救世主になんてなりたくなかった……

臨鞘

第84主:ビルルの過去(1)

 目を開けると、短い赤髪の幼い少女が泣いていた。

「大丈夫?」

 さすがに目の前で泣かれると、放置するわけにはいかないので、声をかけた。しかし、少女は何も反応しない。

「まさか……」

 ある可能性が浮かび、少女に触れようと手を伸ばす。しかし、触れることはできずに少女の体をすり抜けるだけだ。

 完全な第三者視点だとわかり、シュウはただ眺めるだけに徹することにする。まずは周りの状況を確認してみる。

 空は青く澄み渡っていた。周りには草花が生えていた。どうやら、少女は木から落ちたようだ。そんな少女に長い赤髪の女性が近づき、少女の頭を撫でる。

「よしよし。痛かったね。ビギンス。でも、あなたがわんぱくするから悪いのよ」

「ごめんなさい。ママぁ」

 ビギンスと呼ばれた幼い少女が泣きながらも、ママと呼ぶ女性に謝る。

「いいのよ。大怪我がなくてよかった」

 ビギンスは母親に抱きついた。そして、泣き続ける。そんな彼女を愛おしそうに眺めながら、頭を撫でていた。

「どうしたんだ?」

 声が聞こえた方には暗い赤髪の男性がいた。少しだけ、面影が残っているので、ビルルの父親だということをシュウは理解した。

「サルトさん。この子ったら、また木から落ちたの」

「そうか。君に似てわんぱくだな」

「アタシのどこにわんぱく要素が?」

「確かに今は大人しいが、出会ったときはわんぱくだっただろ。ワタシの護衛を燃やした尽くすしたし」

「あれはあなたの護衛が悪いよ」

「ハハッ。確かにな酔っぱらった勢いで、君に絡んでいたからな」

「えぇ。でも、あれがあったからこそ、今のアタシたちがあるのよね」

「そうだな。あんなことでもキッカケになるなんてな」

「ふふっ。そうね」

 二人がそんな話をしていると、ビギンスが泣き止んだ。そして、離れて、すぐにニコッと笑う。

「パパとママって、なかいいよね。うらやましいな」

「何言ってるの。あなただって、家族なんだから羨ましがる必要なんてないよ」

「そうだぞ。ビギンスはパパとママの愛の結晶なんだから」

 そう言って、ビギンスの父親サルトが二人を抱きしめた。

「パパくすぐったいよ」

 ビギンスは嬉しそうに笑う。だけど、ビギンスの母親は無言で抜け出す。

「どうして逃げる?」

「なんとなく」

「なんとなくで逃げられるのか……」

 サルトは少し悲しげな表情を浮かべる。

「もっと、鍛えたら、抜け出すこともできないかもね。ルセワル家の長なんだから、しっかりしてよね」

「君が別段強いだけだろ」

「そうかしら?」

 ビギンスの母親は不思議そうに首を傾げる。どうやら、無自覚で成人男性よりも強いらしい。

「旦那様、セイラ様。お客様です」

 二人に遠くにいたメイドが話しかける。

「また、おしごと?」

「うん。ごめんね。でも、すぐに切り上げてくるからね。少し待ってて」

「うん」

 セイラと呼ばれたビギンスの母親の言葉に、ビギンス自身が寂しそうに頷いた。そんな彼女を悲しげな眼差しで見て、軽く頭を撫でて、すぐに立ち上がった。

 二人はメイドの元へと向かう。

「やっぱり、セイラって名前、アタシは好きじゃないな」

「どうして?」

「アタシ、そんな女らしくないでしょ」

「女性らしくなって欲しいと願ってつけていたのだろう」

「本当にそうなのかな? 相手は顔も知らない人だから、そんなこと思えるような人だったのかな?」

「どうだろう? そればっかりはわからない」

「まぁ、そうよね」

 遠ざっていく背中が、そんな会話をしているのがビギンスの耳には届いていた。

 引き止めたい。彼女はそう思っているかのように手を伸ばす。だけど、すぐに引っ込めた。

 ビギンスはまだ幼い。恐らく両親とあまり離れたくないのだろう。子供なら当然の思考だ。しかし、彼女はその本能を理性で抑え込んでいる。幼いながらも、邪魔してはいけないとわかっているようだ。

 そんなビギンスを見て、メイドが彼女に近づき、目線を合わせるためしゃがみ込んだ。

「お嬢様。私と遊びますか?」

 そのメイドの提案にビギンスは満面の笑みで頷いた。

 カシャン!

 突然響いた音に優しい光景を眺めていたシュウはビクついた。

 すると、景色が変わった。

 先ほどまでは外だったが、今、目の前に広がっているのは室内だ。

 もう夜なのか、天井にかけているシャンデリアに光が灯っていた。その部屋には使用人たち、ビギンスたち家族が揃っている。

 使用人たちは壁の端で立ち、部屋の中央に長テーブルがあった。そのテーブルの上には様々な料理が置かれている。

 どうやら夕飯を食べ始めるようだ。

 三人は手を合わせて、同時に「いただきます」と言った。

 フォークとナイフの音が響く。誰一人として、喋る気配がない。

 数分後、その静かさに我慢できなくなったのか、ビギンスの母親のセイラが口を開いた。

「この空気、全然慣れないんだけど……。食事ってワイワイ食べる方が楽しいじゃない」

「なるほど。そんな風に食べたことないから、わからないな」

「このお坊ちゃんが……」

 セイラは少し悪態をつくが、誰も気にしない。いつものことだとでも言うかのような表情だ。

「でも、この人数でワイワイできるかな?」

「むしろ、こんなにも使用人の方たちがいたら、できないことないでしょ」

「みんなまじめだからしなさそう」

「ふふ。そうね。確かにこの方たちは真面目ね」

「そういう人を雇ったからな」

 ビギンスの父親であるサルトの言葉を聞いた瞬間、セイラはビギンスに耳打ちする。

「パパって、人を厳選するんだって。最低ね」

「うん。パパ、サイテー」

「やめて! 冗談でも、泣きたくなるから!」

 そんなサルトの言葉にセイラとビギンスが笑う。そんな二人を見て、彼は苦笑を浮かべた。

 シュウはそんな光景を優しい眼差しで眺める。そんなことしかできないが、少し心が癒されていた。

 カシャン!

 また景色が変わった。しかし、先ほどよりは大きな変化はなく、夜の室内だった。

 ビギンスは目の前にいるセイラを見つけて、駆け寄った。

 二人がいるのは長い廊下。恐らく、シュウがビルルと戦った場所だ。

 ビギンスはセイラに抱きついた。

「とと……ん? ビギンス。どうした?」

 二、三歩、抱きつかれた勢いで前に出たが、すぐさま振り返り、ビギンスの頭を撫でた。

「ごほんよんで」

「いいよ。何読んで欲しい?」

「んーっと、ゆうしゃのはなし!」

「よりによって、それかぁ」

「ダメ?」

「ダメじゃないよ。でも、パパには内緒だぞ。パパは勇者が嫌いだからな」

「うん……。でも、ゆうしゃ、みんなからきらわれてかわいそう」

「うん。そうだな。でも、それは仕方のないことのんだよ。みんな勇者のことよく知らないから」

「そうだね……。でも、どうしてママはゆうしゃについてくわしいの?」

「昔、色々と調べたからね。あくまで隠した趣味だけど」

「しゅみってかくさないとダメなの?」

「ほとんどの趣味は隠さなくていいよ。趣味だって、その人の個性なんだしさ。だけど、隠さないといけない趣味もあるんだ。変な騒ぎを起こさないためにも」

「たいへんだね」

「そうだよ。大人は大変なんだ」

 そう言いながらも、セイラはビギンスの頭を撫でる。

「じゃあ、今から取りに行くから、部屋で待ってて。大丈夫。昼みたいにはならないからね」

「うん……」

 ビギンスは寂しそうに頷いた。そんな彼女の反応から察するに昼はすぐに切り上げることができなかったようだ。

 セイラとビギンスは自分の部屋へ向かった。

 セイラは小走りで。

 ビギンスはゆっくりとした足取りで。

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