本日は性転ナリ。

漆湯講義

After Story…My Dearest.28

そして私は、先生のその言葉を聞いてフッと鼻で笑うと目を伏せたまま「そういう事なら別にいいです…検査しても」と小さな声で言ったのだった。
多分、"私の為だ"なんて綺麗事を言われていればそんな気にはならなかった。私の為で無く、誰かの為になるなら…私は素直にそう思った。


…私は、"検査の日は病院の都合もあるからまたすぐに連絡する"と言う先生に"別に私は急いでないので"と素っ気ない返事をすると、少し寂しげな茜色の空の下、また一段と冷えた気のする秋風に吹かれ病院を後にした。
そして家に着き玄関のドアを開けると、暗い廊下を進み階段をゆっくりと上がった。赤と黒のコントラストに染まる自分の部屋のドアを開け、そのままベッドへと真っ直ぐに向かうと、根を失った木のように"ばたん"とうつ伏せに倒れこんだ。
ベッドの軋む音が鳴り止むと、すぐにまた静寂が私を包む。
これは錯覚かも知れないけど、静か過ぎる室内に"きーん"と超音波のような音が微かに聞こえる…
そしてその音と重なるように、遠くで救急車のサイレンが聞こえてだんだんと消えていく。
私は、誰も居ない世界に私はたった一人残されている…違うな。人の溢れる世界で私はたった一人誰にも見つけられない場所に迷い込んでしまった、そんな感覚に包まれた。
すると、窓の外から聞こえた"お婆ちゃんこんばんは"と言う透き通った声に私は顔を上げた。
間も無く玄関のドアが開く音がした。

『衣瑠ーッ、入るねぇー』

莉結の声が下から響いて、私は"びゅん"と身体を起こした。
階段を上る足音が近づいてくる…
そしてドアの前で止まった足音と同時に『ねぇ…入ってもいい?』と少し不安げな声が小さく響いたのだった。
私の返答を待つ莉結の顔が頭に浮かんでくる。そして暫く続いた静寂の中『開け…るよ?』と小さな小さな声がした。

「待ってッ!!」

少し動いたドアノブが"カチャン"と戻る。
と、ドアが少し軋んで"ごん"という小さな音が濃紺に染まり始めた室内に響いた。


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