Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

Memory.24

十三日の金曜日

十三日の金曜日。何故彼女が今日を指定したのか。それはもう、鈍感な裕人でもすぐに分かった。理由は正直定かではないが、海外では不吉な日として言われているらしい。
不吉な日に絶望を。彼女らしい日だ。反して今日は過ごしやすく、天気のいい一日だった。
大切な人を守るために、自分で大切な人を傷つけるだなんて皮肉なものだ。これから自分は、加害者になりに行くというのに、運命の針はやはり残酷だと思う。
裕人は小学校の裏山の頂上で一人、夕陽を眺めていた。
胸にはズシリと重みがある。とても違和感だ。制服の懐には、朝彼女から手渡されたサバイバルナイフが入っている。これでこれから彼女の血を流すとは、とてもじゃなく想像できなかった。
前田に告げられたのはこうだ。
「私がこの場所に来るようあの子に指示するわ。そうしたらまず、『嫌がらせを指示していたのは俺だ』って言うの。そこから先はまぁ・・・真田君に任せるわ。私よりも、あなたのほうが良い言い訳思い浮かぶでしょうし。そしたら後は、そのナイフを見せて怯えたところを適当に切っちゃっていいわよ。あ、一応言っておくけど。それ、結構切れ味がいいの。下手したらあなたの左腕以上に傷つけちゃうから、気をつけてね」
実際に彼女は今、そこの木の裏にひっそりと隠れている。どこにいるのかが分かっているから、すぐに場所は把握できるが、これを知らずにだとまず分かるまい。登山ルート以外は草木が生い茂っていて、まともに歩けるスペースは無い。充分に隠れられるだろう。
裕人がその場所で待機し始めてから十分程経った頃。今日のターゲットは姿を現した。
「えっ・・・」
普段からよく聞き慣れた声が聞こえた。
「なんで?なんで・・・?」
声を震わせながら、その声が近づく。小さく息を吐くと、裕人は彼女にゆっくりと向き合った。
「来たか」
小さく裕人は言った。
「来たか・・・じゃないよ。どうして、ここにヒロがいるの?」
彼女が問うた。
「何言ってんだ。呼んだからに決まってるだろ」
「呼んだって・・・。私は、あの紙にここに来いって言われたから来ただけで・・・」
「・・・まだ、分からないか?」
裕人が言うと、彼女は大きく首を振った。
「嘘だよね?冗談だよね?またいつもみたいに、笑ってくれるんでしょ?こんな冗談、いくらヒロでも流石に笑えないよ?」
まだ信じられない様子で、苦笑いを浮かべながら彼女は一歩近づいた。
「冗談なんかじゃないさ」
すると裕人は、懐から例のサバイバルナイフを手に取った。それを、マジシャンが仕掛けがないと観客に見せるかのごとく、ゆっくり、ゆっくりと姿を見せていった。
「お前さぁ。七夕の日、返事待ってるから。って、言ったよな?」
刃の先端を彼女に向ける。その途端、逃げるように一歩引き下がった。
「これがその返事だ」
「な、なんで・・・?どうしちゃったの、ヒロ?」
「別にどうも。ただ、ちょっと気が変わっただけだ」
それを向けながら、裕人は一歩前に踏み出す。すると彼女も、流れるように一歩退く。一歩一歩、少しづつ彼女を、木の幹にまで追い詰めていった。
「お前、去年から嫌がらせ受けてたろ?あれ、全部俺が仕向けてたんだわ」
「っ!嘘・・・嘘だ!」
「嘘じゃないさ。一昨日のクラスメイトの子の教科書も、その前の日の体操服も。それ以前のやつだって、全部俺が命令してたんだよ!」
実に自分が犯人だという風に演じる。あまり演技には自信が無かったが、彼女はまだ信じているようだ。
「じゃ、じゃあなんでそんなことしたの!?私が嫌だったら、直接言えばよかったじゃない!」
「バカだな。そうやって信じ込ませてから裏切るのが、楽しみだからに決まってるだろ」
後ずさる彼女だったが、とうとう木の幹に背中をぶつけた。しめた!裕人はすぐさま、彼女の顔横にナイフを突いた。
「ひっ!?」
短い悲鳴を彼女が上げる。ナイフは見事彼女の頬寸前で幹に刺さった。ひとまず、彼女の顔が傷つかなくてよかった。
「ウザかったんだよ。昔はいつも、一人じゃウジウジして何もできなかった野郎が、ちょっとこっちがヘマしただけでなんだよ?姉貴ぶりやがってよ」
小学校の修学旅行の時だ。あの夜の一件で、自分たちはここまで仲良くなれた。ある意味、中田には凄く感謝をしているし、あの一件があったからこそ、彼女も本心をさらけ出せるようになったんだと思う。
「そしたら今度は、いつも俺の事をバカにしやがって。人を散々コケにしてヘラヘラ笑ってよ。その度にこっちはイライラしてたんだ」
楽しかった。彼女と冗談を言い合って、他愛もない話をして。本当に毎日が楽しかった。
「そ、そんな・・・まさかヒロが、そう思ってるなんて思わなかったから・・・嫌だったなら、謝るよ・・・?」
「謝罪なんていらねぇよ。・・・今度は刺す」
「ひぃっ!?」
刺さっていたナイフを勢いよく抜くと、彼女は甲高い声を上げて仰け反った。
一応、実際に深手を負わせる気は更々ない。どこかのタイミングで、軽く傷つけることができればいい。
「もう・・・もうやめてよ!いつものヒロに戻ってよ!ねぇ、ヒロ!!」
とうとう彼女ははち切れたように涙を流しだした。それでも、裕人にとっても拷問な時間はまだ終わらない。
「何がいつもの、だよ。これが本当の俺だ。お前とは、ただ遊んでいただけだ」
「嘘だっ!ヒロ、言ったよね?俺に任せろって。必ずなんとかするって、言ってくれたよね!?」
わざとらしくナイフを次々振るう。昨日の出来事のせいで左腕が痛む。だが、それが幸いにも、彼女でも避けやすい素振りになっているようだ。
「そうだ。お前朝、この左腕、心配してたよなぁ?」
「えっ?あ、当たり前でしょ!?」
「これなぁ。昨日、隣町の野郎とケンカしてやられちまってよ。ついうっかりしちまったんだ。おかげで全然動けやしねぇ」
とうとう左腕さえもダシに使う。ダメ元だったが、案外信じ込んでくれたらしい。
「で、でも!やっぱりヒロがケンカなんてするわけない!ねぇ、本当のこと言ってよ!」
悲鳴にも近い声で彼女が声を荒げた。
そろそろ左腕的にも、精神的にも限界だった。これ以上激しく動くと、傷口が開いてしまう。裕人はため息を吐くと、次にこう言った。
「・・・お前は、生きていて幸せか?」
「へ・・・?」
素っ頓狂に彼女が声を出す。
「やはり、お前が死ぬべきだったんじゃなかったのか?」
「っ・・・!?なんで、そのこと・・・」
「優秀だった弟を見殺しにして、自分だけ生き残って。それで楽しいか?そのくせ人見知りで、他人が怖くて、友達も作れなくていつも一人だ。孤独だ。そして今、信じてると思っていた奴に傷つけられようとしている。やはり、お前は惨めだな」
「違う・・・違うっ!!」
「お前がそんなんだから!父親に裏切られて、弟が身代わりになったんだよ!!」
「っ!!」
彼女の動きが鈍った。今だ!裕人は、彼女の左腕目がけて、ナイフを振った。
何かを裂く感触が、ナイフを伝って分かった。人を切るってこんな感じなんだなって、初めて感じる。
次の瞬間、彼女の左腕の制服の袖が切れ、赤く染まった。
しまった。勢いに任せて振ったせいで、予想よりも深く切ってしまった。クソッ、自分で治療してやれないことが、更にもどかしい。
彼女は流れ出る左腕を抑えながら、とうとう地面にへたり込んだ。
「痛い・・・痛いよ、ヒロ・・・」
弱弱しく彼女が言う。本当なら抱きしめてやりたい、慰めてやりたかった。普段は躊躇うのに、今は無性に彼女に優しくしてあげたかった。
だが、ようやくこれで終わる。泣きながら腕を抱えている彼女に向かって、裕人は最後、ナイフを向けながら言った。
「お前は、結局誰にも望まれていない。哀れな奴だったってことだ」
俯く彼女の頬を軽くナイフで切ると、裕人は赤く染まったナイフを投げ捨てて、その場から立ち去った。
当然、良い気持ちなどではない。だが、これで彼女を救うことができるのなら、自分の犠牲など容易いものだ。
今後はもう、彼女と話すことはないだろう。そのことが悔しくて、悔しくて堪らなかった。
彼女との日常は、もう戻ってこないんだと思うと、どう表せばいいか分からない感情がこみ上げる。
―ところで、父親ってどういうことだろう?
正直なところ、最後のセリフは前田に「もしも長引いたらこう言いなさい」と言われていたものだった。裕人自身が、彼女の深い部分を知っている訳ではない。当然前田もそれを教えてくれる訳もなく、それについては謎のままだ。前に、弟の存在については彼女自身から聞いていたが、身代わりという意味はさっぱりだ。
「出来としては、まぁまぁだな」
ふと、下から声が聞こえた。声のほうを見ると、背を木の幹に任せて腕組をする悟郎が待っていた。彼もどこかで見ていたらしい。
「うるせぇ。こっちはもう、いっぱいいっぱいなんだ。一人にしてくれ」
「なら最後に、姉御からの伝言を伝えておく。『仕上げはやっておくわ。今後、あなたとは一切関わらない。その約束は守るから安心して。ご苦労様』だそうだ」
「・・・何が、ご苦労様だ。散々弄んでおいて」
イラついていた。十四年間生きてきて、一番腹が立った。前田に、そして自分にも。
「なら前田に伝えておけ。俺は絶対に、お前らを許さない」
「・・・伝えておく」
それだけ彼に伝えると、裕人は急ぎ足で山を下りた。
泣きたかった。けど泣けなかった。本当に一番辛いのは彼女だ。悪人役の自分が泣いていてどうする。泣いたところで何も変わらない。何も起こせない。
惨めで無力な自分に腹が立つ。今日の悲劇は、一生忘れられないだろう。
「クソッ・・・!」
その日の夕焼けは、血に染まるように真っ赤に染まっていた。

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