本日は性転ナリ。

漆湯講義

186.お別れ

静まり返った稚華さんのアパートに小さな棺が置かれた。

みんなで囲った小さなテーブルもレイちゃんが畳んでそのままになっている布団も、今ではセピア色に染まっている。

コンセントから伸びた充電器のコードや玄関に綺麗に揃えられたレイちゃんの靴も、"あの日"から時間が止まってそのままの形を残す。

私たちは憔悴しきった稚華さんの肩を抱き寄せ棺の前に座り込んだままずっと棺の中のレイちゃんを見つめていた。

『嶺…なんであんな事したんだろ…』

無音の世界に小さな声が響いた。

「きっとみんなに自分の最期を見せたくなかったんだよ、きっと。」

あの朝、先生が駆け込んで来た理由。それは心電図の電源が抜け、ナースステーションに警報音が鳴り響いたからだそうだ。

もちろん故意で無ければプラグが抜けるようにはなっていない。"恐らく心停止の際のブザー音が鳴らないよう、自分で抜いたのだろう"というのが先生の見解だ。

何故レイちゃんがそんな事をしたかは本人で無ければ分からない。
だけど…なんとなくわかる気がした。

誰よりも稚華さんが大好きなレイちゃんが、自分の死ぬところを稚華さんに見せる訳がない。そう思った。

空に広がる海に太陽がポツリと輝く夏の陽気の中、参列者が私たちだけで執り行われた葬儀も終わりレイちゃんとのお別れの時がやってきた。

大きな鉄の扉の前、鈍く輝く鉄の台の上に置かれた棺の中で静かに微笑むレイちゃんの周りには満開の桜が敷き詰められた。

「稚華さん、その…ベアちゃんはいいの?」

稚華さんの手にはレイちゃんが大事にしていたあのクマのぬいぐるみが握られたままだった。

『嶺…怒るかな。』

ぎゅっと胸に抱かれたベイちゃんが俯く。

「怒るかもね。"姉ちゃんのバカッ!!"って…」

稚華さんはベイちゃんと向かい合うと『嶺と一緒に居たい?』と問いかける。

『そっか、そうだよね。小さい頃からずっと一緒だったもんね。』

稚華さんはそう言うとベイちゃんをそっと棺の横へ置いた。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品