愛した人を殺しますか?――はい/いいえ

@yumetogi_birt

第38話 絶滅

 トルティガーを出てから1週間。もうすぐ日が沈みそうな時分、急にラムズが叫んだ。

面舵おもかじいっぱい!」

 嵐が来たわけでも、目の前に大きな岩がある訳でも無い。それなのにラムズは、こんなことを言った。
 突然の指示に驚く船員たちだったけど、とりあえずは言うことを聞いて、帆の向きを変え始める。わたしもマストの方へ駆け寄って、彼らを手伝う。



 船はなんとか旋回して、今来ていた航路を引き返した。
 こんな海のど真ん中で、一体どうしたって言うんだろう。舵を操るジウの側で、ラムズは厳しい顔をして立っている。わたしがそれを見ていると、ふと目が合った。

「ちょっと来てくれ」

 ラムズは甲板にいるわたしに、そう声をかけた
(ここは、楼から甲板に呼びかけている時点で「張り上げた」の方が正しいんだけど、簡単に呟いた感じだったわ)。


 わたしは階段を登って、船尾楼甲板に向かう。ラムズの近くに立つと、彼は双眼鏡を渡してきた。

「あれが何か知っているか」

 わたしは双眼鏡を手に取って、そこに目を当てる。すると、巨大な渦が視界いっぱいに広がった。渦はあまりに大きすぎて、双眼鏡の枠に収まりきれていない。
 まるで奈落の底へと誘い込むような、海面にぽっかりと空いた渦潮うずしお。ぐるぐる回って、周りの水が吸い込まれていく。渦の一番端に触れただけでも、船は海底に引きずり降ろされてしまうだろう。こんなの見たことない
(この渦があったから、ラムズは早いうちに船の向きを変えたみたいね)。

「分からないわ、初めて見た」
「あんたも知らないか……。ノアにも聞いたが、見たことがないらしい」

 長寿で博識なノアでさえ知らないなんて。この現象は今まで起こったことがないということかしら。

「とにかく、今あそこを通るわけにはいかない。仕方ないから迂回うかいする。ハイマー王国のアゴールに停泊しようと思う」
「アゴール? それって大丈夫なの?」
「ああ」

 ハイマー王国は、わたしたちの目指す南大陸を大きく占めている国だ。その国の港町として、アゴールという都市がある。どの貿易船もここによく停泊する。栄えている街で、色んなものも売っているしね。

 わたしたちは海賊だから、もちろん街には歓迎されない。海岸から街に入るのに堤防があり、そこには街の兵士が並んでいる。海賊船が来たら、その彼らが弓矢を射たり魔法を放ったりするはずだ。

 だから本当だったら、もう少し人気ひとけの少ない街を選ぶはず。海賊がアゴールに停泊するなんて聞いたことない。どういうつもりなんだろう?
 いくらラムズが魔法が得意だからって、攻撃されながら船を無傷で停めるなんてこと出来ないと思う。船が岸辺に着いた途端、兵士たちが襲ってくる可能性だってある。

 でもラムズの顔には、全く懸念けねんが浮かんでいない。何か考えがあるのかな。クラーケンに襲われた時「俺の船は沈ませない」なんて確信をもった表情で言っていたけど、それと同じ雰囲気を感じる。

 攻撃から守ろうとするんじゃなく、アゴールの港の兵士たちをあざむくような魔法を使うとか?
(ただそんな魔法があるとしても、こんなに大きな船に魔法をかけるとなったら相当大変よ。少なくともラムズ一人じゃ無理だと思うわ)
 わたしは水属性と闇属性の魔法しか知らないから、全然思いつかない。



 わたしはラムズに背を向けて、船尾楼甲板を降りる。すると、船縁ふなべりに掴まって、レオンとアイロスさんが何やら楽しそうに話しているのが見えた。わたしも混ぜてもらおうかな。

 彼らの元に近付いた。アイロスさんが身振り手振りで話している。

「じゃからな、こうやってコップを大きくするように、魔力の入る器を広くするんじゃ。そうすればお主が貯めておける魔力──ここでは水が、前よりも多くなると言うわけじゃ」
「ほうー! たしかに! 魔力は大きい魔法を使えばたくさん減るし、小さくても何回も使えばその分減ると。だから器を広くすると、魔法を打てる回数が増えて、さらに威力の大きい魔法が使えるようになるんだな」
「魔法の話をしているの?」

 アイロスさんは、手に灰色のコップを持っている。そこに水を入れたり出したりして説明していたらしい。レオンの世界には魔法がないらしいから、こういう原理も説明しないといけなかったのね。
 アイロスさんがわたしに気付いて、優しく笑ってくれる。

「おお、メアリのお嬢さんかの。人魚は人間よりも魔力量が多いし、"魔法の威力"も高いんじゃよ」
「威力が高いってことは……」
「同じ魔力量で、より強力な魔法になるということじゃな。あとは──そうじゃ、せっかくだから今向こうに魔法を二人で放ってみい」
「何の魔法を使えばいいかしら?」
「分かりやすいように、氷柱つらら魔法でいいんじゃないかの」
「分かった」
「最大出力で出せばいいの?」
「うむ。レオンも出来る限りの魔力を使うんじゃ」
「オッケー!」

 レオンは瞳をキラキラさせて返事をした。
 なんだか楽しいわね。魔法の修行ってことでしょう? こんなの他人とやったこと無かったわ。


 被害が及ぶとまずいから、わたしたちは海に向かって手を掲げた。

「【氷柱よ、槍に ── Hasta アスタ Stiriaスティーリア】」

 レオンだけが詠唱をして、二人で同時に氷柱魔法を放った。透明な氷柱が一斉に海の中へグサグサと刺さっていく。本当に氷柱の槍みたいだ。飛沫が上がって、こちらまで水が飛んできた。

 わたしの氷柱は50センチルくらい。それが50本落ちた。レオンは20センチルくらいかな。同じく量は50本だけど。
 レオンはそれを見て呆気に捉えている。

「全然大きさが違うじゃん!」
「二人とも魔力切れは起こしとらんな?」
「もちろん」
「おう。本当はもっと魔力を込めようとしたんだけど……まだ下手なのかな」
「違うわ。ただ無理なのよ。魔法が発動している以上、そこに下手とかはないわ」

 アイロスさんは深々と頷いた。一挙一動は年老らしくゆっくりだ。白いひげをさすりながら、レオンに話し始める。

「うむ。使族の"魔法の威力"の違いというのは、こういうことでもあるんじゃよ。同じ魔法でも、"魔法の威力"によってその魔法の強さのが違うんじゃ。レオンはどんなに頑張って魔力を込めても、今以上に強い氷柱魔法は使えん。逆にメアリも、これ以上の強さの氷柱魔法は使えんのじゃろ?」
「ええ。だからその時は、もっと違う魔法を使うわ。雹槍ひょうそう魔法とか」
「そうじゃな。氷柱魔法よりも使う魔力が多い分、強い魔法じゃ。魔法によっても、込められる魔力の限界量は変わるんじゃよ」

 レオンはしばらく視線を動かしてから、自分に言い聞かせるようにして「なるほどな」と呟く。そしてアイロスさんに尋ねた。

「じゃあさっきの氷柱魔法だけど、ドラゴンだったらもっと大きい氷柱になるのか?」
「この船が沈没するくらい大きな氷柱を落とせるじゃろうな。じゃがどうせなら、わざわざ氷柱魔法ではなくもっと強力な魔法を使った方がいいわい」

 アイロスさんはフォッフォッと笑った。

 ドラゴンってそんなに凄いんだ。実際のドラゴンの魔法なんて見たことがないから想像つかない。破壊的な魔法の力だって聞いてはいるけどね。ちょっと見てみたいな
("魔法のテクニック"は、魔法の精度って感じかしら。命中率だとか、複雑な魔法を発動させるスピードだとか。あとは新しい魔法を思いつくこと、効率よく魔法を使えることも、テクニックが関わってくるわね。これこそ、魔法の上手さって感じ? 特に威力が低く魔力量の少ない使族は、このテクニックを磨くことで上手く魔法を使えるようにするのよ)。


 レオンは難しそうな顔をしながら、何度も頷いている。一応理解できたみたいね。

「メアリってけっこう強いんだなー!」
「そうかな? まぁ水属性の魔法なら得意よ。水は好きだしね」

 頑張って魔法の練習をすれば、わたしも他の属性の魔法が使えるようになる。でもすぐに練習が嫌になっちゃったのよね。また練習してみようかしら
(属性を増やすのは大変なのよ。一つの属性を増やすだけでも、何年かかるか分からない。
 どう練習するかっていうと、例えば光属性なら身体の中で光をイメージするの。それで怪我した腕なんかを見て、治る所を想像する。うん、そんな感じ。集中してイメージしてっていうのを繰り返すだけなの。つまんないでしょ?)。


 レオンは海の様子を見ながら、ふと呟いた。

「それにしても、なんで急に船の方向を変えたんだろう?」
「変な渦があったのよ。大きすぎて脇を通るのも難しそうだった。この調子だと、あの辺りはどの船も通れなくなりそうね」
「渦が、か……。一体どうしたんじゃろうか」

 たしかに何があったんだろう。
 わたしは目をつぶって、海や魚系の魔物たちの声を聞いてみることにした。
  

 海は暴走しているみたい。なんだかうめき声みたいなものが聞こえる。何かを生み出している、とか?
 魚も騒いでいる。なんて言っているかは分からないけど、かなり慌てているような空気を感じる……。どうしたんだろう。悲しみのような声も、少し聞こえる。

 わたしはさらに海底まで潜っていく。人魚たちがいる。渦には近寄れないみたい。他の魔物も離れたところで渦を見ている。

 ──あれ?
 ────聞こえない。


 わたしは海の至る所を探した。さらに意識を集中させて、海の中の様子をなんとなく感じ始める。
 海底が見える。珊瑚さんごが見える。魚の泳ぐ姿が見える。魚の声も聞こえる。人魚の声も。

 わたしはどんどん深くへ下っていく。
 海はかなり暗くなる。
 魚の姿が消える。
 何も聞こえない。
 周りには何も無い。

 生き物の声が、無い────。


 そしてわたしは、見つけてしまった。

 さらに禍々しい色に変色してしまったそれを。
 何本もの触手が切り取られてしまったそれを。
 赤い血がどくどくと流れ落ちている、それを。


 クラーケンが、死んでいた。



 ◆◆◆



 ヴァニラとロゼリィ、ノア、ラムズが船尾楼せんびろう付近で何かを話している。なんて言っているかは聞こえないけど、どうやら着岸のための準備をしているようだ。
 あれから三日。ハイマー王国の港町、アゴールはもう海の向こうに見えてきていた。このまま港に向かったら絶対に攻撃される。何をするつもりなんだろう。

 ラムズたちは話を終えると、魔法を使った。4人で一緒に、1回だけ魔法をかけるとすぐに解散する
(今は詠唱していたみたいだったけど、声は聞こえなかった。でも、手の動きや集中している顔を見れば、なんとなく魔法を使ったことは分かるものなのよ)。
 うーん、何も変わったようには思えない。


 ラムズだけが船内を見下ろして、船員全体に向かって口を開いた。

「もうじきアゴールの港に着岸する。船を攻撃される心配はない。だが、服装だけ整えておけ。そのままだとすぐに海賊だとバレる」

 やっぱり、何か誤魔化すような魔法を船にかけたのね。
 わたしは見下ろして自分の格好を確認した。たしかにこれじゃあすぐに分かっちゃう。



 地下の船倉まで降りると、自分の荷物の中に手を突っ込んで手探りで服を探す。大砲の近くから光は漏れているけど、船倉はけっこう暗い。

 ようやく服を見つけた。海賊以外の格好をする時のためにちゃんと持っているのだ。もちろん他の人も持っているはず。
 そこには誰もいなかったので、急いで服を着替える。大砲の影にも隠れているし、きっと大丈夫。まぁ見られてもいいんだけどね。パンパンとほこりをはたいて、元々着ていた服を荷物に戻した
(最初から今のような格好をすれば、たしかに楽かもね。着替える必要はないし。でも服が血で汚れることもあるから、やっぱり普段は小汚い麻のベストなんかの方がいいのよ)。

 ……ううっ。この服、丈が短いから少しスースーするわ。膝上までの長さしかない。青が基調のチュニック(ワンピースと少し似ているかな)だ。
 胸元はV字に開いていて、真ん中に金色のボタンがある。紺色の長い靴下をガーターベルトで止めて、その上から長ブーツを履く。



「あ、メアリじゃないっすか」

 わたしが船倉から甲板に上がろうと、階段の手すりに手をかけた時だった。
 後ろを振り向くと、ルドがニコニコと笑いながら立っている。まだガーネット号に乗っていたのね。てっきりルテミスしかいないと思っていたわ。
 ──あれ? そうよ。たしかラムズはルテミスだけ船に乗せたと言っていたような気がするんだけどな。

「ルド、いたの? たしかラムズはルテミスしか入れなかったって言っていたけど」
「俺ルテミスっすよ?」
「え? 何言って…………あ、そうか。ルドはルテミスだったわね。ごめんなさい」

 「そうっすよー」と言って、ルドは頭をいた。焦げ茶の髪の毛だ。
 ん? ルテミスなのに茶髪? でもルドはルテミスよね。あれ? まぁでもルテミスなことには変わりないし、とりあえずはいっか。

「船にはずっといたっすよ! もうすぐ次の街に着くんすね」
「そうみたいよ。アゴールだけど、知ってる?」
「知ってるっすよ! 楽しみっす」

 ルドはそう言うと、また奥に歩いていった。彼も着替えるのかな?


 わたしは今度こそ階段を上って、ハッチから出る。甲板に出ると、他の船員が船の上で着替えているのが見えた
(下着は付けているし気にすることはないでしょ? ここに気にする人なんて……あ、レオンがいたわね。アイロスさんも気になるのかな?)

 ルテミスたちは本当に気にしていないみたいで、パパパっと着替えてしまっている。
 ロコルケットシーの獣人ジューマのリーチェは、最初からそれほど海賊らしくない格好だった。だから着替えていない。黒い髪に似合う、真っ黒のチュニックだ。同じくV字に胸元が空いているけど、並んでいるボタンが銀色で、どこか格好良さを感じる
(格好いいけど、わたしより胸は大きい……)。


 船はしばらく海上を進み、もうじき港に着きそうだ。
 誰もガーネット号を攻撃していない。むしろ見向きもしてない。また貿易船が来ているな、くらいの反応は少しあるけど。

 船員がドタバタと動き始める。寄港の準備だ。

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