3次元嫌い・隠れヲタの俺の家に歌姫が転がり込んで来た件
8 対峙
8月に入ってすぐ、大学は夏季休業が始まった。
俺はと言えば、大学が無ければ暇なのでバイト漬けになる。必然的に、同じくバイト漬けの土岐みくるとは、嫌でも四六時中顔を合わせなければならない。
俺たちは、あのキスの一件以来、まともに口をきいていない。
土岐みくるの方は、いつもの調子で話しかけてくるが、俺が無視している。さすがにバイト中は完全無視と言う訳にはいかないが、必要最低限以上は喋らないようにしていた。
考えても土岐みくるが本当に俺をすきなのか答えは出ないし、もしあれが告白だったとして、俺は自分がどう感じていて、どうしたいのかも分からなかった。
土岐みくるに認められるような男になれたと喜ぶべきなのだろうか、それとも、結局学歴で判断する女だったのかと悲しむべきなのだろうか。こんなクソビッチ信じられないから付き合いたいとは思わないが、だからと言って、こっぴどくフッて嗜虐心を満たしたいとも思わない。土岐みくるは俺にフラれなくても、十分傷ついているように見えた。
「おつかれさまでしたー☆」
土岐みくるは元気よく挨拶をして、バックルームから出て行った。
今日は、珍しく、土岐みくるのシフトはランチだけで、賄いを食べた後は休みなのだ。家でゆっくり風呂に入るといちいち俺に宣言して来たのを、俺は今朝無視したばかりだった。
思わずため息がこぼれた。
「優助くん。大丈夫ですか? なんだか最近、元気ないですよ?」
傍で休憩していた早希さんが、心配そうに俺をのぞきこむ。
「そんなことないですよ、心配ありがとうございます」
俺は、早希さんを安心させるように微笑んだ。
「なにかあったんですか? みくるちゃんと」
「え!?」
「だって、優助くん、みくるちゃんと目を合わせようとしないですもん。誰が見たって、なにかあったなってわかりますよ」
早希さんは、困ったように笑った。
「私でよければ、話聞きますよ。聞くだけしかできないですが」
「早希さん……」
確かに、こういうことは女性に相談した方がいいのかもしれない。正直、俺にはお手上げだった。それに、自分1人で抱えているのは辛かった。こんなことを相談できるのも、早希さんくらいしかいない。
ディナーの準備が始まるまでには、まだ少し時間もあることもあり、さらに偶然店長たちは出かけていて二人きりなのもあり、俺は、早希さんにあっさり胸のうちを洗いざらい全部吐き出すことにした。
「……ということがあって、正直、あのクソビッチがなに考えてるのか分かりません。俺、どうしたらいいと思いますか?」
中2の時の二股騒動から、直近のキスの一件まですべて話して早希さんをうかがうと、早希さんは苦しそうな表情で俺を見つめ返した。
「優助くんは、優しいね」
「そんなことないですよ。あの女に優しくしても、俺になんの得もないですし」
「でも、みくるちゃんのこと気遣ってあげて、こんなに悩んでる。優しいですよ。私だったら、自分のこと二股してフッたような人のこと、一生懸命考えてあげたりできないです」
早希さんは、苦笑すると、言葉を続けた。
「みくるちゃんは、ずるいです。優助くんみたいな優しい男の子にそんなことしたら、みくるちゃんのこと考えちゃうって、きっと本能でわかってるんだと思う。私、あの子嫌いです。でも、男の子は皆、ああいう女の子がすきなんだと思います。可愛くて、自分の可愛さをわかってて、ちょっと優しくしてもらうためだけに試して、惑わして、無責任に放置して次へ次へって飛び回るような、奔放な小悪魔みたいな女の子」
「そんな女、嫌いです。面倒くさい」
俺が即座に否定すると、早希さんはくすり、と笑った。
「うん。優助くんは、そういう女の子が苦手かもしれない、って思ってた。だから、優助くんいいなって、私も思ったんです。オーナーや店長やシェフみたいに、女の子にデレデレしないところが、いいなって」
心なしか、俺を見る早希さんの瞳が潤んでいるような気がした。頬も紅潮している。
「やめて下さい。優助くん。みくるちゃんのことばっかり考えるの。私も、ううん。私の方が、すき。ずっと前から、優助くんのこと。すきです。どうすれば、私のこと考えてくれるか、私、知ってます――」
言うなり、早希さんは、俺の唇を奪った。
「早希さ――!」
俺は呆気にとられていて、避けられなかった。早希さんの柔らかい唇が、俺の唇に押し当てられている。牽制するように肩に触れると、その肩は震えていた。精一杯、勇気を振り絞ったというのが伝わって来る。
その刹那、ガタ、と音がしてバックルームの扉が開いた。
「わーん。帽子忘れちゃっ……た……」
呆然と扉の前で立ち尽くす土岐みくる。
見られた。
早希さんとキスしているところを。
動揺を隠せない俺は言葉を継げないでいると、早希さんも土岐みくるに気がついて振り返った。土岐みくると、早希さんが、互いに見つめ合う。なぜか、いつもと違って雰囲気に迫力がある。二人とも、俺と直近にキスをしている女だと言うことは、もしかしてこれが噂の修羅場なんじゃないか、と呆けた頭で俺が認識した時には、土岐みくるは口を開いていた。
「あははは。二人ってそういう関係だったんだ☆ 気付かなかったなー! もう、ゆう君ったら水臭いなぁ! 言ってくれればよかったのに」
「付き合ってないです。私と優助くんは、付き合ってない。私の片思いです」
土岐みくるは、どうやら俺に話しかけたらしいが、返事を返したのは早希さんだった。
「な、なーんだ。びっくりしたなー。ゆう君の唇って可愛いから、早希さんもムラっとしちゃったの!? やだなー。ゆう君モテモテなんだから」
土岐みくるは、あくまでも笑ってやり過ごそうとするが、対する早希さんは、氷点下の冷たい視線を土岐みくるに向けていた。
「そういう、軽く扱うの、やめて下さい。私はみくるちゃんと違って、これがファーストキスです」
ええ!? 早希さん、ファーストキスだったのか!?
「そ、そうなんだー。へー」
土岐みくるはどう反応していいのやら困っているようだ。
早希さんのターンは続く。
「優助くん、みくるちゃんのことで困ってる。悩んでる。とっても迷惑してます。だって、みくるちゃんは、昔優助くんに酷いことしたのに、いまもからかって。優助くんが優しいからってそれに甘えて、つけこんで。ずるいです。酷いです。もう、優助くんをわずらわせるの、やめてあげてください。お金も、一月分貯まったことだし、オーナーに保証人になってもらえば、マンションだって借りられるでしょう? もういい加減、優助くんを解放してあげてください!」
しゃべっているうちに感情が高ぶったのか、早希さんは半泣きになりながら、土岐みくるにそう叫んだ。
温和で優しい早希さんが、ここまで人に抗議するところ、俺は初めて見た。それだけ俺のことを真剣に考えてくれているということだろうか。
対する土岐みくるも、早希さんにここまで言われると思っていなかったようで、驚愕の表情で固まっていた。
「そっか。そうだよね――」
土岐みくるは、俯くと、ため息をついて、そして、顔を上げた。笑顔だった。
「ごめんね」
土岐みくるは、それだけ言うと、取りに来た帽子も忘れて、踵を返してしまった。
俺は、それを黙って見送った。
なんて声をかけて良いかわからなかったし、早希さんがみくるに言ってくれたことは、皆本当のことだったから。
しかし、それ以来、土岐みくるは俺の前から姿を消した。
俺のマンションの部屋から、土岐みくるの私物の一切が消えていた。服や化粧品などはもちろん、やつが買い込んでいたおやつのチョコレートまで、土岐みくるが俺の部屋にいたという一切の痕跡を残さずに消え失せた。
俺はと言えば、大学が無ければ暇なのでバイト漬けになる。必然的に、同じくバイト漬けの土岐みくるとは、嫌でも四六時中顔を合わせなければならない。
俺たちは、あのキスの一件以来、まともに口をきいていない。
土岐みくるの方は、いつもの調子で話しかけてくるが、俺が無視している。さすがにバイト中は完全無視と言う訳にはいかないが、必要最低限以上は喋らないようにしていた。
考えても土岐みくるが本当に俺をすきなのか答えは出ないし、もしあれが告白だったとして、俺は自分がどう感じていて、どうしたいのかも分からなかった。
土岐みくるに認められるような男になれたと喜ぶべきなのだろうか、それとも、結局学歴で判断する女だったのかと悲しむべきなのだろうか。こんなクソビッチ信じられないから付き合いたいとは思わないが、だからと言って、こっぴどくフッて嗜虐心を満たしたいとも思わない。土岐みくるは俺にフラれなくても、十分傷ついているように見えた。
「おつかれさまでしたー☆」
土岐みくるは元気よく挨拶をして、バックルームから出て行った。
今日は、珍しく、土岐みくるのシフトはランチだけで、賄いを食べた後は休みなのだ。家でゆっくり風呂に入るといちいち俺に宣言して来たのを、俺は今朝無視したばかりだった。
思わずため息がこぼれた。
「優助くん。大丈夫ですか? なんだか最近、元気ないですよ?」
傍で休憩していた早希さんが、心配そうに俺をのぞきこむ。
「そんなことないですよ、心配ありがとうございます」
俺は、早希さんを安心させるように微笑んだ。
「なにかあったんですか? みくるちゃんと」
「え!?」
「だって、優助くん、みくるちゃんと目を合わせようとしないですもん。誰が見たって、なにかあったなってわかりますよ」
早希さんは、困ったように笑った。
「私でよければ、話聞きますよ。聞くだけしかできないですが」
「早希さん……」
確かに、こういうことは女性に相談した方がいいのかもしれない。正直、俺にはお手上げだった。それに、自分1人で抱えているのは辛かった。こんなことを相談できるのも、早希さんくらいしかいない。
ディナーの準備が始まるまでには、まだ少し時間もあることもあり、さらに偶然店長たちは出かけていて二人きりなのもあり、俺は、早希さんにあっさり胸のうちを洗いざらい全部吐き出すことにした。
「……ということがあって、正直、あのクソビッチがなに考えてるのか分かりません。俺、どうしたらいいと思いますか?」
中2の時の二股騒動から、直近のキスの一件まですべて話して早希さんをうかがうと、早希さんは苦しそうな表情で俺を見つめ返した。
「優助くんは、優しいね」
「そんなことないですよ。あの女に優しくしても、俺になんの得もないですし」
「でも、みくるちゃんのこと気遣ってあげて、こんなに悩んでる。優しいですよ。私だったら、自分のこと二股してフッたような人のこと、一生懸命考えてあげたりできないです」
早希さんは、苦笑すると、言葉を続けた。
「みくるちゃんは、ずるいです。優助くんみたいな優しい男の子にそんなことしたら、みくるちゃんのこと考えちゃうって、きっと本能でわかってるんだと思う。私、あの子嫌いです。でも、男の子は皆、ああいう女の子がすきなんだと思います。可愛くて、自分の可愛さをわかってて、ちょっと優しくしてもらうためだけに試して、惑わして、無責任に放置して次へ次へって飛び回るような、奔放な小悪魔みたいな女の子」
「そんな女、嫌いです。面倒くさい」
俺が即座に否定すると、早希さんはくすり、と笑った。
「うん。優助くんは、そういう女の子が苦手かもしれない、って思ってた。だから、優助くんいいなって、私も思ったんです。オーナーや店長やシェフみたいに、女の子にデレデレしないところが、いいなって」
心なしか、俺を見る早希さんの瞳が潤んでいるような気がした。頬も紅潮している。
「やめて下さい。優助くん。みくるちゃんのことばっかり考えるの。私も、ううん。私の方が、すき。ずっと前から、優助くんのこと。すきです。どうすれば、私のこと考えてくれるか、私、知ってます――」
言うなり、早希さんは、俺の唇を奪った。
「早希さ――!」
俺は呆気にとられていて、避けられなかった。早希さんの柔らかい唇が、俺の唇に押し当てられている。牽制するように肩に触れると、その肩は震えていた。精一杯、勇気を振り絞ったというのが伝わって来る。
その刹那、ガタ、と音がしてバックルームの扉が開いた。
「わーん。帽子忘れちゃっ……た……」
呆然と扉の前で立ち尽くす土岐みくる。
見られた。
早希さんとキスしているところを。
動揺を隠せない俺は言葉を継げないでいると、早希さんも土岐みくるに気がついて振り返った。土岐みくると、早希さんが、互いに見つめ合う。なぜか、いつもと違って雰囲気に迫力がある。二人とも、俺と直近にキスをしている女だと言うことは、もしかしてこれが噂の修羅場なんじゃないか、と呆けた頭で俺が認識した時には、土岐みくるは口を開いていた。
「あははは。二人ってそういう関係だったんだ☆ 気付かなかったなー! もう、ゆう君ったら水臭いなぁ! 言ってくれればよかったのに」
「付き合ってないです。私と優助くんは、付き合ってない。私の片思いです」
土岐みくるは、どうやら俺に話しかけたらしいが、返事を返したのは早希さんだった。
「な、なーんだ。びっくりしたなー。ゆう君の唇って可愛いから、早希さんもムラっとしちゃったの!? やだなー。ゆう君モテモテなんだから」
土岐みくるは、あくまでも笑ってやり過ごそうとするが、対する早希さんは、氷点下の冷たい視線を土岐みくるに向けていた。
「そういう、軽く扱うの、やめて下さい。私はみくるちゃんと違って、これがファーストキスです」
ええ!? 早希さん、ファーストキスだったのか!?
「そ、そうなんだー。へー」
土岐みくるはどう反応していいのやら困っているようだ。
早希さんのターンは続く。
「優助くん、みくるちゃんのことで困ってる。悩んでる。とっても迷惑してます。だって、みくるちゃんは、昔優助くんに酷いことしたのに、いまもからかって。優助くんが優しいからってそれに甘えて、つけこんで。ずるいです。酷いです。もう、優助くんをわずらわせるの、やめてあげてください。お金も、一月分貯まったことだし、オーナーに保証人になってもらえば、マンションだって借りられるでしょう? もういい加減、優助くんを解放してあげてください!」
しゃべっているうちに感情が高ぶったのか、早希さんは半泣きになりながら、土岐みくるにそう叫んだ。
温和で優しい早希さんが、ここまで人に抗議するところ、俺は初めて見た。それだけ俺のことを真剣に考えてくれているということだろうか。
対する土岐みくるも、早希さんにここまで言われると思っていなかったようで、驚愕の表情で固まっていた。
「そっか。そうだよね――」
土岐みくるは、俯くと、ため息をついて、そして、顔を上げた。笑顔だった。
「ごめんね」
土岐みくるは、それだけ言うと、取りに来た帽子も忘れて、踵を返してしまった。
俺は、それを黙って見送った。
なんて声をかけて良いかわからなかったし、早希さんがみくるに言ってくれたことは、皆本当のことだったから。
しかし、それ以来、土岐みくるは俺の前から姿を消した。
俺のマンションの部屋から、土岐みくるの私物の一切が消えていた。服や化粧品などはもちろん、やつが買い込んでいたおやつのチョコレートまで、土岐みくるが俺の部屋にいたという一切の痕跡を残さずに消え失せた。
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