人間に恋をした女神

しげぞうじいさん

第十二節 別れ


 目の前に二つの人影がある。

 一つはシルヴィス。立ったまま、こちらともう一つの影を交互に見ている。

 そしてもう一つ。それは雪に埋もれた、途中で力尽きた死体だった。
 その死体の正体。それを、俺は知っている。嫌なぐらい知っている。

 懐かしい声、懐かしい笑顔、懐かしい料理。全てが懐かしいものだった。久しぶりに会えて、味わって、嬉しかった。
 だけど、この世界は残酷だ。残酷過ぎると言ってもいい。
 人の命を無暗に奪い、他者を泣かせるこの世界を俺は呪おう。恨もう、憎もう。
 それでもこの世界で生きていかなければいけない。
 それはとても哀しい運命なんだろうな。

「シルヴィス嬢……ここで、何をしているんだ……?」

 目の前にある死体をどう勘違いしたのか、ジェームズの声が震えている。
 だが、それをシルヴィスは冷静に、そして悲しい声で返す。

「おばちゃんと……一緒にいました」

 哀れな目で傍にある死体を見つめる。

 雪を踏みつけ、俺はその死体……おばちゃんの元に近寄る。
 何をするか、どうするかはわからない。流れに任せるしかない。

 死体に近づき、上に乗っている雪を払いのけ、その顔を現わせる。

 死体の顔は、間違いなくおばちゃんの顔だった。
 死後何十日も経過している。だが、雪のせいでその死体の肉を食う獣もおらず、また腐ることもなかったようだ。
 そしてその顔は、苦痛の顔になっていた。

 安らかに死ねず、未練を残した顔。
 その顔を、俺は良く憶えている。

「おばちゃん……何がしたかったんだ?」

 死体に向かって声をかける。
 返答もないはずの死体に声をかけるのは馬鹿らしいが、その常識を覆すように、おばちゃんの目が開く。口が開く。

「……アーロン……」

 喉が潰れたような声で俺の名前を呼ぶ。まるで恨みをぶつけるような声。
 だがそれを口に出すと、おばちゃんの顔が安らかな表情になって行く。

「ごめんね……私は……」

「言わなくてもいいさ。おばちゃんは……いや、この街はもう無くなっているんだよな」

 非現実的なことを言って二人が困っている。そのまま何も口にせず、言葉にしない方が俺としては助かる。変なことを言われて、俺たちの会話を邪魔されたくない。

「ふふふ……やっぱりわかっていたのね……」

 長い間固まっていた筋肉が動かないようだ。おばちゃんは笑おうとしているが、笑っていない。笑い声を出しているのに、笑顔じゃない。
 それも当然か。死んでいるんだからな。

「どうにもおかしいなと思ったんだ。いつも部屋が埋まるはずのこの街、あの宿で誰も宿泊をしなかった。温泉には大量の客が来ていたはずなのに、誰も泊まらなかった。当然だわ、滅んだ宿に泊まる理由がねえもんな」

 俺が全てをわかっていることが嬉しいのか、おばちゃんが苦しそうに笑い声を絞り出す。

「そう……ここは半年も前に……雪崩で皆消えた……」

 皆……それは街の建物、人の全てと言う意味だろう。

「突然の雪崩だった……だから誰も避難できず、誰も逃げられなかった……」

 過去の出来事をおばちゃんが硬く閉じていた口で話す。
 聞き取りにくい、小さな小さな声だったが、俺にははっきりと聞こえた。不思議だ。

「私はここに木の実を採りに来たのだけど……雪崩に巻き込まれてね……皆より先に死んじゃった……」

 そうか、と相槌を打つ。

「それが悲しくて、悔しくて……だから……」

「だから幻を作った。街の人も、建物も、温泉も。全て幻、ほんの一時の泡沫のよう……」

 おばちゃんの代わりにシルヴィスが説明する。
 一緒にいたからだろうか、シルヴィスは全てを知っているようだ。その口でおばちゃんの代わりに説明を続ける。

「人の無念、悲しみの気持ちは時として人を惑わす幻想を産む。それはその人が描いた、心の中に刻まれた風景として、この世界に現れる。その世界に、呑気な私たちは入り込んでしまった」

 シルヴィスの顔から涙が一粒、零れる。

「あなたは楽しい……楽しいあの宿を続けたかったんですよね……。楽しいこの街を続けたかったんですよね……? その想いがどれだけの重さなのか、私たちに知る事は出来ませんけど……」

「泣かなくていいのよ、シルヴィスちゃん……私たちの代わりに泣かなくても……」

 一粒だけと思っていた涙は二粒、三粒と増えていく。

「誰かに知ってほしかった、誰かに気付いてほしかった。だからあなたは冬の時期を長引かせ、一人でも多くの人がここに訪れて欲しかったんですよね? この街で起こった悲劇を伝えてもらう為に……」

 耐えきれなくなったのか、シルヴィスの膝が崩れた。
 雪の上に落ち、地面に手を置く。
 それはまるで謝罪をしているかのような姿勢だった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……。私は……私は……! もっと早くに気付けば……!」

「泣くな、シルヴィス」

 泣きじゃくるシルヴィスに向かって叱咤をする。

「お前は何も悪くない。何も……何も……」

 泣いているシルヴィスに影響されたか、俺も目から一粒の涙が出てきた。

 親しい者が死ぬ。それはとても悲しいことだと言うのは理解している。だからこの涙は自然に出てくるものなのだろう。死者に向かって流す涙なのだろう。

「……アーロン……」

 おばちゃんの声がさっきより小さい。
 もう、時間がないのだ。

 おばちゃんは半年もの間、この街と言う幻を作った。
そこに存在している、確かにあると言うことを他者に認識させるほどの想いが乗った幻を。
それを作り続けたおばちゃんの力は、命の灯はもう残り少ない。頑張って、あと二、三回ほどしか話せないだろう。
その僅かな時間でどれだけの想いを伝えられるか……

「私は……あなたに会えて本当に良かった……だからせめてここでは楽しくいてもらいたかったのだけど……神様は残酷ね、時間をくれなかったわ……」

 返事はしない。あえて返事をしない。
 最後までおばちゃんに話をしてもらい、それを聞くからだ。

「あなたの知らせを聞いた時……私は不安だった……どうしているのか、大丈夫なのかと……。でも、安心したわ……優しい人達が、いるから……」

 手を強く握り力を込める。掌の中に入った雪が硬く固まるまで力強く。
 もう最後の声だ。しっかりと、この耳に刻み込まなくては……

「ありがとう……私の子供たち……本当の子供じゃないけど、私の子供たち……元気でね……」

 そう言い終わると、おばちゃんの目が閉じて、逝った。
 最後の顔は苦痛の表情から変わって、安らかだった。

 だが、俺の中で渦巻く悲しみの感情が抑えきれない。目の前で大切な人が死なれると悲しくて、悲しくて仕方がない。

 この感情をどこかにぶつけたい。
 しかし、そんなことをしても無駄だ。無駄だとわかっているのに……

「……おばちゃん……ッ!」

 悲しみを抑えきれなくなった俺は雪の上に拳をぶつける。
 柔らかい雪が衝撃を殺したせいで、なお一層感情が強くなる。

 今日この日を境に、この街『チェスター』は正式に地図から消えた。

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