋に入れた裕人が、素っ気なく答えた。
「今年の一月だったかな。いつもみたいに、一人でここに来てたら、急にあの子が来て。『スイーツカフェ行かない?』って。何だこの子はって、最初は思ったよね」
「ははっ、なんか宝木らしいな」
「ふふっ、そうだね。それで、仕方なく予定合わせて付いて行ったら、そこで香苗のカフェに入って、香苗と出会ったの。…それから、陽子とも再会して、玲奈とも久々に会って。そして、ヒロともまた会えた。……ここは言っちゃえば、私達のリスタートの場所なんだ」
「リスタートの場所、ねぇ。まぁ確かに、俺達が知らないところで、宝木とか西村とかみんな、頑張ってくれてたみたいだしな」
「うん。だから、みんなには、感謝しなくちゃ。こうして、私達が再会出来たのも、みんなのおかげだから」
「……でも、よくよく考えるとさ」
そう言うと、彼は背を任せていた壁を離れて、体ごとこちらを向いた。
「確かに、その。こんなこと言うのもあれだけど。…お互い、また会いたいって思ってたのはあっただろ?でも、どうして俺だったんだ?」
「ふぇ?」
「だって、西村の代わりに、心奈がいたっていうあの日。あんな事をわざわざするほど、どうして俺に会いたかったんだ?その……あんな事をした俺なのに。俺じゃなくても、他の奴はたくさんいるし、今だったらその…大森とかいるだろ?なのにどうして、俺だった?」
「何で………?」
――どうして、ヒロだったか……?
その言葉だけが、心の中で何度も響き渡った。
「…何でだろう?」
「へ?」
「確かに、今はヒロが好きだよ?大好きだよ?…でも確かに、そう思えるのは、お互いの誤解が解けたからで…。どうしてあの時、私はあんなに、ヒロと会いたかったんだろ?」
「おいおい…なんだ、それ?」
「確かに、あの時ヒロと会わなければ、今頃…」
――今頃、私は大森君の事を…?
分からない。
何故あの時、彼にあそこまで執着していたのか?
男なんて、そこらにたくさんいる。
選択肢なんて、たくさんある。
それなのに、どうして自分は彼を選んだ?
……分からない。
「どうして……?」
頭が痛い。
急に、ぐらっと目眩がした。
思わず体が痛みに耐え切れずに、不安定になる。
「お、おい?大丈夫か?」
咄嗟に、彼が自分の肩に両手を伸ばして受け止めた。
「うぅっ……、ヒロ…」
「何だ?」
「……あなたは…ヒロ、だよね?」
自分の言葉が、溶けるように空気に馴染んでいった。校舎から、賑やかなたくさんの声が聞こえてくる。ただそれよりも、より鮮明に彼の息遣いが、大きく耳に反響した。
「……は、はぁ?何当たり前な事言ってんだ?…おい?」
彼が掴む両手に右手で触れて伝えると、心奈はゆっくりと一人で起き上がった。
「…う、ううん、ごめん。何でもない。大丈夫、もう、大丈夫だから…」
まだ、頭が痛い。だが、この頭痛には慣れっこだ。
「大丈夫か?保健室に行った方が…」
「ううん、平気。それより、ごめんね。変なこと聞いちゃって…ヒロ」
「いや、それはいいんだけどよ…」
少し哀しげな表情に見つめられながら、心奈が立ち上がる。一つ深呼吸をすると、まるで何事も無かったかのように口を開いた。
「それよりさ、そろそろ中に戻ろうよ?少し、他のクラスも回ろ?」
「え、あぁ。大丈夫なら、そうするけど…」
「もう、大丈夫だって!ほら、行くよ?」
「おう…」
彼が立ち上がるのを見ると、心奈は彼に向かって「ふふっ」っと微笑んだ。

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