Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

2.

雨だ。どうやら、そろそろ梅雨の時期になってくるらしい。この時期はやはり、ジメジメとした気候が好かない。一体この無性に暑苦しい温度と、雨の湿気の絶妙なコンビネーションは、どうにかならないものなのか。あまり普段から怒らないようにしている自分さえも、この気候にはイラッとくる。
だが、それでも向かわなくてはならない。自分から頼んだことなのだ。嫌なのは向こうだって同じだろう。増してや彼なのだから尚更だ。
南口は家の玄関を出ると、お気に入りの黄緑色の傘を開き、それなりに強い雨の中を歩いた。

―あいつには、中学校近くのファミレスに行くように言っておいたから。あ、前に璃子ちゃんと会った場所ね。本当は私も行ってあげたかったけど、どうしてもおばあちゃんの様子を見に行ってあげないと行けないんだ。ごめんね。
昨夜、彼女との電話の内容を思い返す。確か、こっちで合っていたはずだ。地元のくせに、あまり細かい道の土地勘が無くて悔しく思う。中学までは、車での送り迎えが多かったから仕方がない。一人で道を歩くようになったのは、高校に入ってからだった。正直、自転車もしっかり乗られるかさえ怪しい。
中学校近くのT字路に出る。確か、ここを右に曲がればあったはずだ。
「・・・あっ」
道を右に曲がったところで、南口は声をあげた。目の前に、見覚えのあるものがいたからだ。それはこちらに気が付くと、こちらに分かりやすく、大きく手を振った。
「よう、南口。久々だな」
大きく出っ張った屋根の下で、合羽を着て自転車にまたがっていた、裕人が声をかけた。小学校時代の元気な彼とは違い、相変わらず、中学校時代のぼんやりとして適当そうな雰囲気で大きくなってしまったようだ。
「ヒロ君。久しぶりだね。でも、てっきりもうお店にいると思ってたけど」
「ああ。もしかしたら、迷ってるんじゃないかってちょっと心配でさ。分かりやすいところで待ってたんだ」
「そっか。ありがと、待っててくれて」
「別に構わねぇよ。じゃ、行くか」
彼が頭のフードを被ると、自転車から降り引いて歩き始める。その横を南口は並んで歩いた。
「んで?相談があるとかないとか、心奈から聞いたんだけど」
裕人が先に口を開いた。
「う、うん。えっと・・・」
正直、どこから聞いていけばいいのかが分からない。彼は一応、一連の状況を知ってはいるらしいが、だからと言って何を、どう聞けばいいのか。思わず黙り込んでしまった南口を見て、裕人が口を開き始める。
「まぁ、どうせ和樹の事だろ?前に本人から直接聞いたよ」
「中田君から?・・・あ、そっか。その時、ヒロ君もいたんだっけ」
「ああ。まぁそれっきりだけど。でもまぁ、あいつを二番目に知ってるのはきっと俺だろうしな。いずれ俺に相談しに来るのは何となく分かってたけど」
「二番目・・・?」
「ああ。だって、一番知ってるのは・・・お前だろ?」
身長の高い裕人が、上からこちらを見てニッと笑った。彼の表情を見て、複雑な感情がこみ上げる。
― 一番・・・。違うよヒロ君。私は・・・私は、彼を一番、知らなかったんだよ・・・。
思わず口を噤む。悔しくて言葉が出てこない。傘の柄をギュッと両手で握りしめた。どう返事すればいいかを悩んでいるうちに、目的地のファミレスへと着いてしまった。
「よし。んじゃあ南口。悪いんだけど、先に入っててくれないか?俺合羽脱ぐから」
「え?で、でも・・・」
ドキリとして、店の中を見る。現在はお昼過ぎだが、やはり雨のせいだろうか。あまり客は少なく、空いている席は多いようだった。
「・・・あ、もしかして。こういうところはあんまり来ない?」
裕人に核心を突かれて、恥ずかしくて声を出せずに、首だけコクりと頷いた。
「んー、そうか。んじゃあ、ちょっと待ってろ?今急いで脱ぐから」
「ごめんね・・・」
「気にすんな、誰にだってある」
彼は微笑むと、合羽を脱ぎ始めた。
―やっぱりヒロ君、変わってないな・・・。
彼は、人を許す勇気を持っている。どんな人とも仲良くなれるような、そんな優しい彼だからこそ、男性恐怖症を持っていた心奈でさえも、彼に心を許したんだ。それがまた、改めて分かった気がする。数年前に、彼と関わることを絶った事を、今更ながら後悔した。
「ヒロ君、濡れちゃうよ?」
ズボンを脱ぎ、上着を脱ごうとしている彼に、南口は問うた。
「ああ、これくらい大丈夫だよ」
「で、でも・・・」
胸元のボタンを外し、彼が上着を脱ごうとする。このままでは濡れてしまう。それがほんの一、二分だったとしたって、きっとかなり濡れてしまうだろう。そんな彼の頭の上に、思い切って南口は背伸びをし、傘を掲げた。
「ほ、ほら。これで大丈夫、かな?」
「おぉ、おいおい。そんな無理しなくても。ほら、貸せよ」
裕人は南口が持つ傘を手に取ると、二人が中に収まるように傘を高く持った。
「・・・ヒロ君って、やっぱり優しいんだね」
「ああ?どうした急に」
「何でもないよ。ただ、何となくそう思っただけ」
「ん、そうか。・・・よし、んじゃあ行くか」
南口は、彼とほとんどピッタリくっ付くような距離で歩くと、店内へと入った。彼が先導して、店員に席まで案内される。今後の為に、自分も見ておかねばならない。二人で向かい合って座ると、裕人はふぅっと息を吐いた。
「で、話す前になんか頼むか?俺はドリンクバーだけ頼もうと思うけど」
「あっ、じゃあ私も」
「了解。そこのベル、押してくれる?」
彼に頼まれて、自分の側に置いてあった呼び出しベルを押す。店内にピンポーンと音が響くと、一人の若い制服姿の女性、というか女の子が出てきた。きっとバイトの子だろう。彼が彼女に注文をすると、「先に取ってきていいよ」と言われて、ドリンクバーコーナーからミックスジュースをコップに注ぎ席に戻った。続いて彼がコップにウーロン茶を注いで戻ってきたところで、先に彼が本題を口にし始めた。
「それじゃあ、本題に入るか」
「あ、うん・・・」
「まずは、まぁそうだな。今のお前ら二人の状況を教えてくれよ」
「分かった・・・」
一つ息を吸い、ゆっくりと吐くと、南口は今の彼との現状を話し始めた。
「ふぅん。あいつがねぇ」
話を聞き終わると、裕人が腕組みをして、背もたれに寄りかかった。彼の次の返事を、じっとして待つ。
「・・・まぁ、確実に言えることは一つあるな」
「な、何?」
「その様子じゃあ、とりあえず南口を捨てただとか、嫌いになっただとか、そういうのはきっと無いとは思う」
「本当!?よかった・・・」
あまり悪い返事では無くてホッとする。しかし、彼は続けて「ただ・・・」と付け加えた。
「あいつの事だ。きっとまぁ、もう一人のマネージャーも捨てきれずに、どうしようかって悩んでたりするんじゃねぇか?元々・・・まぁ・・・」
「元々、何?」
「・・・元々、あいつは恋愛だとか、そういうのに興味が無かったんだ。そんな時から南口と一緒にいるから、きっとあいつは恋人というより家族のような感覚なのかもしれないな。だから、そうやって悩んでるのかも」
「家族・・・」
「なぁ・・・変な事、聞いていいか?」
「ん・・・」
「あいつと、キスしたことあるか?」
「へっ!?」
思わず声を漏らしてしまった。思わず恥ずかしくなって周囲を見回す。幸い、あまり今の声は気にかからない程度だったようだ。
「き、キスなんて・・・そんな・・・」
「南口。ふざけて聞いてる訳じゃないんだ。っていうか、その、聞いてる俺だって正直知りたくないし・・・」
顔を背けながら裕人が言う。正直、答えたくはなかったが、一つの良い答えが出るのならと、南口は小声で呟いた。
「無いよ・・・まだ・・・」
「・・・そうか」
「ふぅん・・・」と息を吐くと彼は、暫くの間、何かをボーっと考えていた。きっと彼なりに何かを考えているのだろうが、その意図は南口には察し取れなかった。数分間の静寂の後、ようやく彼が、次の言葉を口にして吐いた。
「何となく分かったよ。で、どうすればいいかもね」
「本当?」
「ああ。でも、その前に一つ聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「・・・お前、本当に和樹の事好きなの?」
「え・・・?」
裕人がこちらを見つめる。何故、そんな事を聞くのか。好きだからこそ、こうして相談しているんじゃないか。彼の質問の意味が、全く以て分からなかった。
「な、何言ってるの?だからこうして、相談してるんだよ?」
「ああ、そうだったな。でも、今のお前ら二人の話を聞くと、本当にそうなのかが分からないんだよな」
「それ・・・どういうこと?私が、中田君には合わないって言うの?」
思わずムキになる。こんなにも好きで、愛したいとも思っているのに、それを否定されたら誰だって怒るに決まっている。
「そんな事は言ってない。お前らは本当に仲いいと思う。いい恋人同士だなって思うよ」
「じゃあ・・・何?」
「そうだな。それじゃあ一つ、話をするよ」
「話?」
彼は再び腕を組むと、ゆっくりと口を開き話し始める。
「じゃあ、一つの大人のカップルがいたとしよう。男がAで、女がBだ。交際は三年。二人は凄く仲がよくて、周りからも羨ましがられるほどだ。ある日AはBに、抱き着いてこう言った。『今夜、ダメかな?』と。AはBの状態や状況を考えて聞いた。でも、それでもBは嫌だと言った。当然だ。二人はこれまで、ベッドインどころか、キスさえもしたことがない。理由は、Bがそれを嫌だと言っているから。もう大人なのだから、子供だって作ることができる。二人とも、子供は欲しいと言っている。だが、BはAとすることを嫌だと言っている。理由はどれだけAが聞いても答えてくれない。結局、嫌になったAは諦めて、二人はそのまま交わること無く、挙句には別れてしまった」
「・・・それが、どうしたの?」
「ああ。じゃあ、いくつか質問するよ。まず一つ目。どうしてBは、Aとそういう関係になることを嫌がったのか」
「・・・本当は、BさんはAさんを好きじゃなかった、じゃないの?」
「違うね。二人は本当に愛し合ってた。だけど嫌だった」
「何それ、ヒロ君が作った話なんだから、ヒロ君の思い通りになっちゃうよ」
「まぁ、そうだな。それもある。一つ、言葉が足りなかったな。二人は愛し合っていた、ということを前提で考えてみてよ」
彼がフッと軽く笑った。一体、何を伝えようとしているのかが全く分からない。
―愛し合ってて、そういうのが嫌な理由?そんなの・・・。
「恥ずかしいから、とか?」
「・・・まぁ、間違ってはない。でも、もっと大きな理由かな」
「さっぱり分かんないよ・・・」
「そうか。じゃあ、二つ目の質問。Bにいつまでも断られて、Aはどういう気持ちだったと思う?」
「どういう?・・・男の人なんだから、そういうのをしたいとか、そういう事を思っていたんじゃないの?」
「男の人だから、というのは違う気もするけど、まぁ大体はその通りだね。でも、Bはそれを分かっているとしたら?」
「また話を難しくする・・・。もう、ちゃんと言ってよ?」
いつまでもハッキリとしない彼に、流石にそろそろイライラしてきた。思わず強い口調になってしまうのを、なんとか我慢する。
「仕方ないなぁ。じゃあ答え合わせだ。まず、BはAを愛していた。でも、そういった行為は嫌だった。その理由だけどね。Aと仲が良すぎたBはAの事を、恋人じゃなくて、家族のように思ってしまっていたんだ。だから、どこからかそういうのは嫌だという、拒絶感が生まれてしまっていた。そういう関係になってしまったら、BはAの事を、今までのように見られなくなってしまう。もしかしたら、愛せなくなってしまうのではないか?そう思ったんだろうね。それが怖かった」
「家族・・・?」
「これは余談で極論だけど、例えば『好きな芸能人や俳優、タレントとならそういう行為はできるか?』と聞かれて、それではイエスだった場合。その場合は当然、BはAの事を飽きてしまったと言えるだろうね」
「それはまぁ、そうだけど・・・」
「じゃあ、次だ。AはBにそんな態度を取られて、どう思っているか。それは当然、不満だよね。自分はこんなにBを愛していて、一緒にいて楽しくて、嬉しくて、幸せなのに。その最後の一線だけは『来ないで!』って言われてしまっているんだから、ショックに決まってるよ。それに、男はそういう欲には弱いからね」
「・・・それで。つまり、ヒロ君は何が言いたいの?」
「まだ分からない?」
呆れたように、裕人が笑った。一体、どうしてそんな顔をするのか。先程の苛立ちと重なり、更に不満が募る。そんな不満さえもぶち壊すように、裕人が一言を放った。
「南口。お前は自分から、和樹を離してるんだよ。ただただ、今の関係に満足して、それ以上の関係になるのを怖がってる。そんなの、恋人なんかじゃない。ただ仲が良い友達だ。友達以上恋人未満でもない、ただの友達だよ」
「っ!?そんなっ!?私はそんなこと・・・っ!!」
『玲奈ちゃん。あんた、中田君と喧嘩したこと、あるか?』
『どんどん色々中田君の事を知ろうとすればいい。そうしていく中で、勝手にケンカなんてできるんよ。それが怖かったら、もう彼女失格やね』
―怖がってる・・・。私は、中田君を怖がってる・・・。
以前も佐口にそんな事を言われた。自分は、彼とそれ以上の関係になることを怖がっている。自分はそんなどころか、キスもケンカもしたことがない。それで彼の恋人を名乗っている。本当に、自分は恋人なのか?ただ彼と仲が良い女なだけじゃないのか?
勢いを無くして、そのまま俯いてしまった。もう、どうすればいいのか、分からなくなってきた。
「私は・・・」
「・・・南口。今、他の女と仲良くしてる和樹が憎たらしいか?」
ふと、裕人が問うた。言葉を出す気力さえも無くなってしまった南口は、ただ首を縦に振った。
「そうか。じゃあ、和樹に『バカ野郎』って言えるか?」
「バカ野郎・・・」
口から自然に出てきた。この単語を自身で口から出したのは、いつぶりだろうか?恐らく、数年前に美帆とふざけていた時に言ったのが最後だったような気がする。
「分からないよ・・・。言えるかなんて・・・」
向かいの彼に届くかさえ怪しい声で呟いた。もう、何が正解なのかが分からない。
「・・・じゃあ、今度会ったときに、和樹に気づかれなくてもいい。背中に向かって、小声でもいい。言ってみろ。それさえ言えないなら・・・諦めたほうがいいな」
「諦め・・・」
「・・・南口?」
「ごめん・・・もう、帰るね。これ、お金。・・・少し、一人で考えたいんだ。今日はありがと」
「え、お、おう・・・」
財布から小銭を出して机の上に置くと、南口は立ち上がり飛び出すように店を出た。
―あっ・・・傘・・・。
後ろを振り向き、チラッと店内を覗く。どうやら、傘を置いてきてしまったらしい。でも、あんな飛び出し方をして、取りに戻るのも億劫だ。濡れてもいい、このまま帰ってしまおう。
南口は雨降る空の下を、思い切ってびしょ濡れになりながら、家までの道を俯いてゆっくり歩いた。

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