喪女はヒモを飼うことは出来るのか

伊吹咲夜

喪女、悩む。そして倒れる

 あの日以来新井シェフの肉じゃが特訓は続いた。
 毎日ヒモの皆さんに食べさせるのでも良かったと思うのに、新井シェフはそれを断じた。
『あいつら毎日同じもの出されたら文句言うだろう』という事らしいが、そこはヒモなんだからいいのでは? と私は思っている。
 しかし特訓は上達するまで続けるって話だし、確かにそれは酷かと納得した。
 それならば私が食べればいいか、と思っていたら現実は違かった。

「教える立場、責任をもって食べてやる」

 そう言われて今日で一週間。
 新井シェフは毎日私の肉じゃがを食べている。
 こっちとしてはさして上達もしないしょっぱかったり、甘すぎたりする肉じゃがを食べさせるのも気の毒であるが、毎日同じものという点でも申し訳ない。
 一番いいのはさっさと上達して次のメニューに移るなり何なりすればいいのだけれども、いかんせん、不器用な私にそれが出来ていたら今まで喪女をやっていない。
 今も作りたてホヤホヤの肉じゃがを新井シェフに提供して、そのジャッジを待っているわけだが、眉ひとつ動かさず黙々と食べている姿を見ていると、明日も肉じゃがを食べさせなくてはいけないのかと思うと申し訳なさでいっぱいになる。

「うん。いいだろう」
 箸を置いた新井シェフがいつもと違う感想を漏らした。
『いいだろう』ってことは、合格?
 一応どこが悪いのか理解出来るよう、毎回作る度自分でも食べてみてはきた。
 最初に比べればしょっぱ過ぎることも無くなったが、まだまだ味が薄かったり甘すぎたりと中間というのが出来上がっていなかった。
 今日のも甘さも少し足りないと思うし、もう少し醤油を足した方がいいのでは? という出来だった。
 そんな出来栄えの肉じゃがを、新井シェフは合格というのか。
「まぁ好みにもよるだろうが、俺はこのくらいが好みだ。おかずとして提供するならもう少し濃くしてから出すことを心がければいい」
「え、あ、はい! ありがとうございます!」

 今までまともな料理を作ったことも成功させたこともなかった私が、初めてちゃんと作れた。
 嬉しさで興奮してしまうが、もっと興奮してしまったのが新井シェフの満面のニコっとした笑顔。
 大きく口を開けて白い歯を見せて笑う姿がなんとも少年のようで眩しい。
 二次元だったら絶対に背景にキラキラ効果が付けられている感じだ。

 顔が赤いのが鏡で見なくとも分かる。
 照れてるのと、興奮と、両方で。
 絶対に新井シェフ、私のこと変だと思ってる。こんなことくらいで真っ赤になってるなんて、どっかおかしい女だって思ってるに違いない。
 それを思うと余計に恥ずかしくて赤くなっていく自分がいる。
 だけど今ここから逃げる術はない。
 赤面しつつこの状況を回避する方法を考えるも、嬉しそうに再び私の肉じゃがを食べる新井シェフの姿に思考は停止する。
 あああ、この笑顔は反則だ。
 脳がやられる、喪女としての何かが破壊される、私が私でなくなっていく……。

 もう勢いで新井シェフに告白でもして、フラれて、喪女としての自分を取り戻そうかと変な思考になったところでキッチンに誰か入ってきた。
「いい匂いするな。寝る前に何か食べさせてもらえるか?」
 入ってきた人物は今泉さんだった。
 今日は徹夜工事だったらしく、今帰宅したところだった。
 今泉さんは私がキッチンにいるとは思っていなかったらしく、工事で汚れた上着と汗まみれになったタンクトップを脱いだ上半身裸状態で入ってきた。
 私の姿を見つけるや『お』と一言発したが、持っているはずの着替えのTシャツを着ることはなかった。
 こっちは見慣れない男性の生裸(上半身)、しかも筋肉隆々の素晴らしい肉体美を目の当たりにして恥ずかしさで固まる。
 当然ながら赤面は加速してしまった。
 顔が熱い。湯気が出そうだ。

「新井くん、何食ってるの?」
「ああ、これ? あっちゃんが作った」
「へぇ。引っ越しの時に教えて貰う話出てたが、食卓にあがってこないからもう作るの諦めたんだと思ってたぜ」
 そう言うと新井シェフの手から肉じゃがの皿を奪い、ひと口、と思いきや全部かき込んだ。
「ん! うまいじゃねーか。どこが作れないんだよ。肉体労働してきた俺にはちょっと塩分が足りないが、まぁ、あいつらに食わせるにはいい濃さじゃないか?」
 余程お腹が空いていたのか、煮崩れたじゃがいものひとかけら、細切れになった肉の破片まで、綺麗に箸で寄せ集め口の中に収めた。
「ごちそうさま。こんなにうまいならもっと作っててくれれば良かったのに。俺も朝方まで工事してるとは言わないで出ていったんだけどな」
「まだ練習段階だったから、量産させてなかったんだよ。俺が味見て食いきれる量でやってたんだよ」
「それにしては一人前より少し量あったみたいだけどな。毎日姉ちゃんの料理食えてたのか、羨ましいな新井くんは」
 さらりと今泉さんは変なセリフを吐いた。
『羨ましい』?
 え? この練習中の料理を毎日食べさせられることが?
「まぁな。役得ってもんだ。上達も見れて一石二鳥ってもんだ」
 にっと笑って新井シェフもさらりと返した。
 どや顔で『役得』って、普通はこんな失敗作の同じメニュー食べさせられるのって苦行とかって言いません?
 しかも『一石二鳥』ってなにがもうひとつ付いてくるの!?
 よくネットのメシマズ板に『嫁が練習と言って毎日マズい煮物を出してくる。こんな苦行あったもんじゃない』とかって書いてあるのに、どこが二鳥なんですか!?。

 そこで至った結論。
 きっと私はこの少年のような眩しい笑顔と美しすぎる肉体美(裸)に脳がやられて、思考回路がおかしくなった。
 今聞いた言葉は、私の脳内が作り上げた空想のものなんだ、と。
 きっと一回寝たら正常になる。
 そう判断して二人と向かい合っていた体を回れ右。
 無言で小走りにキッチンから脱出した。
「おい!? あっちゃん、どうした!?」

 背後に新井シェフの呼ぶ声が聞こえたが、これも幻聴だと言い聞かせて部屋へ一目散。
 扉を閉めて、いつもは掛けない鍵までかけてベッドへダイブした。
「うん、脳が疲れてるんだ。早朝の料理に加えて新しい部署でのプロジェクトだもん。こんなリア充が体験するような話が目の前に起きてしまうこと自体あり得ない」
 布団を被り、寝ようと思って現実に戻る。
 そうだ、今日は平日だった。
 有給使ったばかりだから休むわけにはいかない。
 スマホのアラームをセットし、車の運転が出来ると言う龍玄君にラインを流して送ってくれと言って、OKの返事が返ってきたところで再度布団をかぶり直した。
 そう、起きればまた元の脳ミソに戻ってる。
 こんなお花畑全開の思考回路でなく、喪女らしいモテない・出来ない・鈍くさい要素満載の思考回路に。
 連日の早起きで睡眠不足もあったせいか、瞬く間に眠りに落ちた。

 耳障りなアラームでの、すっきりとは言えない二度目の起床。
 このまま眠っていられればいいのにとは毎度思う事だけど、今回は特に思った。
 素早く着替え、適当にも程がある化粧を施しコッソリと外へ出る。
「あっちゃんさん、こっちです」
 玄関脇にはもう龍玄君が車のエンジンをかけて待っていてくれた。
 車は数日前に買い出し用にと軽自動車を中古で用意した。
 まさかこんな時に役に立つとは思って見なかった。
「ごめんね龍玄君。急に用立てて」
「いえいえ。特にすることもないですし、このままシンヤ君とドライブにでも行こうと思って」
 後ろの座席を見るとシンヤが眠そうに座っている。
 眠そうにというか、半分眠っている。

「それよりもあっちゃんさん、新井さんと喧嘩でもしたんですか?」
 車を走らせながら龍玄君は聞く。
「どうして? 別に喧嘩はしてないわよ」
「だって、新井さん、今朝すごく不機嫌だったんです」
 新井シェフが不機嫌?
 今朝はあんなにニコニコと肉じゃがを食べていたのに?
「配膳が終わって、いつもみたいに壁に寄りかかって僕たちの食事風景を見てはいるんですが、何かこう、眉間に皺を寄せてへの字口してるっていうか……」

 いつも新井シェフは私達と食事を一緒に摂らない。
 理由は『料理人として食べているのを見届ける義務がある』としているが、大食らいが揃っているので自分が一緒に食べて足りなくなるのを危惧してのこともあるのかもしれない。
 いつだってみんなが食べ終わるのを壁に寄りかかって見ている。
 ちらりとその表情を盗み見たことがあったが、眉ひとつ動かさず無表情でいるように見えて、実は目だけ凄く嬉しそうにしている。
 みんなが喜んでおいしいといっぱい食べてくれるのが嬉しいのだろう。
 それが眉間に皺のへの字口……。

「で、今朝はあっちゃんさんが食堂に現れなかったから、これは新井さんと喧嘩したんだなって」
「ああ、そういう事だったの」
 私が新井シェフに褒められたにも関わらず、変な反応を示したまま逃げだしたのがそんなにも不機嫌にさせてしまったのだろうか。
 言い訳かもしれないが、喪女にはあんなリア充耐えられない。
 不機嫌にさせたのは申し訳ないが、喪女は取り扱い注意ってことを察して欲しい。

 しかし謝った方がいいのかな、でも何といって謝ればいいんだ? 
 そうこう考えているうちに会社に到着。
 龍玄君たちはそこまで新井シェフの事を気にしている訳ではなかったらしく、仲直りをしてとも何とも言わず普通に元気よく手を振って仲良くドライブに出かけて行った。
 会社で仕事をしていても頭から新井シェフのことが離れなかった。
 あの笑顔、今泉さんとの意味深げな会話、龍玄君が言っていた今朝の様子。
 何が言いたいの? 何を意味するの?
 ああ、こんな時二次元みたいに心の中が読めるとか、ナレーションで流れてくるとかだったらこんなに悩まなくて済むのに。
 仕事に集中しようとしても集中できない。
 プログラムを入力してもエラーばかり。
 こんな簡単な事も出来なくなるくらい、私がすっかり壊れてしまっている。

 使い物にならなくなった私の仕事は深夜にまで及んだ。
 さすがに龍玄君を呼ぶわけにもいかないのでタクシーで帰宅。
 屋敷は玄関灯を除いて真っ暗。
「ただいまぁ……」
 誰も起きていないと分かっていても習慣で言ってしまう。
 物音を立てないように自分の部屋まで行く。
 誰も起きていないと思ったら、階段奥の部屋から灯りが漏れていた。
 あそこは確か新井シェフの部屋。
 朝も早いのに、こんな遅くまで起きているとは今まで知らなかった。

 もうテッペンを迎えてしまったので今日なんだが、朝はまた新井シェフと料理の特訓をするのであろうか。
 不機嫌になっていたのであれば、もう教えて貰えないのかもしれない。
 もともと喪女にあんなイケメンシェフから料理を教わる資格なんてなかったんだし。
 でも、料理は教えて貰えなくなっても謝ることだけはしないと。
 また考えがグルグル巡る。
 何をどうするのが一番いい方法なんだ?
 考えていくうちに、疲れ切っているのに目が冴えてくる。
 ああ、眠れない……。

「おい! 朝だぞ! さっさと調理場に来い! 一丁前に鍵なんて掛けやがって」
 ドンドンと扉を叩く音でハッとした。
 いつの間にか眠っていた。
 扉の外の相手は新井シェフだ。起こしに来たという事は、特訓する気でいるらしい。
「あ、はい! 今着替えて降ります!」
 慌ててベッドから起き上がり、投げ捨てておいた部屋着をまとう。

 鍵を開けようと扉に一歩進んだが、視界が急に歪んだ。
「……れ?」
 目の前が暗くなる。

 扉の外で新井シェフらしい声が何かを言っているが、何を言っているかは聞き取れなかった。

「コメディー」の人気作品

コメント

コメントを書く