愛した人を殺しますか?――はい/いいえ
第22話 船員の活躍 *
「めあ、り…………?」
メアリは雷魔法の罠を諸に受け、床に倒れていた。もちろん意識はない。まだ電撃は彼女の身体を蝕んでいる。髪の毛がチリチリと音をたてて、ゆっくりと焦げ目が上がっていく。服は焦げて真っ黒になっていた。
そんなメアリの身体をぼうっと見ていたラムズであったが、彼女が倒れたという事実を徐々に理解し始める。
そしてがぐんと膝が折れて、ラムズは床にへたり込んだ。
「あ、ああ。めあり」
声にもならない声で、小さく唸った。メアリが雷に打たれ、鱗が焼け焦げていくのが脳裏に浮かぶ。
「ああ……ああ、ああ。鱗が……、鱗が。俺の宝石が……」
メアリの予想通り、ラムズは彼女に宝石としての価値しか見出していなかった。といっても、彼にとって宝石の価値は最上級のものである。そしてラムズは、メアリの鱗を他の宝石の中でも特に気に入っていた。彼女を守るという発言と、渡したネックレスの意味は、そういう理由からでもあった。
だが、そんな自分の宝石が壊れることは、彼の精神の崩壊を示していた。
ラムズはよろよろと立ち上がると、気でも狂ったのか、船内で魔法を乱発しようとした。だが魔法を使えばさらに自分の宝石が壊れることにかろうじて気付き、すんでの所で思い留まる。
ふらふらと部屋を歩きながら、虚ろな眼でメアリを見下ろす。服のおかげで鱗の焦げた様子が見えないのが、何よりの救いだった。
ガタンとドアにラムズの肩がぶつかり、そのままメアリの横で倒れた。ドアが背もたれになり、なすがままに身体を預ける。罠はもう発動しなかったが、むしろこのまま死んでもいいとさえ彼は思っていた。
眼を開いたままに、彼の身体は寸分も動かなくなっていた。時折目玉だけがグルグルと動き、自分の部屋の宝石や彼女を写す。狂気じみた顔だ。冷えている身体がさらに凍えていった。
永遠に思えた時間であったが、メアリが倒れてからそれほど時間は経っていなかった。
急に扉が開き、ドアにもたれ掛かっていたラムズの体がゆっくりと床に倒れる。
扉に触れた者がいないのに罠が発動したことに気付いて、ロミューが船長室にやって来たのだ。甲板でも、突然光った扉に船員が騒然としていた。
ロミューの見下ろす床では、一人は気絶して倒れ、もう一人は気が触れた様子で眼を見開いている。ロミューはまず、ラムズを起こそうとした。
「おい! 船長! おい! どうしたんだ!」
「あ、ああ……?」 
 
焦点の飛んだ眼が、チカチカとロミューとその周りを行き来する。
何を聞いても無駄だと悟ったロミューは、同じく倒れているメアリの方に駆け寄った。
「メアリ、おい」
身体を少し揺すってみるも、瞼は閉じられたままだ。かろうじて小さく呼吸をしている。
メアリの焦げた肢体、魂の抜けているラムズの有様を手掛かりに、ロミューは頭を巡らせた。
「……まさかメアリが罠を踏んだのか?! それで船長が、そうだな?!」
それに答える者は部屋にはいない。ロミューは扉を開くと大声でジウを呼んだ。
「ジウ! ジウ! 手を貸してくれ!」
「ロミュー? 一体どうしたの」
ジウはちょうど船長室の上、船尾楼甲板で舵を操っていたため、罠の発動には気付かなかったようだ。それでも足早に階段を降りると、船長室の前までやって来る。
ジウは二人の様子にぎょっとして目を瞬く。
「……な、なにこれ。どうしたの?!」
「船長が倒れた。いや、先にメアリが倒れたんだと思う。おそらく内側からドアを開けようとして罠が発動したんだ」
はっと息を飲んで、ジウは両眉を上げた。上擦った声で言う。
「え、まさか、嘘だよね?! 船長はいつも電気の魔法を使ってるよね、それを浴びたの?!」
「たぶんそうだ。倒れたメアリを見て、船長もこのざまだ」
「もしかしてメアリの鱗って……」
「あぁ。船長にとってあの鱗は宝石と同じなんだろう。その持ち主であるメアリが倒れたわけだから、船長にとっては宝石が壊れたことと同じ意味を持つんじゃないのか?」
「はあー。本当なのそれ」
ジウはがくりと肩を落とすと、床に倒れた二人の方へ覗き込んだ。手をひらひら振って気持ちを落ち着ける。唾を飲んでから、ロミューに話しかけた。
「メアリって……、まだ死んでないよね?」
「あぁ。息はしている。だがあと30分持つか分からない。とりあえず俺は船長を起こすから、お前さんはできる限り急いでトルティガーに向かえ」
「1時間はかかるよ?!」
「分かっている……。いや、待て。獣人の船員が何人かいただろう、そいつらに風属性の魔法で援護するよう頼むんだ。あと、人間には知らせるな」
「そうだね、わかった」
「俺はこれから船長をなんとかして起こす。起こしたらそっちに向かわせる」
ジウはそれを聞くと、強く頷いて船長室を飛び出していった。獣人を探す声が船内に響いている。
ロミューは倒れているラムズの身体を起こし、頬を叩いた。
「船長! 船長起きろ! 正気になれ! メアリは助かる!」
「あ…………?」
ぐるぐると回っていた眼の焦点が、一瞬合う。だがすぐに白目を剥いた。
ロミューは部屋を見渡して、ラムズを起こす何かがないか探した。すると机の上に見慣れないものが載っているのを見つけた。
どうやら鱗のようだ。メアリがラムズに渡したのだと推測を立てると、それを持ってラムズの方へ戻った。
「おい! これを見ろ! メアリの鱗だ!」
「……あ…………。……っ!?」
白目がぐるんと回って、虚ろな眼がそれを視界に入れた。その途端眼が見開き、鱗を凝視する。ラムズはすぐさま手を出してその鱗を掴んだ。
「お、お……、おれの…………」
「船長、分かるか、ロミューだ。気を確かに持て。メアリは大丈夫だ」
ラムズは鱗から眼を離すと、ゆっくりとロミューの方を見た。瞳孔が小刻みに震えている。
「め、めあり…………。そうだ、メアリが……」
「大丈夫だ、メアリは死んでいない。トルティガーに急いで向かう。エルフに治療を頼もう。きっと間に合う。でもそれにはお前の魔法も必要なんだ」
「ち、ちりょう……。まほう……」
ラムズはふらふらと立ち上がった。まだ頭はついていけていないようで、手元の鱗を食い入るように見ている。
「その鱗が大事なんだろう?! まだ間に合うんだ! この前の海に落ちた宝石と同じだ! まだ大丈夫だから、お前がなんとかしろ! 宝石のためだろ!」
「間に合う……。宝石のため……?」
ラムズは顔を上げてロミューを見る。目の焦点は戻ってきている。ロミューはラムズの肩を掴んで、もう一度力強く言った。
「宝石が好きなんだろ?! お前がなんとかしなくてどうする! エルフくらい見つかる! 30分でトルティガーに着けば間に合う! お前の魔法が必要なんだ! 宝石のためだ! 宝石を救うんだ!」
「宝石……。そ、そうだ……宝石のためだ。俺は宝石を救わないといけない」
「そうだ! 早く理性を取り戻せ! この前海に飛び込んだだろ! その時と同じだ!」
「あ、ああ…………。ああ……そうだ、そうだった。宝石は、俺の鱗は……、俺の鱗は大丈夫なんだな?」
「ああ、大丈夫だ。お前が魔法を使えば!」
「わかった、行ってくる」
まだふらついている足だったが、ラムズは何をすべきか理解したようだった。足をもつれさせながらも船尾楼甲板へ向かっていく。
それを見届けたあと、ロミューは依然倒れたままのメアリの身体を起こした。そして近くの長椅子に寝かせた。
一方ジウは、獣人と共に舵を操っていた。魔法で風を作っているあいだは、気を緩めることができない。普段の倍以上のスピードが出ているのだ。少しでも舵輪を回す手が狂えば、その分時間が無駄になっていく。
とそこに、ふらふらとラムズがやってきたので、ジウは獣人たちに声をかけた。
「船長が来た! 一緒に魔法を使って! 船長はまだおかしいから、宝石を守るためとか救うためとか言えばやってくれる! リーチェ頼んだよ!」
獣人の二人はラムズたちとの付き合いが長かったため、彼の宝石狂いに関してよく知っていた。
リーチェと呼ばれた獣人は、ラムズの腕を掴んで船首楼甲板の奥まで連れていく。
「船長、宝石を守るために一緒に魔法を使うニャ!」
「宝石、守るため。そうだな」
「風属性の魔法だニャ! わっちと同じ感じでやるニャ!」
「あ、ああ。わかった」
リーチェは、見本として風属性の魔法を放つ。ぎこちない動きであったが、ラムズもそれを倣って魔法を使った。
船のスピードが更に上がる。魔法で作られた風が轟々と鳴って、船は普段の三倍の速さになっていた。ジウの舵輪を持つ手が汗ばんだ。
◆◆◆
風魔法のおかげで、ようやく島が視界の中に見えてくる。海賊の島、トルティガーだ。
予定より早く着きそうであった。ジウは強ばっていた肩を少し休めた。余裕が出来たので、後ろで会話をする獣人たちの声になんとなく耳を貸してみる。暇つぶしに聞いてみることにしたのだ。
「船長大丈夫かな」
「うーん、分からないニャ」
ラムズの隣で会話をする獣人の二人だが、ラムズはまだ正気が完全に戻っていないのか、話には入ってこない。
「というかお前、そのニャっていうのいい加減やめろよ。なんの真似だよ」
「ロコルケットシーだニャ?」
語尾にニャを付ける獣人の彼女──リーチェは、ロコルケットシーの獣人だ。彼女はわざとらしく小首を傾げて、瞳をぱちぱちと瞬いた。黒い耳がぴくりと動き、二又の尻尾が揺れる。
グレンは呆れた顔をして、リーチェに言い返す。
「いやお前、いちいちニャなんていらないだろ。そもそもなんで付けているんだよ」
「こうすると可愛いって言われるんだニャ!」
「…………そうか」
「グレンもつけるといいんだニャ」
「俺もニャって言うのかよ」
「違うニャ、ニャはケットシーだからだニャ。グレンは……『ガオッ』だニャ」
「お前な……」
完全にリーチェはグレンをからかっている。だがグレンは、確かに「ガオッ」と吠える魔物──フェンリルの獣人なのだ。
凛々しい顔立ちだが、目付きは鋭くフェンリルというだけの迫力がある。だが、どこか自信のなさそうな彼の様子が好ましく、リーチェはいつもグレンにちょっかいを出していた。
「そうだニャ、船長も笑えば元気になるかもしれないニャ」
「んなわけねえだろ。しかも船長って笑ったことあるか?」
無駄話をしながらも、二人はきちんと魔法を放ち続けている。人間よりも魔力が多く、また魔法の威力も高い獣人であるが、彼らは詠唱も必要ない。
「そうだけど、呆れても元気になるかもしれないニャ」
「だから俺がガオッって言うのか?」
「そうだニャ! 『船長早く元気になってガオッ』って言うニャ」
「絶対こんなんじゃ元気にならねえよ」
だがグレンは、意味が無いとも思いつつ、ラムズに声をかけることにした。それにグレンは、少しだけ「ガオッ」と言ってみたくなったのだ。
「船長、早く元気になってくれガオッ」
少し台詞を間違えたグレンだが、勝ち誇った顔でリーチェを見た。するとリーチェは、ラムズの方を指で指している。
「なんだよ」
「船長を見るニャ」
グレンはリーチェとラムズに挟まれた形で立っていたので、反対側のラムズをもう一度見た。
「せ、船長……」
「お前、何してんだ?」
「おいリーチェ! 船長ふつうじゃねえか!」
「さっき元気になってたニャ」
呆れた顔の船長に見つめられ、グレンは肩を落とす。
リーチェの言う通り、たしかにラムズは正気を戻しているように見えた。だが、実際はそうではない。ラムズはかなり気がせって、興奮していた。
今のラムズは、救える方法はあっても自分ではどうにもならないため、なんとか気を落ち着けている、という状態だった。もし自分の出来ることがあれば、何でも──常軌を逸した行動、例えば海の中に飛び込むことでも──しただろう。
自分も含め、風魔法の威力は最大だ。これ以上早くトルティガーに着くことも、他の方法でメアリを助けることもできない。何もできない自分に、ラムズは密かに苛立っていた。
「──メアリ」
ラムズはぽつりと呟いた。
「船長! 大丈夫ですよ。もうすぐトルティガーに着きます」
「そうだニャ! メアリちゃんとはわっちも仲良くしてたんだニャ」
「そうか」
「おい! また落ち込んでるじゃねえか!」
「きっと船長は、グレンの『ガオッ』がもう一度聞きたいんだニャ!」
「ボクも聞きたーい!」
一人で舵を操っているのが寂しくなったのか、後ろに首を回しながらジウが声をかけた。会話に参加することにしたのだ。
グレンは空いている手でリーチェを叩いている。
「お前のせいで! ジウさんまで! どうしてくれんだよ!」
「船長も聞きたいニャ?」
「まあ」
「絶対思ってねえじゃんか!」
「思ってるニャ!」
「思ってる思ってる! ボクも聞きたいよー!」
二人に責められると言い返せなくなり、仕方なくグレンはもう一度言うことにした。
「船長早く元気になってガオッ」
「……」
「……」
「……」
「お、お前ら裏切ったな!」
メアリは雷魔法の罠を諸に受け、床に倒れていた。もちろん意識はない。まだ電撃は彼女の身体を蝕んでいる。髪の毛がチリチリと音をたてて、ゆっくりと焦げ目が上がっていく。服は焦げて真っ黒になっていた。
そんなメアリの身体をぼうっと見ていたラムズであったが、彼女が倒れたという事実を徐々に理解し始める。
そしてがぐんと膝が折れて、ラムズは床にへたり込んだ。
「あ、ああ。めあり」
声にもならない声で、小さく唸った。メアリが雷に打たれ、鱗が焼け焦げていくのが脳裏に浮かぶ。
「ああ……ああ、ああ。鱗が……、鱗が。俺の宝石が……」
メアリの予想通り、ラムズは彼女に宝石としての価値しか見出していなかった。といっても、彼にとって宝石の価値は最上級のものである。そしてラムズは、メアリの鱗を他の宝石の中でも特に気に入っていた。彼女を守るという発言と、渡したネックレスの意味は、そういう理由からでもあった。
だが、そんな自分の宝石が壊れることは、彼の精神の崩壊を示していた。
ラムズはよろよろと立ち上がると、気でも狂ったのか、船内で魔法を乱発しようとした。だが魔法を使えばさらに自分の宝石が壊れることにかろうじて気付き、すんでの所で思い留まる。
ふらふらと部屋を歩きながら、虚ろな眼でメアリを見下ろす。服のおかげで鱗の焦げた様子が見えないのが、何よりの救いだった。
ガタンとドアにラムズの肩がぶつかり、そのままメアリの横で倒れた。ドアが背もたれになり、なすがままに身体を預ける。罠はもう発動しなかったが、むしろこのまま死んでもいいとさえ彼は思っていた。
眼を開いたままに、彼の身体は寸分も動かなくなっていた。時折目玉だけがグルグルと動き、自分の部屋の宝石や彼女を写す。狂気じみた顔だ。冷えている身体がさらに凍えていった。
永遠に思えた時間であったが、メアリが倒れてからそれほど時間は経っていなかった。
急に扉が開き、ドアにもたれ掛かっていたラムズの体がゆっくりと床に倒れる。
扉に触れた者がいないのに罠が発動したことに気付いて、ロミューが船長室にやって来たのだ。甲板でも、突然光った扉に船員が騒然としていた。
ロミューの見下ろす床では、一人は気絶して倒れ、もう一人は気が触れた様子で眼を見開いている。ロミューはまず、ラムズを起こそうとした。
「おい! 船長! おい! どうしたんだ!」
「あ、ああ……?」 
 
焦点の飛んだ眼が、チカチカとロミューとその周りを行き来する。
何を聞いても無駄だと悟ったロミューは、同じく倒れているメアリの方に駆け寄った。
「メアリ、おい」
身体を少し揺すってみるも、瞼は閉じられたままだ。かろうじて小さく呼吸をしている。
メアリの焦げた肢体、魂の抜けているラムズの有様を手掛かりに、ロミューは頭を巡らせた。
「……まさかメアリが罠を踏んだのか?! それで船長が、そうだな?!」
それに答える者は部屋にはいない。ロミューは扉を開くと大声でジウを呼んだ。
「ジウ! ジウ! 手を貸してくれ!」
「ロミュー? 一体どうしたの」
ジウはちょうど船長室の上、船尾楼甲板で舵を操っていたため、罠の発動には気付かなかったようだ。それでも足早に階段を降りると、船長室の前までやって来る。
ジウは二人の様子にぎょっとして目を瞬く。
「……な、なにこれ。どうしたの?!」
「船長が倒れた。いや、先にメアリが倒れたんだと思う。おそらく内側からドアを開けようとして罠が発動したんだ」
はっと息を飲んで、ジウは両眉を上げた。上擦った声で言う。
「え、まさか、嘘だよね?! 船長はいつも電気の魔法を使ってるよね、それを浴びたの?!」
「たぶんそうだ。倒れたメアリを見て、船長もこのざまだ」
「もしかしてメアリの鱗って……」
「あぁ。船長にとってあの鱗は宝石と同じなんだろう。その持ち主であるメアリが倒れたわけだから、船長にとっては宝石が壊れたことと同じ意味を持つんじゃないのか?」
「はあー。本当なのそれ」
ジウはがくりと肩を落とすと、床に倒れた二人の方へ覗き込んだ。手をひらひら振って気持ちを落ち着ける。唾を飲んでから、ロミューに話しかけた。
「メアリって……、まだ死んでないよね?」
「あぁ。息はしている。だがあと30分持つか分からない。とりあえず俺は船長を起こすから、お前さんはできる限り急いでトルティガーに向かえ」
「1時間はかかるよ?!」
「分かっている……。いや、待て。獣人の船員が何人かいただろう、そいつらに風属性の魔法で援護するよう頼むんだ。あと、人間には知らせるな」
「そうだね、わかった」
「俺はこれから船長をなんとかして起こす。起こしたらそっちに向かわせる」
ジウはそれを聞くと、強く頷いて船長室を飛び出していった。獣人を探す声が船内に響いている。
ロミューは倒れているラムズの身体を起こし、頬を叩いた。
「船長! 船長起きろ! 正気になれ! メアリは助かる!」
「あ…………?」
ぐるぐると回っていた眼の焦点が、一瞬合う。だがすぐに白目を剥いた。
ロミューは部屋を見渡して、ラムズを起こす何かがないか探した。すると机の上に見慣れないものが載っているのを見つけた。
どうやら鱗のようだ。メアリがラムズに渡したのだと推測を立てると、それを持ってラムズの方へ戻った。
「おい! これを見ろ! メアリの鱗だ!」
「……あ…………。……っ!?」
白目がぐるんと回って、虚ろな眼がそれを視界に入れた。その途端眼が見開き、鱗を凝視する。ラムズはすぐさま手を出してその鱗を掴んだ。
「お、お……、おれの…………」
「船長、分かるか、ロミューだ。気を確かに持て。メアリは大丈夫だ」
ラムズは鱗から眼を離すと、ゆっくりとロミューの方を見た。瞳孔が小刻みに震えている。
「め、めあり…………。そうだ、メアリが……」
「大丈夫だ、メアリは死んでいない。トルティガーに急いで向かう。エルフに治療を頼もう。きっと間に合う。でもそれにはお前の魔法も必要なんだ」
「ち、ちりょう……。まほう……」
ラムズはふらふらと立ち上がった。まだ頭はついていけていないようで、手元の鱗を食い入るように見ている。
「その鱗が大事なんだろう?! まだ間に合うんだ! この前の海に落ちた宝石と同じだ! まだ大丈夫だから、お前がなんとかしろ! 宝石のためだろ!」
「間に合う……。宝石のため……?」
ラムズは顔を上げてロミューを見る。目の焦点は戻ってきている。ロミューはラムズの肩を掴んで、もう一度力強く言った。
「宝石が好きなんだろ?! お前がなんとかしなくてどうする! エルフくらい見つかる! 30分でトルティガーに着けば間に合う! お前の魔法が必要なんだ! 宝石のためだ! 宝石を救うんだ!」
「宝石……。そ、そうだ……宝石のためだ。俺は宝石を救わないといけない」
「そうだ! 早く理性を取り戻せ! この前海に飛び込んだだろ! その時と同じだ!」
「あ、ああ…………。ああ……そうだ、そうだった。宝石は、俺の鱗は……、俺の鱗は大丈夫なんだな?」
「ああ、大丈夫だ。お前が魔法を使えば!」
「わかった、行ってくる」
まだふらついている足だったが、ラムズは何をすべきか理解したようだった。足をもつれさせながらも船尾楼甲板へ向かっていく。
それを見届けたあと、ロミューは依然倒れたままのメアリの身体を起こした。そして近くの長椅子に寝かせた。
一方ジウは、獣人と共に舵を操っていた。魔法で風を作っているあいだは、気を緩めることができない。普段の倍以上のスピードが出ているのだ。少しでも舵輪を回す手が狂えば、その分時間が無駄になっていく。
とそこに、ふらふらとラムズがやってきたので、ジウは獣人たちに声をかけた。
「船長が来た! 一緒に魔法を使って! 船長はまだおかしいから、宝石を守るためとか救うためとか言えばやってくれる! リーチェ頼んだよ!」
獣人の二人はラムズたちとの付き合いが長かったため、彼の宝石狂いに関してよく知っていた。
リーチェと呼ばれた獣人は、ラムズの腕を掴んで船首楼甲板の奥まで連れていく。
「船長、宝石を守るために一緒に魔法を使うニャ!」
「宝石、守るため。そうだな」
「風属性の魔法だニャ! わっちと同じ感じでやるニャ!」
「あ、ああ。わかった」
リーチェは、見本として風属性の魔法を放つ。ぎこちない動きであったが、ラムズもそれを倣って魔法を使った。
船のスピードが更に上がる。魔法で作られた風が轟々と鳴って、船は普段の三倍の速さになっていた。ジウの舵輪を持つ手が汗ばんだ。
◆◆◆
風魔法のおかげで、ようやく島が視界の中に見えてくる。海賊の島、トルティガーだ。
予定より早く着きそうであった。ジウは強ばっていた肩を少し休めた。余裕が出来たので、後ろで会話をする獣人たちの声になんとなく耳を貸してみる。暇つぶしに聞いてみることにしたのだ。
「船長大丈夫かな」
「うーん、分からないニャ」
ラムズの隣で会話をする獣人の二人だが、ラムズはまだ正気が完全に戻っていないのか、話には入ってこない。
「というかお前、そのニャっていうのいい加減やめろよ。なんの真似だよ」
「ロコルケットシーだニャ?」
語尾にニャを付ける獣人の彼女──リーチェは、ロコルケットシーの獣人だ。彼女はわざとらしく小首を傾げて、瞳をぱちぱちと瞬いた。黒い耳がぴくりと動き、二又の尻尾が揺れる。
グレンは呆れた顔をして、リーチェに言い返す。
「いやお前、いちいちニャなんていらないだろ。そもそもなんで付けているんだよ」
「こうすると可愛いって言われるんだニャ!」
「…………そうか」
「グレンもつけるといいんだニャ」
「俺もニャって言うのかよ」
「違うニャ、ニャはケットシーだからだニャ。グレンは……『ガオッ』だニャ」
「お前な……」
完全にリーチェはグレンをからかっている。だがグレンは、確かに「ガオッ」と吠える魔物──フェンリルの獣人なのだ。
凛々しい顔立ちだが、目付きは鋭くフェンリルというだけの迫力がある。だが、どこか自信のなさそうな彼の様子が好ましく、リーチェはいつもグレンにちょっかいを出していた。
「そうだニャ、船長も笑えば元気になるかもしれないニャ」
「んなわけねえだろ。しかも船長って笑ったことあるか?」
無駄話をしながらも、二人はきちんと魔法を放ち続けている。人間よりも魔力が多く、また魔法の威力も高い獣人であるが、彼らは詠唱も必要ない。
「そうだけど、呆れても元気になるかもしれないニャ」
「だから俺がガオッって言うのか?」
「そうだニャ! 『船長早く元気になってガオッ』って言うニャ」
「絶対こんなんじゃ元気にならねえよ」
だがグレンは、意味が無いとも思いつつ、ラムズに声をかけることにした。それにグレンは、少しだけ「ガオッ」と言ってみたくなったのだ。
「船長、早く元気になってくれガオッ」
少し台詞を間違えたグレンだが、勝ち誇った顔でリーチェを見た。するとリーチェは、ラムズの方を指で指している。
「なんだよ」
「船長を見るニャ」
グレンはリーチェとラムズに挟まれた形で立っていたので、反対側のラムズをもう一度見た。
「せ、船長……」
「お前、何してんだ?」
「おいリーチェ! 船長ふつうじゃねえか!」
「さっき元気になってたニャ」
呆れた顔の船長に見つめられ、グレンは肩を落とす。
リーチェの言う通り、たしかにラムズは正気を戻しているように見えた。だが、実際はそうではない。ラムズはかなり気がせって、興奮していた。
今のラムズは、救える方法はあっても自分ではどうにもならないため、なんとか気を落ち着けている、という状態だった。もし自分の出来ることがあれば、何でも──常軌を逸した行動、例えば海の中に飛び込むことでも──しただろう。
自分も含め、風魔法の威力は最大だ。これ以上早くトルティガーに着くことも、他の方法でメアリを助けることもできない。何もできない自分に、ラムズは密かに苛立っていた。
「──メアリ」
ラムズはぽつりと呟いた。
「船長! 大丈夫ですよ。もうすぐトルティガーに着きます」
「そうだニャ! メアリちゃんとはわっちも仲良くしてたんだニャ」
「そうか」
「おい! また落ち込んでるじゃねえか!」
「きっと船長は、グレンの『ガオッ』がもう一度聞きたいんだニャ!」
「ボクも聞きたーい!」
一人で舵を操っているのが寂しくなったのか、後ろに首を回しながらジウが声をかけた。会話に参加することにしたのだ。
グレンは空いている手でリーチェを叩いている。
「お前のせいで! ジウさんまで! どうしてくれんだよ!」
「船長も聞きたいニャ?」
「まあ」
「絶対思ってねえじゃんか!」
「思ってるニャ!」
「思ってる思ってる! ボクも聞きたいよー!」
二人に責められると言い返せなくなり、仕方なくグレンはもう一度言うことにした。
「船長早く元気になってガオッ」
「……」
「……」
「……」
「お、お前ら裏切ったな!」
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