喪女はヒモを飼うことは出来るのか

伊吹咲夜

喪女、料理をする

眩しさで目が覚めた。

 見覚えのない白い壁、白いレースのカーテン、白いフワフワのベッド。


「うん……。夢オチで無かった……」

 起きたらあの小汚いアパートに戻っているーーのはずだったが、やはりそんなに現実は甘くなかった。

「デスヨネー」

 朝から思いっ切り落胆。

 あの忌まわしきキリストの聖杯のために逆ナンし、ヒモを集め、そいつらのために稼ぎ……。

 喪女ゆえに人付き合いがそんなに得意ではない。

 なのにこの仕打ち。

 そして急に降ってわいたようなモテ期(!?)である。現状いっぱいいっぱい、お腹いっぱいである。

「いっそのこと呪われて死んでしまおうかしら」

 さほど悲しむ人間はいないだろうし、死んだところで問題はないはず。

 あ、でも部署変わってから請けた仕事まだ仕上げてなかったから、これは迷惑かかる。

 あとよし子に借りたままのDVDまだ観てない。あれ限定版だったから、観ないで死んだらきっと地縛霊になる。

 死に前にハードディスクの中身も消しとかないとヤバイ。

 死んだ後に晒されたらそれこそ怨霊になって出てくる羽目になる。


 そう考えてたら今は死ねない事に気付いた。

 誰かが悲しむではなく、やり残したことが多すぎた。

 すっぱりきっぱり黒歴史ごと消し去ってやらないと、死んだ後に後悔する。

「未練残さず死ぬのと、聖杯を成就させるのどっちが手っ取り早いかっていったら聖杯になるんだよね」

 結局逃げ道はなかったって事になる。

 諦めてこの状況に流されていくしかないらしい。足掻いても無駄っぽいし。


 そして足掻いても無駄な流れのひとつが、些か乱暴なノックと共に訪れた。

「おーい、起きてるか!? 飯作るぞ!」

 声だけで本人はドアの外。

 一応ここがレディーの部屋だとは弁えてくれているようだ。

「さっさと着替えて出てこい。三分以内に出てこないと突入するぞ!?」

「ぅあ! はい! 着替えます! 出てきます!」

 弁えてはいるようだが容赦ない。

 三分って、男子の着替えの時間でしかない気がする。まさに脱いで、着る。


「よし、カレーが作れるってことは、野菜の皮くらいは剥けるって事だな」

 キッチンというより厨房といった風情のキッチンで、新井シェフと私は野菜を前に立っていた。

「包丁でというよりピーラーで…」

「マジか。ちゃんと包丁使えるのか?」

「……多分?」

 新井シェフのいう『ちゃんと』のレベルが分からないから、はいとは言い難い。

「……。じゃあ何も言わんから、とりあえずここのじゃがいも剥け」

 顎でシンクに洗って置いてあるじゃがいも達を指して言う。

「包丁で?」

「無論だ」

 当たり前だと言わんばかりに私の顔をじっと見ている。

「生憎お子様用の安全包丁は持ち合わせていない。普通サイズのが怖いなら、この十四センチのを使ってみろ」

 調理台に並べていた包丁の中から小ぶりな刃の包丁を選んで渡してくる。

 確かにこれなら大きすぎないから、皮を剥くのにも丁度よさそうだ。

「で、では」


 格闘すること三十分。

 私と新井シェフの前には三分の二までの大きさになったじゃがいもが十個足らず並んだ。

「……一応、身は残りましたよ?」

「ああ、想像よりはまだ残った。が、やはり酷いもんだな。今日はもう時間も迫ってることだから続きをさっさとやっちまおう」

「え? まだあるんですか」

「起こしに行ったときに言っただろう、『飯作る』って。じゃがいも剥いて終わりだと思ってたのか? 剥いたのどうするつもりだったんだ」

 言われてみればそうだった。

 練習だけならこんな早朝にしなくてもいいし、剥いたじゃがいもをそのままにしておくなんてありえない。

「では、何をすれば」

「玉ねぎを切る。切り方は薄くだが、櫛切りにならなければ多少厚くても構わん。皮はちゃんと剥けよ」

 そう言って新井シェフは私の剥いたじゃがいもをシンクに移し水に晒し、空いた場所に玉ねぎを置く。

 皮ってどこまで剥いていいのかと、新井シェフを伺うも、やはり作業が終わるまで黙っているスタンスらしく、彼は彼で別なものを作るらしく横でごぼうやら人参やらを切ったりしている。


 玉ねぎが目に染みた時ってどうすればよかったんだっけ? とググりたい気分でいっぱいなまま、何とか渡された分はクリア。

 薄切りなんだか櫛切りなんだか分からないざく切りな玉ねぎが量産された。

「よし、切れたな。随分まばらな厚さだけどまぁいいか。時間ないから他の材料は切っておいた。次は調理に移るぞ」

 玉ねぎのせいで涙目の私を気遣うこともなく、どんどん進められていく。

 シンクから引き揚げられたじゃがいもはざるで水切りされ、コンロには大鍋が構えていた。

「調味料の指示はする。だけど分量は一切口出ししない。お前の食ってきた感覚で入れてみろ」

「え!? そんな危険な事したらみんな食いっぱぐれますよ!? 白飯だけでは文句いいそうなやつらばっかりですよ!?」

「安心しろ。お前が唸って玉ねぎ切ってる間に他のおかずは作っていた」

 少し離れた場所にある調理台の上には、湯気の上ったおかずが数品並んでいた。

 ごぼうの牛肉巻き、だし巻き卵、人参しりしり。名前が分からないが、定食屋の小鉢で出てきたような煮物もあった。

 どうりでいい匂いがしてるとは思ったが、何でこんな数分でこんだけ作れるのかかなり謎ではある。

「それで私は何を作るんですか? 切るだけ切って聞いてないんですが」

「材料見て分からないか? 各家庭で若干の材料の違いはあるものの、じゃがいもといったら定番料理があるだろう」

 並べられた材料をじっくりと見る。

 じゃがいも、玉ねぎ、人参、牛肉。

「あ」

「やっと分かったか」

「カレー!」

「違う! 肉じゃがだ! に・く・じゃ・が!」


 正解だと思ったらボケをかました風になってしまった。

 だって私がまともに作れるものといったらカレーだから、ついカレーだと思ってしまった。

 材料も被ってるし。

 でもルーが出てなかったから、一瞬違うかな? とも思ったりはしたんだけど、肉じゃがなんて難易度の高い(?)料理をさせられるなんて予想は全然してなかった。

「いいか、ちゃんと覚えろよ。明日から一人でやらせるからな」

「明日から一人?」

 その言い方でいくと、これから毎日マスターするまでは肉じゃがを作り続けなくてはいけない?

「間違ったらペナルティ。それは何かは明日からのお楽しみ」

 ニヤリと新井シェフは笑うと、また少し真顔に戻り腕組みしたまま指示を再開した。

「まずは玉ねぎを炒める。先に肉だってやつもいるが、俺のやり方は玉ねぎからだ」

 ほら手を動かす! と私の腰を軽くパスっと叩く。


 えーっと、油ってこのくらいでいいのかな?

 多分聞いても教えてくれないよな。

 どうせ私が食べるんだから、少しくらい脂っこくても我慢しよう。

 我が家では見た事のない大鍋(といっても一般家庭にはありそうな大鍋?)に、だばーっとサラダ油を注ぐ。

 注いでからチラ見で新井シェフを見る。

 口が一瞬『あ』ってなって、私の視線に気づいてすぐ閉じたところをみると、やはり入れすぎたっぽい。

 そこから肉を炒めろ、じゃがいもを炒めろと指示が続く。

 ただし、入れるタイミングも炒め具合も全部私の匙加減。新井シェフは順番のみで何も口出ししない。

 そしてついに来た、恐怖の味付け。

「基本はさしすせそ。甘いものは味が後から入れると味がしみない。塩や醤油なんて入れてからだと余計にだ。それを踏まえてここに用意した調味料を入れて味付けしてみろ」

 どん、と置かれた調味料たち。

 甘いものから入れろって、砂糖からってことなんだろうけど、そこにも罠がありそうだ。

「よ、よし! いきます!」

 まずくたって完食したるよ! 自己責任だってのはどんなことにも付きものだ。

 私は砂糖の容器を手に取り、蓋を開けた。


 そこから料理という名の実験現場が繰り広げられた。

 今思えば何で計量スプーンというものを使わなかったんだろうと。

 パカと開けた砂糖を躊躇うことなく容器のまま傾ける私。

 どさ、と落ちるように鍋に投入される砂糖。

『あ!』と思わず声を上げてしまった新井シェフ。

 この段階でもう失敗は保証された。

 それでも『続けろ』と平静を保っているようでいて泣きそうな顔をして指示する新井シェフと、やけくそになった私。

 順番なんかどうでもいいや、と醤油を塩をぶちこみ、調理酒を仕上げとばかりに注ぎ込む。


 数分後。

 見事に焦げの臭いのするあきらかにしょっぱそうな色をした肉じゃがが出来上がった。

「……出来ました」

「じゃあどんぶりに移せ。鍋は焦げてるから水に晒しとけ」

 言われた通り、肉じゃがを移し鍋を水に晒す。

「食ってみろ」

 いよいよ来てしまった、味見の瞬間。

 絶対マズイ。絶対しょっぱい。

 食べたくないと言えばそうなんだが、作った以上は責任を取らなくてはいけない。

「いただきます」

 いざ実食!

 おそるおそる箸を取り、焦げの少ないじゃがいもを持ち上げる。


「……」

 やはりしょっぱい。しょっぱいし焦げこげした味もする。けど、予想したよりかはしょっぱくない。もっと塩の塊を食べてるような味がすると思っていた。

 ただ、甘い。かなり甘い。砂糖の甘さがキツイ。

 そこに玉ねぎの甘さが加わってしつこいお味を醸し出している。

 食べれない事はないが、このまま単品で食べるには味が全体に濃い。ご飯が欲しい。

「どうだ?」

 ひと口食べてお箸を持ったまま止まっている私に、新井シェフは聞いた。

「食べられない事はないけど、全部の味が濃いっていうか……」

「どれ」

 私の持っていた箸を取り上げると、焦げたじゃがいもを掴み上げ口に運んだ。

「やっぱり濃いな。砂糖の入れすぎは自分でも自覚してただろうが、醤油についてはギリでアウトって感じ。確かに食えなくはない」

 そういってまたひと口、肉じゃがを口に運ぶ。

「あー、白飯欲しいな。俺、腹減ったからもう食っちまっていいか? 早起きして仕込みしてたから、余計に腹減ってるんだよ」

 私に許可を得る訳でもなく、独り言にしては大きな声で言うと炊飯器から白飯を茶碗に盛り始める。

 茶碗と背もたれのない丸い椅子を持ってくると、調理台の前に椅子をふたつ並べて置いた。

「よく頑張ったな。初めてにしてはちゃんと作れてたぞ」

 ポンポンと私の頭を撫でると、腰を持ち上げて強制的に椅子に座らせた。

「あいつらには悪いが、この肉じゃがは俺の腹に全部納まりそうだ」

 自らも椅子に座ると、『いただきます』と唱えて肉じゃがと白飯を食べ始めた。

「うん、うまい。頑張った味がする」

 にこっと微笑みを私に向けると、新井シェフは笑顔を崩さず肉じゃがを食べ続けた。


 じゃがいもは十個近くあったものの、厚く皮を剥いてしまったことで実質六個分くらいになっていたのではと思われた。

 玉ねぎも二個刻んだが、炒めて煮ている間にほとんど溶けてしまった。

 でもそれだけの大量といえる肉じゃがを、新井シェフは一人で完食してしまった。

 白飯を茶碗で一杯まるまる食べてのうえだ。

 完食して苦しいといった表情をすることなく、手を合わせてご馳走様でしたと唱えて立ち上がる。

「さて、あいつらにも飯食わせてやるか。配膳、手伝ってくれ」


 食堂に二人で配膳した後、まるで給食のお知らせのチャイムがなったかのように続々とヒモ達が集まってきた。

 さすがによし子は自宅に帰ったようで食堂には現れなかった。

 和食だと喜ぶ今泉さんとは反対に、シンヤは和食やだーと席に着いてぶーたれた。

 しかしひと口食べるとシンヤは昨日同様『うまいー』と狂喜乱舞してがっつき始めた。

「うまいだろう。和食だから物足りないとか、素っ気ないとか言うのは、旨いやつ食ってこなかったからだ」

 満足そうに笑う新井シェフを見ながら皆美味しそうに食べ進めるが、私は逆に箸が進まない。

 あの笑顔を見ていると先の肉じゃがの練習風景が思い出されてしまう。

 手出しをしないといいつつ、今にも手を出しそうになったり、入れすぎたりすると表情を変えて焦ったり困ったり。

 間接キスなんてのもかなり赤面ものだった。普通は好きな人となら出来るものだと思ってたし。

 そして極めつけの『うまい』の言葉と笑顔。

 今までの喪女人生で料理を作って男性に頑張ったと言われたのも、食べて貰ったのも初めてである。

 しかも失敗していながらも表情を歪めることなく完食。

 これって、これって……。


 新井シェフがいい人なのは何となく分かってましたが、こんな行動勘違いされちゃいますよ?

 しかも免疫のない喪女に。

 というか、こんな事されたら免疫ないから私ヤバいです。

 喪女ですが、ときめいてもいいですか?

 喪女ですが、三次元の男に恋しちゃってもいいんですか?


 これも聖杯の呪いなんだろうか。

 そもそも私の聖杯への願いって何だっけ?


コメント

  • ピタリオと空飛ぶキリン

    応援してますよ

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