救世主になんてなりたくなかった……

臨鞘

第66主:ビルルとの二度目の特訓

 シュウは目を開けた。まだ陽は上っていない。部屋も外からの月明かりしかなかった。

 起き上がろうとして、体に重みを感じる。視線を向けるとヒカミーヤが静かな寝息を立てていた。おかげで昨夜のことを思い出す。

 そっとヒカミーヤの髪を撫でる。隣にはサルファも寝ていた。

 二人ともシュウの貧血を治すために手伝ってくれた。感謝はするが、責めはしない。だからこそ、二人にはゆっくりと眠っていてもらいたい。起こさないように気をつけながら、布団から出る。

「さて……準備するか」

 何時かは時計がないからわからない。だけど、シュウは特訓の準備をする。

 制服のまま寝てしまったので、洗濯することにした。そもそも風呂も入っていないが、特訓が終わってから入ることにする。シュウはジャージに着替えた。下着も、もちろん変えている。アンティークショップという名の何でも屋で買ったものだ。服も何着か増えている。今、シュウが着ているジャージも買ったものだ。そのため新品特有の匂いがする。

 シュウが着ているジャージは基本は黒い生地だが、腕と足の側面には赤い縦線が入っている。メーカーは描いていないので、明らかに怪しい。だが、ここは異世界。そもそも衣服メーカーが何店あるかわからない。

 買った二振りの短剣も両腰にあるホルダーにしまう。短剣は血が付着しているので、研がないと錆びる。だが、シュウは研いでいない。研がないととわかっているが、昨日は研ぐ暇がなかった。キチンと砥石はある。しかし、使い方はわからないので、特訓中にビルルに教えてもらうつもりだ。

 コンコンと扉がノックされる。恐らくはビルルだろうとシュウも理解していた。だからこそ「どうぞ」と一言だけ言った。

「どうやら起きているようだね」

 言いながらビルルは扉を開けた。そこには既に準備万端な彼女がいた。長い赤髪もバッチリと纏めている。服装もジャージだ。彼女のジャージ姿を初めて見たシュウは少し驚いている。

「は、はい。準備できました。今日は二人を寝かせてあげてください」

「ふーん。今日は二人っきりということね。何もしないでね。これでもわたし貴族だから」

「えっ? き、貴族?」

「そう。貴族。没落だけどね。ホントは言いたくなかったんだけど……」

「で、でしたら、どうして?」

「今日からの闘技戦に両親が来るから。隠せないと思って、少なくともシュウくんにだけは言っておこうと思ってね」

「そうですか……。まぁ、俺には関係のないことですけど」

「それはどうかしら?」

「と言うと」

「それはね……」

 ビルルは勿体つける。シュウは何を言われると不安になり、唾を飲み込む。

「内緒」

 思わずズッコケてしまった。

「そこまで言うのでしたら、最後まで行ってくださいよ!」

「はいはい」

 面倒くさそうに返す彼女を見て、シュウは苦笑を浮かべた。

「それじゃあ転移するね」

「あっ、少し待ってください」

「どうしたの?」

「特訓に行っていると書き置きしておこうと思いまして」

「そう」

 素っ気なく返すが、待ってくれるようだった。シュウはすぐに書き、部屋に唯一ある机の上に置く。

「お待たせしました」

「さぁ、行こうか」

「はい」

 返事を聞くと嬉しそうに笑ったビルルが虚空に鍵を差し込む。そして、回した。

 ギギギギと重厚な音を響かせながら、扉が開く。先は真っ暗。ビルルが足を踏み入れた。シュウも続く。


 扉の先は草原。芝生といっても過言ではないほど短い草が生えている。しかし、そこには花がある。だからこそ草原だ。雨が降ったあとなのか草花の匂いが強い。

「早速、始めようか」

 お互いに距離を取り、目を合わせるとビルルはすぐさま言う。

「わかりました。ですが、一体何から始めますか?」

 距離があるので怖くない。だからこそシュウは普通に話せている。

「そうね。どんな特訓をすればいいかわからないから、お互いに本気で戦おう」

「わかりました」

「ちなみにわたしはサブ武器の細剣を使うから」

「鉄扇は使わないのですか?」

「うん。アレを使うにはわざわざ戦装束に着替えないといけないからね。なかなか面倒なのよ」

「そうなのですか」

「そうなのです。さて、わたしが合図を出すから、それで戦闘の始まりね」

「わかりました」

「それじゃあ……始め!」

 ビルルが言った瞬間に彼女の姿が消えた。完全に出遅れるシュウ。だが、どうせビルルの速度にはかてない。

 一瞬にして眼前に姿を現した。いつの間に抜いていた細剣でシュウの首を狙ってくる。右手に持っている短剣で細剣の側面を擦り、軌道を変えた。間髪入れずにビルルの心臓を狙う。

 短剣には躊躇というものがない。完全に殺すつもりだ。そのことに彼女は目を見開く。だが、彼女も戦士。すぐさま気持ちを切り替える。

『凍れ!』

 空いている手の平をシュウに向けて唱える。冷気を微かに感じた。今は陽が出ていないので冷え込むが、それよりも低い冷気。

 ーーマズい!!

 シュウは慌てて後退する。先ほどシュウがいたところが凍っていた。

「逃さない!」

 バチッと音が聞こえたかと思うと、シュウは背後に気配を感じ取った。逆手に持っている短剣を背後に押す。一瞬にして弾き落とされる。

「これで終わり!」

 ビルルはシュウに告げる。すぐさましゃがみ込み、根っこごと地面から引き抜き、投げた。さすがにそれは予想していなかったのか、ビルルの目に土が入る。だが、そんなの彼女には効果ない。だが、あわよくば目潰しできればと思っていたが、できなくてもよかった。シュウは一瞬だけ隙を作りたかっただけだ。

 一瞬の隙の間にまだ持っていた短剣をビルルの脇腹に突き刺した。柄頭を空いている手に添えてだ。突き刺すことができた。彼女の脇腹から血が滲み出てくる。しかし、ビルルは特に気にせず、シュウの喉を突き刺した。

「……ッ! ……ッ!」

 喉が潰されたので声が出ない。激痛だが、叫ぶことは不可能。そもそもこの程度では簡単に死ぬことができない。ただ、苦しみジワジワと死んでいくだけ。

「ごめんね。シュウくん。この細剣じゃあ、すぐに殺すことができないんだ」

 ビルルの言葉を聞くとシュウは苦笑を浮かべた。苦しいはずなのに苦しみが薄れていく。治っているわけでもない。痛みに慣れてきただけ。

「それにしても、まさか本気で殺されそうになるとはね。昨日とは大違い。どういう心境の変化があったか、死んでから聞かせてね」

 承諾するみたいにシュウは笑みを浮かべる。

「そういえば引き抜かないとね」

 言うとビルルはシュウの喉から細剣を引き抜いた。栓していた水のように一気に噴き出る。その量は明らかに致死量。だというのにシュウはまだ意識がある。痛みで意識が覚醒してしまった。だけど、それも一瞬の出来事。すぐに意識は沼に引きずり込まれる。抗う術はない。抗う意味もない。意識を手放しに引きずり込ませる。それが唯一の正しい選択。

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