桐島記憶堂

ぽた

24.”音”を”楽しむ”と書いて……

 鍵盤に指を添える時、決まって深い深呼吸をする。
 思い切り息を吸うと一瞬だけ心拍数が上がり、吐いていくと下がっていく。落ち着き、どこか頭も冴えた心地になって、その時に出来る最高のパフォーマンスへと持っていけるのだ。
 それは発表会でもコンクールでも練習でも、変わらず必ず行う、言わばルーチンワーク。ピアノというものに向かい合う上で、なくてはならない一部となっている。

 今日も今日とて、大きく息を吸って全身の血管に血が巡るのをイメージとして感じると、思い切り吐いて落ち着ける。
 そうしてようやくと指に意識を集中して、音を鳴らしていく。

 本日の題目は、ドリーの庭。

 十九世紀はフランスの作曲家、ガブリエル・ユルバン・フォーレによって作られた組曲”ドリー”の一曲で、妻の友人の娘エレーヌの、誕生日祝いに贈られた曲だ。
 組曲名”ドリー”とは、そのままエンマの愛称である。
 第三曲目として置かれている穏やかなこの曲は、エレーヌ三歳の誕生日を祝う為の曲で、自作のヴァイオリン・ソナタ第一番、最終楽章の主題が使われている。

 余談ではあるけれど、この妻の友人というのは、後のドビュッシー夫人であるエンマ・バルダックだ。
 類は友を呼ぶ――運命とは、似たような事象が連なるように出来ていることが多い。

 第一の場面転換に差し掛かると、メロディーラインは左手に移る。
 右手の音を慎重に、かといって左を大きくし過ぎないように気を付けるバランスが、弾き始めた当初はなかなか掴めなかったフレーズだ。
 練習の甲斐あって、今ではこうして平然と弾けるけれど、ひとたび意識を怠れば、それはただ鳴らしているだけの音の羅列になってしまう。
 初心忘るべからず。

 すぐにそこを抜けると、再びやってくる右手のメロディー。
 転換前にリタルダンドがかかるけれど、それに甘えて途切れてしまえば、これもまた残念なただの音。抑揚をつけ、且つとにかくも流れが途切れないようにするのがこの曲の弾き方だ。

 再びのリットを過ぎると、転換とともに短い転調。
 最後までゆったりと動くけれど、決して気は抜けない大人な曲。

 そうして最後の一音を優しく撫でるように押さえ――

 余韻を残したまま指を離し、少しだけ遅れてペダルを離す。

「……ふぅ」

 息を吐き、同時に強張った肩を降ろす。
 半年ものブランクがあると、気が付けば方が上がってしまっている。
 柔らかく弾きたいのにな。

 などと頭の中で反省しつつ深呼吸。

 再び鍵盤に乗せた指のセットポジションは、ドリー組曲の最終六曲目”スペインの踊り”。
 連弾に使われることが多い曲だけれど、これはその無茶な箇所を省きソロ用に書き下ろされた、変わった楽譜を使用したものだ。
 思えばピアノは、幼少の頃、親に連れられて観に行った大学生以上の大人ばかりが出場している発表会で、楽しそうに弾いている女性の姿に心を奪われ、自身でも弾いてみたいと願ったて練習に取り掛かったのが始まりだった。
 始まりは突然、不意に訪れるものだ。

 少しずつ音を変えて織りなす主題を、繰り返し繰り返し弾いている内に、心は穏やかに、楽しく、愉快なものになってくる。
 目を閉じれば真っ暗な視界の中で、フランス人が躍っている姿が浮かぶくらいだ。

 段々と気持ちが良くなってくる曲だけれど、しかし二分と尺は短く、気が付けば終盤。
 華やかに終わるクライマックスに向け、ただ気持ちを昂らせてゆき――



「はぁ、はぁ……」

 久方ぶりに激しい曲を弾き終えると、アドレナリンの分泌量が異常であることに気が付く。
 ここまで弾きたかったのか。ここまで音を欲していたのか。
 当たりになっていたあの頃から離れてみると、古いのに新しい感覚だ。

 もっと弾きたい。
 もっと音を楽しみたい。

 そう思う意思に反して、ノック、遅れて「失礼します」という言葉、そして扉が開かれ、

「お待たせしました」

 小さく頭を下げる桐島さんの登場によって、一人だけの演奏会は幕を閉じた。

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