未来人は魔法世界を楽しく魔改造する

まさかミケ猫

実験を始めよう

 焼けるような日射しがジリジリと肌を焼く。
 5歳の夏。妹のフローラは首がすわりはじめ、俺があやすとキャッキャと声を上げるようになった。
 ミラ姉さんはのんびり椅子に座って俺を見ている。

「なんか手慣れてるわよね」
「え、そうかな」
「何人か隠し子でもいるんじゃないの」

 姉さんが変なことを口走る。
 まぁ、前の世界でも子育てをした経験はあるから、多少の慣れはあるんだろう。

 今俺たちがいるのは、貴族街ではなく職人街。平民時代のように、工房の母屋で生活をしていた。
 防犯上の理由で一箇所に固まって生活したほうが守りやすいという判断からだ。

 外から大声が聞こえる。

「おーい、リー坊、例のヤツ試作してみたんだ。ちょっと来て確認してくれ」
「あ、ウーガ兄さん。すぐ行くよ」

 春の終わりに、弟子の多くが王都に越してきた。本格的に王都の工房が立ち上がったからだ。
 昔住んでいた西の大工業都市の工房は現在協会に管理を委託している。弟子ではない職人や奴隷は向こうに残っているから、業務の方は特に問題はなかった。


 母屋を出て、工房に向かって歩く。
 門や庭では、ドルトン家から紹介された警備兵が業務にあたっていた。ワニ顔、ニワトリ顔、ヘビ顔、カメ顔の4名。みんな実直な竜族戦士だ。
 彼らは業務中、極力無言を貫いている。目立たず、護衛対象の邪魔をせず、それでいて危険からは守る。それが彼らの誇りらしい。
 非常に真面目に日々の任務にあたってくれている。

 菜園のそばではレミリアと母さんを見かけた。最近二人は菜園や調理場でよく一緒に過ごしているようだ。

「あ……リカルド」
「レミリア。母さんと散歩してるの?」
「うん……」

 レミリアと母さんはすっかり仲良しだ。
 小さな花をつんでは柔らかく微笑んでいる。

 母さんとミラ姉さんは、工房で暮らし始めるその日に彼女と初対面だった。レミリアが貴族街に来ることも、母さんたちが職人街に来ることもなかったからだ。
 顔合わせの時には、レミリアは少し気まずそうな顔をしていた。

『フードを取ってもいい?』
『……は、はい』
『これは……ひどい火傷ね。誰にやられたの?』
『……姉さんと兄さんと、お母様』
『そう……』

 母さんはレミリアをそっと抱きしめた。そして、もう大丈夫よ、とだけ言った。
 レミリアは母さんの胸に顔を埋めた。

 彼女は自分の出自を明かした。
 東のドラグル地方の中級貴族、ジルフロスト家。魔法貴族として知られる名家だ。
 ポツリポツリと、母さんの膝の上でそんな話をした。


 二人に手を振り工房棟へ向かう。
 この建物には、父さん、兄さん、俺の研究部屋がある。他にも個室はあるが、今は誰も使っていない。弟子の兄さんたちは大部屋の研究室で検討や試作を行い、職人奴隷たちは大工房で販売品の製造を行っている。

 工房の入り口に差し掛かると、ちょうど父さんと兄さんが出てくるところだった。
 兄さんはとても生き生きしていた。

「グロン兄さん、どこにいくの?」
「これからお茶してくるんだ」

 ずいぶん嬉しそうだ。
 俺は兄さんの顔を覗き込む。

「愛しのマールから手紙が届いたんだ。新しい夏のオルゴール、喜んでくれて、話したいって」

 弾んだ声でそう話す兄さん。
 一方、隣の父さんはなんだか項垂れている。

「父さんは、どこにいくの?」
「これからお茶してくるんだ」

 ずいぶん疲れてるみたいだ。
 父さんはジト目で俺を見る。

「お前が作った耐水不燃紙の製法と新規格の件で、製紙職人協会から手紙が届いたんだ。利権の相談をしたいんだと」

 あ、ごめん父さん。
 でも、既存の紙は水や火に弱くて長期の保存には向かないものだったし、縦横比は1:√2になってないと何かと使いづらい。
 魔道具としての紙生成機は一般公開を踏みとどまったから、なんとなるかなって。

 対照的な二人だけど、見送った背中はずいぶんと似てきたなと思う。

 オルゴールは甲殻族のアドバイザーを入れて量産品を作っていて、貴族の奥様・お嬢様方によく売れているらしい。
 ただ、兄さんが自分の手で作る一点もののオルゴールは全てドルトン家のマールディアさんに贈っている。


 二人を見送ったあと、俺は弟子の兄さんたちの集まる研究室に来ていた。
 魔法陣の研究はかなり進んでいるけれど、試作品を作るとなると技術が足りない。やはりそこは、時間をかけて修行をしているみんなの方が圧倒的に上手いし早い。

「来たな、リー坊」
「ありがとう。例のやつ試作できたって?」
「あぁ。ただ、言われたとおり作りはしたが、どんな魔道具なのか想像もつかねぇんだ。こんなに複雑なのに、ダミーの魔法陣も一切含まれてないんだろう? なんなんだよ、これ」
「んー、そうだなぁ……」

 机上では上手くいく計算だし、魔導ペンで作った実験品も想定どおりの挙動をしている。だけど、やはりちゃんと魔銀を溶かして作った魔道具を動かすとなると、違った緊張感がある。
 俺はいろいろと素材を準備しながら、弟子の兄さんたちに話をする。

「一般に、同じ本を二冊作るにはどうする?」
「そりゃあ、筆記奴隷を雇うだろうけど……」
「例えばだけど、筆記奴隷より速く、正確に、疲れずに、模写してくれる道具があったら」
「……ま、まさか」

 魔法陣のチェックをしながら考える。
 この世界には印刷機の歴史がまだない。奴隷がいるのが普通だから、マンパワーをかければ解決するような作業に対してあまり抵抗感がないんだ。100ページの本を一冊書き写すのであれば、10人の奴隷に10ページずつ書き写させるのが普通の考え方だ。

 郷に入ったら郷に従え。
 でも、俺の今後にとって、これは確実に必要になる技術だ。少し技術史を進めてしまうかもしれないが、ここを避けては通れないだろう。

 さて、実験を始めようか。

「まず、この枠に紙を置きます」

 俺は本をバラした1ページを置く。
 弟子たちは興味深げに見ている。

「で、この魔法陣を起動すると、紙の表面の模様をスキャンします。今は分解能も荒いし、白黒でしかデータ化できないけどね」

 魔法陣に指を置く。
 紙の表面を光が走査する。

 まぁこれは、決められたマス目が白か黒かを判断してデータ化するだけなんだけどね。マスが細かいほどデータは綺麗に読み込めるけど、データ量も跳ね上がるから今回はソコソコにしておいた。
 上手く行っていれば、データが中央のメモリキューブに読み込まれているはずだ。弟子の兄さんたちはやたらポカーンとしてる。

 兄さんたち、忙しい中で超特急で試作してくれたからな。少し寝不足なのかもしれない。

「本当はこのメモリキューブの中身を覗けるインタフェースがほしいところだけど、それは後回しにするとして」

 俺は何も書いていない紙をもう一つの枠に置く。
 弟子の兄さんたちがゴクリと唾を飲んで見守る。

「この魔法陣を起動するとデータが……あぁ、失敗した!」

 ここまで上手く行ってたのに、凡ミスだ。
 これは完全に俺のせいだ。

「左右反転してプリントしちゃったよ……。やっちゃったなぁ」

 出来上がった紙をピラッと持ち上げる。
 目の前には、本のページの内容が逆さまに印刷された紙があった。スキャンする時か、プリントする時か、どっちかに反転処理を入れなきゃいけないかも。あとで原因は追ってみよう。

 顔を上げると、弟子の兄さんたちが大口を開けて固まっている。
 あれ、このくらいの技術だったら、作っちゃっても問題ないかなって思ってたんだけど。
 もしかして、けっこうやっちゃったのだろうか。

「リー坊……とりあえず、師匠が帰ったら緊急会議だ」

 やっぱりダメだったか、うーん。
 最近ちょっとさじ加減が分からなくなってきた気がする。

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