未来人は魔法世界を楽しく魔改造する
駆け上がってしまえ
王都に着いた時には、神殿の旗の色は既に朱色だった。
4歳の夏。一年で最も暑い時期の引っ越しは、それはもう辛いものだった。
「私……もう二度と旅に出たりしないわ」
果実水を飲みながらリビングでヘタっているのはミラ姉さん。
普段は姉さんを厳しくしつける母さんも、今ばかりは一緒になってぐったりしているようだった。そういえば、母さんは最近体調が悪そうだけど、大丈夫だろうか。
家事奴隷のお婆さんもせわしなく二人の世話をしている。
本来であれば春のまだ涼しい時期に引っ越しをする予定だったんだ。
それが、王都での屋敷・奴隷の準備に追われ、魔道具職人協会の拠点移動手続きにも時間がかかり、なんやかんやと邪魔が入って春が過ぎてしまった。
暑い中を猪車に揺られ、本を読むような静けさもなく、毎晩ダニや羽虫と格闘した日々。10日ほどの旅だったが、前世・今世を含めても最悪の生活だった。
今思えば、先生が涼しい春に旅立ったのにはちゃんとした理由があったわけだ。
「ただいま」
「おかえり、グロン兄さん。どうだった?」
「どうもこうもない。最悪だ」
グロン兄さんの長い愚痴大会が始まった。
父さんは何も言わず部屋を出ていった。
聞けば、王都の職人街に用意してもらった工房は、建物自体が古くて今にも潰れそうな状態。その中に集められていた奴隷たちも、逃亡や反逆の前科を持つ者、四肢が欠損して職人としての働きが見込めない者たちなどが、ろくに食料も与えられない状態で押し込められている散々な状態なのだとか。
「一緒に行った貴族の豚がな」
「グロン……」
「すみません、失礼でしたね。豚に対して」
母さんがやんわり止めても兄さんの暴言はヒートアップするばかり。
よほど腹に据えかねたのだろう。ときおりテーブルをガンと叩きながら熱弁する。
「革新的な発明をした職人のようですからなぁ、この工房の建て直しもその技術でパパッと済ませられるんじゃありませんか、だとさ。うちは大工じゃなくて魔道具職人だ」
苛ついた様子で部屋を歩き回りながら、頭をかきむしる。あぁ、グロン兄さん煽り耐性ないしなぁ。
ミラ姉さんは「やめてよ暑苦しい……」とボヤいたあと、電池が切れたように動かなくなった。
「なかなか王都にいらっしゃらないので、少々奴隷の質が落ちてしまったようですな、だと。引っ越しが遅れたぐらいで奴隷の腕や足が欠損するかよ。だいたい、手続きが遅れたのだって絶対にあいつらの差し金だ」
「そのくらいにしておきなさい、グロン」
戻ってきた父さんは両手にコップを持っていて、片方を兄さんに渡す。兄さんを椅子に座らせると、静かに語りかけた。
「……元の工房でも魔道具の生産は続けているし、魔導インクの利益は入り続けている。この屋敷の維持費を入れてもまだまだ余裕はあるから、新しい工房はゆっくり立ち上げていけば良い」
そう言うと、父さんは手に持ったコップに口をつけ傾ける。そして、渋い表情を浮かべたまま、視線を窓の外へとやった。
その目は今ここではない、先にあるものを見据えているようだった。フッと小さく笑う。そして、家族の方を向いた。
「それにな、父さんは彼に言ったじゃないか。『あなた方にしていただいた事は決して忘れません』と。それがどういう意味かわかるか?」
父さんは兄さんに近づいて肩を叩くと、見上げた兄さんの瞳をまっすぐ見つめた。力強く頷く。
「見返してやれ、グロン。お前が成功すればするほど、我が家を冷遇したあいつらの立場は無くなる。奴らがぐうの音も出せないほどの高みへ駆け上がってしまえ。そのための武器は、ずっと学んできているだろう?」
父さんは襟に付いた魔銀のピンバッジ、魔道具職人の証であるそれを兄さんに指し示す。
グロン兄さんの目には先程とは違った炎が灯っている。置かれた状況を嘆いても仕方がない。今はとにかく前を向いて最善を尽くすしかないのだから。
兄さんはコクリと頷くと、父さんから受け取ったコップを一気に傾け飲み干すのだった。
『どうしよう母さん、ほんとどうしよう、貴族社会でやっていける自信が全く持って皆無だよぉ……』
その晩、母さんに泣きつく父さんの声を聞いた。
父さん、相変わらずだなぁ。
『ほら、落ち着いて。鼻水が出ていますよ』
『うぅ……はぁ、すまん母さん。でも三人ともいい子だもんなぁ。俺が守らなきゃなぁ』
『ふふ。そうですね』
情けない声色だけれど、いつだって父さんは家族を守るために頑張り続けている。逃げたり投げ出したりなんて発想は、欠片も持っていないみたいだ。
母さんもきっと、父さんのそんなところに惚れ込んでいるんだろう。優しい声色で父さんの背を撫でる音が聞こえてくる。
俺もできる範囲でいろいろ頑張ろう。
駆け上がってしまえ、か。
それも一つの解決方法なんだろうな。
『そういえば貴方様、もしかすると子供は三人ではなく四人かもしれませんわよ』
『……本当か。できたか』
『うふふ。最近の体調を思うと、おそらく──』
おっと、盗み聞きはここまでにしよう。俺は静かにその場を離れ、布団に入った。弟かな、妹かな。年下の兄弟が生まれるのって、どんな気持ちなんだろう。
さて、突然貴族になるということは、今までは知らなくて良かったことを早急に学ぶ必要があるということだ。
父さんは元から商売相手に貴族が多かったから、さほど問題はない。母さんなど生まれた家が貴族だから、息を吐くように貴族の作法を身に着けている。
問題は、兄さんと姉さん、そして俺だ。現在はマナー講師の監修のもと、広い庭に机、椅子、パラソルを並べて昼食を取っているところなのだが。
「グロン、もっとシャキッと背筋を伸ばしなさい。あぁ、ミラ、座るときは足を開かない。パンツが丸見えです。リカルド、それは女性の座り方です。男性が足を細く長く見せてどうするんです──」
母さんの振る舞いを参考にしてみたら叱られた。男女でいろいろ作法が違うらしいけど、どういう歴史でこんな振る舞いをすることになってるんだろうな……そこのところ、マナー講師のマリエールさんは教えてはくれない。
マリエールさんは母さんの同級生で、旦那さんは中級貴族ドルトン家の次男らしい。次男ということは、本家ではなく分家ということで、マリエールさんの旦那さん自身は下級貴族ということになる。ただ、同じ下級貴族でも成り上がりの我が家とは格が違うのだとか。
「ミラ、大口をあけてアクビをしない! リカルド、笑うときに手の甲で口元を隠すそれは女性の仕草です! というかどこで覚えたのですかそんなもの!」
「いや、母さんがよくやるから」
「メイラを参考にするのはやめなさい!」
ちなみに家名は平民の時はリバクラフを名乗っていたんだけど、正式に国から家名を賜り現在は「クロムリード家」となっている。この家名は100年ほど前に断絶した魔道具作りの名家のもので、我が家も母さんから血筋をたどると微かに親戚筋らしい、という根拠があってないような理由からつけられている。
だいたい、貴族の家は遡ればどこかで必ず親戚になっているものだ。
「そっか。母さんのマネっこをすればいいのね」
「ミラ! ほらまた大口をあけて──」
「ふふ、分かりましたわ」
「!? 突然優雅に……」
「うふふ、母さんマネマネ大作戦よ……ですわ」
「くっ……くだらないけどなかなか有効な手だわ」
ミラ姉さんは早くも何かを掴み始めていた。
要領がいいなぁ。
「わたくし、ミラ・クロムリードですわ」
「なんという、お嬢様感……!!!」
「おーっほっほっほっほ」
姉さんの向こうに、遠くからこちらへ歩いてくる母さんを見つけてしまった。マリエールさんとミラ姉さんは気づかずに芝居掛かった会話を続けている。けっこうお調子者だからなぁ、マリエールさん。
母さんは微笑みながら黒いオーラを発している。
「……あら、私ったら、そんな振る舞いをしていたかしら。ねぇ、マリエール。ミラ。ふふふ……」
楽しそうだった二人の顔が青くなる。
あぁ、この後が怖いなぁ。
そんな感じでなんだかんだと騒がしい日々を過ごしながら、4歳の夏が過ぎていくのだった。
4歳の夏。一年で最も暑い時期の引っ越しは、それはもう辛いものだった。
「私……もう二度と旅に出たりしないわ」
果実水を飲みながらリビングでヘタっているのはミラ姉さん。
普段は姉さんを厳しくしつける母さんも、今ばかりは一緒になってぐったりしているようだった。そういえば、母さんは最近体調が悪そうだけど、大丈夫だろうか。
家事奴隷のお婆さんもせわしなく二人の世話をしている。
本来であれば春のまだ涼しい時期に引っ越しをする予定だったんだ。
それが、王都での屋敷・奴隷の準備に追われ、魔道具職人協会の拠点移動手続きにも時間がかかり、なんやかんやと邪魔が入って春が過ぎてしまった。
暑い中を猪車に揺られ、本を読むような静けさもなく、毎晩ダニや羽虫と格闘した日々。10日ほどの旅だったが、前世・今世を含めても最悪の生活だった。
今思えば、先生が涼しい春に旅立ったのにはちゃんとした理由があったわけだ。
「ただいま」
「おかえり、グロン兄さん。どうだった?」
「どうもこうもない。最悪だ」
グロン兄さんの長い愚痴大会が始まった。
父さんは何も言わず部屋を出ていった。
聞けば、王都の職人街に用意してもらった工房は、建物自体が古くて今にも潰れそうな状態。その中に集められていた奴隷たちも、逃亡や反逆の前科を持つ者、四肢が欠損して職人としての働きが見込めない者たちなどが、ろくに食料も与えられない状態で押し込められている散々な状態なのだとか。
「一緒に行った貴族の豚がな」
「グロン……」
「すみません、失礼でしたね。豚に対して」
母さんがやんわり止めても兄さんの暴言はヒートアップするばかり。
よほど腹に据えかねたのだろう。ときおりテーブルをガンと叩きながら熱弁する。
「革新的な発明をした職人のようですからなぁ、この工房の建て直しもその技術でパパッと済ませられるんじゃありませんか、だとさ。うちは大工じゃなくて魔道具職人だ」
苛ついた様子で部屋を歩き回りながら、頭をかきむしる。あぁ、グロン兄さん煽り耐性ないしなぁ。
ミラ姉さんは「やめてよ暑苦しい……」とボヤいたあと、電池が切れたように動かなくなった。
「なかなか王都にいらっしゃらないので、少々奴隷の質が落ちてしまったようですな、だと。引っ越しが遅れたぐらいで奴隷の腕や足が欠損するかよ。だいたい、手続きが遅れたのだって絶対にあいつらの差し金だ」
「そのくらいにしておきなさい、グロン」
戻ってきた父さんは両手にコップを持っていて、片方を兄さんに渡す。兄さんを椅子に座らせると、静かに語りかけた。
「……元の工房でも魔道具の生産は続けているし、魔導インクの利益は入り続けている。この屋敷の維持費を入れてもまだまだ余裕はあるから、新しい工房はゆっくり立ち上げていけば良い」
そう言うと、父さんは手に持ったコップに口をつけ傾ける。そして、渋い表情を浮かべたまま、視線を窓の外へとやった。
その目は今ここではない、先にあるものを見据えているようだった。フッと小さく笑う。そして、家族の方を向いた。
「それにな、父さんは彼に言ったじゃないか。『あなた方にしていただいた事は決して忘れません』と。それがどういう意味かわかるか?」
父さんは兄さんに近づいて肩を叩くと、見上げた兄さんの瞳をまっすぐ見つめた。力強く頷く。
「見返してやれ、グロン。お前が成功すればするほど、我が家を冷遇したあいつらの立場は無くなる。奴らがぐうの音も出せないほどの高みへ駆け上がってしまえ。そのための武器は、ずっと学んできているだろう?」
父さんは襟に付いた魔銀のピンバッジ、魔道具職人の証であるそれを兄さんに指し示す。
グロン兄さんの目には先程とは違った炎が灯っている。置かれた状況を嘆いても仕方がない。今はとにかく前を向いて最善を尽くすしかないのだから。
兄さんはコクリと頷くと、父さんから受け取ったコップを一気に傾け飲み干すのだった。
『どうしよう母さん、ほんとどうしよう、貴族社会でやっていける自信が全く持って皆無だよぉ……』
その晩、母さんに泣きつく父さんの声を聞いた。
父さん、相変わらずだなぁ。
『ほら、落ち着いて。鼻水が出ていますよ』
『うぅ……はぁ、すまん母さん。でも三人ともいい子だもんなぁ。俺が守らなきゃなぁ』
『ふふ。そうですね』
情けない声色だけれど、いつだって父さんは家族を守るために頑張り続けている。逃げたり投げ出したりなんて発想は、欠片も持っていないみたいだ。
母さんもきっと、父さんのそんなところに惚れ込んでいるんだろう。優しい声色で父さんの背を撫でる音が聞こえてくる。
俺もできる範囲でいろいろ頑張ろう。
駆け上がってしまえ、か。
それも一つの解決方法なんだろうな。
『そういえば貴方様、もしかすると子供は三人ではなく四人かもしれませんわよ』
『……本当か。できたか』
『うふふ。最近の体調を思うと、おそらく──』
おっと、盗み聞きはここまでにしよう。俺は静かにその場を離れ、布団に入った。弟かな、妹かな。年下の兄弟が生まれるのって、どんな気持ちなんだろう。
さて、突然貴族になるということは、今までは知らなくて良かったことを早急に学ぶ必要があるということだ。
父さんは元から商売相手に貴族が多かったから、さほど問題はない。母さんなど生まれた家が貴族だから、息を吐くように貴族の作法を身に着けている。
問題は、兄さんと姉さん、そして俺だ。現在はマナー講師の監修のもと、広い庭に机、椅子、パラソルを並べて昼食を取っているところなのだが。
「グロン、もっとシャキッと背筋を伸ばしなさい。あぁ、ミラ、座るときは足を開かない。パンツが丸見えです。リカルド、それは女性の座り方です。男性が足を細く長く見せてどうするんです──」
母さんの振る舞いを参考にしてみたら叱られた。男女でいろいろ作法が違うらしいけど、どういう歴史でこんな振る舞いをすることになってるんだろうな……そこのところ、マナー講師のマリエールさんは教えてはくれない。
マリエールさんは母さんの同級生で、旦那さんは中級貴族ドルトン家の次男らしい。次男ということは、本家ではなく分家ということで、マリエールさんの旦那さん自身は下級貴族ということになる。ただ、同じ下級貴族でも成り上がりの我が家とは格が違うのだとか。
「ミラ、大口をあけてアクビをしない! リカルド、笑うときに手の甲で口元を隠すそれは女性の仕草です! というかどこで覚えたのですかそんなもの!」
「いや、母さんがよくやるから」
「メイラを参考にするのはやめなさい!」
ちなみに家名は平民の時はリバクラフを名乗っていたんだけど、正式に国から家名を賜り現在は「クロムリード家」となっている。この家名は100年ほど前に断絶した魔道具作りの名家のもので、我が家も母さんから血筋をたどると微かに親戚筋らしい、という根拠があってないような理由からつけられている。
だいたい、貴族の家は遡ればどこかで必ず親戚になっているものだ。
「そっか。母さんのマネっこをすればいいのね」
「ミラ! ほらまた大口をあけて──」
「ふふ、分かりましたわ」
「!? 突然優雅に……」
「うふふ、母さんマネマネ大作戦よ……ですわ」
「くっ……くだらないけどなかなか有効な手だわ」
ミラ姉さんは早くも何かを掴み始めていた。
要領がいいなぁ。
「わたくし、ミラ・クロムリードですわ」
「なんという、お嬢様感……!!!」
「おーっほっほっほっほ」
姉さんの向こうに、遠くからこちらへ歩いてくる母さんを見つけてしまった。マリエールさんとミラ姉さんは気づかずに芝居掛かった会話を続けている。けっこうお調子者だからなぁ、マリエールさん。
母さんは微笑みながら黒いオーラを発している。
「……あら、私ったら、そんな振る舞いをしていたかしら。ねぇ、マリエール。ミラ。ふふふ……」
楽しそうだった二人の顔が青くなる。
あぁ、この後が怖いなぁ。
そんな感じでなんだかんだと騒がしい日々を過ごしながら、4歳の夏が過ぎていくのだった。
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