転生少女は王子様をハッピーエンドに導きたい

久里

後日談① 砂糖よりも甘い悩みの種*前編


まずい。
これは、非常に非常に困ったことになってしまいました。


どうにかして、この由々しすぎる問題に立ち向かわなければならないことは、私にも重々わかっているのです。


そう、なのですが………………でも、でも、でもっ!!


私が他の誰よりも敬愛していたあのお方と奇跡的に想いを結び合ったのは、つい昨日の夜こと。


一日の仕事を終えて、後はすやすやと眠りにつくだけの状態になった私は、布団をかぶりながら、新たに浮上してしまったこの非常に悩ましい難題に頭を抱えておりました。



昨夜、シャルロ様に背中を押していただいた私は、前世から積み重ねた果てのない恋情をエルシオ様に告げました。


あの時の私は、玉砕することは百も承知で、それでも本当の自分と向き合うために勇気を振り絞ったのです。


しかし、全く想定していなかったことに、エルシオ様も私のことを想っていてくださったという物語よりも物語じみている信じられない事実が判明しました。


名残惜しくもエルシオ様と別れて自室に戻った後も、なんだかずうっと夢を見ているような、ふわふわした心地がしておりました。


あまりにも幸福かつ私にとって都合が良すぎる事態が起こってしまった為、どうにもいまいち現実味を感じられず、朝起きた際には昨夜の出来事はもしかすると全て夢だったのではなかろうかと疑ってしまった程でしたが、今日の朝、あれはどうやら紛れもない現実だったらしいということを死ぬ程思い知らされました。


朝、私は仕事に行く前に談話室に立ち寄ったのです。そこで、夢見心地のとろけた脳を醒ますためにも、珈琲を淹れる準備をしていた時のこと。


突然背後から温かい感触に襲われて、私の心臓は急速に竦みあがりました。


『っ!?』


突然の予測不可能すぎる事態に驚きすぎて絶句していると、彼は片方の腕で私を抱きすくめながら、もう片方の手で大事なものを愛おしむようにやさしく私の頭を撫でたのでした。


『おはよう、ネリ。朝からお前に会うことができて、幸せだ』


艶やかかつ色気のありすぎる声にはそれだけで充分すぎるほどの威力があるというのに、言葉の内容までいつになく甘い。それを惜しげもなく耳元で囁かれた私は、彼からもたらされる温かい感触と爽やかな香りもあいまって、ほとんど意識を手放す寸前でした。


エルシオ様が、いつの間か私の背後に…………!?!


これは、昨夜の奇跡に近しい出来事によって、扉を開く音どころか忍び寄ってくる足音にすら気づけなくなるレベルにまで脳機能が低下してしまったということなのでしょうか。怖すぎる。


突然抱きしめられたことによるショックがあまりにも大きすぎて、ついどうでも良いことを考えてしまった。


エ、エエト……。


緊張とドキドキのあまり、ロボットになってしまったみたいに全く身体が動かない。それに反比例するように心臓だけが尋常じゃない猛スピードで忙しなく働き、私の体温は発火しそうなほどに急上昇していくのでした。


私をこのような呼吸困難状態に貶めた最大の元凶である彼は、『そんなことは私の知ったことではない』といわんばかりに相変わらず私を抱きしめていて、微塵も離れていく気配が感じられない。


ド、ドドドドドドドドド……ドウ、シヨウ………………。


『珈琲を淹れていたのか?』


心臓が高鳴りすぎて胸が苦しいくらいだけれども、他でもないエルシオ様の質問にお応えしないわけにはいかない。震える唇をどうにか全力で動かして、息も絶え絶えに私は言葉を絞り出したのでした。


『あっ……エ、エエエエエルシ、オ様には……こ、こここうちゃを、淹れた、ほうが、よろ、しい……ですよね?』
『馬鹿にするな。私も、珈琲くらい飲めるぞ』
『そ、そうですか……。時にエルシオ、様………そろそろ、お湯が、沸いたみたいなので、う、うううう腕を、離してはいただけませんか?』
『……ふむ。まぁ、仕方あるまい』


エルシオ様はわかりやすく声を曇らせたものの、やっとのことでしぶしぶと私を解放して、テーブルの方へ戻られたのでした。


それでもおさまらない心臓の動悸をなんとかして抑えながら、私はどうやっても震えてしまう手でなんとか二人分の珈琲を淹れました。


落ち着け、私。
さっきはとんでもない不意打ちをくらったから動揺して危うく昇天しかけたけれども、今までのことを振り返って考えれば存外普通にお話できていたのだ。絶対に叶うことのないはずだった片想いが突然両想いに昇格したからといって、そう気構える過ぎることはない。


今まで通り、今まで通り……。
大丈夫、私はやればできる子です。


鎮まらない鼓動を落ち着かせるために一度深呼吸をしてから、珈琲を載せたトレイを持ち、意気込んで彼の腰かけているテーブルの下へ向かいました。


長い脚を組んでテーブルの前の椅子に腰かけたエルシオ様は、私を待つ間、携えてきたらしい本に目を落とされていました。


カーテンの隙間からこぼれる朝日にさらされた彼のご尊顔が麗しいのはこの世の真理そのものみたいなところがあるので、もはや言うまでもないことなのだけれども。


それを差し引いてもなんだかいつにも増して……格好良いというか、色気がある気がしてならない。


本日のエルシオ様は白いワイシャツに、漆黒のスリムパンツをお召しになられていました。


彼にしては珍しくラフな格好をされていたのに驚いたのも束の間、そのワイシャツからちらりと覗いている鎖骨から滲み出すぎている色香に、先ほどまでの固い決意は一瞬にしてボロボロと崩れ去るのでした。あまりにも砂上の楼閣すぎました。


象牙の透き通るように白い肌と、太陽の光を編んで紡いだ金色の髪は、朝の陽ざしを受けて輝いているようにも見える。伏せられた切れ長の瞳から伸びた睫毛は芸術的に美しい弧を描いていて、引き結ばれた唇の瑞々しさはなんだかおぞましいほどに艶やかだ。


いつもよりも質素な格好をされているはずなのに、なぜだか王子様性と男性の醸し出す特有の色気に更なる磨きがかかっているのですが……!


さっき後ろから抱きしめられたのは、不幸中の幸いだったのかもしれません。彼の神々しすぎるお姿を超絶至近距離で目にすることは避けられたからです。そう思ってしまうくらいに目の前のエルシオ様がなんだかいつにも増してきらきらオーラとフェロモンを垂れ流しているように感じられて、目のやり場にすら困ってしまう……。


私はガチガチに緊張しながらエルシオ様の目の前の椅子に腰かけて、彼の前にそっと珈琲を置きました。


彼は読みかけの本をテーブルの脇に置くと、「ありがとう」とそっと呟いてから、やや逡巡した後に目の前に置かれた珈琲カップを手に取られました。
彼が珈琲を飲み下す時、曲線美のイデアですと言わんばかりの喉仏がゆるやかに上下して、その破壊力たるや凄まじいものがありました。だらだらと冷や汗を垂れ流しながら、必死に目をそらしたほどでした。


どうしてだろう。
なんだか……今日のエルシオ様は、異様なまでに妖艶だ。
こんなの、直視していられない。まともに見ていたら、心臓が壊れてしまう。


『……普段ならば、あえて口にすることはない飲み物だが不思議なものだな。ネリが淹れてくれたものだと思うと、そう苦くないように感じる』
『そ、それは………こう、えいです』


他でもない彼の尊いお言葉すらもまともに耳に入らないほどに胸が苦しくなり始めていた私は、エルシオ様から全力で目をそむけるようにして自分の珈琲を凝視しながら手に取りました。舌に染みわたる苦い味をかみしめ、震える手でカップをテーブルの上に置きなおしました。


行き場を失った視線をとりあえずテーブルに落としたその時、視界の端に映るエルシオ様が不思議そうに首をかしげたのでした。


『ネリ。先程から疑問に思っていたのだが、どうして私の顔を見ようとしない』
『えっ! そ、そそそそそそれは……あっ! わ、わたし、そろそろ仕事に向かわなくてはっ! し、ししししし、失礼いたしますっ』
『!?』


それは貴方という存在があまりにも私の心臓を圧迫しすぎるからです!!


熟れた林檎よりも顔を真っ赤にした私は脳内で絶叫しながら、呆然とするエルシオ様を取り残して談話室を脱走したのでした。


それからというものの……仕事に手をつけても、からっきし仕事になりませんでした。


何をしていても、朝に彼に抱きすくめられた際の幸せそのもののような温かい感触と柑橘類系の爽やかな香りが不意によみがえってきてしまって、そのたびに脳が甘い毒に侵されたようになって痺れる。この症状は言うまでもなく尋常でないレベルで仕事にも差し障りました。酷いうっかりミスを繰り返してばかりで、そのたびに自分の脳みそのとろけ具合に絶望し、死にたくなりました。



どうにかしてほとんど仕事とは呼べないそれに似た作業のようなものを一応終えて、布団にくるまった今。

私の頭を非常に悩ませている、新たに浮上した悩みとは他でもありません。


それは、昨夜に彼と奇跡的に想いを結び合ってからというものの、今までの私が、どのようにしてエルシオ様というあまりにも麗しすぎる存在とまともに会話を交わしていたのかがすっかりわからなくなってしまったということでした。

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