転生少女は王子様をハッピーエンドに導きたい

久里

第12話 穢れ



エルシオ様は、それまでの私の不安で心細かった気持ちを魔法でも使ったみたいに吹き飛ばし、代わりに致死量の幸福を与えることによって私を死に至らせようとしていました。


私がゆでだこの如く顔を真っ赤にして、全く持って何が起きたのかを理解しかねながら、目と鼻の先にあるエルシオ様のお顔に見入っていたら、彼がいつになく強い声音で私を叱るように言いました。


「こんな所で何をしている!」


有無を言わさない、強い口調に心臓がどきりとしてしまいます。


口調は強いけれども、相変わらずエルシオ様は私を強く抱きしめている。
このお方は私の心臓を破裂させたいのだろうか。


とろとろに溶かされていく脳みそをなんとかフル稼働させて、何かしらの返事を紡ぎだすのに必死でした。


うまく回らない舌をなんとか動かして、息も絶え絶えに答えを返しました。


「え、えっと……裏の森に、行く用事がありまして……」
「こんな遅い時間に、よりにもよって一人で? どういうことだ、説明しろ」


責め立てるような、きつい口調。


燃える紅蓮の瞳が訝しむように細まり、私だけを真っ直ぐ見つめている。その滑らかなお肌には一筋の汗がつたり、黄金の髪の何本かがぴたりと吸い付いています。私はこんな非常時なのにそれを見つめて、綺麗だな、とぼんやり思うのです。


頭がぼうっとしてきて、熱に浮かされたようになってきました。
目まで潤んできた。
あぁ。私は、やっぱりこのお方にだけは、死んでも嘘なんてつけない。


「ティア様を、探していました」
「…………噂の女薬草師か。とすると、あの者を探すために、お前が危険な目に遭ったということか」

切れ長の瞳にスッと差す翳り。


…………ん?


もはやアイスクリームのように溶けきった脳みそでも、話の雲行きが怪しいことだけは分かります。彼の中でのティア様の好感度が下がった音が聞こえた気がして、心臓がひやりとしました。慌てて抗議します。


「ティ、ティア様は一ミリたりとも悪くないのですよ! 私が間抜けだったばかりに、迷子になってしまっただけでして、そのっ……」

林檎よりも真っ赤な顔をした私が、バタバタと手を振って大慌てで抗議したところ――


「ネリは昔から、向う見ずな所がある。その上、そそっかしい」
「うぐっ…………仰る通りでございます……」
「全く……これ以上、私を心配させてくれるな。これだからお前からは…………目が、離せない」


――光が差し込んだように、途端に柔らかくほどけていく表情。

うわああああああ眩しすぎる……!
いつも冴え冴えとした無表情を浮かべているだけに、破壊力があり過ぎます。ぼうっと吸い込まれるように見入っていたら、片腕をほどいたエルシオ様が信じられないことに、突然私の頭を撫でました。


ちょっ!?!?!!


エルシオ様からしたら、ペットを慈しむようなお気持ちで気軽になされていることなのだとは分かっている。分かっているけれども心臓に悪すぎる!


この新手の幸福な拷問は、私を殺す気だろうか?


「あ、あの……助けて下さって、本当にありがとうございました。ただ、その、そろそろ、腕を離してはもらえませんか?」


これ以上抱きしめ続けられていたら、私の心臓がいよいよ破裂してしまいそうなので、名残惜しいながらも、生命の存続の為に自らそのように申し立てました。


私の蚊の鳴くような声でエルシオ様は我に返ったように、ようやく私を幸福刑から解放してくださいました。彼が名残惜しそうに私を見つめている気がするのは、おそらく私が彼を敬愛しすぎるあまり生み出してしまった幻覚なのです。


エルシオ様は私から少し距離を取ると、痛みを押し込めたような顔で、薄く自嘲気味に笑いました。


「…………すまない。長いこと、この穢れた身体で、お前に触れてしまった」


微笑んでいるのに泣いているようにも見えるお顔。


彼は、十年前のあの日から自分という存在自体を許せていない。


その憂いに沈んだお顔を見つめていたら私の方が悲しくなってきて、気づけば一筋の涙が頬を伝っていました。


エルシオ様が、驚きに目をみはりました。


「何故、泣くのだ」
「エルシオ様の代わりに、泣くのです」


私には、このお方の抱える深い痛みの為に、それくらいのことしかできないから。


そう思ったら、次から次へと涙があふれて、ぼろぼろとこぼれ落ちました。



目の前のこのお方は、十年前のあの日からずっと、思い出すだけで身の切り刻まれるような凄惨な過去に囚われている。


一人の人間が背負うには重すぎる、途方もなく惨い、緋色の過去に。


今から、十年前のことです。


エルシオ様と王妃様は、隣国のシネカ王国に赴いていました。


その当時、ラフネカース王国とシネカ王国は昔から良好な関係を築いておりました。二つの国が友好条約を結んでから、ちょうど五十年が経とうとしていました。


シネカ国王は、五十年続いた二国の友好を盛大に祝したい、とラフネカース王家を祝祭に招きました。


政務に追われてお忙しかった国王様は赴くことができず、まだ十歳にも満たぬシャルロ様とリオン様は国でお留守番をしていることになりました。そこで、王妃様と長男のエルシオ様がラフネカース国を代表してシネカ王国に出向くことになったというわけです。


この時、私は、その国で彼と王妃様にどんなに過酷な運命が待ちうけているのかを知っていたのですが……たかが一庶民の喚きがまともに聞き入れられるわけもなく、幽霊よりも青ざめた顔で彼らを見送ることしかできませんでした。


ここから先は、エルシオ様ご本人から聞いたお話を繋ぎ合わせたものになります。


それは、ゲームの中で大人になった彼がティアに語った内容と全く同じものでした。



二人は馬車に揺られて、無事にシネカ王国に到着しました。


エルシオ様にとっては、それが初めての他国に足を踏み入れるという経験でした。


シネカ王国は、一面砂で覆われた、砂の国でした。その国には、ドーム状になっている丸い屋根の大きな建物がいくつも聳え立っていました。湖と森に囲まれたラフネカース王国ではまず見ることのなかった景色に、彼は目をみはりました。


絵本に出てきたあの一面砂の国は、本当に実在していたのだと。
彼の心は浮き立ちました。


エルシオ様と王妃様はシネカ王国に一週間滞在する予定でした。
その中ごろに、盛大な祝祭が行われる予定になっていたのです。


しかし、彼らが実際にその祝祭に出向くことはありませんでした。


そもそも、二国の友好を記念した盛大な祝祭を開催するということ自体が、嘘でした。


それは、作物と資源に飢えたシネカ国が、ラフネカース王家の人間を無防備な状態で呼び出すための罠だったのです。


もちろん王族であるお二人が他国に出かけられるという中で、一人として見張りがついていなかったわけではありません。しかし、シネカ王国が五十年間続いてきた親交をあっさりと断ち切って、掌を返すことまでは誰にも想像できませんでした。警備はいつも以上に手薄でした。


王妃様とエルシオ様が何の疑いもなく、通されたお部屋で眠りについていた時のこと。
旅の疲れもあって、二人はいつもよりも深い眠りに落ちていました。


エルシオ様は、王妃様の泣き叫ぶ声で目覚めたそうです。


隣のベッドには、震えながら泣いている王妃様のお姿。
ぼんやりと部屋を見回した時、彼は戦慄しました。


自分たちのベッドを取り囲むようにして、腰に剣をぶらさげた厳格な顔つきの軍人たちがずらりと立ち並んでいたのです。


『哀れなラフネカースの王族よ。今よりお前らは人質となった』


ロボットのように無機質な、軍人の冷酷な声が部屋に響きました。
ようやく、彼らは騙されたのだと悟りました。


『これより、お前らが人質となったことを、ラフネカース国王に告げる。王妃と第一王子を無事に返してほしくば、シネカ国民全員が一年間飢えることなく暮らしてゆける量の作物を差し出せと』


いくら緑豊かなラフネカース王国とはいえ、それほどの蓄えはありませんでした。王妃様とエルシオ様は震えながらシネカの軍人の冷酷無慈悲な言葉を聞いていました。


『ラフネカース国王が条件を呑めないのであれば、戦争を始めるまでだ』


軍人の一人が慈悲の欠片もない言葉を最後まで告げ終えたのと同時に、王妃様とエルシオ様は無残にもあっという間に軍人たちに囲まれて縄で縛られてしまいました。そうして、日の光も届かないような地下の最奥にある牢屋に閉じ込められてしまったのです。


それから過ごした数日間は生き地獄のようだったと、彼は言いました。


一日の内に許される食事は、乾いたパン一切れと、小さなコップに注がれた一杯の水のみ。


彼は、空腹からくる眩暈と戦い続けました。王妃様と離ればなれの牢屋に入れられてしまったために、彼女のお顔を見ることすらも叶いませんでした。手と足首に繋がれた鉄の鎖は肉に食い込んでくるようでした。


地獄の牢屋生活、三日目のことでした。
永遠にこの地獄が続いていくとすら思え、希望を失いかけていたその時。
薄暗い牢屋の柵の前に、松明のほのかな光が見えたそうです。


鉄柵の前には、あの忘れもしない、冷酷な顔をした軍人が立っていました。


『お前に、告げなければならないことがある』


久しぶりに人の声を聞いた、と彼は薄れゆく意識の中でぼんやりと思いました。
その次に、特に感慨もなさそうに告げられた、軍人の一言。


『三日待ったが、ラフネカース国王は、我々の条件を呑まなかった。これから先、もう少し待ったところで国王が条件を呑むとも思えない。ラフネカース王妃には、死んでもらった』

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