表情が消えていた

　春の下旬。
　兄さんの成人式も二日後に控えていた。

　俺は一つの研究成果にたどり着いた。これはまだ小さいけれど、大きな一歩だ。つい口元が緩む。
　そんな俺の服を、レミリアがキュッと掴んだ。

「リカルド……うれしそう、だね」
「うん。ようやく一歩踏み出したんだ」

　俺は鼻歌交じりに彼女に説明する。

「最終的に欲しいものがあってね。それを作るために必要な道具の中の一つがけっこう複雑なんだけど、それを構成する部品の中の一部がやっとできたんだ！」
「欲しいものを、作る……道具の、部品の、一部？」
「そう！　欲しいものを作るために必要な道具を構成する部品の中の一部！　ここまで長かったよ」

　レミリアが困ったような顔をしている。
　ちょっと興奮しすぎたな。どうもテンションが上がると話しすぎてしまう。前世の癖は消えていないようだ。

　俺は一つの試作魔道具を取り出した。
　薄い箱型の魔道具で、液晶モニタやいくつかのボタンが付いている。箱は透明な素材で作ってあるから、内部の魔法陣は外からでも丸見えだ。
　ちなみに、魔法陣に使われている薄い色のインクは、姉さんと一緒に開発した非売品の改良型だ。

「いくつか思い違いをしていたようなんだ」

　俺は魔法陣を指差して説明する。
　これまで上手くいかなかった仮説。考えたこと、試したこと。そしてその結果。
　レミリアは真剣な眼差しで俺の説明を聞いた。

「ひとつの仮定を置いた。魔力は魔法陣を一方向に流れるんじゃないくて、ブルブルと振動している」
「……そうなんだ」
「検証は済んでない。けど、色々な疑問に答えが出せるし、実験すると上手くいくんだ」

　俺は魔道具に魔石をセットする。
　一部の魔法陣の色が変わった。

　新しいインクは、魔力が流れると色が変わる特殊な生体素材を利用している。姉さんがいろいろな素材を検証して組み合わせた結果生まれたものだ。

　緑色の発光素子が光った。
　想定どおり、魔導回路に規定の魔力が通っているみたいだ。あとは起動用魔法陣に触れるだけ。

　ちなみにこの新しいインクは、父さんによって世に出すことを禁じられてしまった。なんでも、各家のもつ秘伝の魔法陣がこのインクによって解析できてしまう可能性があるんだとか。
　父さんが試しに既製品をバラしてこのインクを塗ってみたところ、仕込まれたダミーの部分と魔法陣として機能する部分が綺麗に色分けされてしまったのだ。

　俺としては、技術なんてものは世に出して共有してこそ切磋琢磨できるものだと思うんだけど。どうもその考え方はこの世界には合わないらしい。
　自分だけ公開して相手にその気がないんじゃ、公開するだけ損になる。分からなくはないけれど、どうにもルーホ先生の顔が頭に浮かぶな。人族は持ちたがりだなぁ、なんて。

「細かいことは省くけど、この魔法陣群──魔導回路、とでも呼ぼうかな。魔導回路のこのあたりを通ると、震えてた魔力が『流れる』ようになるんだ」
「ふーん……」
「ほら、この部分で魔力の震え方を一方向に揃えたり、ここを通ると流れを滑らかにしたり出来るんだ。魔導整流回路って呼んでる」
「なんかすごい……複雑」
「これでもまだまだ粗いんだ。試作だしね。やっぱりちゃんと計測機器を整えて数値化しないと」

　前の世界では農家だったからね。電気・電子回路は一通り触っていたから、なんとかそれを魔道具に流用できないかって考えていたんだ。
　抵抗やコンデンサ、ダイオードなんかにあたる魔法陣は割と初期からぼんやり見えてたんだけど、なかなか上手くいかないうちに研究資料が盗難にあったり、散々だったんだ。

　レミリアは魔導回路を覗き込み首を傾げる。
　ちょっと興奮して話しすぎたよな……このあたりは前置きで、本当に説明したかったのはこっちの論理魔導回路なんだけど。まぁいいや、細かい説明はこのあたりにしておこう。

　俺は起動用魔法陣を指し示す。

「レミリア。ここに指を置いて、魔力を集中してみて」
「違う……」

　彼女は首を横に振った。

「魔力じゃなくて命力」

　レミリアの突然の言葉。
　俺は驚いて彼女の顔を見た。

「指に集中するのは、体内の命力。命力の動きによって、その周囲に集まって動くのが魔力。素人は混同しがちだけど……魔法使いの基礎知識」

　そう言うと、指先をトンと魔法陣の上に置いた。
　魔導回路が動作する。

　彼女の言葉が正しいのなら。
　指に込める力、魔石に貯まる力、それらは「命力」と呼ばれるもので、魔法陣に流れる魔力とは別のものなのか。だとすれば、いろいろな疑問に説明がつく気がする。

　確かに気になっていたんだ。
　魔石は魔法陣に直接触れていない。魔石から魔力が流れているというより、魔石は魔力を揺り動かしているだけ、と言われたほうが納得はできる。

　命力、か。

「ねぇ、リカルド……」
「ん？」
「この魔道具、なに？」

　彼女は起動したばかりの魔道具を見た。
　液晶素子には数字のゼロが表示されていて、ボタンには数字や演算記号などが刻印されている。

「これは、魔導式卓上計算機」
「計算機？」
「うん。今は四則演算だけだけど」

　世界が変わっても、進数表現が変わっても、数学の論理自体は変わらないからね。魔法陣をロジカルに組み上げれば、そりゃ卓上計算機も作れるってものだ。
　レミリアは数字や記号をポチポチ押しては目を丸くする。これまでこういった計算機魔道具は存在してなかったから新鮮なんだろう。

　ただ、この魔道具は一般公開できないかな。
　計算奴隷が大量に職を失って、我が家がすごく恨まれることになりそうだ。調整ごとに奔走する父さんのゲッソリした顔が浮かぶ。

　それにしても。

「レミリアは魔法使いだったんだね」

　俺がそう言うと、彼女は顔を曇らせる。何かまずいことでも言ってしまっただろうか。

「違うの……」
「ん？」
「知識が、あるだけ。魔法は使えない」

　ふーん、そっか。
　俺がひとり頷いていると、レミリアは少し探るような目で俺を見た。その態度が少し気にかかった。

「レミリアが嫌じゃなければでいいんだけど、俺に魔法の知識を教えてくれないかな」
「どうして？」
「魔道具作りに活かせるかもって」
「リカルドなら、教えてもいい……けど」
「けど？」
「……痛いよ？」
「で、できれば痛くない方法で」

　レミリアがクスリと笑う。
　最近は少しずつ自然な顔を見せるようになってきた。家事奴隷の女性たちからもいろいろと教わっているようだし、魔道具にも興味を持ち始めているみたいだ。
　魔法について教えてくれるようだから、魔道具については俺から教えてあげよう。

「リカルドって……ほんと、リカルド、だよね」
「何それ、よく分からないんだけど」

　彼女はなんだかご機嫌な様子だ。

　そういえば、俺はまだ見習いなんだよな。勝手に教えても……って今更か。思えば随分と自由にやらせてもらってるものだ。一応、父さんの許可は取ろう。
　レミリアの頭を軽く撫でると、彼女はフードの奥で小さく笑った。本当に、表情が豊かになってきた。良かったな。


　そんなことを思いながら家に帰る。
　リビングでは、兄さんから表情が消えていた。

　家事奴隷三人に囲まれ、何やらきらびやかな正装をあれでもないこれでもないと着せ替えさせられているようだ。
　リビングには簡易なベッドが置かれ、母さんはそこで生まれたばかりのフローラに乳をあげている。ミラ姉さんは横に座ってそれを見ながら、兄さんの衣装にあれこれ口出しをしていた。

　兄さんと目があった。
　俺は思わず目をそらした。

「先程の方がシックでいいんじゃ」
「えー、地味よ。兄さんの顔なら──」
「フォーマルな中に多少は遊びが──」
「これだと全体のラインが──」

　もう言いたい放題、着せたい放題。
　散乱している衣装の数を見ると、これは一時間や二時間じゃすまないはず……このままではグロン兄さんが機能停止してしまう。

「あの……少し休憩したらどうかな？」
「リカルド、おかえりなさい。あなたも明後日は正装ですからね、時間ができたらあなたの衣装も選ぶわよ」
「いや、主役の兄さんを差し置いてそんなわけには。ごゆっくり……」

　兄さんの恨みがましい視線が俺の心を射抜く。
　ごめん、これはもうなんか、俺の力では無理だ。兄さんの表情がズーンと沈む。本当にごめん。

　俺は巻き込まれないうちに簡単に夕食を取り、さっさと風呂に入って歯を磨いて寝た。明日のことは考えないようにしよう、と思った。