少しずつなら

　午後になり、工房にある父さんの研究室へ。
　実は秋の間、俺はここに入り浸っていた。

　職人奴隷の兄さんたちに手を振る。すると、彼らは遠くから身振りで「成功を祈る」と合図を送ってくれた。今回の件は彼らにもいろいろと手伝ってもらったんだ。
　いつものようにノックして、研究室に入る。

「来たか、リカルド」
「はい、父さん。いかがでした？」
「今朝、協会とも契約を交わし、無事に登録を終えた」
「ありがとうございます」

　俺はポケットから小瓶を1つ取り出した。黒い液体が瓶の中で揺れる。これを生み出すために、父さんにはいろいろと無理をお願いしたものだ。

「例の試作魔道具の準備はできている。しばらくしたら、母さんが二人を連れてくるだろう」

　父さんは腕を組み、目を瞑っている。俺は少し緊張しながらその時を待つ。

　秋のあの日からしばらく、家の書庫で自分の考えの裏付けを取った俺は、父さんと母さんに相談を持ちかけた。
　前の世界では、俺に血の繋がった兄姉という存在はいなかった。せっかく出来た本当の家族なのだ……出来れば幸せに生きてほしい。そう願っての相談だ。

『確かに、それが出来るなら……ミラを許してもいいわ。でも、本当にそんなことが可能なの？』
『……これまでになかった発想だな。もう少し考えてみなければなんとも言えんが、考える余地はある』
『グロンについては少し賭けね』
『可能な限りやってみよう、何もせんよりは良いだろう』

　俺は魔道具について学びながら、父さんの研究室で議論を続けた。父さん自身はこの件ばかりにかまけてはいられないけど、有能な職人奴隷を三名ほど選んでこの件に専属であたらせてくれた。

　秋の中旬に入る頃、俺の案は粗削りでも一応の形を見せた。そこからもう二名ほど奴隷を増やし、改善案を並列で試して精度を上げていった。そうやって改善を続け、実用に耐えるものができたのがつい先日。
　小瓶に入った黒い液体が、その成果だ。


「お呼びですか、父さん」

　グロン兄さん、ミラ姉さんが母さんに連れられて入ってくる。部屋にいる俺を見て、二人はなにやら首を傾げた。
　奥側の椅子に父さんと俺が座り、扉側の椅子に兄さんと姉さんから腰を下ろす。母さんは父さんの斜め後ろに立った。

「ミラ」
「はい……」

　ミラ姉さんは身を縮めている。
　最近の兄さんへの暴言。
　それを叱られる、と思っているようだ。

　父さんは何も言わない。
　そして薄く透ける紙を姉さんの前に置いた。

「これは……？」
「魔道具作りによく使われる、魔力を通さない特殊な紙だ。ミラは初めて見るか」
「はい」

　首を傾げる姉さんの前に、さらに本の1ページを開いて置く。俺は黒い液体の入った小瓶の蓋を開くと、羽ペンと一緒に姉さんの前に置いた。

「このページに描いてある魔法陣を、そのインクで、この紙の上に描いてみなさい。ゆっくりでいいが、間違えないように」

　姉さんは頷く。
　たどたどしい手つきで魔法陣を写し始める。

　これまでは、魔道具の教本すら見ることが許されていなかったんだ。心なしか表情がワクワクしているようだ。
　姉さんのこんな表情、久々に見たな。

「できました」
「うむ、問題ないだろう。この小魔石を、魔法陣の中心に置きなさい」
「……は、はい」

　姉さんの手が少し震えている。
　父さんから小さい魔石を受け取った。
　それを魔法陣の真ん中に置く。

　息を呑む。
　ビー玉程度の大きさの青い光が、魔法陣から浮かび上がる。
　姉さんは、目を真ん丸に見開いて固まった。

「魔導インク、という新しい道具だ。リカルドが発案し、私と共に作った。あまり多くの魔力は流せないが、手軽に魔法陣を試すことができる。そしてミラ、これはお前が初めて作った魔道具、ということになるな」

　ミラ姉さんは両手を口に当て、俺を見る。
　母さんが姉さんの横に近づく。

「花嫁修業は続けること」
「……はい」
「危ない魔法陣は描かないこと」
「はい」
「新しい魔法陣は、まず父さんに見てもらうこと」

　姉さんの目に、少しずつ涙が溜まっていく。そして、徐々に返事が鼻声になってゆく。

「従来の、手がゴツゴツになるような魔道具制作はしないこと」
「はい」
「本当に駄目よ？　お嫁に行けなくなるわよ」
「う、うん」

　従来の魔道具作りは、金属を溶かしたり叩いたりする鍛冶仕事に近いものだ。父さんや兄さんの手は、そのためゴツゴツしたものになっている。
　そして、これまでのネックはそこだったんだ。一般的なお嫁さんに求められるのは、何よりも柔らかい指や体。そういう価値観だからこそ、魔道具作りは男だけの仕事だと認識されていた。
　この魔導インクは、それを変えるものだ。

「約束を守れるのなら、魔道具作りを学ぶことを許します」
「はい」
「最後に。父さんと……リカルドに、感謝なさい」
「……りぃがぁるぅどぉぉぉぉ」

　ミラ姉さんが泣きながら抱きついてきた。服に鼻水がついてる。でも……この様子ならもう、あんな似合わない暗い顔をすることはなくなるだろう。頑張ったかいはあったかな。あ、父さんが「俺も頑張ったのに」って顔してる。
　前の世界では導電性インクやシール型素子は回路設計のプロトタイピングとしては一般的だったから、そこからの発想だった。まだ改良の余地はあるけど、形になって良かったな。これも、父さんのこれまでの積み重ねがあったからこそだ。


　しばらく待って姉さんが落ち着いた頃、父さんは兄さんの前に一枚の紙を置いた。それは、先程の薄紙に5つほどの魔法陣が描かれたものだった。

「グロン」
「……はい、父さん」
「指先に魔力を纏わせて、魔法陣に置いてみなさい」
「え？」

　兄さんは戸惑った顔をする。
　父さんに促されるまま、人差し指を出した。
　魔法陣の上に置く。

　リーン、という静かな音が、部屋に響いた。

「これは……？」

　兄さんは他の魔法陣にも指を置く。
　トン、という打音。
　ブィーン、という弦を弾く音。
　キーン、という金属音。

「これは、今研究中の試作魔道具だ」
「これが……？」

　グロン兄さんは父さんの顔を見つめる。

「魔道具とは、主に戦のための道具だ。軍事用品としての側面は今でもかなり大きい。そんな中で、最近は生活を便利にするための魔道具も徐々に増え始めている。サルトなんかはそちら専門に特化しつつあるな。だが……」

　父さんは兄さんを見てニヤッと笑う。

「芸術のための魔道具を作ったものは未だかつて存在しない。世界初の試みだ。お前にこの方面の研究を託してみたいのだが、その覚悟はあるか？」

　兄さんはハッとして、俺の顔を見た。
　憑き物が落ちたような、そんな目で。

「はい……その研究に全力を注ぐことを、誓います」

　グロン兄さんは父さんに対して深々と頭を下げた。
　ミラ姉さんは俺にまだ抱きついていたけれど、驚いたような顔で俺を見上げていた。
　母さんはホッとしたように、静かに微笑んだ。

　これでなんとか、我が家に平和が戻るといいな。ただ……ちょっとばかり、やり過ぎたかもしれないけど。

　もちろん、郷に入れば郷には従う。
　でも、手の届く範囲で、少しずつなら何かを変えていってもいいのかもしれない。

　そんなことを考えながら、俺はミラ姉さんの鼻水を布で拭いてあげた。