高校生である私が請け負うには重過ぎる

吾田文弱

第53話 DEJAVU

 久し振りに我が家で起床。陰山くんに毎朝叩き起されるのが通例だったけれど、決して私自身寝坊助という訳では無い。
 目覚ましなど掛けなくとも決まった時間に起床出来ているからだ。

 その時間とは、午前七時前。
 この時間に起きさえすれば学校に遅刻することはまず無い。つまり何が言いたいかと言うと──陰山くんは起きるのが早い。

 私のルーティンをぶち壊す朝五時起きの彼の生活習慣にはついていけない。それこそ目覚まし時計が必須になってくる領域だ。

 だがしかし、そんな早起きをする必要は今はない。私はいつもの時間に目を覚まし、洗面所で顔を洗い、朝食を済ませ、午前七時半前に自宅から出ていく。
 ここまではいつもながら平凡なものだ。小学生から一度もこのルーティンから外れた事はない。

 問題は──今日に限ってはだけれど、学校の教室に着いてからだ。

 午前八時前には四髙高校に到着。
 我がクラス──三年一組の教室の引き戸を開けると、いつもならクラスの皆が私に気付き「おはよう!」と元気な声で挨拶してくれるのだけれど、今日はその声はひとつもなかった。

──私……何か皆に嫌われるようなことしたかな……。

 しかしその思いは杞憂だということは直ぐに分かった。
 教室の教卓に近い席、そこに在籍する生徒に教室にいる皆の注目が集まっていたからだ。
 その人物とは──

「頭金……、お前何があったんだ……!?」
「お前みたいな屈強な野郎がボコボコにされちまうなんて……一体どんな奴なんだ?」

 パッと見ミイラ男にしか見えない容姿で項垂れて座っている頭金利益くんが教室の皆に囲まれていたのだ。
 顔面が腫れ上がっているのが包帯やガーゼ越しにでもよく分かる。
 恐らく白臣さんによる応急処置なのだろうけど、お世辞にも完璧とは言えないハリボテのような処置だ。

「頭金くん、みんな心配してるのよ? 何があったのか教えて」
 
 女子生徒にまで心配してくれるなんて、実は頭金くん、クラスメイトからの信頼は結構厚いみたいだ。
 その問いかけに彼は漸く顔を上げ、か細い声で答えた。

「大した事じゃない……。全部俺が悪かったんだ……、目の前の欲に目が眩んだ俺の体たらくが招いた結果がこれなんだよ……」

 お茶を濁すような発言ではあったけれど、だいたい合ってる。
 彼の昨日の行いは粛清されるべきことだし、人道から外れた事は言うまでもない。
 
「そんなひどい怪我じゃしばらく空手なんざ出来っこないだろ」

「あ……、それなんだけどさ……もう俺、空手部……辞めたんだ……」

「「え!?」」

 その場にいる全員が驚きの声を上げた。私以外だけど。
 やっぱりそうだったかという感じだ。
 あれから学校へと向かう間もなかったのだろう、結局彼は長年続けてきた空手を昨日付で手放す事になってしまった訳だ。

 昨日の時点ではなんの躊躇もなく辞める気満々だったけれど、あの様子を見るとかなり後悔しているようだ。
 あれから色々彼なりに考えながら思うところもあったのかもしれないけれど、最早後の祭りだ。
 全てにおいて自業自得だと思うし、目の前の欲のために何か大切なものを失った彼はこんなにも惨めに映るものなのか。

「何だ、朝早くから騒がしいな」

 なんて思ってたら、教室の引き戸が再び開かれた。
 入ってきたのは、珍しく予鈴まで余裕のある時間帯で登校してきた陰山くんだった。

「あ、山田くんおはよう」

 流石にもうあの時のような過ちは犯さない。きちんと学校生活における名前で彼に挨拶をした。

「ああ、委員長。なんだあれは? 皆に注目されてまるで見世物小屋のようだぞ」

 それをあなたに言われちゃおしまいだ。あなたのその格好だって、この学校においては十二分に目立つ。
 そして、そのような結果にさせた張本人とは思えない他人事のような台詞に、私は苦笑いで返すしかなかった。

「皆心配してくれてるは分かった……、だから──あっ……!」

 すると、私たち二人に気付いた頭金くんの顔が一瞬にして青ざめた。
 ガタッと椅子をずらしながら立ち上がると、冷や汗で顔の包帯を濡らしながら私たちの元へと駆け寄ってきて──

「海野さん! 山田さん! はよーざあっす!」

「!?」

「…………」

 背筋と両腕をピンと伸ばし、腰を四十五度まで曲げる所謂──最敬礼にて私たちに挨拶をしたのだった。
 教室の皆の視線が今度は私たちに集まり、懐疑と困惑が入り交じった空気の中、きっちり三秒程の最敬礼を終え、頭金が頭を上げた。

「海野さん! 今日も凛々しい御姿、拝見出来て感激っすよ! 山田さんも! そのお手荷物さぞ重たかったっしょ!? 俺が持ちますんで、さ! 席の方へ!」

 まるで重役をもてなすかのような恭しい態度で私たちに接し始めたのだ。
 煩わしいとも思える接待ぶりではあったけれど、嫌と言えるはずもなく私は従っていると、

「仰々し過ぎて見え透いた胡麻をするな。触るんじゃない、荷物くらい自分で持てる」

 と、頭金くんのもてなしを突っぱねた。
 流石に陰山くんも鬱陶しく感じたのだろう。だとしたら、受け入れた私の立場は?

「あ、そうだ! 俺ちょっと急用を思い出したっすわ! それでは、海野さんと山田さん、しつれーしゃしたー!」

 と、再び最敬礼をすると頭金くんは教室を飛び出すように引き戸を戻すことなくどこかへ行ってしまった。
 しばしの静寂の後、またしてもうっすらと聴こえてきた……、

「おい頭金の奴……、海野さんならまだ分かる。だがあいつにまであんな態度を取るってどういう事だ?」
「まさか頭金くん……あの人に脅されてる……?」

 まあ……だいたい予想はしてたけどそうなるよね。
 忘れている人もいるだろうから説明させてもらうけれど、陰山くん改め、山田くんのクラスメイトからの評価はとても良くない。
 オブラートに包んでも包みきれないほどに良くない。

 山田くんに近寄ろうとする人もいなければ目を合わせようともしない。完全にクラスから孤立してしまっている存在なのだ。
 もちろん頭金くんもその内の一人だったのだけど、それが手の平返しであんな接し方をすれば、誰だって疑いの目を向ける。

「おい山田とやら! お前か、頭金をあんな目に遭わせたのは!?」
「我らが空手部から一人欠員が出てしまったではないか! どうしてくれるんだ!」

 頭金くんを積極的に励ましていたこの人たち……、空手部の部員さんたちだったんだ。あまり見ない顔だから別のクラスの人たちだろう。
 二人共、陰山くんよりもかなりガタイがいい。そして何よりその気迫……私が詰められてる訳じゃないのに自然と身体が萎縮してしまう。

「どうしたもこうしたも、私は何も知らぬ。あの男が勝手に行動したのだ」

「知らぬが仏で済むか! 硬派である頭金が同級生、ましてや忌むべき者に対して深々と頭を下げるなどという現実がある筈がない!」
「お前の噂は頭金から聞いてよく知っている。転校して間もなく随分と調子に乗っているようだな」

 腕組みをして仁王立ちで凄む彼らの意思はまさに阿吽の呼吸。
 噂を聞きつけた程度でここまでの嫌悪感と敵意をむき出しにされる陰山くんの影響力とは……、やっぱり凄まじい。

「止めるんだ。奴と私の関係に何の根拠があって物申す? 鎌をかけようとしても無駄だぞ。本当に何も知らぬからな」

「いや、喋ってもらうぞ。俺たちの同志、頭金を退部に追い込んだ罪は軽くはないぜ!」
「安心しろ。少し灸を据える程度で抑えてやる」

 指をポキポキと鳴らしながら物騒なことを言う彼らは暴力に訴える気満々だ。
 おかしいな……四髙高校は進学校の筈だから、学校内での暴力沙汰など謹慎や停学処分は避けられない大事なのだけれど。

「お、ケンカか? いいぞ空手部! そんな奴軽くぶちのめしてやれ!」
「我が校の空手部の連中に目をつけられるなんて……、彼は気の毒を通り越して哀れだね」

「せ、先生を呼んできた方がいいかな……?」
「止めなさいよ。またこの間みたいに長ったらしいクラス会議に参加させられるわよ?」

 当然のことながら、やはりクラスに誰一人として陰山くんの味方は存在しない。
 男子たちは成り行きを囃し立て、女子たちはただその様子を静観するのみだった。

 何か……似たような光景だな……。
 わりと最近にも見たなぁ……。

 けど、確かあの時は私が止めに入ったところで糠に釘、豆腐にかすがい、とどめに暖簾に腕押しの如く成す術がなかったっけ。
 なら──今回も結果は同じだろうな。
 私も静観するとしよう。

「「山田、覚悟!」」

 二人が一斉に陰山くんに飛び掛った。
 その時だった──

──バンッ!

 教室の扉が勢いよく開かれた。教室中の皆の視線がそちらに向いた。

 また騒ぎを聞きつけた先生が止めに入りに来たのかと思った──けれどそこに居たのは、

「やあ、三年一組の諸君。朝から血気盛んだね。元気がいいと言えば──聞こえはいいがね」

 切れ長の目をギラつかせているが、誰が見ても端正な顔立ちなのは一目瞭然。肩に乗るくらいの長さのウルフカットはさながら狼の如き風貌。
   そんな尖った容姿には似つかわしくない穏やかな口調の男子生徒が扉の前で大胆不敵に笑みを浮かべながら立っていた。
 

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