桐島記憶堂

ぽた

17.とりあえず

 そんなこんな、ぐだぐだ悶々としている内に、桐島さんが帰ってきた。
 出迎えにと布団から出ると、相手にしてもらえなかった葵が代わりに膨れてダイブ。恋の予感です、と面白くもない冗談を漏らす桐島さんは放っておいて、僕はソファへと移った。
 すると、ベッドかその近くの椅子にでも腰掛けると思っていた桐島さんは、しかしそこを通り過ぎて僕の方へとやって来て、対面の椅子を引いて座った。

 手に握られていた袋に入っているのは持ち帰り用のジェラート。
 それを机の上に置いて蓋を取ると、真ん前にいる僕より早く香りに釣られた葵がベッドから出て来た。

「色々と問題は山積みですが、ひとまずは甘い物でも食べてリフレッシュいたしましょう」

「困るとそうなりますよね」

「誰が食いしん坊ですか、失礼ですよ神前さん」

「そう思わせるに足る功績が、ここ数日で……なんて言いませんよ」

「もう言ってます…!」

 ぷんすかと子どものような身振り手振りで抗議する桐島さん。
 いや、もう子どもだ。とても大人には見えない。

 そんな失礼なことを考える僕の横では葵が早くもジェラートの包みを開けて、既に一口二口食べた跡が見られた。
 桐島さんは笑って、釣られて僕も笑って、葵は真顔で首を傾げて。
 ただの何でもない空気感が可笑しくて、たった今まで抱えていた緊張感は和らいだ。

 食いしん坊というのなら、葵の方が似合うか。
 星屋でのこと然り、岸家でのこと然り、ここでも然り。
 普段はクールで大人しい葵も、美味しいものを食べている時だけは普通の女の子に戻る。食べ物の恨みは怖いと言うけれど、食べ物の持つ魔法も凄いな。
 食べている時に見せる幸せそうな微笑は、すっかり僕の脳裏に焼き付いてしまっていた。

 僕らも葵に倣ってジェラートを食べ始めると、そっちのも食べたい、こっちのもあげると交換が始まり、何とも居心地の悪い女の子特有の甘々空間が出来上がる。
 女の子――桐島さんって、本当にいくつなのだろうか。

「今、失礼なことを考えていましたね?」

 ふと、桐島さんが僕の頬をつついて言った。
 そうだ、この人には相手の気持ちが色で分かる目が――

「失礼かどうかは聞いて判断して貰えます?」

「あら。ではお聞きしましょうか。一体、何を考えていらしたのですか?」

「桐島さんって何歳なんだろうなーって」

「女の子に年を尋ねるのは失礼ではないのですか?」

「……すいません」

「ふふん、よろしい」

 楽しそうで何よりです。

 しかし、実際本当に幾つなのだろうか。
 僕でも知っている程に有名な作家で、経験や知識も豊富で、何よりこの余裕。
 数十は年上な気がしてならない。

 すると、ふと葵が僕のジェラートを横から掻っ攫っていく。
 気配を隠すことなく真正面から、底の方までざっくりと入れたスプーンで結構な量を――

「あ、こら葵、それ僕の――」

「シェア、しないの?」

 当然そうに首を傾げられても。

 リルと話し合って、改めて葵が好きなのだと気付いて。と、そんな胸中や知らぬ葵は、いつも通り接して来る。僕の方が一方的に、変に意識をしてしまっているのだとは分かっているのだけれど、今の僕にそういった類の行動を取られると――

「耳、真っ赤。そんなに怒ること?」

「ちがっ……恥ずかしいからそういうことはやめてって、前に言っただろう…!」

「前に? いつ?」

 冷静な葵にはすぐにぼろが出た。
 不意打ちでピザを貰われたことはあったけれど、あの時はただ取られたことに反論したのであって、こういったシチュエーションではなかった。
 確かに、言って無かった気がする。
 言ったような気もするけれど。

「恥ずかしいって、今更気にすること?」

「当たり前だろ。僕は十九で葵は十八、中身だってもう立派に大人だ。身内感覚でこうやって軽率にべたつかれると緊張してならない」

 本当に、今更だけれど。

「緊張ね。それって、まことがちょっとは私を女の子として見てるって思ってもいいの?」

「思ってないとは一言も言ってないけどね。まぁ、そういうことだよ」

 と話していると。
 口元に手をやって必死にひやつきを抑える桐島さんが気になった。

 そちらに目をやると「気にしないで続けてください」と。
 そんなことを言われて再開するメリットはない。デメリット百だ。
 僕は無理矢理「とにかく」と挟んで、

「ちょっとは控えてくれると助かる。女の子と付き合ったこととかないし、正直近付かれるだけでも心臓が五月蠅くなる。慣れるまでは、ほどほどにしてくれると――」

「もう何ヶ月も一緒にいるのに?」

「ずっとじゃないだろ、会わない時間の方が多い――って当然だけど」

「むむ…分かんないけど、分かった。善処する」

「そう言う政治家は大体検討すらしないけどってまあいいか。頼むよ」

 一段落。
 ついたのかは分からないけれど、ようやくとそこで会話が途切れると、再びジェラートをすくって口へと運び、少し弄んで喉に送る。
 味はまったくしなかった。

 そうして桐島さんの様子を伺うと、何か言いたげにこちらを見て――

「あぁもう、言いたいことがあるなら声にしてください…!」

「言ってもいいのですか?」

 唐突な悪戯顔。
 嫌な予感だけが渦巻いた。

「な、何をです…?」

「いえ。この数十分間、葵さんと話す神前さんからは、あり得ないくらいの”動揺”の色が見えてしまっているものですから。何か心境の変化でもあったのかな、と」

「い、意地悪です、横暴です…! 本人を前に言いますか…!」

「いいじゃないですか。気持ちとは、伝えてなんぼのものです。伝えすぎなんてことは無いのですよ?」

「そ、れは……」

 どうしてリルと似たようなことを言うのだろうか。
 まさかこの人も、キューピッド的な何かだとでも――っとそれは置いておいて。

 動揺、か。
 確かに、改めて顔を突き合わせた今、どう話をしたものかと少し悩む自分はいる。好きなのだと自覚してしまった相手を目の前に、言いながらも心臓が五月蠅くなっている自分が。
 言ってしまえば、通潤橋への道中に「好きよ」と言われたあの時から、意識しているといえばしてしまっている。不意打ちで且つ少し違ったニュアンスだとは言え、これだけ優しく、思いやりのある女の子に好きだと言われて、まさか嫌だなどと思う筈もない。
 動揺など、今更も今更か。

「神前さん」

 ふと、桐島さんが僕の名を呼ぶ。
 また何かよからぬことを――と思いそちらを見やると、しかし予想を裏切って、頬杖をついてうっとり顔の大人スタイル。

「何ですか?」

 聞くや、ふふっと少しだけ笑いを漏らして、

「とっても素敵な、ピンク色です」

 ピンク――恋の色だっけか。
 冗談を言っている時の顔でもないし、事実僕は今、それについて考えてるわけで――その識別を葵が知らないことだけが救いだった。とはいえ、桃色なんて大体は恋愛絡みの表現くらいにしか使われないから、気付きもするだろうが。

 葵はジェラートに目を落としたままで、こちらの様子はあまり窺っていない様子。
 興味を持たれないのも考え物ではあった。

 そして数分、僕らは無言でジェラートを頬張った。
 葵が自身のスプーンを刺した部分だけ何となく気になって後回しにして、結局最後に思い切って食べたのは変な感じだ。
 下手に意識をするなするなと考える程、意識は研ぎ澄まされてそちらにしか向かなくなってしまう。
 どうにか誤魔化すことも出来ず、体温と心拍は上がりっぱなしだった。

「さて。リルちゃんのことを考えなくてはいけませんね。色々と考えるところはありますが、何をどうするべきかは見えてきません」

「うん。お墓がないのは、変。本当は、もう別の所に移っちゃってるのかも」

「その線は捨てられませんね。そも実体ではないだけに、発言が全て正しいとは限りませんから」

 そう話す二人の会話に、一人正体を知っている僕は迂闊に発言出来ずにいた。
 しかしそれは返って不自然を容易に生み出し、すぐに「様子がおかしい」と葵から指摘される始末だ。

「何か、知ってる?」

 ド直球。
 口止めされているわけではないから話しても問題はないのだろうけど――どうしたものか。
 まあ、構わないか。リルが目を付けたのが僕であっても、彼女のことを一番最初に気に掛けたのは葵なのだ。
 桐島さんはさておいても、葵には話しておかなければならない。

「どう言ったものか。結論から言うと、彼女は大天使だそうです」

 という僕の発現に、二人は硬直――しなかった。

 それが残された選択肢だと分かっていたかのように「はぁ」と溜息を吐いて、

「最も可笑しい話だったけど、幽霊が頻繁に見られる此処においてはそんなこともあるかもねって、藍子さんと話してた」

「ええ。素敵や不思議が満載なこの都では、それくらいのことは、実は普通なんじゃないかと」

「そうだったんですか。なら話が早い。このまま続けても?」

 二人は無言で頷いた。 

 リルは”ジブリール”ではなく、読み方を変えた大天使”ガブリエル”であったこと。
 サンマルコ鐘楼にある彫像の入れ替わりに伴い、消えてしまうこと。
 墓石がないのはそのためで、元より生死の概念すら怪しい存在であるが故に出現も不安定であること。

 あまりに現実を離れた僕の話を、二人は黙って頷きながら聞いていた。
 話し終えるとまた溜息を吐いて、そういうことだったのかと納得し、であれば目的は何なのかと尋ねて来た。

 それだけはどうしても話せないというか、話してしまうと僕は葵に――

「すいません、それだけは。でもきっと、僕が何とかします。信じてください」

「……嘘の色はありませんね。では、神前さんに一任するとしましょう」

「藍子さん…!?」

 桐島さんのあまりの歯切れの良さに、葵はつい大きな声を出して驚いた。
 それもそのはず。リルをどうにかしようと考えていたのは葵で、暗示を残しながらも単独歩み出したのも葵で――それが急に、理由も告げられぬまま取って代わられたら抗議もしよう。

 しかしそこも、葵は中身は大人。
 一瞬、睨むようにして僕に強い視線を送ると、

「信じても、良い?」

 リルの目的が僕――いや、僕と葵に関することである以上、告げられない。告げるわけにはいかない。
 しかし、だからこそ、

「僕が何とかする。してみせる。だから、任せて欲しい」

 強く、覚悟を見せるしかなかった。

 それは同時に、葵への告白を決意したということに直結するのだけれど。
 構うものか、気持ちは正直だ。

 気持ちを伝える為に言葉がある。まったくその通りだ。
 正直な気持ちを伝えて、どこに損があろう。
 良くも悪くも、正直さは前へと進めてくれる。であれば僕は、今のこの気持ちを正面からぶつけて、玉砕するなら玉砕してやるさ。

 どうあれ気付いてしまっているのなら、伝えないわけにはいかない。
 ベクトルこそ違えど、葵の方はもうとっくに心を開いてくれてるのだ。
 男の僕がそれに応えないでどうする。

 そんな決意が、伝わったのか否か。
 きっとそのまま伝わってはいないのだろうが、葵は真剣な目をして、

「分かった。まことに、任せる」

「葵…」

 すると、葵は「ただし!」と置いて、

「終わったら、ちゃんと報告して。何があったのか、どうして解決できたのか、話して」

 終わる前に、それがどういう意味だったのかは開示されることだけれど。
 前後なんて関係ないか。

「分かってる、ちゃんと話す。納得いくように話す」

「――分かった」

 葵は得心がいくと「お手洗い」と言って席を立った。

 それと入れ替わるようにして、葵が扉を閉めるのを見届けた桐島さんが声を上げる。

「告白、するんですか?」

 ――まさか。

 まさか、流石にそこまで読めることはあるまい。
 いくら気持ちが色に見えようとも、心を読むような、僕の記憶を辿るような真似、出来る筈はない。

 だとすると――

「まったく質の悪い……最近、貴方が少し怖くもあります。悪趣味ですよ、嘘を吐いてまで覗き見なんて」

「たまたま、というのが本当です。本当に偶然、そこを通りかかって」

「嘘――ではなさそうだ。じゃあ、どうして声をかけなかったのです?」

「『葵に告白されたことがある』と聞こえたからです」

 なんとまあ、またタイミングの悪い。

「ユーモアの下で二人を弄ってはいましたが――まさか、本当にそんなことがあったなんて。驚きと同時に、葵さんを尊敬してしまいますね」

「それはどういう――」

 言いかけて、桐島さんが遮った。

 いつですか、どうやってですか、とは聞かないと。
 それはもう聞いているも同然なのだけれど。

 時間なんて分からない。タイミングだって、思いを告げる言葉だって、準備のしようがない。いや、準備をしてはいけないだろうというのが本音だ。
 前もっての挨拶のような気持ちなど、相手に届き得る筈もない。
 その時が来たら、その瞬間の本当の気持ちを伝えないと意味がない。
 今更これが変わろうこともないとは思うけれど、そうでないといけない。

「なるほどです。神前さん」

「はい?」

 桐島さんは少し溜めて、

「とっても素敵な、いい男の子ですね。きっと、葵さんも応えてくれることでしょう」

 慈しむように、優しく、温かく、全身に染み込むように柔らかな声で言った。

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