Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

Memory.18

7月5日

ジリジリと日差しが町を照らす。そろそろ、本格的に夏が到来してきているようだ。一足気が早いセミたちが、個性豊かな音色を奏でている今日この頃。
心奈は一人、廊下を歩いていた。
―明後日で、三ヶ月が過ぎる・・・。どうしたらいいんだろう。
約束された三ヶ月。誰に下され、何が起こるのかさえも分からないタイムリミット。どれだけ願っても来てしまう七夕の日に、ただただ怯えるだけの日々を送っていた。
「よう、明月」
階段で、中田と遭遇した。胸元まで開けたワイシャツから、少し焼けた肌が見えている。
「中田君・・・。さっきの授業理科だったの?」
「ああ。っていうか、今やってる原子記号が訳分かんなくてさ。Agだの、Cuだの、金属やら非金属やら。全く分かんねぇんだけど」
「原子記号なら、暗記方法で覚えれば簡単だよ。今度、教えてあげようか?」
「お、ホントか?サンキュー。じゃ、また今度な」
「うん・・・また」
―また。
心の中でその言葉を繰り返しながら、心奈は中田を見送った。
最近は、一人で行動することが多くなった。気軽に話せるくらいの友人なら数人できたが、なんとなく一緒にいる気分じゃなかった。
彼女は独り身で、理科室があるB棟へと向かっていた。
―七夕・・・か。
『・・・もし、彼氏ができたとしたら、どうしたい?』
去年、裕人に言われた言葉だ。
まさか彼から、そのような言葉を聞くとは思わなかった。それでも心奈自身、そう彼に言われて嬉しかったし、彼自身の気持ちも再確認できた。
それでも、そこから先の領域にはあえて踏み入れなかった。怖かったのだ。今の関係が、もし崩れてしまったらと思うと。
今でも恋人や結婚は、彼女にはまだ分からなかった。それでも、今彼へと抱いているこの感情こそが、『好き』という感情なのだと、ようやく分かってきたところだ。
たとえ話さなくても、何もしていなくても。そばにいるだけで安心する。そこにいるんだと分かるだけでホッとする。それが、『好き』ってことなんだと、最近気づいた。
―・・・よし。
また七夕の日がやってくる。たとえそれが、彼と離れてしまうタイムリミットだったとしても。それでも最後まで彼と一緒にいたい。
心奈は、軽く息を吐くと、力強く足を踏み出した。

放課後
文化部に比べて、運動部の部活終わりは遅い。用具の片付けや、着替えなどがあるからだ。
校門前の花壇に座って、心奈は彼を待ち構えていた。
「あれ、明月。どうした?」
先に出てきたらしい中田に声をかけられた。首には、水色のタオルが巻かれている。
「あ、中田君。ヒロ、まだやってる?」
「ああ、あいつか。あいつは今日鍵当番だから、多分一番遅いと思うぞ」
「そっか。分かった、ありがと」
「・・・ふふーん?」
中田が気持ち悪く笑った。
「・・・何?」
「なんでもねぇよ。ま、せいぜい楽しんできな」
背を向けて手を振りながら、中田は去っていってしまった。どうやら、心奈の用件が彼には分かったらしい。
「中田君ったら・・・」
愚痴を吐きながらも、その言葉を受けて、正直に嬉しかった。本当に彼はいい人だと、改めて心からそう思えた。
中田が去ってから十数分。生徒の出がほとんどなくなった頃に、彼は姿を見せた。
「あれ?何してんのお前?」
こちらの理由など知らない裕人が、素っ頓狂に言った。
「もう!遅いよバカ!」
「えぇ・・・なんで怒られてるのか、さっぱりなんですけど」
「いいから、さっさと帰るよ!」
「は、はぁ・・・」
文句を言いたそうな裕人を無視して、心奈はさっさと歩きだした。
「で、なんで待ってたの?」
校門を出たところで、裕人が問うた。
「土曜日。暇でしょ?」
「は?いや、午前中部活だけど」
「・・・午後は?」
「まぁ、暇ですけど」
「じゃあ決まり」
「は?」
「・・・っていうかあんた。土曜日が何の日か分かってる?」
「土曜日?・・・ああ、七夕か。だから俺を誘おうと?」
話の内容が分かった途端、裕人が嬉しそうにニヤニヤとしだした。
「そ、そうだけど!なんか文句ある?」
「ははーん。さてはお祭りに行きたかったけど、行く相手がいなくて寂しかったんだな?しょーがない、一緒に行ってやるよ。本当は、部活終わりだからゆっくりしたかったけど、心奈さんのお願いだからしゃーなしだな」
「な、なによ。それじゃまるで、私が強制してるみたいじゃん」
「いいや?俺は仕方なぁく心奈さんのお願いを承諾しているだけですよ」
「っていうか!なによ『心奈さん』って」
今思えば、初めて彼に下の名前で呼ばれた。新鮮味のある呼ばれ方に、思わず胸が高鳴る。
「えぇ?いや、なんとなくですけど。嫌でした?」
「い、いや!・・・じゃない・・・と思う」
「お、マジで?やーい、心奈ちゃーん。心奈ちゃんに誘われちゃったー。きゃーどうしよーう」
「ちょ、調子に乗るなぁ!もう!さっきの話無しにするからね!?」
バカみたいに声を変えて調子に乗る裕人に、思わず心奈は怒鳴った。
「へいへい、悪かったよ。でもまぁ、いい機会だし。これから下の名前で呼んでみようかな」
「えっ?ちょっ・・・そっ・・・その・・・」
突然の急接近に、思わず焦る。これから最後かもしれないのに、どうしてこうも嬉しいことが起こるのだろう。
「あれ?ダメか?」
裕人は不満気に顔を濁らせた。
「あ、いや!あの・・・と、特別にヒロだから許す!」
「なんだそれ」
そっぽを向いて答えると、彼は吹き出して笑った。やっぱり彼の笑顔を見ると、自然と自分も安心する。
「う、うるさい!許可したんだから、嬉しく思ってよね!」
「へいへい。分かったよ、心奈」
「よ、呼び捨て?な、なんか恥ずかしいな・・・」
「じゃあ、ちゃん付けでもしようか?心奈ちゃん」
「き、気持ち悪い!心奈でいいよ!心奈で!」
「オッケー。心奈」
いつもの笑顔で彼が言った。
まだ恥ずかしさがあるものの、そう呼ばれる度に、心が温まる気がした。
「く、くれぐれもちゃん付けとか、さん付けとかしないでよね!あんたが言うと、なんか・・・気持ち悪い」
「ええ!?何だよそれ」
「だって!あんたってほら、少しウジウジしててさ・・・・・」
話の流れでこうなってしまったが、果たしてよかったのだろうか?
嬉しさの反面、心奈は多少の後悔も生まれていた。

運命の日まで、残り二日。
獲物を狩るハンターは、一秒たりとも見逃さなかったのだ。

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