愛した人を殺しますか?――はい/いいえ

@yumetogi_birt

第2話 移乗戦 前編 *

 一面青の大海原、真っ赤な船ガーネット号がぐらりぐらりと揺れている。強い風が吹き付けて、赤い帆を揺らした。ガーネット号は、着々とキリルたちのいる船──オパール号へ迫っていた。

 船尾楼せんびろうかじをとるジウ・エワードは、を風で揺らし、上機嫌で船を操っていた。爛々らんらんと輝いている。鼻歌でも歌おうかと思ったとき、鋭い視線を感じた。
 ジウは面倒くさそうに頭を数回横に振ると、眼光の持ち主、船長のラムズ・シャークへ視線をずらした。

 ラムズ・シャーク。
 長いコートのボタンにゴールド、耳のピアスはダイヤモンド、大きく空いた胸元にはサファイアのネックレス、腰のベルトは────。
 数々の宝石を身にまとった彼こそ、『海賊の王子様プリンス』であった。

 "王子様"の名前に相応しく、ラムズは他船の船長よりも大分若く見える。歳は20前後。ひげはなく、海賊にしては清潔感のある見た目だ。細身の身体だが背は高く、死んだ魚のような眼でジウを見ている。
 ジウはぷくりとした唇をすぼめ、不満そうに声を漏らした。

「だから大丈夫だってえ。今度はさっきみたいにならないから。初めてじゃん、あんなこと」
「ああ。分かってる」

 ラムズはそう呟くと、船から海を見下ろした。

 海はずいぶん前から閑寂かんじゃくとしている。太陽の光に照らされて、海面は白銀に輝く。波はゆるりゆるりと流れ、光とともに海に模様を付けている。嵐の予兆は全くない。
 だが、何かがおかしかった。つい先ほど、降っていたかのように大きな波が現れ、この船を襲ったのだ。こんな静かな海に、その波は明らかに変だった。

 そもそもジウはかなり腕利きの操舵手で、今まで何度も船を嵐から守ってきたのだ。海の波を読むのは得意なはずだった。

「もしかしてアレじゃないの、水の神ポシーファルの使族しぞくの」
「……クラーケンか。それはないな」

 左に眼帯をつけているラムズは、右目だけをジウの方へ動かして言った。そして、再び海へ目を落とす。
 海の下は、いつものように青々とした水が広がっている。もしクラーケンがいるならば、少なくともここに黒く大きな影が泳いでいるはずである。これ以上ないほどの平穏な海に、クラーケンの存在を疑うことはできなかった。



 ガタンと音がして、船が止まった。すぐ隣にはオパール号。いよいよ移乗戦いじょうせんが始まるのだ。ジウは自分の仕事に満足して、にんまりと笑みを浮かべた。

 船が止まったことに気づいた船員たちが、がやがやと騒ぎ始める。

「久々の戦い、腕が鳴るねー!」
「おいおい、苦しませるのはナシだぞ?!」
「分かってる分かってる。俺はジウじゃないんだから」

 赤髪の船員は腕を伸ばして骨を鳴らす。その手に武器はない。強靭きょうじんな肉体と筋力の持ち主に、武器など必要ないのだ。そして彼らも、みんな赤い眼を持っていた。
 ──ルテミス。
 の彼らは、ルテミスと呼ばれていた。

 
 隣の船で喊声かんせいが上がったそのとき、ガーネット号の空気は凍てついた。しんと静まり返った船内に、冷たい風が走る。ラムズの海賊帽の白い羽根がふわりと浮く。
 青い眼がぎらりと光った。

「野郎ども、戦闘開始だ」



 ◆◆◆



 ガーネット号もオパール号も、戦う船員でごった返していた。喊声かんせい罵声ばせい、金属のかち合う音があちこちから聞こえてくる。甲板の上だけでなく、マスト近くの網や、縄に捕まって空中で戦う者もいる。
 誰もが果敢かかんに戦っているが、勝敗は明らかだった。

 赤船ガーネット号の勝利────。

 床に転がっている死体は、その多くがオパール号の船員である。赤髪の船員はほとんどいない。
 死体は、切り傷の代わりに、腕や足が取れていたり、首がおかしな方向に曲がっていたりしている。大きくひんかれた目玉は、赤髪の男たちをにらんでいるようだった。


 この多くの死体の原因──ジウは、自分の船からオパール号へ移り、そこでそのまま戦闘を続けていた。

「えへへ、いくよー」

 ジウは戦っていた男を回転させ、後ろから抱きすくめた。するとジウの体は完全に隠れてしまう。ジウは背が低く、小柄なのだ。
 だが男が手を振り上げジウから離れようとしたとき、ジウは地面を蹴って跳ね、男の首をぐるりとひねった。
 一瞬だった。

 床に頭が転がる。死体から血が吹き出して、ジウの顔にかかった。
 ジウはペロリと口元の血をめ、赤く染まった手を同じ赤い髪になでつける。そして頭の取れた死体を床へ投げ捨て、次なる獲物を探しに眼を光らせた。

「やっぱり敵船に乗り移った方が、たくさん殺せていいな」

 顔に飛び散った血をこすりながら、ジウはそう呟いた。



 ジウは、少し離れたところで赤髪の仲間が倒れたことに気付いた。仲間は太腿ふとももの肉をえぐられ、腕を片方折られている。目も潰されている。意識はもうないようだった。 

 ジウは仲間を殺した男を見た。
 男は赤髪で、長いその髪を一つに縛っている。身長はジウと同じくらいであり、体型も男にしては細身だ。
 ジウはシャーク海賊団の中であの男を見たことがなかった。赤髪ではあるが、敵船の者だろう。同じルテミスかとも思ったが、目の色が違う。男の目は青だ。

 ジウは男の方へ歩みよる。途中、一区切りついたらしい男の仲間が叫ぶのが聞こえた。

「キリル、もう無理だ!」
「分かってる」

 ジウが目をつけた男はキリルというらしい。キリルはまぶたを閉じて何やら考え込んでいるように見える。
 その態度も、仲間の船員と呑気のんきに会話をしているのも、ジウは面白くなかった。



 ジウは足を早めて近づくと、キリルの背後に立った。キリルの肩を掴み、ぐっと力を込めて自分の方へ引く。

「ねえキミ、なかなか強いじゃん?」

 キリルが、振り返りざまにジウの腕へカトラスの刃を滑らせた。腕の皮膚がぱっくりと割れ、鮮血がにじみ出す。
 ジウはカトラスを叩き落とそうとするが避けられる。キリルの左手から何かが出現したかと思うと、それがジウの太腿に突き刺さった。ひどく鋭利な氷の氷柱つららだ。

「無詠唱?」

 ジウは一瞬痛みに顔をしかめたが、膝を着くことはなかった。急所は外れている。ジウはキリルの右腕をひっ掴むと、手で思い切り腕を締めつける。このまま腕を折ろうとする。
 みしりと骨がきしんだ。

「痛い!」
「……え、キミ女?」

 ジウが力を弱めたそのすきに、キリルはもう片方の手で転がっていた砂の袋を掴んだ。ジウに袋を投げる。ぱっと砂が広がって、ジウの目に入った。
 両手が自由になると、キリルは上からぶら下がっている縄を掴む。そのまま空中で旋回せんかいし、ジウを後ろから蹴る。
 そして、そのままジウの背中に飛び乗った。


 だがジウの上に馬乗りになった瞬間、キリルの視界はぐるりと反転した。
 ガタンと大きな音がして、船が左右に揺れる。

をなめてもらっちゃ困るなあ」

 形勢逆転。
 今度はジウの方がキリルに馬乗りになった。ジウは両足でキリルの腕を固定する。男の首元に手を持っていくと、にこにこと笑いかけた。

「すごいよね、キミ。ルテミスじゃないのに、ルテミスを殺しちゃったなんて。でも、もう死んじゃうね」

 ジウは可愛らしく首を傾げ、長い睫毛まつげをパチパチと動かした。赤く丸い大きな瞳に、悔しそうな顔のキリルを映す。

「…………キチガイ」

 キリルは低い声でうなった。

「ありがと」

 ジウは力を込めて、首を絞めていく。キリルは唇を動かしたが声にならない。もはやこれまでと思ったのか、もう一度ジウを睨むとゆっくりと目をつむった。
 ジウは「おやすみなさい」とキリルの耳元でささやく。そして喉に親指を押し込む──。

「やめろ」

 ひんやりとした声が、ジウの指に触れた。

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