Koloroー私は夜空を知らないー

ノベルバユーザー131094

第十話 ほう!れん!そう!!


鬱病うつびょうと言うのは、なんともまあ面倒くさい病気で。
自分でもなぜかんな病気になってしまったのか、どうして何も出来なくなってしまったのか、理解ができなかった。

ただ一つ、明確なのは【他人とのみぞ】。
自分が悪いのだと責める朝、他人と生きることに苦しむ昼、誰とも上手くやれないと嘆く夜。理想に憧れて現実に嘆く日々、睡眠不足からの判断思考の低下、理解されずに怒鳴られる毎日、私はいつの間にか普通の人とは遠い世界にいた。

溝…と、説明することが多いが、私は他人に本当に理解してほしい時、その溝をガラスの壁だと伝えた。
他人や友人、家族さえも別つ大きなガラスの壁。傷ついた心を隠すための大きな壁だ。透明のその壁があるなんて誰も知らないし、教えなければ知ることすらできない。だけど、ガラスの壁の内側に閉じ込められた人間は遠くにいる人達を見ていつも思うのだ。


嗚呼、遠いな。と。


人を遠く感じれば自ずと相手を避ける。相手を避ければ孤独を感じ罪悪感に呑まれ自己否定を繰り返す。人に合わせるために感情を押し殺し、次第に自身の感情に気づかなくなる。自分の感情に気づくことができなくなったら、何も、感じなくなるのだ。

“私は笑っているの?”
“泣きたい?”
“本当は怒りたかった?”
“どうして”
“私は何がしたいの…?”

以前元の世界の私なら、この感情にまれて苦しみ、眠れない夜を過ごしていただろう。…だけど、この世界に来てからというものの、私は何かが変わっていくのを感じていた。それは、自分への嫌悪感けんおかんか、自己否定の思考か、大きなガラスの壁か。

どんな世界にも平等に光が訪れるように、自分の変化に悩み考える夜は過ぎ去り、この世界に来てから幾度目かの朝を迎えた。午前6時、分厚い雲に隠れて今日も朝日は見えない。だが、太陽の光は雲を貫き少しばかりの光を与えてくれる。そんな朝、彼はいつも通り私を起こしにやってきた。

ボーナンマテーノンおはよう、ルーノ」
ボーナンマテーノンおはよう、ルーナ、いい朝だよ」
彼が指さした窓の景色は相変わらず白い雪に埋もれている。曇天の空、という言葉がよく似合ういつもと変わらない空模様。
「…どこが、いい朝?」
「さあ、なんでだろうね」
今日の彼は珍しく朝からニコニコしている。普段は何とも言えない表情で朝を過ごし、朝食の後のくつろぎタイムを終えると仕事に行こうと私を誘う。

ちなみに、私の体調が悪ければ断ってもいいと言ってくるのだが、今のところ私は皆勤賞だ。
特に体調が悪くなかった、と言うのが理由の一つであるのと同時に、意外にも私は教会に行くのを毎日楽しみにしていた。

悪魔インクーボに取り憑かれた少女に殺されかけたあの日の後、神父様とルーノの提案で悪魔インクーボ関連のことは、自衛ができない魔法も使えない女の私は危険だと判断された。私としては何もできないことに歯痒さを感じたが、見学していたあの日のように表に立って見ることはできなくなった。

…その代わりにと神父様が彼らに渡す薬草の調合を教えてもらえることになった。
ルーノと教会内の掃除をした後、私と二人だと早く終わるからついでに、と彼は雪かきに出る。最初の頃はそれを手伝いたいと志願していたのだが、神父様に無理矢理仕事部屋に連れられ、薬草の本を片っ端から覚えさせられた。お陰様で雪かきのゆの字も出ないくらい頭が薬草のことでパンクしそうだ。
…勿論、記憶力がいいと豪語していたのは私は割と覚えているほうだと思いたいのだが…何分、覚えることが多すぎた。最近では本を読んでいても右から左になっていることが多い気がする。

「ルーナちゃん…目が、死んでる…」

私をあわれんだ目で見る神父様のこの台詞を何回聞いたことか…。しかし、目が死んだ分だけ私は本を読んだ。本を読んだ分だけ知識は身についているはず。

最近では、怪我に効くハーブや吐き気止め、痛み止め、またはニキビ予防のハーブがあることを知って、必死に勉強をしている。が、調合の仕方はやはり素人には難しく、今のところできることは「この形の葉はこれです」と、神父様に全部答えられるよう頭に叩き込む完璧な暗記勉強である。
ルーノ達が悪魔インクーボに困っている人達と向き合っているのはおよそ3〜5時間ほどで、家族の健康状態や悪魔インクーボに憑りつかれた者達の体調やその後の変化、それらを彼らから詳しく聞いているという。ちなみに、悪魔インクーボ以外にも風邪を引いた者や熱を出している者、怪我をしている者もこの教会にはやってくるので簡単には終わらないこともあるが。
その間、私は神父様の仕事部屋に引きこもってひたすら本を読み、暗記をしている。それと、この世界の成り立ちや地形、地図、またこの世界にいるなら知っておいて損はないということをまとめてある本が家にあったので、ルーノから許可を貰って持ち込んで読んでいる。…と言っても、時々黙って数十分くらい休んでいるときもあるが。

「ルーナ、今日の体調は?」
「大丈夫!」
「頭痛は?」
「うん、それも大丈夫」
「ならよかった」
彼は毎朝私に今日の体調を聞いてくる。彼は私が朝に一番体調を崩しやすいのを最初から知っていたらしい。
その後、洗顔に着替えをして、いつの間にか用意してくれている朝食をテーブルに並べるのだ。今日は昨日の晩のキノコとジャガイモのスープの残りで、1晩で煮詰まったのか昨日よりも更に味が染みていてじゃがいもがほろほろしている。朝からよだれが出そうだ。
「そういえば、ルーナ」
「ん?」
「城とか、興味あるか?」
突然の質問。…城、とは、あのお城だろうか?ファンタジー世界に絶対あると言っても過言じゃない、王様が住む偉大な建築物、SI・RO!!
「興味あるある!!」
別に城に興味があって勉強してきた!私の目標は城に行くことです!とかではないが、やっぱり人生に一度はお城というものを見てみたいし、リアルプリンセスやプリンスが住む世界を見たいというのが全世界の乙女の夢なんじゃないだろうか!!?
ヨーロッパの国々に存在する遺跡や城、私の中の乙女が叫ぶ…古代のロマンに行け!!と…って、乙女はそんなこと叫ばないか。
「そんなに興味があったのか。だったらもっと早く言えばよかった」
「え?何?」
もしや城に行けるチャンスがあるのだろうか!?大雑把おおざっぱな地理しか知らない私だから、この街のことをよく知らない。だが、きっとこの街には、すごい大きくて美しいThe 城!みたいなお城があるのかもしれない!!
「今度、この街を治めているショコラこうの5女が産まれるらしくて」
「ショコラ公…!?」
なんて美味しそうな名前!!!ああ、ショコラケーキが恋しい…!!あの茶色い生地の中にしっとり濃厚に練り込まれたチョコレートの甘さと少しばかりのほろ苦さ、ナイフで切ると溢れ出るチョコレートの海!白い雪のように降り注ぐ粉砂糖の美しさ!!…ああ…よだれが…。
「その5女が産まれた祝福の儀とやらを神父様に頼むらしく、城に招待されてるって話を聞いて。実際のところ神父様一人でいいんだけど、手伝いという形でなら同行させてもらえるから、って結構前に神父様が言ってたのを思い出して」
おおっと、涎が垂れる前に現実に引き戻してくれた…ありがとう、ルー…って、え?
「…結構前…って…それ、は、何日ぐらい前ですかね?」
「3,4日前?」
つまり、だ。
「…お城に行くのは…?」
「明日ですね」
「…準備は?」
「これからです」
ルーノって、抜けてるのか、抜けてないのかちょっとよくわからない性格してるから本当飽きなくて済むよ…うん…。罪悪感の塊もなしに黙々とご飯を食べ続けるルーノを見てお前!ほうれんそう知ってるか!?ほう!れん!そう!!報告、連絡、相談!!知ってる!!?と言いたかったが、まだ当日じゃないだけマシだと自分に言い聞かせた。
「私は何を着て行けばいいの?」
「パーティに呼ばれてるなら、最初に買ったドレスでも問題なかったんだけど、教会からっていう名義で行くからな…」
「新しい服、必要?」
「一応、俺も神父の格好しなきゃいけないし」
ちなみに、神父の格好はダルマティカと呼ばれる一枚の布で作られた長くてダボダボしているロングワンピースみたいなものに、ストラと呼ばれる儀式用のストール、それからカズラと呼ばれる袖無しポンチョのようなものを着るのが正装である。我が街では白と黒が中心なので、ダルマティカが白、ストラが黒に白の模様、カズラは黒である。神父様が着るととっても素敵な格好に見えるのだが…。
「え?ルーノが神父様の格好?神父様とお揃い?」
それはあまり想像できないな。
「ぶっ…」
わっ、スープき出したよ。もう朝から汚いな!!
「お揃いって…そんな言い方するなよ、気持ち悪い」
「だって、実際そうでしょ?」
「お揃いじゃありません!仕事着に着替えるだけです!」
「あ、で、私は?」
「………一応、神職の格好させた方がいいかなって」
可憐に話題を流した私を恨めしそうに見たルーノだったが、すぐに落ち着いた様子で台拭きを持ってきて噴いた分は黙って片付けた。
「神職の格好で、具体的にどんなの?」
「…それは、追々おいおい…」
「…明日までに服、間に合うの…?」
「なんとかなる」
ジトーっと見つめると、気まずそうに彼は視線を逸らした。
彼は普段から【何も変わらない日常】を好む。何も変わらない、とはそのままの意味で、起床時間から就寝時間まで毎日ほぼ一緒。一定のリズムで、変わらない毎日を、がポリシーらしい。…と、私が思ってしまうほど毎日変わらない日常を愛している。
私がこの世界に来たこと自体は毎日のリズムを変えてしまったと思うのだが、またそのリズムにも慣れて来たのだと思う。私も毎日いろんな場所に連れまわされるよりは、この世界にゆっくり馴染めるようゆったりとしたリズムで過ごせる今が好きだ。
それに、同じリズムで過ごせるからこそ、ルーノにはあまり気を使わなくて済む。それも私としては大きな利点だった。
だから、特別なイベントがあるなんて思ってなかったし、彼自体も話を聞いただけであればお城に行く予定ではなかったのだろう。それを私のためにお城に行くというのだから、私に合わせてくれようとしているのであって、彼が言わなかったことを責めるべきではないのだとわかる。
ただ、もっと早く言っていれば…とは少し思う。責めないが悩みは増えた。
「あ、じゃあ、洋服屋さん…あれ、でもそこに神職の格好とか売ってるのかな」
「なんとかするからルーナは何も考えなくていい」
「でも、私の服なんだよ?」
「昼から覚悟しておけば大丈夫」
「…覚悟…?」
彼の意味深な言葉に首を傾げながら冷めそうになっている朝食に手を伸ばした。あまり喋りすぎていると教会に行く時間が遅れてリズムが崩れる。それはルーノに悪いだろうし、私もこのリズムにやっと慣れて来たのだから崩したくはない。
「ねえ、ルーノ」
「ん?」
「今度から、話さなきゃいけないこと、話す時間を作らない?」
ちなみに現代日本ではほうれんそうね。ほうれんそう。
「…じゃあ、夜寝る前に聞くよ」
「約束ね」
笑った私にルーノもクスリと笑うと、私は仕事に行くために今度は喋らず黙々と朝食を食べた。

おもえば、この世界に来て彼とそれなりの日数を過ごしたと思うが、ちゃんと向き合っていろんな話をしたわけじゃない。過去のことを話すこともなかったし、これからはその日に起きたこと、言われたこと、感じたことを共有するだけでお互いに予定が組みやすかったり、お互いの気持ちがもっとわかりやすくなるんじゃないだろうか。

しかし、私はお互いの感情を察する…ということに関してはあまり必要としていないなと、自分で思ったくせに否定した。前髪で顔を隠した彼。口元が動かなければ表情は読み取れない。

だけど、彼の気持ちだけは、いつでも理解できているような気がしていたから。

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