Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

Memory.20

事件の発端は、中学二年生の七月九日。いや、本来は更に前から影は動いていた。それが重い腰を上げた日が、九の日であった。
事件の理由は至ってシンプル。恋敵の排除だ。いや、寧ろそれ以上に、人が絶望する顔を見ることに、気が付けば快感を覚えだしていたようだ。
自分から手は下さない。人の弱みを握り、動かす。それがハンターのやり方だった。
これまで、何人もの絶望した顔を見てきた。その度に彼らを嘲笑い、一蹴した。その後、自殺未遂まで起こした人物もちらほらいる。
人が苦しむ姿は、一つの芸術に成り立つ。普段は絶対に見せない表情が見られる瞬間なのだ。これを人々から引き出すことが、何よりも愉快で堪らない。
次の獲物は、七夕の日を最後にしてやろう。その楽しかった一日よりも、遥かにしのぐ絶望で、彼女を満たしてやろう。さて、今回の彼女は一体どんな絶望した芸術を見せてくれるだろうか。
ハンターは楽しみでならなかった。

九の日 放課後
明日から、バスケ部の先輩たちの大会が始まる。今日は部活の終了時間も早く、中田は南口を学校で待つと言うので、のんびりと裕人は一人で帰り道を歩いていた。
嬉しいことに、裕人と中田は、コンビネーションを監督に絶賛された結果、ベンチだが見事一軍入りをしたのだ。大会という舞台に出場できるかもしれないと、明日が楽しみで仕方がなかった。
そんな時である。
「ごきげんよう、真田裕人君」
「ん・・・」
前方のアパートの塀から、一人の制服姿の女が姿を現した。前田来実だ。以前に比べて、心奈と喋らなくなったせいか、裕人自身も最近は、彼女とあまり言葉を交わしていなかった。
「おう、前田か。なんだ?」
特に警戒もなく、普段通りに彼女に話しかける。
「あなた、ちょっと暇でしょう?私に付き合ってくれないかしら?」
「付き合う?何に?」
「ちょっとばかり楽しいことよ。きっと気に入ると思うわ」
「ふーん・・・まぁ、いいけど」
裕人が答えると、彼女がふいに、右手を天に向け伸ばした。
刹那、背後から足音がした。一体誰だと確認しようと、背中を向けだしたその時だった。
「ぐあっ!?」
物凄い痛みが、首のあたりを中心に体中を巡る。一体何が起こったのか。確認する時間もなく、裕人の意識は暗闇に消えた。
瞬間に、彼女が不気味な笑みを浮かべるのを最後に。

頭が痛い。首の付け根がジリジリする。それになんだか、夏のはずなのに寒い。
裕人が目を覚ますと、岩でできた天井が目に入った。
「なんだ?・・・あれ?」
右手が動かない。左手を動かそうとしたが、やっぱり動かない。足も同じくだった。
どうやら頭さえも固定されているらしく、今の現状でギリギリ見える範囲を目視すると、そこには下着一枚だけの自分の腹が見えた。
「げっ!?な、なんだよおい!」
何やらベッドのようなものに、体は頑丈に鎖で固定されている。頭さえ動かないのだから、言葉しか発することができない。一体これは現実なのか?できれば夢であってほしい。しかし、その儚い夢はすぐに砕け散った。
「あら、ようやく目が覚めたのね。あなた、ちょっと寝過ぎよ」
聞き覚えのある声だった。恐らく、前田来実の声だ。
「前田か?おい、これは一体・・・!?」
顔が動かせないため、どこからやってきたのかは分からない。が、裕人の視界に入った彼女の姿は、裕人と同じく下着姿の彼女であった。彼女は上も下もピンク色に染まった下着を身につけ、当然のように裕人に近づいた。
「お、おい!?なんて格好してやがんだ!服着ろ服を!」
思わず目をつむる。普段なら喜んで飛びつくはずの姿なのに、こうも目の前に平然といられると、どうも見ているこっちも恥ずかしくなる。
「あら、嬉しいでしょう?中学二年生の女の子の下着姿よ?今のうちに、目に焼き付けておくといいわ」
どうやら、彼女はまんざらでもない様子だ。
「け、結構だよ!そんなの!それより、俺の服は!?」
「ここにあるけど?」
「ここって言われてもよ、俺今動けないんだよ!見て分かんだろ!?」
はぁと息を吐き、彼女は裕人の制服を、顔の上に投げつけた。
「ちょ、くるいい!おい!ほかへ!」
「うるさいわね。どかすわよ」
嫌々と彼女が制服を取る。嫌がるなら最初から投げなければいいのに。
「で?今のこの俺達の現状はなんだ?」
相変わらず、目をつむりながら裕人が問うた。
「あら、まだ分からない?拘束プレイって言うのよ。男のくせに、その辺は鈍いのね」
「ああ!?お前、まさかホントにするつもりじゃないだろうな!?」
「ええ、私も一応やったことないから、ちゃんと合意の上でやるつもりよ」
「なら俺は絶対に拒否だ!なんでこんな風にやられなきゃなんねぇんだよ!」
「何言っているのかしら?合意って、その合意じゃないわよ?」
「はぁ?じゃあなんだよ」
そう言うと、前田が顔を極限にまで近づけた。微かに彼女の吐息に、アルコールのような匂いがした。
「私を彼女にしない?」
彼女が告げた。
「は、はぁ?なんだよ急に」
「付き合ってくれるなら、このまま続行するわよ?」
「バカ野郎!拒否だ拒否!拒否に決まってるだろ!」
「そう、ならもう一つ選択肢をあげるわ」
そう言うと、前田はベッドの上に座り、唇に艶めかしく指を添えた。
「『あの子』の、絶望した表情を作ってほしいの」
「はぁ?『あの子』って誰の?」
「相変わらず鈍いわね。あなたが今、一番大切にしている子よ」
「大切にしている・・・?」
大切にしている。と言えば、二人が候補に挙がった。中田と心奈だ。そのどちらかと言われると、一体どちらなのだろうと悩ましい。
「・・・ねぇ、本当に分からないの?」
「え?うーん。一応、和樹か心奈かなぁって思うんだけど、どっち?それとも別の人?」
「・・・あんた、本当にバカなのね。話してるこっちの気が狂うわ」
「よく言われる」
つまらなさそうにため息を吐くと、彼女は立ち上がり、裕人の足の前に立った。
「なら、教えてあげるわ」
刹那、足の間に強烈な痛みが伝った。
「いっ!?」
飛び跳ねるように体を動かそうとするも、四肢は全く動かない。それどころか、鎖に肉が食い込み、更にそれ以上の激痛が走った。
「明月心奈!私が今もっとも憎い女よ!彼女は生まれも育ちも私より悪いくせに、どうして私よりも幸せなのよ!私のほうが、何倍も幸せになるべきなのに!」
興奮した様子で、何度も何度も彼女は裕人のアレを踏みつけた。
「痛い!痛いから!頼むから、そこ蹴るのやめてくれ!」
悲鳴にも近い言葉で叫ぶと、彼女はぽっかりと口を開けて数秒フリーズした。
「・・・あら、ごめんなさい。ちょっと熱くなっちゃったわ」
苦笑いを浮かべて、彼女はようやくそこに足を置くのをやめた。目の前に下着姿の女の子がいるのに、それよりも猛烈な痛みに襲われた裕人は、既にすっかり冷めてしまったようだ。
「で・・・心奈が憎いだって?なんだよそれ、前は仲良く話してたじゃねえか」
ジンジンと足の間が痛むのを我慢して、裕人が言った。
「ふん。あんなの、ただの情報収集に決まっているでしょう?相手を知るには、懐に入るのが一番なのよ」
憶えておきなさい、と彼女は誇らしく言った。果たして、今後の裕人の将来にこの助言が役立つ日が来るのかは謎だ。
「それで、条件なんだっけ?心奈をどうしろって?」
「だからさっきも言ったでしょう?明月心奈の絶望した表情を、私に見せてほしいの」
「はぁ?それをなんで俺に?っていうか、たとえお前がやっても俺が止めさせるけどよ」
「バカね。絶望っていうのは、自分が信頼している人に裏切られるほど、憎しみが増すのよ」
「・・・ん?それって、あいつが一番俺を信頼してるって言ってるのか?」
「ああもう!あんたホントに鈍いのね!そうよ!そうに決まってるでしょう?」
何故彼女に叱られているのか、裕人には理解できなかった。だが、第三者にそう言われてみると、なんだかとても嬉しい。周りからも、自分たちは仲が良いと見られている証拠だ。
「いい?つまり私が言っているのは、あなたに彼女を裏切ってほしいのよ」
「いやいや、絶対にお断りな?何言われても従うもんか」
「そう・・・」
ゴミでもみるような目で裕人を見下すと、再び彼女がアレを思い切り蹴った。
声にならない叫びをあげる。痛い。とにかく痛いのだ。ああ、彼女にはこの痛みが分からないんだろうなと、心底裕人は彼女を恨んだ。
「一つ。あなたは私の選択肢から逃げられない」
前田が右手の人差し指を立てた。
「二つ。このどちらかの選択肢を選べば、彼女の嫌がらせをやめさせてあげる」
それを聞いた途端、裕人は眉間をピクリとさせた。
「・・・今、なんて言った?嫌がらせ?」
「ええ、言ったわ」
「お前か・・・!心奈に嫌がらせしてたのは!」
一気に怒りがこみ上げた裕人は、精いっぱいの力で声を張り上げた。
「お前・・・絶対に許さねぇ!心奈が、どう思ってるのか考えたことあんのか!ああ!?」
「うるさいわね。もう一回蹴ったほうがいいかしら?そろそろ潰れるんじゃないかしら」
「うっ・・・」
そうだ。考え直せば、今の状況で彼女に抵抗できる訳がないのだ。悔しいが、裕人は沸々と湧き上がる怒りをどうにか抑え込んだ。
「で、一応聞いとこうじゃねぇか。心奈の絶望した表情を見せるために、どうすればいい?」
「あら、いい質問ね。教えてあげるわ」
すると、彼女は裕人の脇腹に手を添えながら、ゆっくりと顔を近づけて、
「簡単よ。『嫌がらせをしていたのは俺だ。お前とは、本当はただ遊んでいただけだ。お前には飽きたから、もうどこかへ消えてしまえ』って言って、軽くナイフで・・・そうね、腕辺り浅く切っておけばOKよ」
と彼女は言った。
微笑みながら、よくもまぁ恐ろしい事を淡々と言えるものだ。裕人は妙に感心してしまった。
「そんなものであいつが絶望すると思うか?あいつはああ見えて強いぞ?」
「バカね。それが、それで充分なのよ。人間なんて、信じてる人間に裏切られること以上に絶望することはないわ」
「人間ってね、案外脆いのよ」そう加えて彼女は告げた。
「そうそう、三つ目をまだ言ってなかったわね」
思い出したように、彼女は続けて言った。
「三つ。万が一拒否した場合、今度はあなたの絶望を見てあげる。そして、明月心奈への嫌がらせは更に酷いものになるわ。確かに絶望する顔を見るだけなら、あなたも用無しだけど・・・あなたの存在自体、本当は邪魔なだけだものね」
そこまで言うと、前田は裕人から離れ、どこかに向かった。ミシッと木が軋むような音がした。どうやら、椅子に座ったらしい。いい加減、この頭の固定だけでもどうにかしてもらえないものだろうか?
「そうね・・・私も鬼じゃないわ。二日間だけ考える時間をあげる。どうか、じっくりと考えるといいわ。それと、これは他言無用でお願いね。他の人に話したら、その時点でターゲットはあなたに代わるわ。あなたがどこで何を話そうと、私はちゃんと聞いているわ」
まぁ私はどっちでも構わないのだけれど。彼女はそう付け加えた。
「二日?俺、バスケの大会なんだけど」
「問題ないわ。あなたの家の場所は知っているし、どのルートで帰るのかも知っている。会う手段だって、いくらでもあるもの」
「・・・何でそんなに知ってんだ?」
「あら、それは悪い質問ね。企業秘密とでも言っておこうかしら?」
うふふ、と前田は笑った。
「あなたが思っている以上に、この世界の裏は残酷で非情なのよ。今までのあなたの生活が、私達の裏で成り立っているだけだと、これを機に実感するといいわ」
「はぁ、そうですか。まぁ、片隅にでも憶えとくよ。ところで、いつになったらこれ外してもらえるんだ?」
「そんなに外してほしい?わがままね。もう少しその面白い姿を見ていたかったけど・・・真田君のお願いだから、仕方ないわね」
再び下着姿の彼女が視界に入ると、まずは頭、右足、左足と鎖を解いてもらった。出来れば、腕を先に外してほしいのだが。
「・・・ところで、さっきのあの電気ショックみたいなのはなんだ?すっげぇ痛かったんだけど」
「うん?ああ、これのことかしら」
左足を自由にしてもらったところで、彼女が何かを奥のテーブルから持ち出した。手のひらサイズで、二本のとんがった部分があるそれは、恐らくスタンガンと呼ばれるやつだろう。よくドラマなどで見るやつだ。
「これ、結構重宝してるのよね。数回やるだけで、みんなバタンしちゃうんだもの。気絶する瞬間のあの表情もまた、楽しいのよね」
ジジジッとスタンガンを鳴らしながら、不気味に前田が笑っている。一体それの何が楽しいのか、裕人には理解がし難い。
「それじゃあ・・・」
「・・・え?」
「良い答え、待ってるわよ。まぁ、どちらの選択肢も、私には嬉しいのだけれどもね」
そう言うと、勢いよく彼女の手に持つそれが、裕人の脇腹を襲った。
裕人は再び、暗闇の中に落ちていった。

「・・・ろ・ん・・・ひ・・ん」
何やら声がする。脇腹が猛烈に痛い。
ぼんやりと見える景色に、誰かの顔が映った。
「・・ろう!し・・しろ!」
何やら怒鳴り声のようなものが聞こえると、思い切り頬に痛みが伝った。
「いってぇ!」
思わず大声で叫び飛び跳ねるように起き上がった。しかしそのおかげで、しっかりと視界が晴れ、聴力も元に戻ったようだ。
「おい、お前大丈夫か?」
ふと、聞きなれた声がした。横を見ると、心配そうにこちらを見る、中田と南口がしゃがみ込んで隣にいた。
「ああ、和樹、南口。これは現実か?」
周りをキョロキョロと見回す。そこは、先程前田と出くわした場所だった。
「はぁ?何言ってやがんだ。現実に決まってんだろ」
「そうか。っていうか、今何時?」
「あ?玲奈の部活終わりだから・・・」
「多分、夜の七時前くらいだね」
二人が顔を見合わせながら答えた。
裕人達の部活が終わったのが五時過ぎだ。本来のこの時期の部活終了時刻が六時半だから、先程の出来事は多分、その間にあったことだろう。
まぁそもそも、さっきの出来事も夢であると信じたいのだが。
「そうか・・・」
ハッと自分の姿を確認する。そこにはしっかりと、制服を身にまとった自分の姿があった。しかし何やら、嗅ぎ慣れない香水のような香りがする。
―・・・夢じゃ、ないのか。
嬉しさも微量あったが、やはり悲しさのほうが何倍も大きかった。そうなると、二日後までに彼女の選択肢のどちらかを選ばなければならない。
「っていうかおい、こんなとこで倒れて何があったんだよ?説明しろ」
中田が迫った。そう言われても、この話は他言無用と言われている。これを伝えると、自分はともかく、問答無用で心奈への嫌がらせがエスカレートしてしまう。それだけは、彼女の為に絶対に避けたい。
「いや、その・・・おかしいな、そっちの芝生で昼寝してたはずなんだけどなぁ。俺寝相悪いからなぁ」
ふと、咄嗟に視界に入った芝生を指差して答えた。もちろん、こんなので理解してもらえる訳がない。
「はぁ?お前正気か?もう一回ビンタしてやろうか?」
「いやいや!大丈夫、ホントに大丈夫だから!」
咄嗟に起き上がると、裕人は荷物を手に持ち、
「悪いな、心配かけて。ホント、大丈夫だから。ありがとな、それじゃ!」
と、逃げるようにその場から走り出した。相変わらず、嘘が雑で下手なのはどうにかしたいものだ。
「おい!裕人!」
背後から中田の声が聞こえたが、気にせずにそのまま走った。
万が一走って追いかけられた時の事を考えて、しばらくどこかに隠れておこう。不法侵入だが、一つの家の庭に入り、塀に隠れた。ふと、グルルと声が聞こえて振り向くと、どうやらそこで飼っているらしい大型犬がそこに横になり、裕人を睨みつけていた。
―頼む、吠えないでくれ。
そう願いながら、息を潜め、唾をゴクリと飲み込んだ。
案の定、彼は後を追いかけようと走ってきたようで、家の前を何かが走るような音が聞こえた。
その後を、ゆっくりと大きな物音を立てながら動くものが通る。恐らく、二人分の荷物を持った南口だ。二人の歩く音が聞こえてしばらく経つ。気が付くと横になっていた大型犬は、幸いにも見過ごしてくれたようで、目をつむって眠っていた。
ホッと一息吐く。周りに彼らがいないことを慎重に確認して、家からゆっくりと出た。
―しかし、明日中田になんて言い訳しよう。
そう。明日の大会で、再び中田と会うのだ。万が一交代で出た場合、今のままだとコンビネーションにも大きく影響するだろう。
裕人は不安を頭の中で悩ましながら、グルグルと思考を重ねながら帰り道を歩いた。

こうなることは分かっていた。
帰宅しようと下駄箱を開くと、デジャブのようにノートの切れ端が一枚、ひっそりと入っていた。
そこには『時は満ちた。呪いの儀式の瞬間を暫し、心して待たれよ。そして、これまでの幸せをしっかりと噛みしめよ』と書かれていた。
とうとう来てしまったのだ。彼と別れなくてはならない瞬間が。
覚悟はしていたが、いざ目の前になるとやはり気が気でならない。
「ヒロ・・・」
心奈は、静かに彼の名を口にした。

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