月夜の太陽 〜人と人ならざる者達の幻想曲〜

古民家

第57話 雇い主(とらわれ)

暗い廊下を簡易に作った松明の灯りがぼんやりと照らす。

「こんな時にオースのやつが役に立つんだが…」

ロキは、店に居るヤケに古臭い言葉を話す火の精霊がここにいない事を残念に思っていた。

松明を片手に薄暗い廊下を歩くロキ。

ライザといた部屋を出て、右手の奥にある部屋の扉を開く。

部屋に入ると中は客間の一つなのか、部屋の真ん中にベッドがあるだけで、他には何も無い。

「これは…血か…?」

ロキが部屋を出ようとした時、扉の裏側に何かが書かれているのに気が付いた。

文字のようにも見えるが、所々擦れており、ハッキリとは読めない。

「ここをでる……いや、出たい…か。いつもの……血を…差し出す。……だめだ、これ以上は読めない。」

ロキは部屋を出ると、さらに幾つかの部屋を見て回った。

どの部屋も、特段争った後は無く、それどころかつい最近まで使われていたかのような形跡すらある。

そして、血文字が書かれた扉は一つだけではなかった。

ロキは屋敷の1階の探索が終わると、ライザのいる大部屋に戻っていった。

大部屋の途中、ラムズが休んでいる部屋の前を通りかかる際、部屋の中から声が聞こえてくる。

「なんだ?」

ロキがゆっくりと扉に近づくと、部屋の中からくぐもった声が聞こえて来る。

「……あ…、い、いや………」

「はあ…はあ……、いいぞ。もっと、もっとだ…、もっと泣いてみせろ。」

部屋の中から聞こえて来るのは、声を抑えようとするライザと、下卑た声で彼女を弄ぶラムズだった。

一瞬ロキは扉を蹴破ろうとしたが、その気持ちを抑え留まった。

曲がりなりにもラムズは、ロキとライザの雇主であり、わずかな時間の付き合いではあるが、あのライザが体を許す程の主従関係がある事をロキは悟った。

ロキはその場を離れ、広間の方に歩き出した。

広間は既に調べが済んではいるが、元来た道を戻る気にはならず、そのまま広間にある壁画を眺めることにした。

暗がりの為、全体像はわからないが、どうやら神話や昔話を題材にしたモチーフであり、光に導かれるままたくさんの人々が1人の人物を崇めるような構図であった。

ロキは更に詳しく見ようと、壁画に近寄ると壁に手を滑らせた。

ザラリとした触感から、書かれてから相当な時間が経っている事がわかる。

「10年や20年ではきかないだろうな。」

「これはある有名な画家が、晩年に残した傑作の一つと聞いているよ。」

背後からラムズが顎髭を扱きながら、壁画を見上げている。

ライザとの情事の後だという事もあり、衣服は大分ラフな様相になっている。

「画家の名前はわかるか?」

「確か……、ファフニール…と言ったかな。」

「それはまた大層な…」

「さてロキくん。私は先に休ませてもらうよ。明日には開かずの扉を開けてくれる事を期待しているよ。」

不適な笑みを浮かべたラムズは、はっはっはっ、と笑いながら去って行った。

ロキはラムズが去ったのを見届けると、自分も大部屋の方へ戻って行った。

大部屋の中にはライザの姿は見えない。

先程の件もあり、気不味い相手が居ないことに安堵したロキは、暖炉の前に座り込む。

小さくなった暖炉の火に薪をくべると、それがパチパチの弾ける音が部屋に響く。

ロキは揺れる火を見つめ、物思いにふけり、ノルト街や店のこと、そこで任せきりになっているリィズや、精霊のオース…そして、赤い髪の女性を思い出していた。

「思えば遠くに来たもんだ…」

自然と独り言がでる。

「誰の事を考えているのですか?」

「え!?」

ロキが振り向くとライザがそこに立っていた。

ロキは彼女から視線を暖炉に戻すと、それ以上言葉を続けようとはしなかった。

「冷えますね。」

「ああ…」

ライザの格好に乱れは無く、此処で別れた時のままの姿であり、先ほどの情事の欠片さえ感じさせない。

しかし、返ってそれが余計に意識させられてしまう。

「調べは終わったんですか?」

「あ、ああ…とりあえず1階部分だけは一回りしたよ。」

「どうでしたか?」

ライザが話をする為に、少しロキの近くに寄る。

「……どの部屋も特に家具や壁の損壊や乱れは無かった。まるで、つい昨日までここで人が生活していたかのような感じだ。」

「私も同じ意見です。」

「それに……」
「ねえ、ロキさん。」

ロキが言いかけた際、ライザはロキの掌に自分の手を添えてきた。

「お、おい!?」
「あなた、見たのでしょう?私とラムズが部屋にいる所を…」

「な!?」

ロキの反応からライザは悟り、更にロキの方に近寄ってくる。

ロキより少し年上のライザからは、妖艶な雰囲気が滲み出ており、控え目だが香水の甘い香りがロキの鼻腔を擽る。

「あなた…大切な人は…いる?」

掌程の距離までライザの顔がロキに近く。

暖炉の火に照らされる彼女のふっくらした唇が妖しく陰影をつける。

ロキは揺らめく炎に視線を移そうとするが、ライザがロキの頬に手を添えてくる。

(な、何故だ。何故、オレは動けないんだ。まさか、ライザに欲情しているのか?)

視線の先にあるライザの瞳は炎に照らされ、青い瞳が濃く輝いている。

「お、おいライザ!いったい……むぐ!」

ロキの静止が言い終わる前に、ライザの唇がロキの口を塞ぐ。

その瞬間、ロキは意識が遠のいていき、力が抜けていくことに気付く。

「ぐ!…や、やめろ!」

口が自由になり、ライザわ、無理やり引き剥がそうと力を込めるが、ライザの添えられた手に物凄い力が掛かり、思うように引き剥がせない。

(おかしい!いくらなんでもライザの力が強すぎる!?)

「やめろー!!!」

ロキはライザの腹部に掌を当て力を込めた。

「ぎゃ!?」

ライザが苦悶の叫びを上げ、後ろに倒れ込む。

ロキはその間に立ち上がると、後ろに少し後退し、臨戦態勢を取った。

ゆっくりと起き上がるライザ。

「ライザ、いったいどうし…!?」

ライザは起き上がると、身につけている衣服を一つ一つ脱いでいき、最後は薄布一枚の姿になった。

『ふふ、ふふふ…」

「お、お前何考えて…!?」

ロキは肌のあらわになったライザの至る所が血に塗れていることに気付く。

「おい、怪我してるのか!?」

「ああ、私は今…とても満たされている。こうして憎しいヤツをこの手にかけ、そして解放された私は、もう欲望を抑える必要はない。」

「何を言って……ま、まさか!」

ロキはライザ身につけている薄布を凝視する。

暖炉の火と血の色から判別し辛いが、その布は黒い色をしていた。

「こ、黒死紋!?」

バラムの一件で見たものよりも、より深くより濃い黒。

恍惚としたライザの表情は、何かの薬物を摂取しているかのような視線が安定せず、意識が半ば朦朧としていた。

「いいのよ、私を好きにしても…。あの男の様に好きなだけ弄べばいい。そうしてお前も、快楽の中で殺してやる。」

ロキはゆっくりと後退り、ライザと一定の距離を取る。

「ライザ、どうして黒死紋を!?」

「私はもうウンザリなんだ…。あの男がギルドに来てからというもの、私は自分の愚かさに心底反吐が出る。」

ロキは距離を取りながら、部屋の扉の方を見るが、ロキと扉との間に丁度ライザがいる為、部屋からの脱出は難しい。

「私は…自分が許せない……、例え命令とはいえ、あんな男に自分の体を許してしまう従順さが……」

ライザの中に渦巻く憎悪や哀しみと言った負の感情が、彼女自身を取り巻き、いつもの冷静さを微塵も感じられなくなっている。

「何時だ!?ライザ、いつ黒死紋を!?」

「うるさい!!お前も死ねーー!!」

そう叫ぶと、瞬時に右手がロキに向かって向けられる。

「アツッ!」

ロキの頬に火傷の様な痛みが一瞬走り、赤い血が滲む。

ライザは殆ど裸の状態であったため、何も持っていない様にロキは見えたが、ライザは何か細く鋭い物を飛ばして攻撃を仕掛けてきた。

(クソ、暗がりだと攻撃が見えない。何とかして、動きを止めないと…)

ロキがそう考えた一瞬。

ライザは低い態勢を取り、さながら地面を蹴る様にロキとの距離を詰めてきた。

「しまっ…!!」

迫るライザの手には、先ほど投げてきたと思われる細身の刃が鈍く光、ロキを捉えようとしていた。

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