記憶探偵はミルクパズルの謎を紐解くか?

巫夏希

第十八話 人工物

「いや、あなたの言いたいことは分かります。別に怖いとか、そういう思いは……」
「無い。なんて誰も言い切れないよ」

 明里ははっきりと言い放った。

「だって脳を第三者へ開示するんだ。脳は人間最後の秘匿領域と呼ばれている。その意味は、誰にだって分かることだと思うけれど、今まで人間が考えていることは、それこそ超能力者でもならなければ分かるわけも無かった。けれど、BMI端子が開発されて、脳の電気信号が解析出来るようになってからは、その秘匿性も大きく失われることになった。勿論、最後の堰として本人の同意が居るわけだけれど、悪意がある人間がBMI端子を利用したらどうなるか。答えは容易に想像出来るだろう? だから、BMI端子についてはまだ慎重に扱っていくべきだ、って人間もいる。ま、私は別にどちらでも良いけれど。ただ人間の脳が見られなくなるというのは非常に残念だし、それに、」
「それに?」

 まだ何か言いたいことがあるのか。そう思って俺は明里の言葉に倣った。

「自らの枷で科学技術の発達を妨げることはつまらないとは思わないかい?」

 明里は敢えて俺の方を向いて、ニヒルな笑みを浮かべた。
 まるでその先に何があるのかを、見通しているかのような、突き刺さるような視線だった。
 明里はそれ以上その言葉について言及しようとはしなかった。そして俺もまた聞こうとは思わなかった。聞きたくは無かった。聞いてしまうこと自体が恐ろしくなってしまったから。聞いてしまうことで何か禁忌を犯してしまうような――まるでパンドラの箱をこじ開けてしまうような、そんな感覚に陥ってしまう。そう思ったからだ。

「……どうした、ワトソンくん。そろそろ『ダイブ』を始めるぞ」

 ダイブ? と新しい単語を生み出した明里だったが、直ぐにそれが『脳内への侵入』だと分かった俺は、

「ああ。分かった。……前と同じように、何かあったらこのボタンを推せば良いんだな?」
「そんな機会は無いと思うがね。じゃ、あとはよろしく頼むよ」

 そう言って、明里は自らのBMI端子にケーブルを突き刺した。
 相変わらず思い切りは良いよな。そんなことを思いながら、俺は視線をモニターへと移すのだった。


 ◇◇◇


 さて。
 ワトソンと別れた私は、独り脳内へ侵入を進めていた。ケーブルを通しての侵入なので、ノイズが入らない一番有難いパターンだ。どれくらい楽かと言うと、無線で行った時の理論をこの前どこかで話したような気がするので振り返って貰いたい。ノイズの除去をするかしないかで、案外仕事量の増減が目に見えて変わってくるものだ。

「それにしても、」

 ケーブルを抜けて、私は脳内――記憶の海へと入り込んだ。記憶の海には文字通り記憶の欠片が浮かんでいる。そしてそれは忘れ行くとともに沈んでいく。だから浮かんでいる記憶というのは比較的新しい記憶か、或いは忘れがたい記憶ということになる。
 記憶は人間を形成する、一番のピースだ。
 記憶を忘れると人間の性格が変わってしまうほど、というのはどこかの学者が言っていたような気がする。いや、或いは言っていなかったかもしれないが、経験則でそういうことがあった。かつての経験だ。だから記憶の扱いはほんとうに慎重にしなければならない。一つの記憶を少しでも傷つけるだけで何が起きるか、分かったものでは無い。それこそ、記憶探偵失格だ。ま、記憶探偵なんて妙ちくりんな商売をしているのは私くらいのものだろうけれど。

「……ふうん。それにしても、何というか、妙だな」
『妙、って何が?』

 不意に空から声が聞こえた。畜生、さっきの思想は口に出てしまっていたか。口に出た思考は自動的にモニターを介してワトソンに見られてしまう。とどのつまり、ワトソンに語りかけるのと同じ事になってしまうわけだが――。

「ワトソンくん、何でも無いよ……とは言いたいところだが。少し気になるところがある。記憶の海を、外側から見て何か違和感を抱かないか?」
『違和感? ……うーん、そう言われても二回目だしな、この記憶の海を見るのは』

 そう言えばそうだった。ワトソンに聞いた私が馬鹿だった。ワトソンはBMI端子を要しているからと言ってこの私の『記憶探偵』としての活動に長く関わっているわけじゃない。つまり記憶の海を何度も見た経験が無いということになるのだから、記憶の海を一目見たからと言って何か違いが分かるとか、そんなことは有り得ないのだ。まあ、分厚い学術書でも読んでいれば話は別だろうが、ワトソンはそんなものに興味を示さないだろうしな。

「……分かった。それじゃ、幾つかスクリーンショットをとっておいてくれないか。仕組みは普通のパソコンと同じだ。それくらい、やり方は分かるよな? まあ、分からなくても今はスマートフォンなり何なりで調べれば済む話だが」
『それくらい分かるわ。ええと、どれくらい撮影しておけば良い?』
「それこそ、好きなだけ撮影しておけ。情報は多ければ多い方が良い。勿論、同じものを別の角度から撮影した物、でも有りだぞ。案外違ったフォーカスから見ると違う考察が出来る可能性だって充分に有り得るわけだし」
『あ、あの……ちょっと良いですか?』

 そこで、私とワトソンの会話に割り入る声が聞こえた。
 声は舞のものだった。舞はモニターを見ているのか、うんうん唸りながら何かぶつぶつ呟いている。

「舞。どうかしたのか。あまり時間も無いから、もし何かあるならさっさと話して貰えると助かるのだけれど」
『あ、いや。ちょっと気になったんですけれど……。部長の居るところから少し先に行くとある場所が、何かやけに人工物っぽいな、って……』
「人工物?」

 そのワードが引っかかった。いや、記憶の海は記憶が浮かんでいる物だから別に人工物でも問題ないじゃ無いか、ということになるのだろう。
 しかしこの場合の『人工物』は意味合いが大きく違う。

「舞。お前はもしかしてこの分野に知識があるのか」

 私は、端的に質問をする。
 対して舞は、

『まあ、少しだけなら。この分野でいうところの「人工物」。部長なら意味が……分かりますよね』

 当然だ。人工物――記憶の分野ではそれを、こう呼ぶ。
 別の人間によって意図的に作成された記憶、と。

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