このゲームのススメ方
ドレイクマギトシュ
まるで怪獣映画のようだ。
俺が"それ"を見て最初に抱いた感想だ。
ずっと紫岩だと思っていた"それ"はただ身体を丸めていただけであった。岩に擬態していた時も巨大すぎて見上げる程だったのに、開いた身体はその二倍は軽く超えている。現実離れたその巨体に思考が止まってしまい、俺はその場で佇んだままだった。
"それ"を一言で言うと鰐だった。
強靭で刺々しい爬虫類の皮膚が鈍い紫色を輝かせ、物凄い威圧感を感じさせる。
鬼神めいた赤い目は瞳孔が縦に割れている。
その目でリルゥを睨み続けていた巨大鰐はまだ身体の変形が終わっていなかった。
軋めきながら拡張を続けた紫の鱗が見る度にどんどん広まって開いた身体を更に増幅させる。ただ細長いように見えたその身体は今度は縦横に盛り上がる。
何枚も重なっていた鱗が扇を開くように広がって、胴体を始めに前脚、後脚、尻尾が外を向けて嵩張っていく。
特に後脚の拡張が凄まじい。最初の二倍、いや、もう三倍はデカくなっている。
やがて完全に変形を遂げた鰐は重量を感じさせるゆったりした動きで立ち上がり始めた。
腕立て伏せをするように前脚で地面を押しながら上体を持ち上げる。そして両後脚で二足歩行姿勢で地面の上に立つ。
ぶら下がっていた両前脚が意外と長い。最早脚ではなく腕と見るべきだろう。
起立した巨大鰐は全体像がよく見えた。
ドス黒い紫一色だった背後表皮に比べ内側は金属のような銀色であった。
まるで人体のような筋肉に覆われていて、赤黒い亀裂がその表面を隈なく走り、心臓さながらに脈打っている。
俺が最初に抱いた印象は確かに巨大な鰐だった。
しかし、こうして立っているのを見ると、これは鰐って言うよりむしろ……。
「グォオオオオオ!!!」
奴が突然叫び出した。
一つ一つがリルゥの腕より太い牙を覗かせながら、口を開いて世界を震わす咆哮をあげる。
スピーカー越しなのに身体を萎縮させる迫力がある。
咆哮の爆風にはノックバックエフェクトがあるのか、リルゥは遠く後方に吹き飛ばされた。
そして一定距離を離れると、奴を中心に半径百数メートルに土の壁が盛り上がって周りを完全に防いだ。
パソコンからファンが悲鳴を上げるように五月蝿く回り始めた。
【魔導紫龍の試練】
【英雄詩編が開始しました。
女神の掟により該当エリアの守護者は皆試練に挑む事を義務付けられます。
尚、試練からの逃避は認められません。
敵が全滅、或いは守護者が全滅しない限り、試練は続きます。
外部からの参加は試練の結界を打ち砕ける守護者のみに認められます】
【撃破目標モンスター:ドレイクマギトシュ】
【現在挑戦者数:1】
【平均レベル:26】
画面の横にそんな知らせが現れた。
何を言っているのかさっぱり分からない。
要するに、あの敵を倒せって事か?
俺は再び敵、ドレイクマギトシュに目を向ける。
奴は重い足音を轟かせながらゆっくりとこっちを向かって近づいていた。
……あれを、かよ。
リルゥの状態を確認すると、さっきのノックバックからはダメージはないようだった。
束の間の安堵のため息を漏らす。
この期に及んでも尚、俺は状況を全く認識していなかった。
俺がこの状況を、この最悪とでも言える事態を理解したのはそのすぐ後だった。
ドレイクマギトシュが攻撃範囲まで近づき、何らかのスキルを行使する態勢に入った。
脚に力を溜め込むように身を低くして前のめりになった。
そしたら奴の足元から絨毯のような赤い線路が地表面に現れた。
デジタル画面のように煌めいていて、明らかに周辺の自然とは違う物であった。
この赤い線路は敵が広範囲の攻撃をする時にその範囲を表示する物だ。
主に直線状、扇状、円状に表示さる。
リルゥはその中に余裕に納まった。
それを目にした俺は背筋に氷の刃を当てられたような感覚に襲われる。
幅が出鱈目に広い。
意識が反応するより早く手が動く。
攻撃範囲が表示された直後、間髪入れず範囲の外側を目かけてリルゥを走らせた。
ノックバックのせいで既に武器を出した状態であったリルゥの走りは焦れったく思える程遅い。
バタバタ走るリルゥの表情も俺と同じく焦ったように見えた。
早く……。
早く離れろ……!
やがてドレイクマギトシュが動き出した。
示された線路を進んで来る奴の動きに俺は驚愕した。
その巨体からは想像も出来ない速度で、奴は走ってくるのではなく、文字通り飛んできた。
足元を爆発させ、まるでロケットのような推進力を得て突進した。
コンマ数秒も経たず間近まで寄ってきた奴を見て、俺は自分の感覚を疑わざるを得なかった。
途中で瞬きでもしたら瞬間移動にさえ覚える程の神速。
一瞬、また突然巨大化したかと錯覚を起こした。
俺の思いに答えたのか、リルゥは辛うじて間に合った。
攻撃範囲から抜ける事に成功し、奴がすぐ近くを通り抜けるのを見届ける。
本当、ギリギリで躱せた。
リルゥを通り抜けたドレイクマギトシュは後ろの土壁にぶつかった。
とんでもない轟音を響かせ、周りを大きく震わせる。
しかし、俺はその事には全然気を向けず、ただ目を大きく開くしか出来なかった。
ドレイクマギトシュが通り過ぎた刹那の後、爆風が画面を揺らいた。
その途端、リルゥは紙くずよりも軽く、全く重さを感じさせないような動きで宙に浮かび上がる。
そして何度も風に振る舞わせながら飛んで行った。
画面の端が赤く染まり、リルゥの体力が大量に持っていかれる。
満タンだったHPが一瞬で五分の一になってしまった。
「……ッ」
思わず顔が強張る。
意識を総動員させ、集中を強める。
また勝手に動き出そうとする身体を無理やり覚醒させ、ちゃんと集中して行動するのを意識した。
取り敢えず、体力の回復を図ろうと数字キー二番を押した。
杖から放たれた金色の光に包まれ、リルゥの体力が約八割まで回復した。
残りは初心者用のポーションを飲んで満タンにする。
体制を整えるドレイクマギトシュを睨みながら、俺はさっき起こった事について考えてみた。
何だったんだ、今のは?
もしかしてバグか?
リルゥはさっきの攻撃を躱した。これは間違いない。
赤く示された攻撃範囲の外に出るのをこの目で確かに確認したのだ。
ギリギリだったとは言え、躱したのは躱したのだ。
なのにこの有様。
本当にバグだったら笑えない冗談だ。
今のリルゥが奴に敵わないのは明確。
リルゥはノビスの上で攻撃力がとても申し訳ない程度しかない。
だったらこの場に居続ける必要はない。
さっさとここから逃げて、二度とここには来ない事にすれば良い。
俺は周辺を見渡せながらリルゥを土壁沿いに走らせた。
周りは相変わらずこのデカい土壁に覆われたまま。
出口なんぞ全く見つからない。
その時。
リルゥが走る地面がまたさっきみたいに赤く染まる。
俺はリルゥを走り続けさせながら横を向いた。
そこにはいつの間にか大分近くまで来ていたドレイクマギトシュが再び突進姿勢を取っていた。
爆発と共に奴が飛び出す。
画面が揺らめくのと同時にリルゥがまた吹っ飛ばされた。
しかし、今度はさっきみたいな酷いダメージは負っていない。
飛ばされるのも前のめりになって地面を何度転がるだけで済んだ。
HPも半分以上残ってる。
リルゥはさっきまで走っていた。
だから奴が狙いを定めても、その終着点にいる筈のリルゥは既に前に進んでいて、距離のあるこの状態から当たる事はない。
あのバグみたいなダメージはまた負ってしまったけど、クリーンヒットよりはマシだった。
俺はリルゥを回復させながら出口探しを続けようとした。
だが、俺はすぐ動きを止めて、ある一点に目を向く。
奴がぶつかった土壁。
あそこにこんな表示が浮かび上がった。
-8,646。
あれはダメージ表示?
あの土壁、壊せるのか!?
俺は一筋の希望を見つけた気がした。
「この土壁を何とかすれば逃げられるかも知れない……」
自然と気分が高揚し、思わず考え事が口から漏れた。
そう決めたら早速動こう……。
っと、アイツ、もう攻撃の準備に入ってしまった。
ドレイクマギトシュが再び姿勢を低くして前傾姿勢を取り始める。
でも、今はもう大丈夫だ。
今から走り出せばまた奴の攻撃範囲から逃れてダメージを最小限に抑える。
後は回復魔法とポーションで持ち堪える。
だから俺は何も気にせず、またリルゥを走らせた。
狙いは奴が最初にぶつかった土壁。
上手く誘導して奴をあの土壁にまたぶつからせるんだ。
八千を超える攻撃を浴びても壊れない壁だ。リルゥがあれを壊そうとするには到底無理な話。
でも、奴の攻撃ならダメージは確実に通る。
一度で駄目なら二度。それでも駄目ならまたもう一度。
そう決めた俺は行動に移った。
これで何の問題もないと思って。
―――本の一瞬、アイツが笑ったような気がした。
そして奴の攻撃範囲が示された。赤い絨毯のような線路が奴の前に現れ、的に狙い定める。
相変わらずの出鱈目な範囲。
しかし、俺はそこで突然酷い違和感を感じた。
この攻撃を受けるのはこれで三度目。
まだ慣れたとは言えないが、その範囲と威力なら十分すぎる程分かっているつもりだ。
だけど、今奴が展開した攻撃範囲は前のとは違う気がした。
その違和感の正体はすぐ分かった。
俺は苦虫を噛み潰したような感覚に襲われる。
アイツ、ワザと狙いをズラしやがった!
元通りだったら奴の攻撃範囲の横幅の四分の三はきっていたところを走っている筈だ。
しかし、今リルゥがいるところはそのど真ん中に少し届かない場所だ。
このまま走り続けても、一旦足を止めて逆方向に向かおうとしても、もう逃げられない絶妙な位置だ。
ずっと走っていたのにそこまでしか進んでいないのは有り得ない。
つまり奴は最初からリルゥの行き先を予測して、厭らしくもそこに狙いをつけたって事になる。
ただのモンスターのくせに、そんなの有りかよ……。
アイツが織り成すあの突然は本当に驚異的だ。
圧倒的な質量と、絶対的な攻撃力。
あれにぶつかったら、リルゥは一溜まりもなく八つ裂きになるだろう。
それはきっとただの大型トラックに轢かれるような生ぬるい事の比ではない。
そんなの―――絶対イヤだ!!!
その瞬間、頭の中で一つの考えが閃いた。
奇跡とでも言える束の間の閃き。
俺はそれに従って勝手に動き出す身体をそのまま動かせた。
マウスで奴に狙いをつけて、数字キーの四を押す。
リルゥはそれに該当するスキルを行使しようと杖を空を向けて掲げた。
周りが淡い金色に染まり、画面の下に詠唱時間が表示される。
所要時間は1.5秒。
1.2秒……0.7秒。
お願い、間に合え……。
残り0.3秒。
そして奴が再び飛び出した。
まるで弾丸を撃ったような勢いだ。
間に合え―――!!!
奴がすぐそこまで辿り着いたその時。
永遠にも思えた詠唱が終わり、リルゥが静かに杖を下ろした。
周りの光が数件の鎖に収束し、ドレイクマギトシュを目掛けて飛び付いた。
紙一重の差で、奴の動きが一瞬止まった。
ギギッ。
鎖が擦れる音を響かせながら、ドレイクマギトシュの速度が減衰した。
よし!
成功だ!
奴を止めるのを成功した事実に自然と拳が握られる。
攻撃速度も落とせる〈ホーリー・チェイン〉が敵のスキル発動中にも掛けるかは疑問だったが、どうやら俺は博打に勝ったようだった。
しかし、完全に停止したわけじゃない。
奴は少しづつだけと、確実にリルゥに近づいている。
奴のスキルはまだ発動中だ。
俺はリルゥをすぐさまその場から離して、最初の土壁に向かわせる。
ギギッ、と悔しさが混じったような音が聞こえるが、無視する。
土壁の前に到着し、早速調べてみた。
思った通り土壁にはHPゲージが表示されていて、しかも残り二割程度だった。
これで行ける!
俺は遅滞なく指を動かせ、数字キーの六を押した。
リルゥは空を向けて杖を伸ばし詠唱を始める。
その手先から赤く燃える火の玉が現れ、ゆっくりと力を込めていった。
やがて火玉が放たれ、土壁に向かって飛んで行った。
ドレイクマギトシュよりは攻撃力が劣るが、それでも今リルゥが使える最強のスキルだ。
少しくらいはダメージが通る筈。
そして火玉が土壁にぶつかり、小爆発を起こした。
ダメージは―――無。
画面の上に無情な知らせが現れる。
〔試練からの逃避は認められません〕
俺が"それ"を見て最初に抱いた感想だ。
ずっと紫岩だと思っていた"それ"はただ身体を丸めていただけであった。岩に擬態していた時も巨大すぎて見上げる程だったのに、開いた身体はその二倍は軽く超えている。現実離れたその巨体に思考が止まってしまい、俺はその場で佇んだままだった。
"それ"を一言で言うと鰐だった。
強靭で刺々しい爬虫類の皮膚が鈍い紫色を輝かせ、物凄い威圧感を感じさせる。
鬼神めいた赤い目は瞳孔が縦に割れている。
その目でリルゥを睨み続けていた巨大鰐はまだ身体の変形が終わっていなかった。
軋めきながら拡張を続けた紫の鱗が見る度にどんどん広まって開いた身体を更に増幅させる。ただ細長いように見えたその身体は今度は縦横に盛り上がる。
何枚も重なっていた鱗が扇を開くように広がって、胴体を始めに前脚、後脚、尻尾が外を向けて嵩張っていく。
特に後脚の拡張が凄まじい。最初の二倍、いや、もう三倍はデカくなっている。
やがて完全に変形を遂げた鰐は重量を感じさせるゆったりした動きで立ち上がり始めた。
腕立て伏せをするように前脚で地面を押しながら上体を持ち上げる。そして両後脚で二足歩行姿勢で地面の上に立つ。
ぶら下がっていた両前脚が意外と長い。最早脚ではなく腕と見るべきだろう。
起立した巨大鰐は全体像がよく見えた。
ドス黒い紫一色だった背後表皮に比べ内側は金属のような銀色であった。
まるで人体のような筋肉に覆われていて、赤黒い亀裂がその表面を隈なく走り、心臓さながらに脈打っている。
俺が最初に抱いた印象は確かに巨大な鰐だった。
しかし、こうして立っているのを見ると、これは鰐って言うよりむしろ……。
「グォオオオオオ!!!」
奴が突然叫び出した。
一つ一つがリルゥの腕より太い牙を覗かせながら、口を開いて世界を震わす咆哮をあげる。
スピーカー越しなのに身体を萎縮させる迫力がある。
咆哮の爆風にはノックバックエフェクトがあるのか、リルゥは遠く後方に吹き飛ばされた。
そして一定距離を離れると、奴を中心に半径百数メートルに土の壁が盛り上がって周りを完全に防いだ。
パソコンからファンが悲鳴を上げるように五月蝿く回り始めた。
【魔導紫龍の試練】
【英雄詩編が開始しました。
女神の掟により該当エリアの守護者は皆試練に挑む事を義務付けられます。
尚、試練からの逃避は認められません。
敵が全滅、或いは守護者が全滅しない限り、試練は続きます。
外部からの参加は試練の結界を打ち砕ける守護者のみに認められます】
【撃破目標モンスター:ドレイクマギトシュ】
【現在挑戦者数:1】
【平均レベル:26】
画面の横にそんな知らせが現れた。
何を言っているのかさっぱり分からない。
要するに、あの敵を倒せって事か?
俺は再び敵、ドレイクマギトシュに目を向ける。
奴は重い足音を轟かせながらゆっくりとこっちを向かって近づいていた。
……あれを、かよ。
リルゥの状態を確認すると、さっきのノックバックからはダメージはないようだった。
束の間の安堵のため息を漏らす。
この期に及んでも尚、俺は状況を全く認識していなかった。
俺がこの状況を、この最悪とでも言える事態を理解したのはそのすぐ後だった。
ドレイクマギトシュが攻撃範囲まで近づき、何らかのスキルを行使する態勢に入った。
脚に力を溜め込むように身を低くして前のめりになった。
そしたら奴の足元から絨毯のような赤い線路が地表面に現れた。
デジタル画面のように煌めいていて、明らかに周辺の自然とは違う物であった。
この赤い線路は敵が広範囲の攻撃をする時にその範囲を表示する物だ。
主に直線状、扇状、円状に表示さる。
リルゥはその中に余裕に納まった。
それを目にした俺は背筋に氷の刃を当てられたような感覚に襲われる。
幅が出鱈目に広い。
意識が反応するより早く手が動く。
攻撃範囲が表示された直後、間髪入れず範囲の外側を目かけてリルゥを走らせた。
ノックバックのせいで既に武器を出した状態であったリルゥの走りは焦れったく思える程遅い。
バタバタ走るリルゥの表情も俺と同じく焦ったように見えた。
早く……。
早く離れろ……!
やがてドレイクマギトシュが動き出した。
示された線路を進んで来る奴の動きに俺は驚愕した。
その巨体からは想像も出来ない速度で、奴は走ってくるのではなく、文字通り飛んできた。
足元を爆発させ、まるでロケットのような推進力を得て突進した。
コンマ数秒も経たず間近まで寄ってきた奴を見て、俺は自分の感覚を疑わざるを得なかった。
途中で瞬きでもしたら瞬間移動にさえ覚える程の神速。
一瞬、また突然巨大化したかと錯覚を起こした。
俺の思いに答えたのか、リルゥは辛うじて間に合った。
攻撃範囲から抜ける事に成功し、奴がすぐ近くを通り抜けるのを見届ける。
本当、ギリギリで躱せた。
リルゥを通り抜けたドレイクマギトシュは後ろの土壁にぶつかった。
とんでもない轟音を響かせ、周りを大きく震わせる。
しかし、俺はその事には全然気を向けず、ただ目を大きく開くしか出来なかった。
ドレイクマギトシュが通り過ぎた刹那の後、爆風が画面を揺らいた。
その途端、リルゥは紙くずよりも軽く、全く重さを感じさせないような動きで宙に浮かび上がる。
そして何度も風に振る舞わせながら飛んで行った。
画面の端が赤く染まり、リルゥの体力が大量に持っていかれる。
満タンだったHPが一瞬で五分の一になってしまった。
「……ッ」
思わず顔が強張る。
意識を総動員させ、集中を強める。
また勝手に動き出そうとする身体を無理やり覚醒させ、ちゃんと集中して行動するのを意識した。
取り敢えず、体力の回復を図ろうと数字キー二番を押した。
杖から放たれた金色の光に包まれ、リルゥの体力が約八割まで回復した。
残りは初心者用のポーションを飲んで満タンにする。
体制を整えるドレイクマギトシュを睨みながら、俺はさっき起こった事について考えてみた。
何だったんだ、今のは?
もしかしてバグか?
リルゥはさっきの攻撃を躱した。これは間違いない。
赤く示された攻撃範囲の外に出るのをこの目で確かに確認したのだ。
ギリギリだったとは言え、躱したのは躱したのだ。
なのにこの有様。
本当にバグだったら笑えない冗談だ。
今のリルゥが奴に敵わないのは明確。
リルゥはノビスの上で攻撃力がとても申し訳ない程度しかない。
だったらこの場に居続ける必要はない。
さっさとここから逃げて、二度とここには来ない事にすれば良い。
俺は周辺を見渡せながらリルゥを土壁沿いに走らせた。
周りは相変わらずこのデカい土壁に覆われたまま。
出口なんぞ全く見つからない。
その時。
リルゥが走る地面がまたさっきみたいに赤く染まる。
俺はリルゥを走り続けさせながら横を向いた。
そこにはいつの間にか大分近くまで来ていたドレイクマギトシュが再び突進姿勢を取っていた。
爆発と共に奴が飛び出す。
画面が揺らめくのと同時にリルゥがまた吹っ飛ばされた。
しかし、今度はさっきみたいな酷いダメージは負っていない。
飛ばされるのも前のめりになって地面を何度転がるだけで済んだ。
HPも半分以上残ってる。
リルゥはさっきまで走っていた。
だから奴が狙いを定めても、その終着点にいる筈のリルゥは既に前に進んでいて、距離のあるこの状態から当たる事はない。
あのバグみたいなダメージはまた負ってしまったけど、クリーンヒットよりはマシだった。
俺はリルゥを回復させながら出口探しを続けようとした。
だが、俺はすぐ動きを止めて、ある一点に目を向く。
奴がぶつかった土壁。
あそこにこんな表示が浮かび上がった。
-8,646。
あれはダメージ表示?
あの土壁、壊せるのか!?
俺は一筋の希望を見つけた気がした。
「この土壁を何とかすれば逃げられるかも知れない……」
自然と気分が高揚し、思わず考え事が口から漏れた。
そう決めたら早速動こう……。
っと、アイツ、もう攻撃の準備に入ってしまった。
ドレイクマギトシュが再び姿勢を低くして前傾姿勢を取り始める。
でも、今はもう大丈夫だ。
今から走り出せばまた奴の攻撃範囲から逃れてダメージを最小限に抑える。
後は回復魔法とポーションで持ち堪える。
だから俺は何も気にせず、またリルゥを走らせた。
狙いは奴が最初にぶつかった土壁。
上手く誘導して奴をあの土壁にまたぶつからせるんだ。
八千を超える攻撃を浴びても壊れない壁だ。リルゥがあれを壊そうとするには到底無理な話。
でも、奴の攻撃ならダメージは確実に通る。
一度で駄目なら二度。それでも駄目ならまたもう一度。
そう決めた俺は行動に移った。
これで何の問題もないと思って。
―――本の一瞬、アイツが笑ったような気がした。
そして奴の攻撃範囲が示された。赤い絨毯のような線路が奴の前に現れ、的に狙い定める。
相変わらずの出鱈目な範囲。
しかし、俺はそこで突然酷い違和感を感じた。
この攻撃を受けるのはこれで三度目。
まだ慣れたとは言えないが、その範囲と威力なら十分すぎる程分かっているつもりだ。
だけど、今奴が展開した攻撃範囲は前のとは違う気がした。
その違和感の正体はすぐ分かった。
俺は苦虫を噛み潰したような感覚に襲われる。
アイツ、ワザと狙いをズラしやがった!
元通りだったら奴の攻撃範囲の横幅の四分の三はきっていたところを走っている筈だ。
しかし、今リルゥがいるところはそのど真ん中に少し届かない場所だ。
このまま走り続けても、一旦足を止めて逆方向に向かおうとしても、もう逃げられない絶妙な位置だ。
ずっと走っていたのにそこまでしか進んでいないのは有り得ない。
つまり奴は最初からリルゥの行き先を予測して、厭らしくもそこに狙いをつけたって事になる。
ただのモンスターのくせに、そんなの有りかよ……。
アイツが織り成すあの突然は本当に驚異的だ。
圧倒的な質量と、絶対的な攻撃力。
あれにぶつかったら、リルゥは一溜まりもなく八つ裂きになるだろう。
それはきっとただの大型トラックに轢かれるような生ぬるい事の比ではない。
そんなの―――絶対イヤだ!!!
その瞬間、頭の中で一つの考えが閃いた。
奇跡とでも言える束の間の閃き。
俺はそれに従って勝手に動き出す身体をそのまま動かせた。
マウスで奴に狙いをつけて、数字キーの四を押す。
リルゥはそれに該当するスキルを行使しようと杖を空を向けて掲げた。
周りが淡い金色に染まり、画面の下に詠唱時間が表示される。
所要時間は1.5秒。
1.2秒……0.7秒。
お願い、間に合え……。
残り0.3秒。
そして奴が再び飛び出した。
まるで弾丸を撃ったような勢いだ。
間に合え―――!!!
奴がすぐそこまで辿り着いたその時。
永遠にも思えた詠唱が終わり、リルゥが静かに杖を下ろした。
周りの光が数件の鎖に収束し、ドレイクマギトシュを目掛けて飛び付いた。
紙一重の差で、奴の動きが一瞬止まった。
ギギッ。
鎖が擦れる音を響かせながら、ドレイクマギトシュの速度が減衰した。
よし!
成功だ!
奴を止めるのを成功した事実に自然と拳が握られる。
攻撃速度も落とせる〈ホーリー・チェイン〉が敵のスキル発動中にも掛けるかは疑問だったが、どうやら俺は博打に勝ったようだった。
しかし、完全に停止したわけじゃない。
奴は少しづつだけと、確実にリルゥに近づいている。
奴のスキルはまだ発動中だ。
俺はリルゥをすぐさまその場から離して、最初の土壁に向かわせる。
ギギッ、と悔しさが混じったような音が聞こえるが、無視する。
土壁の前に到着し、早速調べてみた。
思った通り土壁にはHPゲージが表示されていて、しかも残り二割程度だった。
これで行ける!
俺は遅滞なく指を動かせ、数字キーの六を押した。
リルゥは空を向けて杖を伸ばし詠唱を始める。
その手先から赤く燃える火の玉が現れ、ゆっくりと力を込めていった。
やがて火玉が放たれ、土壁に向かって飛んで行った。
ドレイクマギトシュよりは攻撃力が劣るが、それでも今リルゥが使える最強のスキルだ。
少しくらいはダメージが通る筈。
そして火玉が土壁にぶつかり、小爆発を起こした。
ダメージは―――無。
画面の上に無情な知らせが現れる。
〔試練からの逃避は認められません〕
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