Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

Memory.12

一週間後

いつの間にか、二月も最終週だ。本当は、早く彼に言おうと思っていたのに、四日前に運悪く体調を崩してしまった。インフルエンザでは無かった事が、不幸中の幸いか。それでも、なかなか熱が下がらずに、三日も学校を休んでしまった。
―心奈、大丈夫かなぁ?
休養中、一番気になって仕方がなかったのが、彼女の事だ。西村もいる事だから、恐らく大丈夫だとは思うが、万が一何かあったらと思うと、居ても立っても居られなかった。少しでも早く、彼女に会いたい。変に心配性なだけなのかもしれないが、どうにも彼女の事が心配でならなかった。
「玲奈様、着きましたよ」
動いていた車が停車する。運転をしていた爺やが、助手席に座る自分に呼び掛けた。
「あ、うん。ありがとう爺や」
普段は別の使用人が運転手として送ってくれるのだが、今日は彼が休んでしまった為に、代理で爺やが運転をしてくれた。本当は、彼の年齢も年齢であることもあり、多少心配という名の不安はあったものの、無事に到着して何よりだ。
「いえいえ。それより、あまり無理はなさらないでくださいね。玲奈様は今、病み上がりなのですから。今日の体育も、見学なさってください」
「分かってるよ、爺や。じゃあ、今日の放課後、よろしくね」
「ええ。承知しました。では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「行ってきまーす」
彼に手を振って、車を降りた。三日ぶりに触れる朝の肌寒い空気が、相変わらず皮膚に染みる。あまり体が冷えないうちに、急ぎ足で教室へと向かい始めた。
「お、南口じゃん」
「えっ?」
昇降口に入ったところで、聞き覚えのある声で名を呼ばれた。当然、それが誰だかはすぐに分かる。
「中田君。おはよう」
「おはよ、風邪もう治ったの?」
「うん、大丈夫。心配してくれて、ありがとう」
「んー?おう」
彼がニッと笑った。
「あ、そうだ。中田君、今日の放課後って時間ある?」
後で話し掛けに行こうと思っていたが、ちょうどいい機会だ。ここぞとばかりに、さっそく南口は彼に問うた。
「あ?今日?別に、平気だけど」
「よかった!じゃあ、ちょっと話したい事があるんだ。いいかな?」
「話したい事?今じゃダメなのか?」
「うん。ちょっと、ここじゃ言えない事なの。ダメ、かな?」
「ふーん。なんかよく分かんねぇけど、いいよ」
「ありがとう!じゃあ、放課後待っててね!」
「分かったよ」
彼に笑みを見せる。何だかよく分からない、というような顔をしていたが、それでも彼は嫌な顔せずに、こちらに微笑み返してくれた。
彼と一緒に、教室までの短い間で少しだけ話を済ませると、そのまま彼は友人達の元へと行ってしまった。南口は自分の席へ適当に荷物を置くと、早速彼女の元へと向かった。
「こーこなっ!」
黙々と一人、読書をしている彼女へ声を掛ける。どうやら、自分が教室に入ってきた事に気づいていなかったらしく、体をビクッとさせて、少し驚いた様子を見せた。いつも閉じっぱなしの口も、小さくぽっかりと開いている。
「おはよう、大丈夫だった?」
「・・・大丈夫って?」
本のページを開いたまま、普段通りの小さい声で彼女が問うた。
「んー、いや。特に何も無かったかなぁって。少しの間、私休んじゃったし。もしかしたら、風邪も移しちゃってないかなぁって心配してたんだ」
「・・・ううん、大丈夫」
「そっか!ならよかった」
相変わらず、小さくコクりと彼女が頷く。ただ、頷くだけで、その会話は途切れてしまった。
そのまま、いつも通りに視線を本へと戻してしまうのかとも思ったのだが、ふと、彼女はゆっくりと本を閉じ、それをそっと机に置いた。
「その・・・」
小さく、彼女が口を開く。彼女のほうから口を開くなんて、相当珍しい。どうやら、何かを言いたげだ。
「心奈?どうしたの?」
「えっと・・・。その・・・、やっ・・・れ・・・った」
「え?」
必死に耳を傾けるが、声が小さすぎて、大事な部分が聞き取れない。
「・・・やっぱり、何でも無い」
聞き返してはみたものの、彼女はいつにも増して大きい声で、首を振ってしまった。一体何を言おうとしたのか、なんだかとても気になる。
「えー?何々?聞かせてよ?気になるじゃん」
ボーっと俯いている彼女に問いかける。何だか心做しか、彼女の顔がほんのり赤くなっているような気がした。
「だ、だから・・・その・・・。れ、玲奈がいなくて、少し寂しかった・・・って」
「えっ?」
少し恥ずかしそうに、俯き加減で彼女が答える。想像すらしていなかった彼女の言葉に、どう反応すればいいのか、一瞬分からなくなってしまった。だがそれ以上に・・・。
「・・・ふふっ、心奈。今初めて玲奈って呼んでくれたよね?」
「ふぇ?そう、だっけ・・・?」
わざとなのか、本気なのか。定かではないが、とぼけた様子で彼女は首を傾げた。
「そうだよ!嬉しいな、心奈が名前で呼んでくれて」
今の今まで、名前どころか、名字ですら彼女は呼んでくれた事が無かった。それもそうだ、普段から自分が話し掛けていたのだから、会話の中で名前を呼ぶ機会が無くてもさほどおかしくはない。
「っていうかさ、心奈。あんまり、色々考えなくていいからね?私達、友達でしょ?」
「ん・・・友達・・・」
「うん!だから、全然名前で呼んでもいいんだよ?」
南口がそう言うと、彼女は一瞬黙り込んだ。ふと何かを確信したような様子を見せると、彼女は静かにこちらを向いて、その口を開いた。
「・・・分かった」
柄にも無く、彼女はコクりと頷くのではなく、しっかりと言葉で一言告げた。その瞬間、普段は滅多に上がったことの無い彼女の口角が、少しだけ上がったような気がした。
「あー!心奈、今笑った?」
「・・・笑ってない」
南口が問うた途端に、はたまた彼女は珍しく、ムッとした様子で俯いてしまった。普段から感情をほとんど見せない彼女も、こんな感情を持っているのだと改めて感じると、何だか可愛らしい。
「嘘だー?今絶対笑ったって!」
「笑ってない・・・っ!」
そう言うと、彼女は机に置いてある本を手に持って、顔を隠すように本を開いてしまった。どうやら、機嫌を損ねさせてしまったらしい。
「え、あーもう、ごめんって心奈!」
彼女へ謝る。本を持つ手は下ろしてくれたものの、半ばまだ怒っているようだ。結局、それ以上の会話は生まれなかったが、それでも彼女と初めて、友達らしい会話が出来て、嬉しく思えた。
―いつか、心奈と一緒にちゃんと笑い合える時が来たらいいな・・・。
無言のまま、黙々と本を読み始めてしまった彼女の姿を見つめながら、静かに願った南口だった。

待ちに待っていた・・・のだろうか?自分は果たして、この時を待っていたのだろうか?分からない。
父の、あの言葉を聞いてから、だいぶ時間が掛かってしまった。だが、果たしてこの決断が本当に父の思う事だったのかと思うと、恐らく違うのだと思う。これから行おうとしている事が、果たして正しいのかと問われると、自分でもよく分かっていない。だが、もう決めたのだ。
ただ一人、爺やはこの選択を、喜んでくれていた。一体どういう考えに至っての了解だったのかはよく分からないが、彼がノーと言わなかったのだから、きっとあながち間違ってはいないのだろう。だから、自分はこれから彼を待つ。
「南口ー」
日が落ちるのが、段々遅くなってきた二月の下旬。オレンジ色に眩しい夕陽に照らされながら、南口は彼に名を呼ばれるのを待っていた。
「中田君、遅いよ」
校門前で、二十分は待たされたのだろうか?何をしていたのかは知らないが、教室を出る際に「外で待ってて!」と言われてこの調子だ。
「悪い悪い、昼休みの時に、図書委員の先生に呼ばれちゃっててさ。遅くなっちった」
「そう・・・ならまぁいいけど・・・」
「で?話って何だ?」
「あ、うん。行きたいところがあるの。そこまで、話しながらでいいかな?」
「行きたいとこ?まぁ、いいけどよ」
「じゃあ、行こっか」
南口が先導する形で、彼と並んで歩き始める。
「中田君はさ、仲良い女の子とかいるの?」
特別中身が聞きたい訳ではない。だが、こんな話でもしていないと、他の話を話す気分では無かった。
「あぁ?仲良い女子?うーん、色んな奴と話してるからなぁ。田崎たさきとか、相澤あいざわとか」
「そう、やっぱり中田君って、色んな子と話してるもんね」
「まぁ、そう・・・なのかな?分かんねぇけど」
「・・・じゃあさ、好きな子とかいるの?」
「は?好きな奴?」
「うん、好きな子」
直球で彼に質問する。どういう反応をするか窺っては見たが、やはり彼はまだ恋愛感情のようなものは持っていないのか、特に恥ずかしがる様子も無く、「うーん」とただ唸るだけだった。
「好きな奴ねぇ。っていうかそれって、女子でって話だろ?」
「まぁ、そうだね」
「どうだろ、よく分かんないけど。でも、一番女子で話すのは、南口かもな」
「え、そうなの?」
「ああ。多分そうだと思う」
「へぇ・・・てっきり、私より仲が良い子がいるんだと思ってた」
「そうか?」
これは、好印象と捉えていいのだろうか。いや、待て。彼の事だ。異性としてではなく、ただの友人としての可能性だって多いのあり得る。淡い期待は、まだ先送りのほうがよさそうだ。
「んじゃあ、逆に聞くけどさ。南口はどうなんだよ?」
「へ?どうって?」
「だから、仲良い男子はいるのかって話」
「ふぇ!?な、仲が良い男の子?え、えーっと・・・」
思ってもいなかった唐突な質問に、ドキリと胸が高鳴る。今まで自然に話せていたのに、急に言葉が出なくなってしまう。変に意識しなければ問題無いのに、どうしても余計な事まで意識し始める。
「わ、私も、その。やっぱり、中田君・・・かなぁ?」
「あれ、そうなの?てっきり南口って話しやすいから、他の所で仲良い奴いるのかと思ってた」
「そ、そんな事無いよ!確かに、男の子の友達は何人かいるけど、全然話なんてしないし。中田君みたいに、気軽に話せる子はいない、かな?」
「ふぅん、そうなのか」
「う、うん・・・」
彼の様子を窺う。どういう心境で質問したのかは気になったが、特にそれ以上興味が無いのか、呑気に大欠伸だ。どうやら、やはり淡い期待は捨てておいたほうがいいらしい。その事が分かると、それとなく興奮気味だった感情も一気に冷めてしまった。
それからというものの、それとなく気まずい空気が流れつつも、適当な雑談を彼としながら、目的地へと向かっていた。
「あれ、来たかった場所ってここなの?」
目的地にたどり着いた。到着するなり、不思議そうな表情でこちらに彼は問う。
「そうだよ。ここの公園、私好きなんだ」
彼と共にやってきたのは、駅前にある公園だ。ここは昔、よく友達と放課後に来ては遊んでいた場所だ。一応、それなりのムードは必要だろうと、考えた結果がこの場所だった。
「ふぅん、ここあんまり来たこと無いけど、こんな小さかったっけ?」
「どうだろうね。私達が、それだけ大きくなったって事じゃない?」
「そうか?」
彼と一緒に中に入る。特に他に人気は無く、中にいるのは、自分達だけのようだった。
「で?ここでなら話してくれるんだろ?話したい事って何だよ?」
ブランコの周りに立ててある、小さな柵に彼が座る。
「あ、えっと・・・」
そこまで言うと、突然口がおもりのように重く、開かなくなってしまった。ダメだ、先程まではほとんど緊張感など抱いていなかったはずなのに、いざ本番の今になって急に唇が震え始めた。頭の中もノイズが走るように思考が乱れ、何を言えばいいのか分からなくなる。
「その、ね。さっき中田君に、好きな女の子っているの?って聞いたよね?」
「あ?ああ」
―ダメダメ、言い切っちゃえばいいんだ。後の事なんて考えちゃダメ。
「その・・・。中田君にね、将来結婚して、私の旦那さんになってほしいなって思って」
「・・・は?」
彼が首を傾げる。
「あ、ううん!そのっ、ね?」
何を言ってるのか分からない。そう言いたげな彼の表情を見て、咄嗟に顔が熱くなる。自分は一体何を言っているんだ。何度の何度も、この日の為に心の中で練習してきたというのに。言いたい事は、そうじゃないだろう。
「ち、違うの!だから、その・・・。私と、付き合ってくれないかな、って」
「付き合う?南口と?」
「う、うん。そう。あ、付き合うって、あれだよ?その・・・恋人としてって意味」
どうして告白をしている本人が、こんな事を言わなければならないのだろうか。まぁ、彼が彼だから仕方がないが。
「はぁ。恋人、ねぇ」
「その・・・何て言えばいいのか分からないけど。でも、私は中田君の事、好きだから。だから、付き合ってくれない、かな?」
言い切った。一通り、言いたかった事は全て言えたはず。一先ず、安心だ。対して彼は、本当に自分の言葉の意味を理解しているのかは謎だが、それなりに考えているようだった。
「んー・・・?まぁ、いいよ?別に」
「え、本当?」
「ああ。俺も別に、南口の事嫌いじゃないし」
「そ、そっか・・・。よかった・・・」
何だか少し違うような気もするが、彼は今イエスと言ってくれた。それだけで、南口は安堵に包まれた。ホッと一息を吐いて、胸を撫で下ろした。
「それじゃあ・・・」
言葉を告げながら、南口はスッと右手を挙げた。ここまでは全て、予定通りだ。
「んあ?どうした・・・?あれ」
彼が素っ頓狂な声を上げる。まぁ当然だ。突然、見ず知らずの老人が、自分が手を挙げた途端に出てきたのだから。
「こんにちは。いや、この時間だと、こんばんはでしょうかね?」
予定通り、この公園でずっと待機をしてもらっていた爺やが、自分の隣に来ては彼に挨拶をした。寧ろ先程以上に彼は混乱している様子で、視線をあちらこちらへと飛ばしている。
「あぁ・・・?えっと、南口。この人は?」
「紹介するね。この人は、私の執事の爺や」
「ご紹介に預かりました。玲奈様の執事をさせて頂いております、もりと申します。苗字でも、爺やでも、どちらで呼んで頂いても構いませんよ」
「は、はぁ・・・」
彼がポリポリと後ろ頭を掻いている。流石に、これ以上話に置いてきぼりはマズい。
「えっとね・・・中田君。さっきの、私と付き合って欲しいって話なんだけど。その為に、色々と約束して欲しい事があるの」
「約束?何だそれ」
「でも、それを話す前に。本当に、誰にも話さないって約束してくれる?」
「は?何だそれ」
彼が首を傾げた。
「いいから、約束してくれるかな?」
「いや、いいんだけどよ。そんなに、他の奴にバレちゃいけない事なのか?」
「うん、そうなの。だから、改めて聞かせて。・・・本当に、私と付き合ってくれる?」
「あぁ?まぁ。よく分かんねぇけど、約束するよ」
「・・・ありがと。それじゃあ、ここじゃ話せないから。車に乗って話そうか」
「あ、あぁ?車?」
「えぇ。既に用意しております。こちらです」
益々迷った様子を見せつつも、彼は爺やと南口に連れられるがまま、普段南口を送り迎えしてくれている車へと案内された。
「え、マジで。この車、南口ん家の車なの?」
「そうだけど・・・それがどうしたの?」
「いやいやいや!この車、確か超高いやつだぜ?いつもこれに乗ってるのか?」
「う、うん」
「マジかよ・・・いいなぁ」
正直、車になんて一切興味など無かった。特に思い入れも無い上に、何も気にする事無く、毎日乗っている、五人乗りの普通自動車だ。車種など当然知らないが、どうやら男心を擽る(くすぐ)ような車らしい。
二人分のランドセルをトランクへ乗せる。普段は助手席に座っているが、今回は彼と一緒に座る為に、後部座席に彼と共に座った。
「それでは、どういたしましょう?ご自宅へと向かいましょうか?」
「うーん、そうだね。中田君、少し遅い時間になっても大丈夫かな?」
「あ、ああ。七時過ぎなきゃ別に平気だけど・・・」
「そっか。じゃあ爺や、お願い」
「了解しました」
彼の言葉と共に、車のエンジン音が車内に響く。そのまま車は、ゆっくりと走り出した。
「えっと・・・じゃあね。中田君にまず、話さなきゃいけないことがあるの」
そう言うと南口は、彼に伝えなければならない事を話し始めた。
自分が、雨宮卓と南成奈の娘だという事。この事は、他人には絶対にバレちゃいけないという事。必要な事は全て、南口の口から語り尽くした。
「っていう、感じ・・・かな?」
「はぁ・・・。何か凄すぎて、よく分かんねぇけど・・・。とりあえず、俳優の雨宮と南成奈の子供っていう事を絶対に言うなって事だろ?」
「まぁ、そうだね」
「じゃあさ、俺の他にこの話知ってる奴っているのか?」
「ううん、誰にも話してない。中田君しか知らないよ」
「マジかよ。俺、大丈夫かな・・・」
「大丈夫だよ。中田君は今まで通り、私と過ごしてくれればいいの」
「うーん、まぁ。そうなんだけどよ」
「お話の最中、恐縮ですが。玲奈様、もうすぐ到着しますよ」
運転をしていた爺やが、久しぶりに話に割って入った。窓の外を見る限り、自宅はもう目の前だった。
「あ、そうだね。じゃあ、続きは家の中でしようか」
「あー、えっと。あのさ、南口」
「ううん、玲奈でいいよ」
「あ、はぁ?」
とぼけたような声で彼が首を傾げる。
「だって、これから私達は、恋人同士なんだもん。それに、私は玲奈って呼ばれたほうがしっくりくるかなって」
「そ、そうかよ。じゃあ、れ、玲奈は俺の事和樹って呼ぶのか?」
「あ、そっか。そうなると、そうだね」
「いやまぁ、呼びやすいほうでいいけどさ。下の名前で呼ばれるのは、あんまり慣れてないし」
「そっか。じゃあ・・・私は今まで通り中田君って呼ぶね」
「ああ。分かったよ」
ちょうど話がひと段落着いたタイミングで、車が自宅の中へと入った。窓の外の様子が視界に入ったらしい中田は、またまた絶句している。
「あのー、玲奈。ここ、本当にお前の家?」
「そうだよ?」
「いや・・・どう見ても。ここ、家じゃないよな?豪邸っていうか、お屋敷っていうか、何というか・・・」
「・・・?まぁ、話は後にしようよ。とりあえず、家の中に入ろっか」
「お、おう・・・」
家の扉の前では、一人の女性使用人が立って待っていた。彼女に挨拶をされると、そのまま彼を連れて、一緒に客間へと案内してもらう。その間も、彼は周囲をキョロキョロを見回しながら声を出さずにいた。
「ありがとう、下がっていいよ。すぐに、爺やも来てくれるから」
彼女にそう告げて退出してもらうと、客間に彼と二人きりとなった。今朝とは違って、お互いに互いを意識するようになったからか、変に気を遣ってしまう。
「あ、これ・・・。玲奈の家族か?」
彼は客間の暖炉の傍に壁掛けてある、額縁の付いた家族写真を見て問うた。
「そうだよ。お父さんとお母さん。これで、信じてもらえたでしょ?」
自分が確か、幼稚園を卒園した時の写真だ。家に帰ってきては、数時間だけ家族全員が揃った時に撮った写真だと爺やに聞いたし、自分でも微かに覚えている。
「ああ。でも、玲奈が嘘を吐く人だとは思ってなかったから、信じてはいたけどさ」
「そっか・・・」
何とも言えない空間。どうしたらいいのか分からない時間。とりあえず、先に席に座っておこう。南口は、部屋の中を歩き回って見ている彼より先に、ソファーに座った。
「玲奈」
ようやく向かいのソファーにゆっくりと座った彼が、久しぶりに声を発した。
「何?」
「何で、俺なんだ?」
「どういう意味?」
「だってよ。俺よりも、もっと良い奴は沢山いるだろ?それなのに、何で俺みたいなバカが玲奈と付き合うんだ?おかしいだろ、だって」
ここに来て、そんな事を彼が言い放った。もう約束事は話してしまったのだから、今更退いてもらってはこちらとしても困る。
「そんな事無いよ!中田君はいつも優しいし、友達思いだし。凄く素敵な人だなって思ったの。だから、中田君じゃないとダメだなって思って」
「そんな事言ってもよ・・・。俺、普通の家で暮らしてるんだよ?何で、こんな凄い家に住んでるお嬢様と付き合うんだって話で・・・」
「・・・やっぱり、嫌だった?」
「あ、いや!そうじゃねぇんだ!ただ・・・。何か、急に怖くなってきたっていうか。何というか」
「大丈夫だよ。中田君は、強い人だもん。私は、中田君なら大丈夫だと思ったから、中田君を選んだんだよ?だから、心配しなくていいんだよ」
「そうは言ってもなぁ・・・」
「失礼します」
彼が何かを言い掛けたタイミングで、戻ってきた爺やがドアを開けて部屋に入ってきた。会話は途中で途切れてしまったが、今はこんな事を言い合っている場合ではないのだ。
「爺や。中田君に、何か飲み物を出してあげてくれる?」
「了解しました。そうですね、和樹様。グレープジュースは飲めますでしょうか?」
「え、あ、はい。大丈夫ですけど」
「では、少々お待ちください」
そう言うと、少しして爺やは、トレイに乗せたグレープジュースが入ったグラスを彼の前のテーブルに置いた。そのまま爺やは自分の席の隣に立つと、改めて彼は話の先陣を切った。
「それでは・・・。先程の玲奈様からのお話で、玲奈様のご家庭についてはご理解頂いたと思います」
「あ、はい」
「そこで、和樹様にお願いしたいのです。そしてこれは、先程の話と同じく他言無用。つまり、誰にも話さないでほしいのですよ」
一呼吸間を空けると、爺やは続けて話し続けた。
「どのようなお願いかと言いますと。玲奈様が、十八歳。つまり、高校を卒業されるまでの間。玲奈様のパートナーとなって頂きたいのです」
「ぱ、パートナー?」
「ええ。その間は是非、玲奈様の良きパートナーとして、一緒に過ごして頂きたいのです。玲奈様のご両親は現在、海外におられます。ご両親とのお付き合いも少なく、特別な存在という方が、玲奈様には身近にいないのです。その為、女性関係はまだしも、男性とのお付き合いが他の方と比べて少ないのですよ。私も、もうこの歳でありますし、人生の短い学校生活の中で、男性との付き合いが無いというのは、あまりよろしくないと感じた訳です。その為、和樹様には是非、玲奈様と共に、学校生活の中を過ごして頂きたいのですよ」
「は、はぁ・・・」
「当然、高校を卒業されましたら、その後はお二人の判断で構いません。そのまま友人として関係を持って頂いても結構ですし、残念ながら縁を切るという形でもいいでしょう。それは、その時のご判断にお任せします。・・・どうでしょうか?」
「うーん・・・」
彼はソファーに背を任せながら、腕組みをして悩んでいるようだった。それはそうだろう。自分だって、同じような質問をされたら、きっと深く悩むと思う。仕方の無い事だ。
「これは、玲奈様はもちろん。私からもお願いしたいのです。どうでしょうか?」
最後の最後に、爺やがダメ押しの一言を放つ。この言葉に効果があったのかは分からない。
それから数分程、誰も言葉を発さない時間が生まれた。とても重苦しい空気の中、ようやく口を開いたのは、彼だった。
「・・・分かりました。玲奈が高校を卒業するまで、一緒にいてあげるだけでいいんですよね?俺が本当に、玲奈の良いパートナーになれるかは分かんないけど・・・。でも、玲奈が俺じゃないとダメだって言うなら」
「っ!中田君!」
その言葉を聞いた途端、今すぐにでも空を飛べるかのような、そんな感情が沸き上がる。純粋に、ただただ嬉しかった。半ば強引に、彼に頼み込んでいるような気もしており、一体どんな返事が返ってくるか不安だったが。それでも彼は、こんなお願いでもイエスと答えてくれた。
思わず、隣に立つ爺やを見る。彼も喜んだ様子で、何も言わなかったが優しい微笑みを浮かべていた。
「まぁ、その・・・。今更こんな事を言うのも変に照れちゃうけどよ・・・。これからも、よろしくな。玲奈」
「うん!こちらこそ!よろしくね、中田君!」
色々と申し訳ない気持ちも、複雑な形であったものの、それはこれから彼と一緒に解決していけばいい話だ。今は、彼と一緒に過ごせると決まった事を喜んでおこう。
彼は照れ臭そうに顎を掻きながら、こちらに向かって笑みを見せた。

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