高校生である私が請け負うには重過ぎる
第44話 懐かしい味
「え、じゃあこのアパートには、現在進行形で陰山くんとエイミーさん以外住んでいらっしゃらないんですか?」
キッチンにて昼食を調理中のエイミーさんに向かってそう私は尋ねた。
「ええ、陰山さまがこのアパートに住まわれるまでの三年間、ずっと私は一人でこのアパートにて暮らし続けておりました。……とエイミーは懐かしそうにそう話します」
「え……でもその間のアパートの経営はどうやって行っていたのですか? 三年間も入居者が居ないのでは三年どころか半年持つかどうか……」
「その心配はなかったのです。何故なら、陰山さまが……」
と言葉を紡ごうとしたところで彼女は急に話を止めてしまった。遠目からであったのでハッキリと確認できなかったのだが、彼女の顔が耳まで赤く紅潮し、体も小刻みに震えていたような気がする。そう言えば彼女は陰山くんの事になると大体この調子だ。
廊下でのこともそうだったのだが言葉の調子に乱れはないもののその時顔が僅かではあるが赤く紅潮するのだ。まるで恋心を抱いた乙女のように。
「どうしたエイミー? 手が止まってるぞ。料理が焦げるだろう」
「は……っ! 失礼いたしました! ……とエイミーは手を動かします」
「アンタの事情は私も大体解っている。あとは私が話しておくから、お前は料理に集中しろ」
「! お心遣い感謝します……陰山さま。……とエイミーは胸がいっぱいです」
いつもの調子を取り戻りたのか、彼女はフライパンを大きく振るい調理を再開した。そして話の続きを景浦君が、彼女との出会いについても交えて代弁して話し始めた。
「この話をするにはまずは思い出話的な事を話さねばならん。そうだな……、あれは私が十歳の頃だったか。いつものように人から依頼をもらいイギリスに渡っていた時のことだ……」
「陰山くんって本当に行動力あるよね。アメリカとかイギリスとか……」
「俺もそんな奇鬼さんのそういうところに惹かれたと言っても過言じゃねぇッス」
「おいおい話の途中で水を差すな。話は最後まで聞け。それでだな……」
結構長く冗長な話になったので要約すると、彼は依頼でイギリスを訪れた時、予定より早く依頼が終わったので、せっかくだからイギリスをしばらく観光しようと思ったのだそうだ。そこで丁度とある貴族のパーティが開催されており金目の物を持っている人達がたくさん居そうなのでコッソリと侵入したと言う(なんとさもしい)。
そこで運悪くそこの当時の専属メイドだった女性に見つかってしまったのだそうだ。
「もしかしてそのメイドっていうのが……」
「そこで今昼飯を作っている真っ最中の大家兼管理人だった訳だ」
「最初の出会いは最悪だったんスねぇ……」
「いや、実はそうでもなかったのだ」
その時彼はうっかり自分の顔を晒してしまったらしいのだが、彼の素顔を見た瞬間、エイミーさんの態度、表情が一変。顔を先ほどのように耳まで真っ赤に染めて陰山くんに色々と矢継ぎ早に質問してきたというのだ。この反応は恐らく俗に言う一目惚れというものだろう。あのフードと帽子の下にはそれ程端正な顔が隠されていたという事だろう。
いつ拝む事ができるのやら……、エイミーさんが羨ましい。
「奇鬼さんのお顔ッスか。俺っち一度も見たこと無いッスのに……エイミーさんが羨ましいッス」
「こいつが懐中電灯を持っているとは思わなかったからな……。滅茶苦茶至近距離で当てられて思わずフードと帽子を脱いでしまったんだ。今思い返してもあれは一生の不覚だったな」
「でも陰山くん、それとエイミーさんが日本へ来てこのアパートを経営する事になったのと何が関係あるの?」
「そこら辺に関しては俺も解らない事があるが、まあ俺が知っている事はだな」
取り敢えずエイミーさんの質問に答えたにも関わらず彼女は陰山くんの傍を離れようとしなかったという、しかしこれも何かの縁と思った彼はエイミーさんにある相談を持ち掛けたのだ。その相談というのが意外なものであった。
「家事を教えてくれって?」
「ああ、その当時私は生まれてこの方一度も自炊やら掃除やらという身の回りの事を自分でしたことが無かったのでな。十歳にもなって家事が出来んようではと危惧した私は丁度いい機会だと思ったのだ。餅は餅屋と言うしその道のプロしか知らない家事の裏ワザとか知っていると思い、私はエイミーに家事を教えてもらうよう頼み込んだのだ」
そして二つ返事で承諾してくれたエイミーさんは陰山くんに自分が知っている限りの家事を徹底的に教え込み、そしてそれを彼は僅か一週間程で全て習得したというのだから驚きだ。その当時から景浦君はやる時はやる人だったという事が解った。
「じゃあ陰山くんのあの料理の腕前は…」
「エイミー直伝の業ってことだ。まあ料理以外にも色々と教えてもらったから今では大体の事は熟せているな。掃除、洗濯、エトセトラ…」 
「私も教えた甲斐がございます。……とエイミーは喜びます」
「奇鬼さんの料理ッスかぁ……、俺っちも食べてみたかったッスね~。まあそれはそれとして、その後奇鬼さんはどうしたんスか?」
「礼を言うのも私の性に合わぬ。代わりに礼の物を置いて日本へと帰った」
「礼の物って?」
「使い切れないくらい大量のポンド紙幣が入ったボストンバックでございました! 日本円にして当時の相場でおよそ……数億円はございました! …とエイミーは口を挟んでしまいました」
「大量のポンド紙幣 ︎ 陰山くんらしいと言えばらしいけど何でまた?」
「イギリスで熟した依頼で手に入れた宵越しの銭だ。その時のクライアントにやるには十分な金額だったので、余ったものを世話になった礼としてあげただけだ」
普通数億円もの金額を宵越しの銭にするような人はアラブの大富豪くらいのものだ。考えるだけで気が遠くなりそうな金額が動く様な依頼を当時小学四年生の彼は一体どんな方法を使って予定より早く終わらせたのだ?
そっちの方が気になって仕方がない。
「確かに、頂けたのは大変嬉しかったのですが、全部五十ポンド紙幣だったので使えなかったのですがね……。……とエイミーはその当時糠喜びを致しました」
しかも五十ポンド紙幣ーー確か普段の生活や市場でも殆ど流通していないと言われる程のレアな紙幣だった筈(旅行者が偶に持っている程度だとか)。小さなお店で使うとお釣りが無いなどの理由で拒否される程使い勝手が悪い紙幣であり持っている意味はあまりないらしく言わば宝の持ち腐れを体現したような代物なのだ。
そんな物を大量に入手できたなんて、解り切った事だけれどやはり彼は只者ではない。
「その後の話はよく解らぬのだが、それから六年経ってこの町にやってきて隠れ家に丁度いいアパートを見つけたから入居しようと大家に挨拶しようと思ったら、ここの大家がイギリスにいる筈のエイミーだったから驚いた」
「挨拶……あなたってたまに律義だよね」
「そんな礼儀正しいものではない。私がこのアパートに住んでいる事を誰にもバラさないように脅しをかけるつもりだったのだ。まあ、相手がエイミーだったんでそのような手間は省けたがな」
もう徹底的だ。こんな目立たない場所に建っているアパートの人にまで自分の存在を目立たさないようにするなんて……神経質になり過ぎではないだろうか?
「その俺の知らない空白の六年に関してはエイミー本人の口から聞け。だが、その話は後になりそうだな」
「さあ皆様お待たせいたしました! お料理が完成いたしました! ……とエイミーは配膳を行います!」
などと話している間に、エイミーさんが料理を完成させ全員の分のお皿を器用に両腕の上に乗せて持ってきてくれた。
流石は元メイド。不安定な腕の上に乗せたお皿を一切微動だにさせる事無く配膳する技術は折り紙付きだ。
「おお~! 待ってましたッス!」
「料理の内容はお前に任せた訳だが、何を作ったのだ?」
「私の得意料理であり陰山さまに料理をご教授させた時に初めに教えて差し上げた料理でございます! …とエイミーはお料理をテーブルの上に置きます!」
「って、これは……」
台所から嗅ぎ憶えのある香りが漂っていたのでもしやと思っていたが、エイミーさんが運んできた料理は、二日前の夕方に陰山くんが作ってくれたものと何の相違もないオムライスが私達の目の前に置かれたのだ。
「エイミー……これ、俺と委員長が一昨日食ったばかりだ」
「え ︎ そうなのですか ︎ 嗚呼! 私としたことがとんだ失敗を! ……とエイミーは自分の無知さ加減に大変業腹且つ悲嘆致します!」
「もうかげあ余計な事言わない! せっかくエイミーさんが作ってくれたのに!」
「おお! 海野さんが食べた料理ってオムライスだったんスか! って事はって事は……これは間接的に奇鬼さんの料理を食べた事になるッスぅ!」
早速いただきまッス! と臆助くんはこちらで起きている事になど目もくれず、お腹が空ているのもあってか無我夢中でオムライスにがっつき始めた。
「これは美味いッス! 最高ッス! 色んな人に失礼になるかも知れいないッスが、今まで食べたどんなオムライスよりも美味しいッスよ きっと海野さんが昨日食べたオムライスもこんな味だったんスねぇ」
「まあ、捨間様ったら……。お褒めに預かり光栄にございます。……とエイミーは頬を赤らめます」
「………………」
「ほら、陰山くん。せっかくエイミーさんが作ってくれたんだから一口くらい食べよう?」
すると陰山くんは、一つため息をつき、手前にあったスプーンを持ち上げ、
「いいだろう。しばらく自炊をしてこなかったので、腕が落ちてしまったていたからな。これを食べながら、改めてエイミーから学ぶとしよう」
そして彼は、黙々と作業をするかのようにオムライスを食べ始めた。美味しいのかそうでないのかわからないほど淡々と。
「海野さまも、宜しければお食べくださいませ。昨日に引き続き申し訳ありませんが。……とエイミーは申し訳なさそうにします」
「はい、いただきますね。エイミーさん」
エイミーさんに促されるように私もオムライスに手を付ける。久しぶりにちゃんと温かいまま食事ができることに、私は密かに心が踊っていた。
私は一口オムライスを口へと運ぶ。
臆助くんの反応を見ていたし、だいたいの予想はできていたけれど、当たり前のようにオムライスは美味しかった。
陰山くんが昨日作ったものと遜色ないその出来に、賞賛の言葉などもはや不要とも言えていた。
「エイミーさん、とても美味しいです。流石は陰山くんの家事の先生、そして元メイドさんって感じですね!」
けれどしっかりお礼はする。私の性格上、無言で事を終わらせられるほど神経は図太くないので。
「俺っちなんかもうすぐで食い終わるッスよ! いやー! 美味しい! 美味しすぎて手が止まらないッス!」
「まあ、お二人ともやめて下さいまし! 褒められても食後の紅茶くらいしか出てきませんよ! ……とエイミーはお湯を沸かします」
気付けば私と臆助くんはあっという間にお皿のオムライスを一欠片も残す事なく完食していた。
陰山くんはというと、先ほどからやはり一言も発する事なく黙々と、吟味するかのように食事を続けていた。
オムライスはおよそ半分ほど減ってはいるけれど、まだまだ食べ終わりそうにない。
そしてどこか手つきがおぼつかない。一体どうしたのだろう。
「いや〜、美味かったッスね〜」
「それほどまでに褒めていただけるなんて、臆助さまは口がお上手ですこと」
「ええ! でも確かに美味かったんスけど、何故かとても懐かしい味がしたんスよ! エイミーさんの料理を食べたのは初めてのはずなのに、何でッスかね?」
言われてみれば、確かに美味しかったのは美味しかった。陰山くんが作ったものと見た目などは本当にそっくりで並べられたらどちらが作ったのか分からなくなるほどに。
だけど、エイミーさんが作ったオムライスには、陰山くんが作ったそれとは異なる風味を感じたのだ。
まさに言うなれば、臆助くんが言うようなーー『懐かしさ』。
初めて食べたはずなのに、どこかで食べたことのあるような感覚を覚えたのである。
「なるほど。それは確かに的を射ている。……とエイミーは思います」
「え、どういう事ッスか?」
「実は、オムライスという料理はーー親日家であった母に教えてもらった初めての日本食だったのです」
「え、日本食……?」
いや臆助くん。注目すべきところはそこじゃない。
確かにオムライスは日本で独自に進化したものだから、知らない人もいるはずだけど今じゃない。
そしてーーなるほど。これで合点がいったわけだ。
エイミーさんが作った料理、そして陰山くんが作った料理に決定的とも言える違いがわかったのだ。
決定的な違いそれはーーエイミーさんが作ったオムライスには隠し味があったのだ。
お母さんから直々に、その目で、その手で、間近で直接教わった料理をエイミーさんは見事に再現していたのだ。
つまりだ。私たちは日本にいながら、日本食であるにもかかわらず奇しくもイギリスで作られたオムライスを食したのだ。
『お袋の味』という名のーー隠し味が入った料理を。
「私の母もメイドでした。私は母の言いつけ通りにしていれば立派なメイドになれると思っておりました。きっとその料理にも、図らずも『母の味』がこもっていたのでございましょう。……とエイミーは推測いたします」
「母の味……ッスか。でも、俺っちの母ちゃんが作る料理よりエイミーさんが作る料理の方が百倍美味いッスけどね!」
「臆助くん。それは流石に言い過ぎじゃないかな?」
と、私たちがエイミーさんの料理の美味しさの秘訣を探り出したところだった。
ーーカシャン!
何かが床に落ちる音が部屋に鳴り響いた。もっと詳しく言うと、金属質のものが。
とっさに音がした方に私を含め部屋中のみんなが凝視する。その方向にいたのは、
「うう……、痛い……! あ、頭が……!」
そう呟きながら頭を抱えてうずくまっていたのは、オムライスを食べ始めたきり一度も言葉を発する事なく黙々と食べ続けていた陰山くんだったのだ。
「陰山さま! どうなさったのですか ︎ ……とエイミーは駆け寄ります!」
「奇鬼さん! しっかりして下さいッス!」
いきなり原因不明の頭痛に襲われるなんて……、どういう事……。彼はいたって健康(?)そうなのにどうして急に……。
「海野さん! 何をボーっとしてるッスか! 奇鬼さんがもう大変ッス!」
「そうです……! 管理人室に救急箱があります! その中に頭痛薬も確か入っていた筈です。私はそれを早急に取ってきます!」
「薬ッスか……。そんなもので奇鬼さんの症状が良くなるんスか 」
「何もしないよりはマシでございます! 一刻を争います、海野さまと捨間さまは引き続き陰山さまを看ていてあげて下さい! ……とエイミーは急ぎます!」
と、エイミーさんは足早に一旦部屋を出て行った。確かにこの症状が薬で治まるのであればこんなに楽な事はないが、望み薄である事はこの場にいる全員が承知している事だろう。せめてこの症状がまた起こった時為に治し方が解れば……。
「うう……痛い、ぐむぅ……! ああ……うぐうううぅ…!」
「奇鬼さんもう少しの辛抱ッス! エイミーさんが今、薬を取ってきてくれてるッス!」
尚も彼の頭痛は酷くなる一方、私達はそんな彼を勇気づけることしか出来ない。なんと意地らしく歯痒い。こんな時に私達は何もすることが出来ないなんて。
「陰山くん……ごめんね」
そう何とはなしに呟いた私の声は、酷く掠れていた。
キッチンにて昼食を調理中のエイミーさんに向かってそう私は尋ねた。
「ええ、陰山さまがこのアパートに住まわれるまでの三年間、ずっと私は一人でこのアパートにて暮らし続けておりました。……とエイミーは懐かしそうにそう話します」
「え……でもその間のアパートの経営はどうやって行っていたのですか? 三年間も入居者が居ないのでは三年どころか半年持つかどうか……」
「その心配はなかったのです。何故なら、陰山さまが……」
と言葉を紡ごうとしたところで彼女は急に話を止めてしまった。遠目からであったのでハッキリと確認できなかったのだが、彼女の顔が耳まで赤く紅潮し、体も小刻みに震えていたような気がする。そう言えば彼女は陰山くんの事になると大体この調子だ。
廊下でのこともそうだったのだが言葉の調子に乱れはないもののその時顔が僅かではあるが赤く紅潮するのだ。まるで恋心を抱いた乙女のように。
「どうしたエイミー? 手が止まってるぞ。料理が焦げるだろう」
「は……っ! 失礼いたしました! ……とエイミーは手を動かします」
「アンタの事情は私も大体解っている。あとは私が話しておくから、お前は料理に集中しろ」
「! お心遣い感謝します……陰山さま。……とエイミーは胸がいっぱいです」
いつもの調子を取り戻りたのか、彼女はフライパンを大きく振るい調理を再開した。そして話の続きを景浦君が、彼女との出会いについても交えて代弁して話し始めた。
「この話をするにはまずは思い出話的な事を話さねばならん。そうだな……、あれは私が十歳の頃だったか。いつものように人から依頼をもらいイギリスに渡っていた時のことだ……」
「陰山くんって本当に行動力あるよね。アメリカとかイギリスとか……」
「俺もそんな奇鬼さんのそういうところに惹かれたと言っても過言じゃねぇッス」
「おいおい話の途中で水を差すな。話は最後まで聞け。それでだな……」
結構長く冗長な話になったので要約すると、彼は依頼でイギリスを訪れた時、予定より早く依頼が終わったので、せっかくだからイギリスをしばらく観光しようと思ったのだそうだ。そこで丁度とある貴族のパーティが開催されており金目の物を持っている人達がたくさん居そうなのでコッソリと侵入したと言う(なんとさもしい)。
そこで運悪くそこの当時の専属メイドだった女性に見つかってしまったのだそうだ。
「もしかしてそのメイドっていうのが……」
「そこで今昼飯を作っている真っ最中の大家兼管理人だった訳だ」
「最初の出会いは最悪だったんスねぇ……」
「いや、実はそうでもなかったのだ」
その時彼はうっかり自分の顔を晒してしまったらしいのだが、彼の素顔を見た瞬間、エイミーさんの態度、表情が一変。顔を先ほどのように耳まで真っ赤に染めて陰山くんに色々と矢継ぎ早に質問してきたというのだ。この反応は恐らく俗に言う一目惚れというものだろう。あのフードと帽子の下にはそれ程端正な顔が隠されていたという事だろう。
いつ拝む事ができるのやら……、エイミーさんが羨ましい。
「奇鬼さんのお顔ッスか。俺っち一度も見たこと無いッスのに……エイミーさんが羨ましいッス」
「こいつが懐中電灯を持っているとは思わなかったからな……。滅茶苦茶至近距離で当てられて思わずフードと帽子を脱いでしまったんだ。今思い返してもあれは一生の不覚だったな」
「でも陰山くん、それとエイミーさんが日本へ来てこのアパートを経営する事になったのと何が関係あるの?」
「そこら辺に関しては俺も解らない事があるが、まあ俺が知っている事はだな」
取り敢えずエイミーさんの質問に答えたにも関わらず彼女は陰山くんの傍を離れようとしなかったという、しかしこれも何かの縁と思った彼はエイミーさんにある相談を持ち掛けたのだ。その相談というのが意外なものであった。
「家事を教えてくれって?」
「ああ、その当時私は生まれてこの方一度も自炊やら掃除やらという身の回りの事を自分でしたことが無かったのでな。十歳にもなって家事が出来んようではと危惧した私は丁度いい機会だと思ったのだ。餅は餅屋と言うしその道のプロしか知らない家事の裏ワザとか知っていると思い、私はエイミーに家事を教えてもらうよう頼み込んだのだ」
そして二つ返事で承諾してくれたエイミーさんは陰山くんに自分が知っている限りの家事を徹底的に教え込み、そしてそれを彼は僅か一週間程で全て習得したというのだから驚きだ。その当時から景浦君はやる時はやる人だったという事が解った。
「じゃあ陰山くんのあの料理の腕前は…」
「エイミー直伝の業ってことだ。まあ料理以外にも色々と教えてもらったから今では大体の事は熟せているな。掃除、洗濯、エトセトラ…」 
「私も教えた甲斐がございます。……とエイミーは喜びます」
「奇鬼さんの料理ッスかぁ……、俺っちも食べてみたかったッスね~。まあそれはそれとして、その後奇鬼さんはどうしたんスか?」
「礼を言うのも私の性に合わぬ。代わりに礼の物を置いて日本へと帰った」
「礼の物って?」
「使い切れないくらい大量のポンド紙幣が入ったボストンバックでございました! 日本円にして当時の相場でおよそ……数億円はございました! …とエイミーは口を挟んでしまいました」
「大量のポンド紙幣 ︎ 陰山くんらしいと言えばらしいけど何でまた?」
「イギリスで熟した依頼で手に入れた宵越しの銭だ。その時のクライアントにやるには十分な金額だったので、余ったものを世話になった礼としてあげただけだ」
普通数億円もの金額を宵越しの銭にするような人はアラブの大富豪くらいのものだ。考えるだけで気が遠くなりそうな金額が動く様な依頼を当時小学四年生の彼は一体どんな方法を使って予定より早く終わらせたのだ?
そっちの方が気になって仕方がない。
「確かに、頂けたのは大変嬉しかったのですが、全部五十ポンド紙幣だったので使えなかったのですがね……。……とエイミーはその当時糠喜びを致しました」
しかも五十ポンド紙幣ーー確か普段の生活や市場でも殆ど流通していないと言われる程のレアな紙幣だった筈(旅行者が偶に持っている程度だとか)。小さなお店で使うとお釣りが無いなどの理由で拒否される程使い勝手が悪い紙幣であり持っている意味はあまりないらしく言わば宝の持ち腐れを体現したような代物なのだ。
そんな物を大量に入手できたなんて、解り切った事だけれどやはり彼は只者ではない。
「その後の話はよく解らぬのだが、それから六年経ってこの町にやってきて隠れ家に丁度いいアパートを見つけたから入居しようと大家に挨拶しようと思ったら、ここの大家がイギリスにいる筈のエイミーだったから驚いた」
「挨拶……あなたってたまに律義だよね」
「そんな礼儀正しいものではない。私がこのアパートに住んでいる事を誰にもバラさないように脅しをかけるつもりだったのだ。まあ、相手がエイミーだったんでそのような手間は省けたがな」
もう徹底的だ。こんな目立たない場所に建っているアパートの人にまで自分の存在を目立たさないようにするなんて……神経質になり過ぎではないだろうか?
「その俺の知らない空白の六年に関してはエイミー本人の口から聞け。だが、その話は後になりそうだな」
「さあ皆様お待たせいたしました! お料理が完成いたしました! ……とエイミーは配膳を行います!」
などと話している間に、エイミーさんが料理を完成させ全員の分のお皿を器用に両腕の上に乗せて持ってきてくれた。
流石は元メイド。不安定な腕の上に乗せたお皿を一切微動だにさせる事無く配膳する技術は折り紙付きだ。
「おお~! 待ってましたッス!」
「料理の内容はお前に任せた訳だが、何を作ったのだ?」
「私の得意料理であり陰山さまに料理をご教授させた時に初めに教えて差し上げた料理でございます! …とエイミーはお料理をテーブルの上に置きます!」
「って、これは……」
台所から嗅ぎ憶えのある香りが漂っていたのでもしやと思っていたが、エイミーさんが運んできた料理は、二日前の夕方に陰山くんが作ってくれたものと何の相違もないオムライスが私達の目の前に置かれたのだ。
「エイミー……これ、俺と委員長が一昨日食ったばかりだ」
「え ︎ そうなのですか ︎ 嗚呼! 私としたことがとんだ失敗を! ……とエイミーは自分の無知さ加減に大変業腹且つ悲嘆致します!」
「もうかげあ余計な事言わない! せっかくエイミーさんが作ってくれたのに!」
「おお! 海野さんが食べた料理ってオムライスだったんスか! って事はって事は……これは間接的に奇鬼さんの料理を食べた事になるッスぅ!」
早速いただきまッス! と臆助くんはこちらで起きている事になど目もくれず、お腹が空ているのもあってか無我夢中でオムライスにがっつき始めた。
「これは美味いッス! 最高ッス! 色んな人に失礼になるかも知れいないッスが、今まで食べたどんなオムライスよりも美味しいッスよ きっと海野さんが昨日食べたオムライスもこんな味だったんスねぇ」
「まあ、捨間様ったら……。お褒めに預かり光栄にございます。……とエイミーは頬を赤らめます」
「………………」
「ほら、陰山くん。せっかくエイミーさんが作ってくれたんだから一口くらい食べよう?」
すると陰山くんは、一つため息をつき、手前にあったスプーンを持ち上げ、
「いいだろう。しばらく自炊をしてこなかったので、腕が落ちてしまったていたからな。これを食べながら、改めてエイミーから学ぶとしよう」
そして彼は、黙々と作業をするかのようにオムライスを食べ始めた。美味しいのかそうでないのかわからないほど淡々と。
「海野さまも、宜しければお食べくださいませ。昨日に引き続き申し訳ありませんが。……とエイミーは申し訳なさそうにします」
「はい、いただきますね。エイミーさん」
エイミーさんに促されるように私もオムライスに手を付ける。久しぶりにちゃんと温かいまま食事ができることに、私は密かに心が踊っていた。
私は一口オムライスを口へと運ぶ。
臆助くんの反応を見ていたし、だいたいの予想はできていたけれど、当たり前のようにオムライスは美味しかった。
陰山くんが昨日作ったものと遜色ないその出来に、賞賛の言葉などもはや不要とも言えていた。
「エイミーさん、とても美味しいです。流石は陰山くんの家事の先生、そして元メイドさんって感じですね!」
けれどしっかりお礼はする。私の性格上、無言で事を終わらせられるほど神経は図太くないので。
「俺っちなんかもうすぐで食い終わるッスよ! いやー! 美味しい! 美味しすぎて手が止まらないッス!」
「まあ、お二人ともやめて下さいまし! 褒められても食後の紅茶くらいしか出てきませんよ! ……とエイミーはお湯を沸かします」
気付けば私と臆助くんはあっという間にお皿のオムライスを一欠片も残す事なく完食していた。
陰山くんはというと、先ほどからやはり一言も発する事なく黙々と、吟味するかのように食事を続けていた。
オムライスはおよそ半分ほど減ってはいるけれど、まだまだ食べ終わりそうにない。
そしてどこか手つきがおぼつかない。一体どうしたのだろう。
「いや〜、美味かったッスね〜」
「それほどまでに褒めていただけるなんて、臆助さまは口がお上手ですこと」
「ええ! でも確かに美味かったんスけど、何故かとても懐かしい味がしたんスよ! エイミーさんの料理を食べたのは初めてのはずなのに、何でッスかね?」
言われてみれば、確かに美味しかったのは美味しかった。陰山くんが作ったものと見た目などは本当にそっくりで並べられたらどちらが作ったのか分からなくなるほどに。
だけど、エイミーさんが作ったオムライスには、陰山くんが作ったそれとは異なる風味を感じたのだ。
まさに言うなれば、臆助くんが言うようなーー『懐かしさ』。
初めて食べたはずなのに、どこかで食べたことのあるような感覚を覚えたのである。
「なるほど。それは確かに的を射ている。……とエイミーは思います」
「え、どういう事ッスか?」
「実は、オムライスという料理はーー親日家であった母に教えてもらった初めての日本食だったのです」
「え、日本食……?」
いや臆助くん。注目すべきところはそこじゃない。
確かにオムライスは日本で独自に進化したものだから、知らない人もいるはずだけど今じゃない。
そしてーーなるほど。これで合点がいったわけだ。
エイミーさんが作った料理、そして陰山くんが作った料理に決定的とも言える違いがわかったのだ。
決定的な違いそれはーーエイミーさんが作ったオムライスには隠し味があったのだ。
お母さんから直々に、その目で、その手で、間近で直接教わった料理をエイミーさんは見事に再現していたのだ。
つまりだ。私たちは日本にいながら、日本食であるにもかかわらず奇しくもイギリスで作られたオムライスを食したのだ。
『お袋の味』という名のーー隠し味が入った料理を。
「私の母もメイドでした。私は母の言いつけ通りにしていれば立派なメイドになれると思っておりました。きっとその料理にも、図らずも『母の味』がこもっていたのでございましょう。……とエイミーは推測いたします」
「母の味……ッスか。でも、俺っちの母ちゃんが作る料理よりエイミーさんが作る料理の方が百倍美味いッスけどね!」
「臆助くん。それは流石に言い過ぎじゃないかな?」
と、私たちがエイミーさんの料理の美味しさの秘訣を探り出したところだった。
ーーカシャン!
何かが床に落ちる音が部屋に鳴り響いた。もっと詳しく言うと、金属質のものが。
とっさに音がした方に私を含め部屋中のみんなが凝視する。その方向にいたのは、
「うう……、痛い……! あ、頭が……!」
そう呟きながら頭を抱えてうずくまっていたのは、オムライスを食べ始めたきり一度も言葉を発する事なく黙々と食べ続けていた陰山くんだったのだ。
「陰山さま! どうなさったのですか ︎ ……とエイミーは駆け寄ります!」
「奇鬼さん! しっかりして下さいッス!」
いきなり原因不明の頭痛に襲われるなんて……、どういう事……。彼はいたって健康(?)そうなのにどうして急に……。
「海野さん! 何をボーっとしてるッスか! 奇鬼さんがもう大変ッス!」
「そうです……! 管理人室に救急箱があります! その中に頭痛薬も確か入っていた筈です。私はそれを早急に取ってきます!」
「薬ッスか……。そんなもので奇鬼さんの症状が良くなるんスか 」
「何もしないよりはマシでございます! 一刻を争います、海野さまと捨間さまは引き続き陰山さまを看ていてあげて下さい! ……とエイミーは急ぎます!」
と、エイミーさんは足早に一旦部屋を出て行った。確かにこの症状が薬で治まるのであればこんなに楽な事はないが、望み薄である事はこの場にいる全員が承知している事だろう。せめてこの症状がまた起こった時為に治し方が解れば……。
「うう……痛い、ぐむぅ……! ああ……うぐうううぅ…!」
「奇鬼さんもう少しの辛抱ッス! エイミーさんが今、薬を取ってきてくれてるッス!」
尚も彼の頭痛は酷くなる一方、私達はそんな彼を勇気づけることしか出来ない。なんと意地らしく歯痒い。こんな時に私達は何もすることが出来ないなんて。
「陰山くん……ごめんね」
そう何とはなしに呟いた私の声は、酷く掠れていた。
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