喪女はヒモを飼うことは出来るのか

伊吹咲夜

喪女、初逆ナンする

 あれは夢に違いない。
 朝起きて働きかけた頭が真っ先に思ったのはそれだった。
 きっと疲れていたから、変な夢をみていたのだ、と。そう思いたかった。
 でも現実はそんなに優しくはなかった。私にとって。

「おっはよーん。今日もシケた顔してるわねぇ。ちゃんとお手入れしてるの?お顔ガッサガサじゃないの。やだぁ」
 洗面所で歯を磨いていた私の背後にやつが突然現れた。そう、残念なイケメン、ゼフォンが。
「ぶふぉ!」
 鏡に映ってなかったからすぐにはその存在に気付かず、耳元で囁きながら私の頬を指でなでなでしてきて漸く気付いた。
 あまりにびっくりしたもんで、思いっ切り口の中の泡を吹き出す失態を犯してしまった。
「うっわぁー、汚い……」
「ふがふがー!!」
「やだー、そのまま喋らないでよぉ。こっちに泡が飛んで来たらどうするのよー!」
 だったら脅かすな!普通に登場してくれ!

 これ以上側で弄っていては本当に泡なり水なり飛ばされると察知したのか、ゼフォンは大人しくガラステーブルに向かって座り、私の身支度が終わるのを待っていた。
「24時間監視するとか言って、結局うちには居なかったわね」
「だってぇ、ここの家布団ひとつしかないんだもん。僕寝るところないじゃなぁい?」
 ただでさえ狭いこの家に布団はひとつで十分だ。誰も泊める予定も相手もないのだから。
 一緒の布団に入って寝るって選択肢を選ばなかったって事は、一応私を気遣ってくれたのかな?と思ってみたが残念なやつの思考も残念に出来ているらしい。
「それにさぁ、あんたって寝相悪そうだもん。同じ布団になんて入ったら蹴飛ばされそうで嫌だもんー」
 すいませんねぇ、寝相悪そうで。
 喪女でボッチなんで誰からも寝相の指摘受けた事ないから自分ではわかりませんが。
「で、天界にでも帰ってたの?」
「まさかぁ。そんな面倒臭いことする訳ないじゃん。ホテルよ、ほ・て・る。逆ナンされた女の子とそのまま。うふっ」
 頬を赤らめて意味ありげな笑顔を浮かべるゼフォン。
 あれですよね、喪女には関係ないあれですよね?私が切実に思ってるあれですよね?
 朝から堕天使相手に殺意が湧いてきた。
 堕天使って人じゃないから殺しても罪にならないよね?死体さえ見つからなきゃ大丈夫よね?見つかったとしても『こんな羽根の生えた人間居る訳ないじゃないですか。作り物ですよ』で済むわよね?
 そもそも、堕天使ってどう殺すの?死ぬの?

「そ、それより、朝っぱらから何しに来たのよ。私仕事行かなきゃいけないから遊んでる暇ないんだけど」
 殺意を抑えつつ、私は本来の目的を聞くことに努めた。
 昨夜こいつが面倒臭い存在である事が、ある程度分かったからこれ以上は時間の無駄だ。
「そうそう、今日の夜はナンパに行くわよ。逆ナン。金曜日の夜だから、いっぱい男がいるわよぉ」
「え!昨日の今日でもう!?」
「あったりまえでしょー。あんたみたいなのがサクサク100人捕まえられる訳ないでしょ。3年あっても足りないんじゃないかって心配するくらいよぉ」
 図星過ぎて何も言えない。そう思うならせめて3年のところ5年位に延長するハンディくらいくれ。
「逆ナンなってした事ないんですが……」
 分かってるだろうが一応言ってみた。
 アドバイザーって名乗るからには何かいい知恵を与えてくれるんでしょう?この喪女に逆ナン成功する方法を授けてくれ!
「い・や・よ。自分で考えてやってみなさいよぉ。最初から教えたら面白くないじゃないー」
「面白い、面白くないでこの問題片付けていいわけ?失敗したら私呪われて死んじゃうんですが?」
「いいのー。だって僕ぅ、堕天使だから。死のうが呪われようが自分が良ければそれでいいわけ」
 涼しい顔をしてゼフォンは人が淹れてきたきたコーヒーをすする。
 私の朝の楽しみのコーヒーを美味しそうに飲んで、うっとりとため息を吐いた。
「やっぱり朝はコーヒーよねぇ。この豆いいわね。あんたこれだけは褒めてあげる」
 褒めなくていいからコーヒー返して。
「あ、あとここの家何とかしなさいよ。これから100人プラス僕が住むには狭すぎるわ。別宅って手もあるけど」
「え?住む?100人も?ヒモってお金あげてればいいんじゃないの?」
 そもそもヒモの定義が分からない。女の人に養われている男の人イメージしかない。
「そうねぇ、お金あげるだけじゃヒモっていうよりただのATMかしらね。あら、こんな話してていいの?」
 ゼフォンはパソコン脇に置いてある目覚まし時計を指さした。
「!!うわぁぁぁ遅刻するぅぅぅ!」
 遅刻したら朝からお局様に弄られる。小一時間は仕事にならないほど捕まってお説教されて、自慢話されて……。
 ここでHP持ってかれたら逆ナンどころではなくなってしまう。
「僕、ここで少し寝てからそっち行くから。いってらっしゃーい」
 呑気なゼフォンの声を背で聞きながら私は駅までダッシュした。

「あなたって社会人としての自覚ってあるんですか!?」
 遅刻はしなかったものの、始業10分前に飛び込んできた私を見つけたお局様は、ハイエナの如く近寄ってきて説教を始めた。
 同僚は相変わらず「我関せず」。後輩は……まだ来てない。休みとは聞いてないから、遅刻なのか?
 後輩が来れば私が解放されて、そっちにお説教いくのかなぁ。後輩、お局様に気に入られてるから多分スルーだな。
 こんな部署もう嫌だわ。仕事変えたい。もっといい環境で仕事したい。給料も安いし……ってあれ?
 何もこの部署にしがみついて仕事することないんじゃない?他にも部署あるし。確か異動願いって出せたハズよね?
「ちょっと!ちゃんと聞いてるの!?」
「あ、すいません。聞いてます」
 ここまで考えて、お局様の怒鳴り声で現実に戻された。
 一瞬戻されたが、すぐに考え事再開。
 何でこんな事今まで思いもしなかったんだろう。異動、そう異動すればいいのよ。

「おはよぉございまぁーす」
 お局様がヒートアップして自慢を始めたところで後輩が出勤してきた。
 今何時だと思ってるんだ。もう10分過ぎてますが。完全に遅刻してますが。
「あらぁ、遅かったのね。道でも混んでた?」
「今日ちょっと気合い入れておしゃれしてたので、時間かかっちゃいましたー。夜にデートなんでー」
「……早く席について仕事なさい」
 同じく彼氏いない歴=年齢のお局様もリア充発言にはイラっとしたらしい。こめかみがピクってなってた。
「ほら、あなたもさっさと仕事なさい」
 お局様、何故か私を解放。これ以上口を開いてるとリア充シネとでも言い兼ねないのかしらね。

 書類を他部署に持っていくついでに人事課まで足を延ばした。朝に考えていた事を聞いてみようと思ったから。
「部署変わりたいんです」
 人事課の係長がたまたま近くにいたので、挨拶もそこそこにいきなり本題に入ってみた。
 まあ当然「はぁ?」ってなるわな。係長、口がぽかーんと開いたまま私を見ている。
「何か理由があるの?パワハラとかセクハラだったら異動じゃなくて監査機関の方に連絡するが」
「いえいえ、そう言った訳では……」
 あるんだかが、今はそんな問題で時間を取られている訳にはいかない。私の命に関わる問題があるんだ!
「実はちょっと実家の方で入用が出来まして。私の今の給料では賄いきれないものがあるので、給料の高い部署に移れれば、と」
 そう、朝にゼフォンが言っていた「100人住む」で気付いた。
 私の今の給料でどうやって100人も養っていけと!?しかもだだっ広い家の家賃もとなるとかなり無理がある。
「そういう事か。だったら丁度今システム開発課に空きがあるんだ。給料もいいがかなりの仕事量で、入りたがる人がいなくてね。きみ、確かそういうの得意って言ってたよね?」
「はい!得意です!大好物です!」
 伊達にオタではないのだ。
 システム弄ったり作ったりするのは不思議なものの次のに大好きなのだ。喪女だけに外に出ないから、集中してそういう事出来る時間あるんで得意分野になってくる。
 それに、私の仕事量は表沙汰になってないが半端ない。
 自分1:後輩1:お局様0.5 の分を一人でやっている。あいつら何かしら理由つけて押し付けてくる。しかも期限ギリギリとかの書類を平気で。
「じゃあ、この用紙書いて提出して。でもきみが異動したら部長も残念がるだろうね。いい人材だって褒めてたから」
 いい人材って、もしや部長、仕事押し付けられてたの知ってた?
 でも言うとお局様に攻撃されるし、後輩に嫌われるから黙ってた?
 あいつやっぱりクソ親父だな。
 うん、未練なく異動できる。すっぱり異動しよう。そしてがっぽり稼いでヒモを養おう。

 ちょっとスッキリした気分で机に戻ると、スマホにメールが来ていた。
 オタ仲間から何かのイベントのお誘いか、はたまた単なるDMかと覗いてみるとゼフォンからであった。
 教えてないのに。覗いた?なにこのプライベートの無さ。

『今日の待ち合わせは〇〇ショップの前でね。早くきてねー(はーと)』

 逆ナン行くから逃げるなと、釘を刺したつもりなんですね。
 ええ、逃げませんとも。逃げても死ぬのが待ってるだけですから。
 行っても精神的に死にそうですが、ゼフォンさん。

「やっだー、おっそーい」
 待ち合わせ場所に行くと、私を見つけたゼフォンが手を振りながら声を掛けてくる。
 イケメンだけにそんな事するだけで周りの視線が一気に集まる。当然、手を振る先にいる私にも。
「ちょ、お願いだから目立つことしないで!」
「えー、ただ手を振っただけじゃない」
「それだけでも目立つんですって。あれ?羽根がない」
「あんなもの出してたら目立つし邪魔でしょ。仕舞ったわよ」
 仕舞えるなら最初から家でも仕舞ってて欲しかった。ナルシストめ。
「さぁ、逆ナンよ!どこから攻める?選り取り見取りよ!」
 金曜日の夜だけに人は溢れ返っている。
 喪女にこのリア充感は太陽に当てられる吸血鬼の如く身が溶ける思いである。
「選り取りって言われても……」
「とりあえずテキトーに声掛けてきなさいよぉ」
 ゼフォンにドンと背中を押されて、よろめくように民衆の中へ送り出される。

 声を掛けろって言われても、出だしはどう行くべきなのか?
 あまりイケメン過ぎると声を掛ける前に声が出せずに自滅する虞がある。ここは熟慮しなくては。
 人混みに押されつつ、中の下くらいな容姿の二人連れの男を見つけた。これなら緊張せずに話しかけられそうな気がする。
「あの、よかったら一緒にお茶でも……」
 思い浮かんだのはマンガでよくあるセリフ。ナンパしてる男がよく使っているのを見る。
 私に声を掛けられた男たちはじっと私を見つめる。
 不思議そうというより、無表情に見られているといった感じかする。
「あのさぁ、あんた自分の顔みたことあるの?俺らに声かけるなんて100年はぇえんじゃね?」
「そうそう、身の程知らずってやつぅ」
 開口一番、思いっ切り見下されそして笑われた。
 男たちはギャハハと笑いながら「ブスは帰って寝てろ」と言い残して去った。

「あらぁ。あっさり撃沈したわね」
 どこから買ってきたのか、アイスカフェオレを啜りながらゼフォンがつまらなさそうに耳元で呟く。
 またもやびっくりする登場の仕方であるが、それより緊張で喉カラカラな私の分のカフェオレはないのか!?
 奪って飲みたいところだけど、そんなことしたら間接キッスというやつでは……。

 イケメンと間接キッス。
 イケメンだけど残念なイケメン。
 間接だけどキッス。

 喪女の私にはまだ刺激が強すぎる。逆ナン以上にハードルが高いわ。そんなことしたら死んでしまう。
 想像だけで赤面し息が上がっている私に、ゼフォンはごく当たり前のように再び背中を押す。
「何グズグズしてるのよ。まだ一組目でしょ。とっとと行きなさいよ。夜はまだまだ長いわよぉ。じゃんじゃん行っちゃいましょう♪」

 堕天使とは悪魔の別称である。

コメント

コメントを書く

「コメディー」の人気作品

書籍化作品