高校生である私が請け負うには重過ぎる

吾田文弱

第46話 引き渡し

 もう少しで空き地へと辿り着こうとした時に、臆助君が不安そうな声で、

「ねえ海野さん……大丈夫ッスかね……」

 と訊いてきたのだ。陰山くんの事だろうか? 
 全く……臆助くんの陰山くんに対する忠義心は並の物ではない。まるで主に仕える戦国時代の武将のようだ(いや、それ以上だ)。

「大丈夫だよ臆助くん。陰山くんの事だから、きっと起きたらいつものように悪態ついて…」

「いや、海野さん。俺っちが言っているのは奇鬼さんの事じゃないッス」

「え?」

 とんだ早とちりだ。臆助くんの事だから景浦くんを心配しているのだと思っていたら、なんとまさかの別件だったのだ。数秒前まであまり上手くない褒め言葉を喋っていた(喋っていないけど)私が恥ずかしい……。
 そして勝手にそう決めつけていた事もあり二度恥ずかしい。しかしそこで気になるのが、彼が一体何を心配しているかだ。彼が他に何か懸念すべき事などあっただろうか? それもあり私は景浦君の事だと決めつけていたのだけれど。

「じゃあ、あなたは一体何を心配しているの? これから頭金くんのところに行ってこのボストンバッグを渡すだけじゃない。だから早く行かないと」

「俺が言ってるのはそれなんスよねぇ~。なんかどうも怪しくて……」

「え? それってどういう意味? その言い方だと頭金んが怪しいと言っているみたいに聞こえるのだけれど……」

「俺っちはそう言ったつもりッス」

 と、臆助君がいつに無く素っ気ない態度でそう言ってきた。まるで「この人は何も解っていないな」と蔑むような声音で。

「良いッスか海野さん。確かにこのままこのボストンバッグを依頼主であるその人に渡してしまっていいかもしれないッスが、果たして本当にそれでいいんスかね?」

「………」

「俺っち、奇鬼さんと時々依頼しているから、実際に経験した上でこの事を言わせてもらうッスが、これは何か嫌な予感がするッスよ……。その依頼主、本当に信用していいんスかね?」

「………!」

「奇鬼さんの為にと先程ついつい言ってしまったッスが、騙されてこのお金盗られてしまったら、それこそ奇鬼さんの為にならないッスよ。今からでも遅くはないッス。このまま何事も無かったかのように帰るのも一つの選択――」

「黙って」

「?」

「頭金くんの事を何も知らないくせにそんな事言わないで。彼は家庭の事情で部活を続けたくても続けられないような状況に追い込まれてるんだよ? 自分には空手しかないとも言っていた。下げたくもない頭を下げて頼み込んでいる彼の姿に嘘や偽りなどない誠実さが出ていた。そんな人を疑うなんて酷いよ臆助くん」

 私は湧き上がる感情を抑える事が出来なかった。繰り返しになってしまうけれど、ある人物の事情をよく知らないで、あたかも知った風に語る人の事が私は好きになれないのだ。
 それが貶したり馬鹿にしたりするような内容であるなら尚更だ。だからと言ってこれで臆助君に対する心証が悪くなった訳ではない、けれどまさかあの純粋な性格の持ち主である彼がこんな悲しい事を言うとは思わなかったから、つい私は激情の念を抱いてしまい、感情的のままに行動してしまったのだ。
 しかし当の本人は特に気にする事無く、当にお高くとまった態度を取り、こう続けた。

「じゃあ海野さんは、その人の言う事を完全に信じるつもりなんスね? 百パーセント? 実際にその人が部活やっていたり、家庭の状況を確認したりしたんスか?」

「いや、流石にそこまで確認できないでしょ! だってそれだとまるで、自分は信じられていないのではないかと相手に思わせてしまうかもしれないし」

 と、自分の中で最もだと思う言い訳をしたのだけれど、臆助君の表情はさらに曇り、大きく溜息を吐いた。そして、

「海野さん、あなたはまだよく解っていないッス。お金が——大金が持つ本当の力を」

「………」

「これは受け売りの言葉ッスが、これからあなたが失敗しない為にも言わせて下さいッス」

 と、彼はその場で立ち止まったので、私もその場に黙って立ち止まる。
 そして彼は、先程の曇った表情を改め、私の目を真っ直ぐ見つめながら、こう言った。

「人間よりは遙かにお金の方が頼りになるッス。頼りにならないのは……人の心ッス」

「………!」

「俺っちの言いたい事は言ったッス。それでも心変わりがないのであれば、俺っちは年長者であるあなたの意見に従って、このボストンバッグを依頼主に届けるだけッス」

 小学生の男の子相手に、高校生である私が何も言い返せなかった。
 世の中の人々の考える持論(今回の場合彼曰く受け売りらしいが)には、必ずしも正しい事ばかりではないのだ。けれどそれは間違いだ、出鱈目だと否定するだけの意見を持ち合わせており、且つ大多数の第三者達にが納得するような意見をしなければ、それはもう結局正しいものだと認定され、世の中の常識と化してしまうのだ。
 とどのつまり、私が言い返す事が出来なかった時点で、彼のあの台詞がこの場で正当化されてしまったという事なのだ。

 恐るべき小学生だ、捨間臆助。誰よりも高い身長を持ち、広い心を宿し、そして誰よりも大きな、恐るべき潜在能力を隠している。そんな人なのだと、改めて思い知る事になった。
 でも! だからと言って、クラスメイトであり、友達であり、こんな自分を信頼してくれている人の事を……。クラス委員長である私は裏切る事は出来ない 

「行こう、臆助くん。頭金くんが待ってくれているんだから、ね?」

「フゥ、あなたならそう言うと思ったッス。解ったッス、では……行きましょうか」

 臆助君は笑顔を浮かべながらそう私の意見に賛同してくれたが、目が笑っていなかった。「どうなっても知らないッスよ」と分からず屋の私に対して最終警告するかのように。

 臆助君にこう諭される前までは、これが正しいのだと自分の中で思っていた。困っている人を助ける事が出来るというのだから、迷う必要などないではないか、と。
 けれど正直な話、今私の心は揺らいでいる。臆助くんが陰山くんと共に依頼を遂行した経験上、こういうような手口を使いお金を騙し取る依頼人が少なからずいるらしい。そして今回の依頼もそのケースである可能性が高いというのが臆助くんの見解だ。

 しかしそれはろくに依頼人の素性を知らないままに依頼を引き受けてしまったが故に引き起こされた言わば情報収集不足だ。彼らが一体どのような調べ方をしていたのかは一概には言えないけれどもそれでも騙されていたという事は、事実、結果そういう事なのだろう。

 今回の場合も確かに臆助くんの言う通り頭金くんの事情を彼から口頭で述べられたのみで大した情報を得られていた訳ではないけれど、私には頭金くんが嘘を吐いているようには見えなかったのだ。彼を疑ってかかる事、それ自体が冒涜と言ってもいいほどに失礼な気がしてならない程彼の態度は真剣で、誠実で、堅実だったのだ。
 その間で今私は葛藤している…臆助君の言う通り、これは頭金君が計画した罠なのか…。それとも本当に彼は退部に追い遣られそうで、私達に助けを求めていたのか…。

 どちらか一つを選べと問われてここまで迷った事はない! 

 臆助くんを信じるか——頭金君を助けるか——
 人生最大究極の二択…。

 正しい選択を導いてくれる者がこの世にいるのなら今すぐに現れてほしい……!

「海野さん…どうしたッス? そんなに難しい顔されて。もう空き地は目の前ッスよ?」

「は……ッ!」

 などと悩んでいる内に、もう私達はそこの角を曲がれば空き地だというところまで辿り着いてしまっていたのだ。完全に我を忘れていた。

「もしかして、一度は行くと決めたものの、まだ迷ってるんスか? 何だか海野さんらしくないッスね」

「………」

 しかも顔に出てしまっていたとは。どうしよう、トラウマになりそう。

「ごめんなさい臆助君、実はそうなんだ。情けないよね。自分が決めた選択なのに」

「別に謝る事じゃないッスよ。俺っちは海野さんに余計な事言っちゃったかも知れないッスが、こういう可能性もあり得ますよって言う、ただの助言を言ったに過ぎないんスから」

「助言にしてはかなり辛辣さがあったように感じるのだけれど」

「確かに。依頼主の気持ちや事情を知らないで発言した事は謝るッス。けど、そういう気持ちも持ち、可能性を考えておかないと、これから先の依頼、本当に危ない事になるッスよ。俺はそれを海野さんに解ってもらいたかったんス。だって……」

「だって?」

「海野さんの優しさは——絶対にお金では買えないッスから」

「………」

「ハハハ。俺っち何言ってるんスかね? これじゃあ、本末転倒ッスね」

 ああ、そうだよ。何それ……。

 人の心は金で買えるみたいな事を言っておいて…。
 そうか、きっとあなたも、迷っていたんだ。
 後悔していたんだね。言いたくもない事を言い、申し訳ない気持ちになり、ついその気持ちが口を突いて出てしまったんだね。
 臆助君、やっぱり、あなたもあなたで、私も私という事なんだね。

「………馬鹿」

「ん? 何か言ったッスか?」

「ううん、何でもない。行こう臆助君」
「う~ん……何を言ったのかは気になるッスが、まあ、あなたの決意が固まっていただいたようで何よりッス。中途半端な気持ちで決められていたら、モヤモヤするッスもんね」

 大丈夫だ。そのモヤモヤは、あなたが知らない内に消してくれたから。
 そして私達は、お互いの気持ちが合致したところで、角を曲がり、空き地へと這入っていった。当然ながらそこには、今か今かと、それほど広さのない空き地の面積を大いに活かして歩き回る、頭金くんがそこにいた。ジャージ姿で背中には『四髙高校空手部』と大きく書かれている。どうやら本当に彼は部活の帰りにそのまま直行してここへ来たようだ。

「おお! 海野さん! 来てくれましたかぁ! …てあれ? 山田は一緒じゃないのですか? 代わりに背が馬鹿デッケェ男がいるんですが」

「山田くんなら、ちょっと急用で来れなくなったらしいから私が代わりに来たんだよ。そして、背の大きな彼は、今回の仕事を一緒に手伝ってくれたんだよ」

「どもッス」

「へぇ~、背もデカいのは勿論力もありそうだ。でもこんな奴うちの学校に居たら目立ちそうなもんなのになぁ~。うちの学年に居たっけ?」

「いや、済みません。よく間違われるんスけど、俺っちまだ小六ッス……」

「えぇぇぇぇぇぇ――― ︎ 俺より六つも年下 ︎ 嘘おおおぉぉぉぉぉッ ︎」

 まあ、そんなリアクションとりざるを得ないよね。私もびっくりしたもん最初は。

「なあ君! もし高校受験するなら是非! 四髙高校空手部にスポーツ推薦で入学してくれよ! その頃には俺は居ないだろうけど、今から空手すれば間違いなく一年目でレギュラー取れる! 第一希望じゃなくてもいいから、是非願書送ってくれ!」

「うお……。う、海野さん、この人、空手空手って、何だかすごく熱いッスね……」

「ね? 言ったでしょ? 彼にとって空手は、人生みたいなものなんだよ」

 私の選択は正しかった。部活動の為ならば未来の入部者まで勧誘するこの情熱。やはり頭金くんは頭金くんだったのだ。
 臆助君を責めるつもりはないけれどこんなに他人に、部活の為に一生懸命になれる人はそうそういないだろう。一度でも選択に迷っていた過去の自分に説教をたれたい気分だ。

「時に君……、ああ……そう言えば名前を訊いていなかったな。何て言うんだ?」

「あ、俺っちは臆助って言います。捨間臆助ッス」

「そうか臆助くん。話を戻すが臆助くん、君が重たそうに両手で抱えているバッグの中身はひょっとしてもしかして臆助くん?」

「興奮しているのは解るけれど頭金くん、そんなに臆助くんの名前を連呼しないで頭金くん」

 何だこの遣り取り……。

「ええ! 俺っちたち……まあ殆ど奇鬼さんのお陰ッスけど、あなたが欲しがっていたお金がたんまりとここに入ってるッスよ!」

「臆助君! 名前名前!」

「はッ……!」

 デジャブ! って程でもないが、数時間前に似たようなシーンを見たような気がする。確かあの時は適当に言い訳をして何とか誤魔化せたんだったっけ。さて、何を言おう……。

「マジで ︎ 俺の想像していた額の上の上の上の上を行ったぞ ︎ これだけあれば部費を払えるどころか部活に投資をできる! ホントにこんなに貰ってしまっていいのですか海野さん臆助くん ︎」

「え? あ……ああ、うん! どうぞどうぞお構いなく! その為に私達頑張ったんだから! ねぇ臆助くん?」

「は、はいぃ海野さん! 俺っちたちが持っていても意味ないんで、全部持って行って下さいッスぅ!」

 何と願っても無い誂え向きな展開だ。またもや頭金くんは陰山くんの名前に関して何も質問してこなかった。思いっきり目の前で本名を言った筈なのに。

 どうやら彼はボストンバッグの中身を確認し、目の前の今までに見た事のない大金に夢中になってしまったようだ。陰山くんの本名などというちっぽけな違いなど耳に入ってこないようになってしまっているのだろうか。
 ならば別に慌てる必要などないのに焦ってしまうとは。彼に不思議がられるだけだ。

「どうやって工面したかどうかは知らないがとになく助かったよ。まさか本当に願いを叶えてくれてしかもプラスアルファのおまけ付きまで付いているなんて。海野さん、臆助くん。本当にありがとう! 山田にもどうかよろしく伝えておいて下さい!」

 彼は満面の笑みを浮かべながら私達に両手を使い固い握手をしてきた。流石空手をしているだけあって彼の手は大きく実に男らしい手をしていた。私の小さな手が包み込まれて見えなくなってしまう程だ。……というか握る強さが強い……早く離して欲しい。

「おっと! もうこんな時間だ! せっかくもらったお金も六時までに出さなければ宝の持ち腐れだ! 悪いが海野さん、俺にはもう時間が無い! ありがたく頂かせてもらいますよ!」

「私たちは当然の事をしたまでだよ。また明日学校でね! 頭金くん!」

「俺も憶えていたら、あなたの高校に入学して勉強してみたいッスよ~!」

 そして私達は、嬉しそうに、あんなに重いボストンバッグをランドセルのように背中に抱え、こちらに手を大きく振りながら帰っていく頭金くんを見送ったのだった。
 これで本当に終わったのだ。金曜日からの今日までの三日間、一分一秒がこれ程までに長く感じた七十二時間(正確には約六十時間)は経験したことが無かった。

 これが、陰山くんの仕事か……。
 実際私が行った事は現場の下見くらいのものだけれど、それでもこれ程までに疲れがどっと襲ってくるのは、肉体的というよりも精神的な疲労が蓄積されていたからなのだろう。
 神経を磨り減らすような事が続いていたので、納得だ。
 
 しかし、こんなにも疲れる仕事を、あと一年間の内に一体幾つ熟さなくてはならないのだ。初仕事でこれ程までにハードスケジュールだったのだから、頭だけでなく、体力も付けなくてはならないぞという、遠まわしに教えられていた三日間であったのかもしれないと、私は紅い夕焼けに染まる空を見上げながら、そう思ったのだった。

「臆助くん、帰ろうか。陰山くんとエイミーさんが待っているよ」

「………」

「臆助君?」

 と、私は視線を空から臆助君の顔に移したのだが、彼は何故か眉を歪め、何か考え込んでいる様な難しい表情を浮かべていたのだ。何かを重大な事を忘れてしまっているというような感じだ。

「あ――――――――――!」

「!」

 するといきなり彼は、何かを大変な事を思い出したのか、難しい表情が一変、顔面蒼白となり私の両肩を掴み、グラグラと揺すり始め、

「大変ス海野さん! 俺たちこのままアパートに帰ったら浦景さんに殺されるッスよ~!」

「うえぇぇぇ…? 臆助くん! 臆助くんてば! 一旦落ち着いて! 何があったの?」

「あ、済みません……。焦ってしまいつい女の人の肩を」

 切り替えが早いな。
 あんなに焦っていたのにもう冷静になれるなんて。いや、それよりもどういう事だ? 先程の焦り方からして尋常ではない事は確かだ。
 詳しく話を訊く必要があるだろう。

「臆助くんどういう事? 陰山くんに殺されるって? それは何故? だって私たちはちゃんと頭金くんにお金渡したじゃない。これ以上どんな不手際があるって言うの?」

「海野さんも奇鬼さんに依頼を頼んだ事があるんでしょ? だったらその後にあなたも要求された筈なんスよ  依頼料を!」

「依頼料? ああ、確かにあの時私も成り行きだったとはいえ彼に依頼をしてしまって、その後法外な値段の請求をされたっけ。事前に依頼料の値段を提示してくれれば、私はこんな事にはならなかったのに」

「それは無理ッス。奇鬼さんはいつも依頼料の請求を仕事が終わった後に要求するッス。理由としては、その引き受けた依頼の内容に依るからッス」

「え? じゃあ、私がお願いした依頼は一億円相当の内容だったって事?」

 いや、でも彼はその時依頼の内容は大した事は無かったと言っていた。きっと一億円とはあのダイヤモンドの時価からきていた分だろう。しかし忘れないで欲しいのがこれは大幅に割引された値段。
 本当はもっと請求されていたという事だろう。恐ろしい。

「ここまで話せばもうお解りの筈ッス! 俺っちたちあの人に依頼料請求するの忘れてたッス!」

「でも頭金君家庭の状況凄く苦しそうだし、流石に景浦君も見逃してくれるんじゃ」

「何を甘い事言ってるんスか海野さん! あの人はお金の事に関してはとにかく徹底的ッス。依頼主が裕福だろうが貧乏だろうが必ずお金を請求してくる人なんスよ」

「じゃあ、依頼料を払わなかったら、その人はどうなるの?」

「契約違反と見做されその場で殺されるッス……。そしてその死体を奇鬼さんは……ヒィィ! これ以上先の事は生々しくて声に出すのも恐ろしくて、言えないッスぅぅ!」

 大体の事は理解できた。つまりこのままアパートへ帰ってしまったら、明日学校へ登校した時に、クラスメイトの一人が行方不明になってしまうという事だ……!

「今ならまだ近くにいる筈ッス……! あの人を追いかけるッスよ海野さん!」

「うん! 待ってて頭金君……このままじゃあなたは陰山くんに……!」

 私達は走った。既に疲労困憊の身体を引き摺るように、クラスメイトを護る為に。
 彼が向かったであろう四髙高校へと。

「学園」の人気作品

コメント

コメントを書く