変わらないものはない

　サルト兄さんの結婚式が新居で行われた。
　二人とも純白の衣装を着飾り、神殿から出張してきた神官がこれからの人生について説法をする。兄さんが新婦を両手で抱きかかえ歩き、皆で色とりどりの花びらを空に投げる。新居の敷居を1歩またいだ。その瞬間を持って、正式に二人は夫婦になった。
　その後は新居の庭でパーティーが行われ、みんなで賑やかに二人を祝福した。

「綺麗だったなぁ」

　ミラ姉さんは数日経っても、時折結婚式を思い出しては顔を緩めていた。気持ちは分かる。

　俺にとっても衝撃的だった。
　前の世界での結婚は、中央行政システムに書類を提出するだけだったし、宴席もせいぜい身内で簡素な食事会をする程度だった。こんなに人を大勢集めて、新郎新婦が着飾り、皆で盛大に祝う式など初めての経験だ。

「リカルド、手が止まってるわよ」
「ごめん、つい……」

　姉さんにも手伝ってもらいながら、俺は手早く書類をまとめている。元弟子のヘゴラ兄さんが持ち去ったらしき資料の内容を、彼より先に魔道具協会に登録するためだ。

「あ……はぁ、この魔法陣は未完成だし、協会に公開するつもりなかったんだけど」
「諦めなさいよ。面倒なことは全部父さんが引き受けてくれてるんだから」

　ヘゴラ兄さんの処分は先送りにされた。
　何かの事件に巻き込まれただけの可能性もあるし、資料を持っていった証拠もない。

　ただ、仮に盗まれた資料が他人に登録された場合、下手をすると高額の使用料を払わなければその技術を利用できない。
　盗まれた魔法陣はそれ自体すぐに有用なものではないけれど、これから作りたい魔道具の基礎をなす重要なものだから……出来る限りリスクは排除しておきたかった。

　研究途中の半端な技術を公開するなど不本意なことだらけだけど、父さんが頑張ってくれてるからね。資料が出来たそばから協会に運び、面倒な手続きを行ってくれている。協会側も全面的に協力してくれているから、俺が不満を吐くわけにもいかないだろう。

「また父さんの功績が増えるのかしら」
「今回はすぐに直接役に立つ種類のものじゃないから、そこまで凄いことにはならないと思うけど」

　基本的に、資料は全て父さんの名義で登録している。4歳になったばかりの子供が考えたものだとは外の人は誰も信じないし、仮に信じる者がいたとすればそれはそれで危険だ。

　しばらくすると、ヘトヘトに疲れ切ったグロン兄さんが部屋に入ってくきた。

「兄さんお疲れ」
「あぁ、お前もな」

　最近の我が家には「弟子希望者」が多く押し寄せている。それが単純な希望者ならまだしも、この情勢だと他貴族の子飼いや他職人の弟子、はたまた他国の間者が紛れ込んでいる可能性も高く、現在は一律お断りをしている。
　きっぱりと「お断り」と言えるのは、立場上、長男にして跡継ぎのグロン兄さん以外にいなかった。

「魔導インクのせいで変に目立っちゃったな」
「仕方ないさ。俺もミラもお前には感謝してる」
「リカルドが魔道具職人を目指す以上、どうせ遅かれ早かれこうなってたわよ」

　俺たちは苦笑いを浮かべながら並んで座り、いつの間にか母さんが持ってきてくれていたお茶を飲む。まぁ、こういう時間を過ごせるようになっただけでも、今の苦労をしているかいはあったのかもしれない。


　数日後、ルーホ先生にも旅立ちの時が来た。
　ここ最近はいろいろとバタバタしていたこともあるけど、先生自身も帰郷のための旅準備を進めているようでなかなか時間が取れなかった。街歩きも、ルーホ先生とではなく警備奴隷の兄さんを連れて行くことが増えていた。

「久しいな、リカルド」
「ルーホ先生……」

　久しぶりにあった先生は、どこかスッキリした顔をしていた。キリッと整った服装はさすが竜族といったところだ。馴染みの商隊とともに行くらしい。竜族の国は、この国の北西方向にある山岳地帯にある。

　先生にはここ一年近く、ずっと色んなことを教えてもらってきた。この世界では人はそうそう住処を変えない。惑星間高速通信どころか、手紙以上の気軽な遠距離通信手段もない。もしかすると今生の別れかもしれないと思うと、込み上げるものがあった。

「先生、この一年ありがとうございました」
「うむ、出来のいい生徒で俺も楽しかったぞ」

　先生はしゃがみ込み、左手で俺の頭を撫でる。
　思えば多くのことを教えてもらったものだ。世界が違えば社会が違う。言語も常識も、文化も慣習も、物理法則すら同じではない中で、俺が自分らしく生きていくための基礎は先生に叩き込んでもらったのだ。感謝してもしたりない。

　俺は舌をこまかく動かし、息を細く吐きながらシーシーという音を出す。

『ありがとうございました』

　街で仲良くなったのワニ顔の警備兵に教わりながら、必死に練習した竜族語は伝わっただろうか。

「……お前、竜族にそれはやめろよ……」

　もしや、拙い竜族語は竜族の誇りを傷つけたのだろうか。
　そんなことを思っていると、先生は顔をそむけ、左手で目を押さえて肩を震わせた。

「あのなぁ……誇り高い竜族は人前では決して泣かんのだ。赤子でさえ我慢する。それをお前……このタイミングでこれは卑怯だろう」

　残った片手で俺の髪をグシャグシャに撫で回すと、先生はスッと立ち上がり背を向けた。もう、こちらを振り返ることはないのだろう。

「達者で暮らせ。いつか竜族の国にも来い」
「はい。またお会いしましょう、先生」

　変わらないものはない。
　弟子は独立し、先生は故郷に帰る。国は興っては滅び、平民が貴族になることすらある。いつか来る変化の時に後悔しないよう、そしていつか来る終わりの時に皆に感謝できるよう、自分に誇りを持って生きて行け。

　俺は先生の誇り高い背中を見ていた。
　見えなくなるまで、ずっと見続けていた。