気まずくて言えない

　夏の上旬のある日。
　妹のフローラはちょこちょこと歩きまわるようになり、いろいろなものを口に入れては舐め回している。
　俺が作ったクマのぬいぐるみ、グロン兄さんの作ったミニ魔導太鼓などの玩具も、フローラのよだれでベトベトだ。リビングからは危険なものが撤去され、完全にフローラのための部屋と化していた。

「りーにぃ！」

　フローラが抱きついてきた。
　俺は満たされた。
　そうか、この子が天使か。

　レミリアとミラ姉さんは、俺たちの様子を見ながら顔を寄せ合っていた。

「……リカルド、デレデレだね」
「自分が赤ちゃんの頃は可愛げがなかったのにね」
「……リカルドって……昔からリカルドだったの？」
「あぁ、生まれた時からリカルドだったわよ」

　失敬な、俺も赤ん坊の頃は……あ、弟子の兄さんたちに混ざって魔道具論議してたか。可愛げはなかったかも。
　フローラはクマの耳をガシッと掴んで引きずり回しながら、部屋の隅にちょこちょこと歩いていった。

　コテンと首を傾げる。
　不器用にしゃがみこむ。
　そして何かを拾い上げた。

「むちー！　にぃ、むちー！」

　そう言いながら嬉しそうに見せてきたのは、最近王都で話題になっているあの新種の虫だ。フローラはそれを片手で豪快に握りしめる。

「むち……？」

　見つめる。
　そしてパカッと口を開ける。

「フローラやめろーーーーっ！」

　全員がフローラに駆け寄る。
　が、世界は無情だ。
　虫はその可愛いお口に吸い込まれていった。


　母さんはすぐさまフローラを逆さまにし、口に指を突っ込む。虫が床に転がった。
　フローラはひとしきり大泣きした後、母さんの腕の中でそのままお昼寝タイムに突入したようだ。

　みんながホッと胸を撫で下ろす。
　そんな中、兄さんは吐き出された虫を手に取り、何やら難しい顔をして俺たちに告げた。

「ミラ、リカルド、レミリア。相談がある」


　俺の研究室に四人で座る。
　ゴチャゴチャとモノが溢れていたこの部屋も、レミリアの片付けの結果すっかり綺麗に整えられていた。俺としては以前の状態でも何がどこにあるのか把握しているつもりだったんだけど、整頓したら忘れてたあれこれが書類の下から見つかった。
　レミリアのジト目に冷や汗をかいたものだ。

「警戒を強めるべきかもしれない」

　兄さんが話し始めた。
　警戒、というと、例の北の貴族のことかな。何か新しい動きでもあったのだろうか。

「父さんとドルトン殿が話していた。どうも最近北がきな臭いらしい。西のタイゲル家も情報を集めているそうなんだが……なんでも、北で剣闘奴隷の数が急増、武器商人も北に集まっているんだとか」

　ふむ。確か北の方では周辺部族との小競り合いが長らく続いてはいるようだけど、まだ大きな戦争をしかけるような話にはなっていないはずだ。確かに気にはなるな。

「あわせて、数は目立たないが国中で失踪する職人が出てきている。特に、武器職人や魔道具職人なんかがな」
「それってヘゴラ兄さんの件も……」
「おそらくな」

　戦時に必要になる職人たちか。こうして全体を眺めると、弟子のヘゴラ兄さんの失踪も一連の状況の一部なのかもしれない。即断は危険だが、怪しいのに変わりはないな。

「それから、王都で見かかるようになった虫なんだが、気になることがある」

　そう言うと、兄さんは虫の腹を素手で裂いた。そして中に入っている石を取り出す──それは、魔道具職人にとっては見慣れたもの。

「この通り魔石が入っている。つまり魔物だ。個人的に気になって調べたんだが、この虫は魔物なのに他の生き物を襲ったりしていない。その上、この虫からは何かの魔力波が出ているようなんだ。そこで、レミリアに聞きたい。魔法使いの使い魔にこういうタイプのものは……レミリア？」

　兄さんがレミリアにそう話しかける。
　レミリアは俺のことをジト目で見ている。
　俺は額に変な汗をかいた。

　だって知らなかったんだ。
　数年前に新種の虫が疫病を運んできて大流行したから、みんな見慣れない虫には敏感になっているだなんて。
　思わなかったんだ、王都中で話題になるなんて。

　だって、こんな空気じゃ気まずくて……。
　言えないじゃないか。

「……それ、リカルドが作った……人工魔虫」

　三人の視線が痛い。
　俺は部屋の片隅を見た。
　考えごとの神像。
　台座の文字には、そもそも、と書いてある。

「そもそも、別に害がある虫じゃ──」
「リカルド、正座」

　ミラ姉さんの非情な一言。
　俺は大人しく床に座った。



　魔導書グリモワールを起動した。
　モニタ、キーボード、カメラアイ、マイクスピーカー、それから魔法陣ボードを接続する。兄さんが興味深げに装置を覗き込む。
　俺は説明を続けていく。

「レミリアから召喚魔法陣について聞いたんだ」
「あぁ、別世界から生き物を召喚してきて使役するっていう。確か魔石の他に生贄も必要だって聞いたけど」
「うん。それ多分、解釈を間違えてるんだ」
「なに？」

　俺はキーボードをカタカタ打ち、魔法陣テスターアプリを立ち上げる。一つの魔法陣を選択し、実行ボタンを押す。魔法陣ボードの蓋を開ける。そこには、選択した魔法陣が浮かび上がっていた。
　前に姉さんに開発を依頼した、乾きにくい魔導インク。それを密封し、任意の魔法陣の形を取れるように作ったのがこの装置だ。

　俺は魔法陣ボードの上に、土や葉といった適当なものを乗せる。さらには真ん中に小魔石を置くと、魔法陣が起動した。それらは魔法陣の中央に集まると、虫の形をとる。
　それを見た兄さんが驚いたように声を上げた。

「こ、この虫は……」
「うん。この魔法陣は他の世界から何かを呼び寄せているわけじゃない。この場で与えられた材料から、指定された物体を構築しているだけなんだ」

　レミリアには陣型召喚魔法の魔法陣を大量に紙に描いてもらった。それを魔導書グリモワールに取り込んで解析したんだ。もちろん全ては分かっていないし、制約も多い。それでも、虫に似せたモノ程度なら生み出せるまでになっていた。

「それで、どうしてコレを王都にバラまいてたのよ」
「待ってて。これから説明するから」

　急かす姉さんを一旦抑え、キーボードを叩く。
　会話アプリが起動する。
　マイクスピーカーから無機質な声が響いた。

『お呼びですか、マスター』
「やぁ、アルファ」

　三人は驚いたように目を見開いた。
　ちゃんと会話が成り立つようになったのはつい最近。
　みんなに見せるのはこれが初めてだ。

「三人に君のことを紹介しようと思ってね。さぁ、自己紹介をしてみてごらん」
『わかりました……はじめまして。私はアルファ。魔導書グリモワールに内蔵されたニューラルコアによって思考する、魔導人工知能です。マスターはリカルド・クロムリード』
「おぉ、本当に言葉が上手くなったね」
『よかった。ありがとうございます』

　俺はみんなにも会話を促すが、みんなは躊躇してなかなか話しかけない。変なとこ怖がりだよな。


　しばらく待って、先陣を切ったのはミラ姉さんだ。

「……あなたは、その、何ができるの？」
『はい。大量のデータから任意の法則を見つけ出し、パターン化するのが得意です』
「へぇ、じゃあさ。例えば、任意の試薬を組み合わせたらどんなモノが出来上がるか、とか考えられる？」
『試薬をどのようにデータ化するかが課題です。が、そういう種類のものは得意な分野かと』

　姉さんはうんうんと頷き、ニヤリと笑う。
　あぁ、多分このあと姉さんの分の魔導書グリモワールをねだられるんだろうな。

　次に兄さんがアルファに問いかけていた。

「君はどうやって言語を学習してるんだ？」
『はい。虫を使って映像と音声のデータを大量に入手しています。それを解析してパターン化しました。やっと最近マスターの言うことが分かるようになりました』
「あぁ、なるほどな……それでか」

　兄さんは少し疲れたように座った。
　虫から出る魔力波の解析にだいぶ労力を使ってたみたいだし……もうちょっと早く打ち明けておけばよかったか。

　最後に、レミリアが聞いた。

「あなたは……生きているの？」
『……』

　その問いに、アルファはしばらく沈黙する。
　そりゃ難問だ。
　前の世界でだって、結局結論は出ていないのだから。
　しばらくして、アルファが答える。

『……血肉はない、自分では動けない、作られた存在です。でも思考や会話はできる。あなたは私が生きていると思いますか？』
「……私は、あなたは生きている、と信じたい」
『それはなぜですか？』

　レミリアは魔導書グリモワールを見る。
　少し考え込んだ表情。
　そして、穏やかに口角を持ち上げた。

「だって……なんかリカルドに雰囲気似てるんだもん」

　親子か、気の合う友達か何かみたい。
　そう言って、彼女はクスクスと笑うのだった。