Dear Big and small girl~もしも白雪姫が家出をしたら~
第6話 怪しい林檎は戸棚の奥へ
「それで、これを受け取って帰って来たんだね?」
「そうだよ!」
明るく答えるシトリーに、兄弟はみんな頭を抱えます。
「普通、怪しいって思わない?」
エメラッドが呆れて言うと、シトリーははっきりと声高らかに歌うように返します。
「怪しいなんてことあるはずがないさ、なにせ白雪姫に憧れている少女なんだからね! 憧れの人に丹精込めて育てた林檎を食べてほしいなんて素晴らしいよ。そんな風に慕われる白雪姫も、林檎を託されたボクも幸せ者だね!」
これはもうどうしようもない、と兄弟たちは肩を竦めてしまいました。
王妃の急ごしらえの作戦は功を奏しました。いつも突飛で自由奔放なシトリーのことは、名前は思い出せないまでも記憶にあったので、その感性に触れる話がいいと考えます。それで「白雪姫に憧れる村娘」になり、白雪姫に直接林檎渡すことは諦めて小人から渡してもらうようにお願いしたのです。実際その方が警戒されずにすんなり食べさせられそうだと思ったからです。
確かに王妃の作戦は上手くいきました。エメラッドには受け取る以前に疑われてしまいましたが、シトリーは受け取っただけでなく必ず食べさせることを自ら約束しました。あとは白雪姫が実際に林檎を食べるのを待つばかりと、城で優雅に過ごしています。
ですがこの王妃の計画が成功するには、ふたつの問題がありました。
ひとつは白雪姫が小人の家にはいないこと、そしてもうひとつはシトリーが王妃の願いを聞き届けなかったことです。
「兄弟たちには秘密にしてって言われたけど、だれかに憧れることはまったく恥ずかしいことじゃないのにね! ましてや相手が白雪姫ならなおさら!」
「おいおい、シトリーのやつ気付いてないぞ。こいつなら使えるって思われてること」
「まあ、結果的には良かったんじゃないですか?」
「これ、どうするんだよう?」
テーブルの中央にはシトリーが持ち帰った林檎の入ったかごが置かれています。アメジが手を伸ばそうとするとルヴィオがその手を掴みます。
「だめだよ。一体どんな仕掛けをしているか分からないからね」
「きっと美味しすぎるという仕掛けがあるんじゃないかな! かわいらしい村娘だったからね」
「こんな上等の端切れを林檎にかぶせられる村娘がいるかよ、なぁ?」
身分の高い城住まいの人間にとってはただの端切れでも、これが小さな村に落ちていれば大きな騒ぎとなったことでしょう。シトリー以外の小人は、変装した王妃の仕業と考えていました。
「僕が追い返してやったのに、無駄になったね」
「そんなことはないさ」
「恥ずかしいけど、まだ王妃は姫がここにいると思ってるから」
「そう、エメラッドが追い返したことであの子がここにいると確信しているはずさ。そしてどうしても渡したがった林檎はここにある。当分の間、手出しはしてこないよ」
ルヴィオの言葉に、みんな心なしか安心したようです。白雪姫がここにいないことに安堵したのは、彼女がいなくなってから初めてのことです。
木べらの先が探るように林檎を突きました。マンダリです。
「なあ、一個と全部、どっちだと思う?」
「どういう意味ですか?」
「仕掛けがしてあるのは一個か全部か。あの極端な魔女のことだ、そのどっちかじゃねえかと思うが、どっちだと思う?」
かごの中にある林檎は、全部で五個です。どれも同じほど赤く艶やかで、すっきりとした甘やかな香りをほんのり漂わせています。見た目にはどれも普通の美味しそうな林檎です。
ですがそのどれかに――もしくは全部に――恐ろしい仕掛けがされているのです。それは恐らく小さな少女の命を簡単に奪ってしまう類のものだろうと、小人たちは推測します。老婆が、村娘が、なんとかして白雪姫に食べさせようとした林檎なのですから。
一人は全部だろうと言います。他の一人はたったひとつじゃないかと言います。
その理由はさまざまです。醜悪な王妃のことだから、きっとどれを食べても仕掛けが当たるようにしているはずだと考える者。計算高い王妃のことだから、普通の林檎で安心させて確実に仕掛け林檎を食べさせようとしているのではと考える者。
これらの意見は、どれも普通の林檎だと譲らない一人を除いて交わされました。
「ちょうど半々、余り一ってことか。どうだ賭けてみるか?」
マンダリがわくわくしたような表情で持ち掛けますが、兄弟たちはいい顔をしません。
「姫の命に関わることを賭けの対象にするというのは、問題があるのではないですか?」
「そもそも、姫いない……」
「それに賭けの結果が分かるってことは、だれかがこれを食べるってことでしょ?」
「食べたくないよう」
「みんななにを言っているのかな? これは美味しい林檎だってさっきから言っているじゃないか!」
「こらシトリー、食べてはいけないよ絶対に」
今度はシトリーの腕を叩き落として止めたルヴィオ。眼鏡を上げると、マンダリに咎めるような視線を送ります。
マンダリは悪びれずこう言います。
「いいじゃねえか、どうせ結果なんか出ようもないんだからさ」
白雪姫が食べないことはもちろん、その結果を知りたいとも思いません。危険な林檎がひとつであろうが五個であろうが、そのかごの中身が危険であることには変わりないからです。
マンダリもそんなことを望んでいるわけではありません。少し拗ねたように続けます。
「こうして馬鹿言ってたらさ、なんか、忘れられそうだろ?」
白雪姫の命が狙われていることも、白雪姫がここにいないことも――白雪姫がいない寂しさも。
彼女がここにいることは、彼女にとって悪いことなのではないか。小人たちはそう思い始めています。
林檎の形をした得体の知れない殺意を目の前にして、手の届く場所であることを思い知らされました。もしここにいたら目を離した間に永遠の別れとなったかもしれないのです。
そう考えれば考えるほど、寂しさを捨てるための決意が必要です。いつだって帰って来てほしいと願ってはいても、少女を守るためには帰って来てほしくないと思います。天秤にかけた願いがどちらも自分勝手なら、白雪姫のための願いの方を一際重くしたいのです。
言葉にすれば、ますます寂しくなってしまいました。家のどこを見渡しても、影も形もありません。
この家にあるのは、小人たちにぴったりの食卓と、小人たちにぴったりのキッチンと、小人たちにぴったりのベッド。それらがまったく合わない愛らしい少女は、ここにはいないのです。
アメジが一人、家の隅でそのままにしていた手紙をひとつひとつ重ねます。十通の、思いの詰まった封筒は白く、宛名の文字は黒く、見よう見まねで落とした蝋は赤くしっかりと封がされています。
手紙をぎゅっと握り締めた小さな手に、大粒の涙が落ちました。
「忘れたいけど、忘れたくないよう……。忘れられたくないよう……」
兄たちは末っ子を囲んで寄り添います。みんな同じ気持ちです。
「じゃあ、あの林檎は戸棚の奥にしまっておきましょう」
カイヤナの提案に、全員が首を傾げます。だれも触れることのない場所へ捨てるつもりだったからです。ですがカイヤナは家の、それもいつでも手の届きそうな場所に置いておこうと言うのです。
その理由はすぐに分かりました。
「戸棚の中は薄暗くて、みんなその中になにがあるかを忘れてしまうでしょう? だから忘れようと思えば忘れられるし、思い出そうと思えばいつでも思い出せます。無理に忘れようとはせずに、傍に置いておきましょう、それでも悲しくならないようにすぐには見えないところに置いておきましょうよ」
五個の林檎は、彼らにとっては強い記憶の種となりました。目にすればきっとまた寂しさが募ることでしょう。だから少しだけ隠しておこうと言うのです。
「それでどうなるってことでもないけど、僕はそれでいいよ」
「忘れようとすればするほど、思い出しちまうもんな」
「委ねてみようか、この恐ろしい林檎に」
触れられない林檎は、そうするのにぴったりです。思わず触れてしまえないからこそ、少しだけ軽い心持ちで、林檎の輝きを眺めることができました。
そうして七人の小人たちは、いつも通り仕事の支度を始めるのでした。
「そうだよ!」
明るく答えるシトリーに、兄弟はみんな頭を抱えます。
「普通、怪しいって思わない?」
エメラッドが呆れて言うと、シトリーははっきりと声高らかに歌うように返します。
「怪しいなんてことあるはずがないさ、なにせ白雪姫に憧れている少女なんだからね! 憧れの人に丹精込めて育てた林檎を食べてほしいなんて素晴らしいよ。そんな風に慕われる白雪姫も、林檎を託されたボクも幸せ者だね!」
これはもうどうしようもない、と兄弟たちは肩を竦めてしまいました。
王妃の急ごしらえの作戦は功を奏しました。いつも突飛で自由奔放なシトリーのことは、名前は思い出せないまでも記憶にあったので、その感性に触れる話がいいと考えます。それで「白雪姫に憧れる村娘」になり、白雪姫に直接林檎渡すことは諦めて小人から渡してもらうようにお願いしたのです。実際その方が警戒されずにすんなり食べさせられそうだと思ったからです。
確かに王妃の作戦は上手くいきました。エメラッドには受け取る以前に疑われてしまいましたが、シトリーは受け取っただけでなく必ず食べさせることを自ら約束しました。あとは白雪姫が実際に林檎を食べるのを待つばかりと、城で優雅に過ごしています。
ですがこの王妃の計画が成功するには、ふたつの問題がありました。
ひとつは白雪姫が小人の家にはいないこと、そしてもうひとつはシトリーが王妃の願いを聞き届けなかったことです。
「兄弟たちには秘密にしてって言われたけど、だれかに憧れることはまったく恥ずかしいことじゃないのにね! ましてや相手が白雪姫ならなおさら!」
「おいおい、シトリーのやつ気付いてないぞ。こいつなら使えるって思われてること」
「まあ、結果的には良かったんじゃないですか?」
「これ、どうするんだよう?」
テーブルの中央にはシトリーが持ち帰った林檎の入ったかごが置かれています。アメジが手を伸ばそうとするとルヴィオがその手を掴みます。
「だめだよ。一体どんな仕掛けをしているか分からないからね」
「きっと美味しすぎるという仕掛けがあるんじゃないかな! かわいらしい村娘だったからね」
「こんな上等の端切れを林檎にかぶせられる村娘がいるかよ、なぁ?」
身分の高い城住まいの人間にとってはただの端切れでも、これが小さな村に落ちていれば大きな騒ぎとなったことでしょう。シトリー以外の小人は、変装した王妃の仕業と考えていました。
「僕が追い返してやったのに、無駄になったね」
「そんなことはないさ」
「恥ずかしいけど、まだ王妃は姫がここにいると思ってるから」
「そう、エメラッドが追い返したことであの子がここにいると確信しているはずさ。そしてどうしても渡したがった林檎はここにある。当分の間、手出しはしてこないよ」
ルヴィオの言葉に、みんな心なしか安心したようです。白雪姫がここにいないことに安堵したのは、彼女がいなくなってから初めてのことです。
木べらの先が探るように林檎を突きました。マンダリです。
「なあ、一個と全部、どっちだと思う?」
「どういう意味ですか?」
「仕掛けがしてあるのは一個か全部か。あの極端な魔女のことだ、そのどっちかじゃねえかと思うが、どっちだと思う?」
かごの中にある林檎は、全部で五個です。どれも同じほど赤く艶やかで、すっきりとした甘やかな香りをほんのり漂わせています。見た目にはどれも普通の美味しそうな林檎です。
ですがそのどれかに――もしくは全部に――恐ろしい仕掛けがされているのです。それは恐らく小さな少女の命を簡単に奪ってしまう類のものだろうと、小人たちは推測します。老婆が、村娘が、なんとかして白雪姫に食べさせようとした林檎なのですから。
一人は全部だろうと言います。他の一人はたったひとつじゃないかと言います。
その理由はさまざまです。醜悪な王妃のことだから、きっとどれを食べても仕掛けが当たるようにしているはずだと考える者。計算高い王妃のことだから、普通の林檎で安心させて確実に仕掛け林檎を食べさせようとしているのではと考える者。
これらの意見は、どれも普通の林檎だと譲らない一人を除いて交わされました。
「ちょうど半々、余り一ってことか。どうだ賭けてみるか?」
マンダリがわくわくしたような表情で持ち掛けますが、兄弟たちはいい顔をしません。
「姫の命に関わることを賭けの対象にするというのは、問題があるのではないですか?」
「そもそも、姫いない……」
「それに賭けの結果が分かるってことは、だれかがこれを食べるってことでしょ?」
「食べたくないよう」
「みんななにを言っているのかな? これは美味しい林檎だってさっきから言っているじゃないか!」
「こらシトリー、食べてはいけないよ絶対に」
今度はシトリーの腕を叩き落として止めたルヴィオ。眼鏡を上げると、マンダリに咎めるような視線を送ります。
マンダリは悪びれずこう言います。
「いいじゃねえか、どうせ結果なんか出ようもないんだからさ」
白雪姫が食べないことはもちろん、その結果を知りたいとも思いません。危険な林檎がひとつであろうが五個であろうが、そのかごの中身が危険であることには変わりないからです。
マンダリもそんなことを望んでいるわけではありません。少し拗ねたように続けます。
「こうして馬鹿言ってたらさ、なんか、忘れられそうだろ?」
白雪姫の命が狙われていることも、白雪姫がここにいないことも――白雪姫がいない寂しさも。
彼女がここにいることは、彼女にとって悪いことなのではないか。小人たちはそう思い始めています。
林檎の形をした得体の知れない殺意を目の前にして、手の届く場所であることを思い知らされました。もしここにいたら目を離した間に永遠の別れとなったかもしれないのです。
そう考えれば考えるほど、寂しさを捨てるための決意が必要です。いつだって帰って来てほしいと願ってはいても、少女を守るためには帰って来てほしくないと思います。天秤にかけた願いがどちらも自分勝手なら、白雪姫のための願いの方を一際重くしたいのです。
言葉にすれば、ますます寂しくなってしまいました。家のどこを見渡しても、影も形もありません。
この家にあるのは、小人たちにぴったりの食卓と、小人たちにぴったりのキッチンと、小人たちにぴったりのベッド。それらがまったく合わない愛らしい少女は、ここにはいないのです。
アメジが一人、家の隅でそのままにしていた手紙をひとつひとつ重ねます。十通の、思いの詰まった封筒は白く、宛名の文字は黒く、見よう見まねで落とした蝋は赤くしっかりと封がされています。
手紙をぎゅっと握り締めた小さな手に、大粒の涙が落ちました。
「忘れたいけど、忘れたくないよう……。忘れられたくないよう……」
兄たちは末っ子を囲んで寄り添います。みんな同じ気持ちです。
「じゃあ、あの林檎は戸棚の奥にしまっておきましょう」
カイヤナの提案に、全員が首を傾げます。だれも触れることのない場所へ捨てるつもりだったからです。ですがカイヤナは家の、それもいつでも手の届きそうな場所に置いておこうと言うのです。
その理由はすぐに分かりました。
「戸棚の中は薄暗くて、みんなその中になにがあるかを忘れてしまうでしょう? だから忘れようと思えば忘れられるし、思い出そうと思えばいつでも思い出せます。無理に忘れようとはせずに、傍に置いておきましょう、それでも悲しくならないようにすぐには見えないところに置いておきましょうよ」
五個の林檎は、彼らにとっては強い記憶の種となりました。目にすればきっとまた寂しさが募ることでしょう。だから少しだけ隠しておこうと言うのです。
「それでどうなるってことでもないけど、僕はそれでいいよ」
「忘れようとすればするほど、思い出しちまうもんな」
「委ねてみようか、この恐ろしい林檎に」
触れられない林檎は、そうするのにぴったりです。思わず触れてしまえないからこそ、少しだけ軽い心持ちで、林檎の輝きを眺めることができました。
そうして七人の小人たちは、いつも通り仕事の支度を始めるのでした。
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