無能は凌駕する

こたろー

無能への仕打ち

 弥鶴が自分の無能っぷりを思い知らされた日から二週間が経った。

 弥鶴は現在、戦闘訓練の休憩時間を利用して王国の図書館にて調べ物をしていた。弥鶴の手には”魔物大図鑑”という何の捻りもないタイトルの図鑑があった。

 なぜ彼がそんな本を読んでいるのか。それは、この二週間の戦闘訓練で成長するどころか自身の役立たずっぷりがさらに明らかになったからだ。戦う力がない分、知識と知恵でカバーができるのではないかと熱心に勉強しているわけである。

 そんなことを考えながら、弥鶴はしばらく図鑑を読んでいたのだが…突然、「はぁ~」と深い溜息を吐いて図鑑を机に放り投げた。ドスンと重い音が鳴り響き、通りかかった司書が「何、大きい音出しとんねん!」とでも言うように弥鶴を睨む。

 あまりに恐ろしい形相に体を震わせつつ、弥鶴は急いで謝罪する。「次はないからな」という無言の圧力をかけられたものの、何とか許していただく。自分で自分に「何やってんだか」とつっこみ、再び溜息を吐いた。

 弥鶴は自分のステータスプレートを取り出し、頬杖をつきながらしげしげと眺める。

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黒嶺弥鶴 17歳 男 レベル:2
天職:錬金術師
筋力:12
体力:12
耐性:12
敏捷:12
魔力:12
魔耐:12
技能:錬成・言語理解
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 これが二週間しっかりみっちり訓練した成果である。どう考えても成長の余地などないくらい、ステータスが刻んだ感じで上がっている。これには弥鶴も思わず「刻みすぎじゃない?」とつっこみを入れたほどだ。これに対して我が勇者聖也はというと、

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天野聖也 17歳 男 レベル:10
天職:勇者 
筋力:200
体力:200
耐性:200
敏捷:200
魔力:200
魔耐:200
技能:全属性適性・全属性耐性・物理耐性・複合魔法・剣術・剛力・縮地・先読・高速魔力回復・気配感知・魔力感知・限界突破・言語理解
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 さすが勇者というしかない成長っぷりである。弥鶴と比べればざっと五倍の成長率。

 おまけに弥鶴には、魔法が使えないということが判明した。適性が一切ないのだ。

 魔法適性がないということは何を表すのか。アーガイムにおける魔法の概念について少し説明させてもらおう。

 この世界における魔法というものは、原則として体内の魔力を練り上げ、詠唱することで練り上げた魔力を魔方陣に注ぎ込むことで、魔方陣に組み込まれた式通りの魔法が発動するというプロセスをたどる。つまり、魔方陣なしでイメージだけで魔力を直接操り魔法を発動することは不可能とされており、どのような効果の魔法を使うかによって正しく魔方陣を構築しなければいけないのである。

 さらに、詠唱の長さに比例して流し込める魔力の量も多くなり、それに比例して魔法の威力や効果も上がっていく。また、効果の複雑さや規模、威力に比例して魔方陣に組み込むための式も多くなるため、当然魔方陣も比例して大きくなる。

 例として上げるならば、RPGなどで定番のいわゆる”火球”という魔法を放つだけでも、一般的に直径十センチほどの魔方陣が必要とされる。基本は、属性・威力・射程・範囲・魔力吸収(魔力を注ぎ込むため)の式が必要で、あとはこれに誘導性をつけたいとか持続時間を延ばしたいとか付加要素を付ける度に式を加えてることで魔方陣が大きくなるということだ。

 しかし、この原則にも例外が存在する。それが先ほど言った適性である。

 適性とは、簡単に言えば体質によってどれくらい式を省略できるかという問題である。例えば、火属性の適性があれば、魔方陣に属性の式を組み込む必要がなくなり、その分魔方陣を小さくできるということだ。この省略に関して、なぜ省略可能なのかは厳密には解明されていない。これを最初に発見した魔導士曰く「適性を持った人間の魔力そのものが式を表している。つまり火属性の適性なら魔力そのものが式の代わりになるため、詠唱時に火をイメージすれば魔法に火属性が付加される。」らしい。

 大抵の人間はなんらかの適性を持っているため、上記のように平均的に直径十センチ以下の魔方陣で事足りるのだが、弥鶴の場合、全く適性がないため、基本五式に加え弾速・弾道・拡散率・収束率など詳細に式を組み込まなければならなかった。あの”火球”を一発放つために直径二メートル程の魔方陣が必要で、実践では使い物にならなかったのだ。

 ちなみに魔方陣には、一般的に「スクロール」と呼ばれる特殊な紙を使った使い捨てタイプか、鉱物に刻むタイプの二つがある。前者は、バリエーションが豊かになるが一回のみの使い捨てで威力も落ちる。後者は嵩張るためたくさんの種類は持てないが、何度でも使えて威力も十全というメリット・デメリットがある。コルネリウスたち神官が持っていた錫杖は後者に当たる。

 そんなわけで、近接戦闘はステータス的に無理、かといって遠距離で戦うための魔法は適性がなくて無理、頼みの天職”錬金術師”の技能である”錬成”は、マルス団長から紹介された王国お抱えの錬成師の方に師事していただくことになったが、鉱物の形を変えたりくっつけたり、加工することができるだけで戦闘の役には立たない。しかも錬成師の錬成の精度に敵わず、錬成に役立つアーティファクトもないと言われ、錬成の魔方陣を刻んだ手袋を渡されただけ。

 一応、頑張って練習し落とし穴的なものや、でっぱり的なものを地面に作れるようになったし、その規模や作るスピードは少しずつ成長してはいるが、対象に直接手を触れていなければ効果を発揮しないため、敵の眼前でしゃがみ込み、地面に手をつくという自殺行為をしなければならず、結局戦闘では役立たずであることに変わりはない。

 この二週間ですっかりクラスメイトたちから無能のレッテルを貼られた弥鶴は、仕方なくこうやって知識を蓄えているのであるが、なんとも先行きが見えず、最近は溜息が増えた。

 いっそ王国を出てしまい旅でもしようかと、図書館の窓から見える青空をぼーっと眺めながら現実逃避する。もはや末期である。弥鶴は行くならどこに行こうかと、ここ二週間で蓄えた知識を頭の中で展開しながらさらに現実逃避にはしる。

(やっぱり、亜人の国には行ってみたいよな。獣人がどんな感じなのか、昔ラノベで読んだケモミミってやつを拝んでみたい。ただ”樹海”の奥地らしいしなぁ…被差別種族って言われてるし奴隷以外ではまず見られないらしいし)

 弥鶴の知識は正しい。亜人族は被差別種族で、基本的に大陸の東側に南北に渡って広がっている【グリー樹海】の深部にひきこもっている。なぜ、差別の対象になっているのかというと、彼らは魔力を一切持っていないからだ。

 神代においてルシウをはじめとする神々は神代魔法によってこの世界を創造したと言い伝えられている。そして、現在使用されている魔法は、その劣化版だという認識が強い。そのため、魔法は神から与えられたものであるという価値観が根付いているのだ。もちろん、聖教教会がそのように教えているのだが。

 そういった事情から魔力を一切持たず魔法を使うことができない種族である亜人族は神から見放された悪しき種族だと考えられているのである。

 じゃあ、魔法の使える魔物は悪しき種族ではないの? と疑問があがるのだが、魔物はあくまでも自然災害と同じであり、神の恩恵など受けるものではなくただの害獣であるという認識らしい。ご都合解釈も甚だしいなと、弥鶴は心底呆れた。

 なお、魔人族は聖教教会がいう”ルシウ様”とは別の紙を崇めているらしいが、亜人族に対する考え方については基本的に同じらしい。

 この魔人族についてだが、彼らは全員が高い魔法適性を持っており、人族よりはるかに短い詠唱とちいさな魔方陣で強力な魔法を放てるらしい。人族に比べて数は少ないが、北大陸中央にある魔人の王国アルスガルドでは、子供ですら相当強力な攻撃魔法を使えるようで、ある意味では国民すべてが戦士と言っても過言ではない国かもしれない。

 人族は、崇める神の違いから魔人族を仇敵と定め(これも聖教教会の教え)、神に見放されたと亜人族を差別対象とする。魔人族も同様だ。亜人族としては、自分たちも関わらないから放っておいてくれという感じだろうか? どの種族も実に排他的だ。

(う~ん、樹海は俺には厳しいから西の海の方に行こうか…確か、イワハって海上町があるって話だし。ケモミミが見られないのは惜しいがマーメイドなら見られるだろ。人魚ってのを実際見てみたいし、何より新鮮な海鮮料理が食える)

 【海上町イワハ】は魚人族と言われる亜人族の町で西の海の沖合にある。亜人族の中で唯一、王国が公に保護している種族で、その理由としては、南大陸に出回っている魚介類などの素材の約七割がこの町から供給されているからという、どこまでも身勝手な理由だ。壮大な差別理由はどこへ行った? と、この話を聞いた弥鶴は内心ものすごく呆れた。

 ちなみに、そこへ行くには手前にある【ラース大砂漠】を越えなければならない。この大砂漠にはイワハとの輸送の中継点として重要になるオアシス【アスラ公国】や【ラース大火山】が存在する。この【ラース大火山】はこの世界にある七大迷宮の一つとされている。

 七大迷宮とは、この世界における七つの危険地帯を指している。イシュダル王国の北西スロウ大砂漠との間にある【グラント大迷宮】と先程出た【グリー樹海】もこれに含まれている。「七大」と言っておきながらなぜ三つしか挙げていないのかというと、理由は簡単、他の所在が不明なのである。古い文献などから存在自体はしているものの未だ存在の確認がされていないのである。

 一応目星はつけられているらしく、大陸を南北に分断している【ラスト峡谷】や、北大陸にある【スロウ雪原】あたりがそれにあたるのではないかと考えられている。

 (やっぱり砂漠は厳しいかな…だとすると、帝国に行って奴隷を見るって手しか残されてないんだけど…さすがに奴隷の扱いってのを目にして平静を保っていられるか自信がないなぁ)

 弥鶴のいう帝国とは【ウルファ帝国】のことである。この国はとある傭兵団が興した国で、屈強な傭兵はもちろん冒険者がわんさか集まった軍事国家らしい。実力至上主義を掲げていて、亜人族だろうが何だろうが使えるものは使うという発想のもと、亜人族を扱う奴隷商が多数存在しているらしい。

 帝国は王国の東に【商業都市カントン】を挟んで存在している。【カントン】はどの国にも属さない中立を保つ商業都市だ。経済力という国家運営とは切っても切り離せない力をもって中立を貫き通している。欲しい物はこの都市に行けば必ず手に入ると言われるくらい商業中心の都市となっている。

(ふぅ…結局元の世界に帰りたけりゃ、逃げるってわけにもいかないんだよなぁ。っとそろそろ訓練の時間か)

 現実逃避から目を覚ますために頭を振り、訓練の時間が迫っているので図書館を出る弥鶴。王宮までは目と鼻の先である。その道すがら王都の喧騒が聞こえてくる。露店の店主の呼び込み、子供たちが遊んでいる声、はしゃぐ子供を叱る親の声など日常的で平和なものだ。

(戦争が起きそうって感じはないよなぁ。やっぱり戦争なかったですって帰してもらえたりしないだろうか)

 弥鶴はまたもや現実逃避にはしる。これから始まる憂鬱な時間がそれほどまでに嫌なのである。


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 訓練場に到着するとすでに数人生徒が来ていて、談笑したり自主練したりしていた。どうやら案外早めに着いたようである。弥鶴は、とりあえず自主練でもして待とうかと、支給された西洋風の細身の剣を取り出した。

 その時、突然後ろから衝撃を受けて弥鶴はたたらを踏んだ。何とか転倒せずに済んだものの抜身の剣を前にして冷や汗が出る。顔をしかめつつ振り返るとそこには予想通りの四人がおり、弥鶴は心底うんざりした表情になる。

 そこにいたのは、金田大和率いる小物四人衆(弥鶴命名)である。訓練が始まってからというもの、ことあるごとに弥鶴に絡んでくるのだ。弥鶴が訓練で憂鬱になる理由の三分の一がこれだ。(残りは自分の無能加減)

「よぉ、黒嶺。何しに来たの? お前が剣とか持ったって意味ないじゃん。む・の・うなんだからよ~」
「ぷっ、言い過ぎだって金田。いくら本当のことでもさ、くっくっく」
「なんで毎回律義に訓練参加してるわけ? 俺なら恥ずかしくって無理なんですけどー! ぎゃはははははは」
「な、大和。こいつ見てられないくらいかわいそうだからさ、俺らで稽古つけてやろうぜ」

 いったい何がそこまで面白いのか、にやにやげらげらと笑う小物四人衆。

「ん~? おいおい、直哉、お前優しすぎるぞ? まぁ、俺も優しいからな、稽古くらいつけてやってもいいけどよ」
「お、さすがだねぇ。めちゃめちゃ優しいじゃん。無能くんのために時間割いてあげるとかさぁ。おい黒嶺くぅ~ん、感謝しなよぉ~?」

 そんな戯言を言いながら馴れ馴れしく肩を組み人目につかない方へと連行していく金田たち。クラスメイトたちはそれに気づいていたのにも関わらず見て見ぬふりをする。

「いやいや、君たちの邪魔をするわけにいかないし一人でやるから大丈夫だよ。俺のことなら放っておいてくれていいからさ」

 一応、断ってみる弥鶴。

「はぁ? 俺らがわざわざ無能であるお前を鍛えてやろうって言ってるのにな~にほざいてんの? はぁ、しらけるわぁ。お前はただただ、ありがとうございますって言ってりゃいいんだよ!」

 そう言って、弥鶴の脇腹を殴る金田。弥鶴は「うっ」と痛みに顔をしかめ呻く。金田たちは訓練を重ねるうちに段々暴力に躊躇いを覚えなくなってきているようだ。思春期の男子が突然大きな力を手に入れればそれに驕り、溺れることは仕方ないとはいえ、その矛先を向けられてはたまったものではない。だからと言って抵抗できるほどの力を持ち合わせてもいない。弥鶴は歯を食いしばって耐えるしかなかった。

 やがて、訓練場からは死角になっている人気のない場所に来ると、金田は弥鶴を突き飛ばした。

「ほら、立てよ。楽しい楽しい訓練のお時間だ」

 金田、斎藤、荒木、五宝の四人が弥鶴を取り囲む。弥鶴は悔しさに唇を噛みながら立ち上がった。

「がっ!?」

 その瞬間、背中に激痛が走る。五宝が鞘に納まったままの剣で殴ったのだ。声にならない声をあげ前のめりに倒れる弥鶴にさらに追撃が加わる。

「ほら、いつまでも寝てっと火だるまになって焦げちまうぞ? 火をもって敵を焼き尽くせ、”火球”」

 斎藤が火属性魔法の”火球”を放つ。倒れこんだ直後であり背中の痛みで直ぐに起き上がることができなかった弥鶴は、転がることで何とか避ける。だがそれを見計らっていたかのように、すぐさま荒木が魔法を放つ。

「風をもってすべてを打ち払わん、”風球”」

 風の球が立ち上がろうとしていた弥鶴の腹に直撃し、弥鶴はくの字に吹き飛ばされる。何度か転がり「おえっ」と胃液を吐きながら蹲る。

 魔法自体は詠唱も一小節だけの下級魔法だ。それでもヘビー級のプロボクサーのボディブローくらいには威力がある。それは、彼らの適性の高さに加えて魔方陣が刻まれた媒介が国が支給したアーティファクトであることが原因だ。

「なぁ、ほんと弱すぎ。お前さぁ、やる気あるわけ?」

 そう言って、蹲る弥鶴の腹に蹴りを入れる金田。弥鶴はダメージの回復と嘔吐を我慢するので精一杯だ。

 その後も稽古とは名ばかりのリンチが続く。弥鶴は痛みに耐えながらどうして自分だけが弱いのかと悔しさに歯を食いしばる。本来であれば敵わないにしても反撃くらいはするべきかもしれない。

 しかし、弥鶴のステータスの低さがそれを許してはくれなかった。さらに、弥鶴はどちらかと言えば平和主義者だ。できるだけ暴力は振るいたくない。争いたくない。そんな弥鶴は、誰かと喧嘩しそうになればいつも自分が折れていた。自分が我慢すれば話はそこで終わらせることができる。喧嘩なんかするよりはずっといい。そんなふうに考えてしまうのだ。

 そんな弥鶴のことを優しい人だと評価する人もいれば、ただのヘタレだと評価する人もいる。弥鶴自身どちらかはわからないと思っている。

 それでもふらふらになろうが最後の抵抗として立ち上がり続けていたが、そろそろ痛みに耐えられず意識が飛びそうになってきたころ、突然怒りに満ちた女の子の声が響いた。

「何…してるの?」

 その声に「やべっ」という顔をする金田たち。それもそのはず、弥鶴が朦朧とした意識の中、視線を向けたその先にいた声の主は、弥鶴の彼女でもあり金田たちが惚れている美咲だったのだから。美咲だけでなく、杏奈や聖也、龍之介も一緒にいた。

「い、いやぁ、誤解しないでほしいなぁ。俺たちは黒嶺の特訓に付き合ってただけなん」
「弥鶴くん!!」

 金田の弁明を途中で遮り、美咲はふらぁっと前のめりに倒れこんでいく弥鶴に駆け寄る。弥鶴の様子が目に入った瞬間、金田たちのことは頭から消えたらしい。

「特訓、ね。それにしてはずいぶんと一方的にやってたみたいね?」
「い、いや、それは…」
「言い訳はいいよ。いくら黒嶺が戦闘に向いてないからといっても同じクラスの仲間に違いはない。二度とこういうことはしないでもらいたいな」
「こんなくだらない真似をする暇があったら自分を鍛えろや」

 三者三様に責め立てられ、金田たちは誤魔化し笑いをしつつそそくさと立ち去る。その間に美咲の回復魔法で弥鶴の傷は徐々に癒されていた。

「ありがとう美咲。助かった。情けないとこ見られたな」

 そう言って苦笑いをする弥鶴に美咲は泣きそうな顔でぶんぶんと首を横に振る。

「いつもあんなことされてたの? それなら私が…」

 何やら怒りの形相で金田たちが去っていった方を睨む美咲を、弥鶴は慌てて止める。

「いやいや、いつもやられてるなら食堂で会ったときにわかるでしょうに。大丈夫、今日が初めてだよ。それにこれくらい平気だって、あいつらも俺を殺すまではしないだろうし大丈夫、気にするほどのことじゃない」
「でも!」

 それでも納得できなさそうな美咲に「大丈夫だから」と笑顔を見せる弥鶴。渋々といった感じでようやく美咲も引き下がる。

「はぁ…黒嶺君、何かあったら遠慮せず言って。美咲もその方が納得できると思うわ」

 どこか不服そうな表情の美咲を横目に、苦笑いしながら杏奈が言う。

「そうだね、ありがとう」

 同じくそんな美咲を見ながら、やはり苦笑いで礼を言う弥鶴。しかしそこで水を差すのが我らが勇者クオリティー。

「だけど、黒嶺自身ももっと努力すべきだろう。天職が非戦系だからと言ってそれを言い訳にしてちゃいつまでも強くなれない。そうだろう? 聞けば、訓練のないときは図書館で読書に耽っているそうじゃないか。俺ならその時間を少しでも強くなるために鍛錬に充てるよ。黒嶺も少し真面目になったほうがいい。金田たちも黒嶺のその不真面目さをどうにかしようとしたのかもしれないだろう?」

 何をどう解釈してそうなったのか。弥鶴は半ば呆然としながら、ああそうだった。天野は基本的に性善説で人の行動を解釈しようとするやつだったと苦笑いを浮かべる。

 天野の思考パターンは、人間は基本的に悪いことをしない。悪いことをしているように見える何かがあった時、それには相応の理由があり、もしかしたら相手側に何か原因があるのかもしれない。という過程を経るのである。

 しかもたちの悪いことに、聖也の言葉には全く悪意がない。真剣に弥鶴のことを想って忠告してくれているのだ。弥鶴は何度も聖也とやり取りをしてきたので、すでに誤解を解こうなどという気力はない。ここまで自分の思考というより正義感に疑問を抱かない人間に何を言っても無駄だろうと諦めているのだ。

 それがわかっているためか杏奈が頭を抱え溜息を吐きながら弥鶴に謝罪する。

「ごめんなさい。聖也も悪気があるわけじゃないんだけど」
「あはは、うん、わかってる、大丈夫」

 やはり苦笑いで大丈夫と返事をする弥鶴。砂ですっかり汚れた服を叩きながら立ち上がる。

「ほら、訓練が始まりそうだ。行こう?」

 弥鶴が促し、一行は訓練場に戻る。美咲はずっと心配そうにしていたが弥鶴はあえて気づかないふりをした。さすがに、男として彼氏として今回のことで彼女に甘えることだけはなんだか嫌だったのだ。

 訓練場に戻りながら、弥鶴はこの日何度目になるかわからない深い溜息を吐いた。あまりの前途多難っぷりに嫌気がしてきたのである。


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 訓練が終了して、いつもなら夕食まで自由時間なのだが、今回はマルス団長から話があると全員引き留められた。何事かと注目するクラスメイトたちに、マルス団長は野太い声で告げる。

「明日から、実戦訓練として【グラント大迷宮】へ遠征する。必要なものはこちらが準備しているが、今まで王都の外でやってきた魔物との実戦訓練とは比べ物にならないと思っていてくれ! まぁ要するに気合い入れてこいってことだ! 今日はゆっくり休むこと! では、解散!!」

 そう言うだけ言ってさっさと去ってしまった。ざわざわと騒ぎ出すクラスメイトたちの後方で弥鶴は天を仰ぐ。

(…はぁ、本当に前途多難だなぁ)

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