私は、海軍最強航空隊のパイロットだった

高雄摩耶

第二章 ③スターリング湾(1)


昭和17年3月7日   南シナ海

その夜はとても静かだった。
海面は静寂に包まれ、月明かりが照らし出す。
それを打ち破るかのごとく、「瑞鶴」をはじめとする第五航空戦隊の各艦は、一路集結地点である、セレベス島スターリング湾へと急いでいた。

「長官、菊月より入電です。『我レ、期間不調ニツキ速力低下、サレド航行二支障ナシ』とのことです」
「まったく、まだ出航して2日しか経っていないのに、なんてザマだ」

第五航空戦隊司令官  柳  泰義  少将は、その報告に苛立ちを隠せなかった。
各艦は当然ながら、出港前に念入りな整備を行ったはずだ。
にもかかわらず、不調になるということは、明らかな整備不足。
特に五航戦を護衛する第二三駆逐隊は、開戦から戦闘に参加した経験がほとんどなく、練度は低下していた。
トラブルも起きるわけだ。

「どうします、本土に引き返させますか?」
「いや、航行に影響がないのなこのまま護衛を続けさせろ。修理は向こうについてからだ」

五航戦の空母2隻に対して、今は護衛の駆逐艦が3隻しかいない。
ただでさえ少ない護衛をここで減らすわけにはいかないのだ。

「わかりました。そう伝えます」
「ああ、頼んだよ」

本来なら護衛艦は少なくともこの3倍の数なければならない。
しかし、南方攻略をはじめとする作戦や輸送船団の護衛のために、駆逐艦、巡洋艦はほとんどが引き抜かれていた。

「本当に気味が悪いほど静かな海だ」

柳の前には、その「気味の悪い海」が広がっていた。




「おーい、由紀ちゃーん、どこー?」

さっきまで一緒にいた笹原の姿が見えない。
ずっと先に行ってしまったのだろうか?

「とにかく探さなきゃ」

昨日1日に「瑞鶴」に再着任した武本 遥 一飛曹は「旅行」の最中であったが、案内役である 笹原 由紀 一飛曹の姿を見失っていた。
「旅行」とは、新しく着任した乗組員が、艦内の構造を把握するために行うもので、要は「艦内探検」みたいなものだ。
しかし、最下甲板すなわち最も船底の階を案内してもらっている最中、突然笹原が消えてしまったのだ。
居住区がある中甲板より下に行ったことがない武本にとっては、迷子になったも同然だ。

「こっちかな・・・」
「おい!貴様止まれ!」

いきなり怒鳴られて振り向くと、機関科と思われる人が立っていた。
階級は兵曹長のようだ。

「はい?」
「貴様、何をこんなところでウロついている?今は作戦行動中だぞ!持ち場へ戻らんか!」
「え、いや、その、私はただ・・・」

命令なしに持ち場を離れるなど、本来は許されることではない。
しかし、今は旅行中なのだ。

「わ、私はただ中を案内してもらっていただけで・・・」
「言い訳するな!貴様、どこの所属・・・ん?そういえば見かけない顔だな。新入りが?」
「は、はい!武本一飛曹であります!」
「あぁ、そういえばそんなこと言ってたなぁ。てことは、もしかして旅行か?」
「はい、さっきまで同じ飛行隊の子に案内してもらってたんですけど」

どうやら理解してくれたようだ。

「そういうことか。いやいや、すまなかった。てっきりサボってうろついてるのかと」
「いえ、私こそこんな時に旅行するなんて避けたほうがよかったと」
「いやいや、自分の乗る船のことはよく知っておかないとな。おっと、自己紹介が遅れたな」

彼はさりげなく防止をただした。

「俺は汽水貞三。兵曹長だ」
「武本遥です。航空隊の一飛曹です」

汽水兵曹長は私より一つ上の15歳で、機関員。
「瑞鶴」には昨年の完成と同時に配属された。
それ以前は軽空母「龍驤」の機関員だったそうだ。

「あなたが武本一飛曹でしたか。俺たち機関員の間でも、噂になってたよ」
「え?!どんな風に、ですか?」
「いや、飛行機の連中に″とんでもない新人が来たらしい″って」
「と、とんでもない、ですか」

思わず苦笑い。
しかし実際そうなのだから仕方ない。

「ところで、こんな時間に作業中っていうことは、汽水兵曹長は夜勤で?」
「うーん、実は今日は違うはずだったんだけど、同期のやつがどうしても変わってほしいっていうから」
「それはそれは、ご苦労様です」

最初に怒鳴られた時は、汽水兵曹長という人は「怒ると怖い人」という感じだったけど、年が近いからなのか、意外なほど気軽に話すことができた。
自分の出身地のこと、家族のこと、友人のこと、また「瑞鶴」に配属されてからの出来事など、時に笑い混じりに話し込んでしまった。

「おっと、もうこんな時間だ」
「え、いけない!私由紀ちゃん探してたんだ!」
「由紀ちゃん?」
「はい、私と同じ飛行隊の笹原一飛曹のことです。案内してもらってたら逸れちゃって」

笹原のことなどすっかり忘れてしまっていた。
早く探さなければ。

「そういうことか。俺も一緒に探してやりたいが、夜間任務があるからなぁ」
「いえいえ、私は大丈夫です。なんとか探してみますから」
「気をつけろよ、迷子になったら元も子もないぞ」
「汽水兵曹長も頑張ってください」

別れ際に武本は、汽水に聞いた。

「あの、またお話しすることはできますか?」

汽水は笑顔で答える。

「もちろん、ただ、自分の仕事はサボるなよ」
「は、はい!」

何故そう聞いたのか、武本にはよくわからなかった。
たが、自分の中に何か、ウキウキするような感じがこみ上げてくるのがわかる。
二人は別れると、それぞれの目的へと暗い艦内を歩き出した。



艦の底で武本と汽水が別れたちょうどその頃、艦の最上部ではとんでもない騒ぎが起こっていた。

「長官!長官!」

通信参謀が慌てて艦橋へのタラップを駆け上がって来た。

「なんだなんだ?そんな叫ばなくとも、とりあえず落ち着いて・・・」
「長官、それどころではありません。先程、連合艦隊司令部から電信がありました」
「GF司令部から?内容は?」

通信参謀が青ざめた顔で、司令官  柳  少将に報告する。

「そ、それが、本土東方300海里海域に、敵機動部隊を発見したとのことです!」
「本土東方・・・300海里だと?!」

その瞬間、艦橋の人員全員が凍りついた。
300海里とは、十分空母艦載機の射程圏内。
本土からその距離に敵の空母機動部隊が近づいている。
すなわち、本土が敵からの直接攻撃にさらされる可能性が十分あり得るということだ。

「ど、どうしますか長官?」
「やはり反転すべきだろう」

まずはじめに考えたのは進路を反転し、本土周辺の敵機動部隊を捕捉することだ。
機動部隊に対抗するには、こちらも同じく機動部隊を用いるのが一番だ。
すでに本土を離れて一週間経つが、他の空母が出払ってしまっている今、本土から一番近い位置にいるのは我々五航戦なのだ。

「しかし長官、敵機動部隊が出現したとはいえ、連合艦隊からも、一航艦からも何の命令も出ていません。ここは予定通り、スターリング湾へ直行すべきでは?」

これは参謀長  飯田 綾子  大佐の意見だ。
たしかに、司令部から命令変更が出ていない以上、進路の変更をすべきではないかもしれない。

「翔鶴より発光信号!『直チニ反転シ、敵機動部隊捕捉二務メルベキデアルト具申ス』」

ど僚艦「翔鶴」の艦長 阿部 明菜 大佐
からのものだ。
これで意見は二つに割れた。
我々が取るべき最善の道は?
どうする?
どうすればいい!?



「あー、よかった、中甲板まで戻って来れたぁ」

迷路のような艦内を抜け、ようやく居住区のある中甲板まで戻って来た武本は、すでにヘトヘトだった。

「あ!遥ちゃん!よかった、どこに行ったのかと思ったよ」
「え?あ、由紀ちゃん、今までどこに・・・」
「そんなことより大変だよ!」

二人で話していると、向こうから長谷川中尉が慌てた様子で走って来た。

「あぁ、武本、やっと見つけたぞ」
「中隊長、何かあったんですか?」
「今すぐ日本へ戻るぞ!」
「え、戻る?でも、まだスターリング湾には着いていないはずでは?」
「空母だ。本土近海に敵の空母が出たんだ!」
「へぇ!?」

驚くのも無理はない。
アメリカとの戦争が始まって4カ月。
これまで快進撃を続けてきた日本にとって、本土近海で敵機動部隊を発見したというのはとんでもないことなのだ。
もし、本土への直接攻撃を加えられたら、国民への影響は計り知れないものとなるだろう。

「反転するということは、五航戦が敵空母を?」
「敵の詳しいことは不明だが、戦力的に見ても我々がやるべきと、上も考えたんだろう」

床が徐々に傾斜し始めた。
艦が取舵を取っているのだ。

「貴様にも出撃命令が出るかもしれん。十分心しておけよ」
「は、はい!」

「瑞鶴」をはじめとする五航戦の5隻は、一路進路を反転し、敵機動部隊捕捉のため全速力で母港横須賀へと引き返した。



同日   台湾 馬公

「艦長、我々はどうすれば・・・」
「ま、もうしようもないわね、私たちじゃぁ」

連合艦隊司令部からの敵機動部隊発見の電文を手にした副長武藤の問いに、潜水艦「伊62」艦長 古川 真希 少佐は、いつもと変わらぬ表情で答えた。
甲板上には二人のほかに乗組員はいない。

「私たちの艦じゃ何の役にも立たないわよ。大丈夫、本土の人たちがなんとかしてくれるから」
「はい、そう願いたいものです。それと艦長、出撃準備が整いました」
「予定通りね。さあ、ぼちぼちいきましょうか」

海を覆う闇に溶け込みながら、潜水艦「伊62」は静かに馬公を後にした。

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