記憶探偵はミルクパズルの謎を紐解くか?

巫夏希

第十一話 宝箱

 明里が目を開けたのは、それから一分も満たなかった。結果的にモニタをずっと俺たちは眺めていたわけだけれど、そのモニタから何か声を送るとか、危険な事態を確認することもなく――正確に言えば記憶探偵の意味を理解しきれていなかったのだから、それについてはどうしようもないといえばそれまでなのだが。
 明里はBMI端子を自らの手で引き抜くと装置のスイッチを切った。そして岬先輩の椅子に近づくと、

「終わったぞ。目を開けて構わない」

 それを聞いた岬先輩は目をゆっくりと開けた。恐る恐る、といった感じだろう。実際、見たこともない技術で自分の脳内を覗かれていたのだから、恐る恐るというのは正しいことなのだろう。

「……取敢えず、一言だけ話を聞いてくれ。あ、HCHはそのまま装着したままで構わない。あとワトソン、今から私と依頼人の間の会話で、脳内に何か変化がないか確認しておいてくれ」

 了解、と俺は短く答えた。そこまで言うのならきっと明里は何かを見つけたのだろう。ならば彼女に任せてしまうしかほかはない。そもそも彼女が勝手に連れてきた依頼人だから、それは彼女が処理すべき内容ではあるのだけれど。
 明里は自らが座っていた椅子を岬先輩の方に近づける。そして椅子に腰掛けると、たった一言だけ――岬先輩に質問した。

「ニーアというのは、飼っていた犬の名前か?」
「ニーア……。ええと、そうですね。確かに私が飼っていた犬の名前です。でも、どうしてそれが分かったのですか?」
「簡単なこと。あなたの記憶を見たの。私が直接あなたの脳内にダイブして、ね」
「ダイブ……ですか。でも、それを聞いてあなたには本当に私の記憶の謎を解き明かしてくれそうな……そんな感じがしてきました」
「どうだ、ワトソン。彼女の脳内は、何か変化したか?」

 ちゃんとチェックしていますとも。今は……あまり変化していないように見えるが、何か変化する可能性があったのか?

「ちゃんと見ているのか? たとえば……あの鍵のかかっていた宝箱はどうだ? 鎖の一つや二つは外れていないか? 外見上の変化が見られないなら、もう一度ダイブする必要はあるが。いずれにせよ、体力と精神状態の限界もあって一日にあまり回数がこなせないんだよ。だから手に入れられるヒントはできる限り多いほうがいいし、前に進められるならできる限り進めたほうがいい。それくらい分かっているだろう?」

 分かっているよ。でも何度見ても変化は……。
 ……いや、あった。
 変化が確かにあった。

「……何だ、これ?」
「見つかったようね。どう?」

 明里は俺の背後に立っていたようだったが、俺の言葉を聞いてモニタに顔を近づける。俺を押しのけるようになったので、俺もそれに併せて少し身体をずらした。
 そこにあったのは、宝箱だった。そしてそれは明里が最初に見つけて、そしてさっきも言った鎖まみれの宝箱だった。
 しかしその宝箱があったはずの場所には――一つの小さな墓があった。
 いや、正確には墓に模したオブジェクトか。記憶の海に揺蕩う一つのオブジェクトとして、その墓が存在していた。

「記憶の海ってそう簡単にオブジェクトが移動するものなのか? もしかして宝箱を見失ったとか……」
「僅か数分でオブジェクトは移動しないわ。確かに記憶の海にも流れというものはあるけれど、それは一日少しずつ動くものだから、こんな急に移動することはあり得ないもの」
「ということは、あの墓は……宝箱から出てきたもの?」
「そういうことになるわね」

 厳重に封印されていた宝箱から出てきたのは、墓のオブジェクト。
 成程ね。流石に俺でも分かってきたような気がする。とどのつまり彼女は記憶を――。

「あなたは、無意識のうちに記憶を封印していたのよ」

 ――俺がその結論に至ると同時に、明里は岬先輩にそう言い放っていた。

「記憶の……封印、ですか?」
「そう。記憶の封印なんて大それたことをする、なんて思うかもしれないけれど。案外それって誰でもできるのよね。だって簡単に言ってしまえば、それは思い出したくない記憶ということになるんですもの。だから、あなたは記憶を無意識のうちに……一つの宝箱に、鎖を雁字搦めにして、封印した。簡単なことよ。そうして、あなたはいつしか……その記憶を忘れてしまった。普通ならば、何かの拍子に思い出しそうなものを、二度と掘り起こさないように忘れてしまったのよ」
「……ちゃんと言ってください」

 岬先輩は、明里にはっきりと言い放った。

「つまり、ニーアは……どうして居なくなったんですか?」
「簡単な話よ」

 明里は髪を掻き上げて、ゆっくりと真実を告げた。

「あなたの溺愛していた犬……ニーアは死んだ。恐らく中学を卒業するかそのあたりのタイミングでね。墓はそれを示すもの。つまり、あなたは記憶を封印することで無意識のうちに逃げていたのよ。あなたが好きだった犬が、死んでしまったという事実から」

 もっと言い方はあったんじゃないか、なんて俺は思ったけれど、とても口には出せなかった。
 それくらい今の状況は明里の独壇場だったからだ。明里に何を言ったところであいつには通らない。そんな雰囲気を、そんなオーラを放っているように感じられた。

「……ニーアが死んだ?」
「ええ。疑問に思うなら、あなたの両親に聞いてみたら? きっと両親はあなたへの優しさ故に話してくれなかったか、あなたの失意の悲しみに、二度と思い返さないほうがいいだろうと思ったのかもしれない。まあ、それが結果的に今回の依頼に繋がったわけだけれど」

 間違ってはいないけれど、身も蓋もない言葉だ。明里からそれを告げられて、なおも両親にその事実を確認したらどうだ、と言い切ったのだ。この女は。
 悪魔、とまでは言わないが、人の心が少しでもあればそんなことは言わないで、優しい言葉の一つでもかけてあげれば良いだろうに。この沢宮明里という女は容赦なく、まるで弱体化したモンスターをなおも攻撃する戦士かの如く一撃を加えていく。それは見てていたたまれなくなった。

「もう、それまでにしないか。明里」

 俺が彼女たちの会話――正確に言えば明里の一方的な言葉のドッジボールに割り込んだのは、そんないたたまれなさに我慢できなかったからかもしれない。

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