平凡騎士の英雄譚

狛月タカト@小説家になろう

第一章10\u3000『夢の中での邂逅』

 

 長い、長い時が経った感覚があった。
 真っ暗闇の中、空中をふわふわ漂うような浮遊感が永遠のように感じられて、そして唐突に意識が覚醒する。
 されど、それは一瞬の出来事だったのかもしれない。
 定かではないが、自分が今ここに存在している事を認識することはできた。

「気が付いた? 良かったわ。ギリギリだったけど、あんたの精神に入り込むことができた――感謝しなさいよね、ホントのホントにギリギリだったんだから」

 久しぶりに開けたような瞼を射す光に、眼を慣らしながら徐々に視界を広げる。
 するとそこには――。


「さて、じゃあこれから大事な話をするからよーく聞きなさい。今の状況を何とかしたいと思ってるなら、あんたにとって朗報よ――あたしと契約を結べば、あたしの力であんたを助けてあげる」


 一面見渡す限り白い空間に異物が入り込んだかのように目立つ少女は、不敵な笑みを浮かべながらそうのたまった。
 自信満々な様子でその起伏の乏しい胸を張っているが、断られるなど微塵も思っていないその自信はどこから湧いて出てくるのか。
 少女の柔らかな紫色の髪が揺れるのを目で追いながら、ラウルはなんとなくアネモネの花を連想した。
 どうでもいい事が脳裏に過ぎりながらも、自身に起こっている今の状況を整理しようと頭を回転させる。

 まず、ラウルは先程まで死に直面していたはずなのだ。
 並の人間が対峙すれば抵抗さえする気も起きなくなる程に、恐ろしい怪物を相手に単独で立ち向かっていた。
 いや、立ち向かうなんてさも勇敢であるというような言い回しは誤解を生むかもしれない。


 ――正確には時間稼ぎ、だ。


 撤退の判断を下して仲間を離脱させる為にあの状況でその役割をこなせるのは、自他ともに認める平凡中の平凡であるラウルしかいなかった。

 相手の強大さと自分の平凡さを冷静に判断しているからこそ出来る事があるはずだと、あるいは時間稼ぎぐらいならば自分にだってできるのではないか。

 我ながら大それた事を考えたものだ。
 どう理屈を捏ねようともラウルの判断はラウル自身の身の安全を顧みない無謀、蛮勇と揶揄されても文句は言えない。

 『英雄』ジークムントであっても敵わなかった相手――火竜に単独で対峙するとは、つまりそういう事なのだ。

 幸いラウルの目論見通り、火竜は魔術で嫌がらせという名の時間稼ぎをするラウルを標的にした。
 きっと彼女達は逃げられた、と思う。
 そうでなければ、自分のとった行動は全て無駄だったと無能の烙印を押されるようで、それを拒否するようにラウルは希望的観測にすがるしかない。


 ――それにしても。


「……ここ、どこだ?」

 直前までラウルは火竜を相手に全力で死なないように、殿役を全うしていたはずだ。
 撤退する僅かな時間稼ぎをした後、ラウル自身も逃げる算段をしていた。

 死を覚悟したとはいえ、時間稼ぎで死んじゃいましたなどまっぴらごめんであるし、そもそも犠牲が出る前提の殿ならラウルは絶対に引き受けたりなんかしない。

 それでも自分がやらなければならないと思ったのは、一緒にいた少女を守りたかったからだ。
 無論、彼女の前で良い恰好したかったという一面も否定できない。
 仲間を守る為に竜に立ち向かう騎士。大いにカッコイイではないか。

 それで死んだら元も子もないが。

「ここはあんたの精神世界とでも言えばいいかしら。ま、夢の中みたいに思っていればいいわ――それより! あたしと契約するのかしないのかどうするの! ぽけーっとしたマヌケ面したままあたしを無視してんじゃないわよ!」

 考え込んで反応しないラウルに痺れを切らしたのか、少女は紫髪を揺らしながら語調を荒くして顔をずいと近づけてきた。

 彼女曰くここは精神世界だというのに、彼女から漂うこのふわりと鼻をくすぐる甘く優しい匂いはなんだろうか。
 ひどく整った可愛らしい顔が目の前に来て、ラウルは反射的に顔を仰け反らせた。

「いやいや待てって! 状況が掴めない。ここが百歩譲って俺の精神世界? だとして――一体、お前は誰なんだ? 俺は、お前の事を何も知らない。初対面でいきなり契約だなんだと迫られても訳が分からねえよ。……新手の詐欺か?」

「……なに、あんた気を失う直前の事何も覚えてないの? はあ、しっかりしなさいよ、もう。あんたが死にかけてる状況でここに引きずり込んで契約の時間を割いてあげてるってのに」

 少女が顔に手を当て溜息をつくのを眺め、彼女の言葉を反芻する。

「死にかけて――そうか、俺は今気を失ってここにいるのか……死んだ、わけじゃないんだよな?」

「……一応ね。ただこのままだとあんた、死ぬわよ?」

「何言って――」

 そこまで言いかけた所で、脳裏におぼろげな記憶が舞い戻った。
 火竜との時間稼ぎの死闘はラウルの実力に伴った結果を出し、火竜の爪を引き裂かれ吹き飛ばされた記憶が。
 その記憶に思わず引き裂かれたであろう腹を押さえ、急激に押し上げられた吐き気に蹲った。

「うぉぇ――――がはっ、はっ、はっ」

 しかし、胃に込み上げる吐き気があるにも関わらず、その内容物は何も吐けなかった。

「思い出した? 気を失ったあんたは致命傷を受けていて、今にも死にそうなのよ」

「――そうか、俺、死ぬのか」

 死がまもなく自分に訪れると知って、自嘲気味に呟いた。
 結局の所、平凡である自分は何者にもなれず朽ち果てるのだと。

「人の話は最後まで聞きなさいって教わらなかった? あんたが死にかけてるのも事実、このままだと死ぬのも事実――けどそれは、あたしという存在がいなければの話」

「……どういう事だ? お前が治癒魔術で傷を治してくれるのか?」

「残念だけど、あたしにそんな力無いわよ」

「じゃあ、どうすれば俺の命は助かるっていうんだよ……」

「だーかーら、最初から言ってるじゃない! あたしと契約すれば助けてあげるって」

 そう彼女が何度も口にする契約という言葉に、眉を顰める。

「契約って……お前は一体――」

「もう、分からず屋ね! ――気を失う直前、あんたは何を誰のを聞いたかよーく思い出しなさい」

 その言葉に、最後の記憶が蘇る。
 吹き飛ばされた先には一振りの剣が突き刺さっていて。

 その時、声が聞こえたのだ。――あたしを握りなさい、と。

 そこまで思い出した所で、件の少女と目が合った。
 その大きく透き通る紫眼に魅入られながら、ラウルはまさか、と口を動かした。

「そう。あたしの名はティル・フィング。――魔剣ティルフィング、の方が分かりやすいかしら。あんたを契約者として認めるわ。よろしくね、平凡な騎士様?」

 そう言って微笑む少女――ティルフィングと見つめ合い、とても綺麗だ、なんてありきたりな感想が脳裏に浮かんだ。

「魔剣ティルフィング……って魔剣んんんんん!?!?」

 その意味を正確に理解して、その上でラウルは常識的な反応を示した。
 唐突に大声で叫ぶラウルに対して、ティルフィングは煩そうに耳に手を当て顔を顰めた。

「あーあー、うるっさいわね! なによなんか文句でもあんの!?」

「大ありだよ! あたしは魔剣だあ? ったく、何の冗談だよ。可愛いナリして言ってる事ぶっ飛びすぎなんだよお前」

「は、はあ!? かかか、か、可愛いってなによどういうこと!? あんたちゃんとい、意味分かって言ってんでしょうね!? お、男の子が女の子にそういう事言うのって、つ、つまりそういう事でしょうが!」

「いやどういう事だよ……ただの客観的に見た感想だろ」

 誰が見ても美しい容姿をしていれば、そういう感想しか出てこない。
 それは褒めているわけではなく、純然たる事実を口にしただけのことである。
 そう言わしめる程、この少女の美しさは人並外れているのだ。

「……は? あんたそれ誰にでも言ってんの?」

「なんで俺、誰彼構わずな軟派男を見るような目で見られてんの?」

 意味が分からん、と溜息が思わず漏れる。
 そんなラウルの態度にティルフィングが更に目尻を吊り上げる。

「何よその俺は悪くないみたいな態度。信じらんない、純情な乙女を弄んで喜ぶ変態なの?」

「お前さ、自分を魔剣って言ったり、乙女って言ったり、結局どっちなんだよ……それと俺は変態ではない」

「どっちも私よ。魔剣であり、可憐な乙女である――それがティルフィングを形作っているの」

「自分で可憐って言っちゃうのはどうなの? 恥ずかしくない?」

「う、うっさいわね! この千年誰からも言われてないんだからちょっとぐらいいいじゃない!」

 千年――ティルフィングはそう言っているが、本当に魔剣なのだろうか。
 そう仮定するならば、千年という単語も聖魔戦争と共通する。
 千年前に生まれたとされる聖剣と、魔剣。
 人族側の剣と魔族側の剣として伝えられているが、それが事実ならば――。

「なあ、話を戻すけど……仮にお前が本当に魔剣だとして、契約をすれば俺の命は助かるのか?」

 魔剣ティルフィングに対して、ラウルは契約の話を詳しく聞き出す姿勢に切り替えた。



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